九州南西海域工作船事件

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北朝鮮の工作船に装備されていた2連装14.5mm対空機関銃(2003年9月撮影)
北朝鮮の工作船に装備されていた2連装14.5mm対空機関銃(2003年9月撮影)

九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日に発生した不審船追跡事件のひとつ。不審船は巡視船と交戦の末、自爆している。後の調査により北朝鮮工作船であった事が確定し工作船事件と呼称を変えた。


目次

[編集] 概要

この事件は2001年(平成13年)12月22日に発生した不審船追跡事件である。これより以前の1999年(平成11年)3月23日にも北朝鮮工作船と見られる能登半島沖不審船事件が起きていた。

事件の発端は米軍からの情報であった。防衛庁(当時)はさらに海上保安庁に通報。そして東シナ海公海上で「長漁3705」と記された漁船様国籍不明船を発見し立ち入り検査を実施しようとした。日本国漁業法に基づく立入検査に係わる事件である。当該船が立入検査を拒んだとして、海上保安庁が漁業法違反(立入検査忌避)容疑で強制捜査を行おうとしたところ、不審船は巡視船に対して機関砲小火器対戦車ロケット弾による攻撃を開始、これを受けて巡視船側も正当防衛射撃を開始し、激しい銃撃戦となった。22日深夜になって当該船は自爆と見られる爆発を起こし、そのまま沈没した。この事件で日本側は海上保安官3名が負傷した。一方、当該船の乗組員は8名の死亡が確認され、乗組員10名以上の全員が死亡したものとされている。

海上保安庁が立入検査を実施しようとしたのは、「当該船が日本国の排他的経済水域内において、違法な無許可漁業を行っている疑いがあった」[1]からであるとされる。

事件発生直後は九州南西海域不審船事件等とも呼称されたが、後の調査で沈没した不審船を海底から引き上げ北朝鮮の工作船であることが確定。その後は九州南西海域工作船事件と呼称されている。

[編集] 事件の経過

[編集] 米軍情報と怪電波

2001年(平成13年)12月18日頃に米軍から不審船に関する情報が防衛庁(当時)に提供され、それを受けて各通信所北朝鮮に関する無線の傍受を指示、翌12月19日喜界島通信所が不審な通信電波を捕捉したため、海上自衛隊機は喜界島近辺海域を哨戒した。

[編集] 工作船の発見

12月21日16時32分に鹿屋航空基地所属のP-3C哨戒機が、東シナ海の九州南西海域において「長漁3705」と記された不審な船を発見した。17時30分に中谷元防衛庁長官に一報、18時頃には内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官にも一報が伝えられた。

防衛庁は18時30分頃に鹿屋航空基地に帰投したP-3Cが撮影した画像を解析し、対象船舶は北朝鮮の工作船の可能性が高いと判断、翌12月22日1時に防衛庁長官に「工作船の可能性が高い」との分析結果が報告され、1時10分、内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官、海上保安庁に通報した。

[編集] 海上保安庁と自衛隊の出動

通報を受けて海上保安庁はこれを捕捉すべく追尾することとし、PM型巡視船あまみ」(名瀬海上保安部所属)、PS型「きりしま」(串木野海上保安部所属)、「いなさ」(長崎海上保安部所属、配置換えにより現在唐津海保)、「みずき」(福岡海上保安部所属)を現場に急行させるとともに、特殊警備隊(SST)を、後方で現場指揮を行うPLH型「はやと」(鹿児島海上保安部所属)に派遣した。海上自衛隊も11時20分に佐世保基地から護衛艦こんごう」「やまぎり」(第2護衛隊群所属)を現場へ向かわせている。政府からは海上自衛隊特別警備隊(SBU)に出動待機命令が発令された。巡視船が現場に到着するまでの間、海上自衛隊と海上保安庁の航空機が空から不審船を追尾し、監視していた。なお不審船は発見以来、中国方面に向かって西へ逃走を始めていた。

[編集] 海面や空中への威嚇射撃と船体への威嚇射撃

12時48分に現場に到着した巡視船「いなさ」は、不審船に対して度重なる停船命令、警告を行った後、14時36分からRFS20mm機関砲による不審船上空への威嚇射撃と海面への威嚇射撃を行うが、不審船はこれを無視して逃走を続けた。停船するそぶりを見せない一方、銃砲撃を止めさせるためか、乗組員が甲板上で中国の五星紅旗らしい赤い布を振って見せたりもした(甲板上に人間が確認できる場合は、海上保安庁の巡視船は威嚇射撃が出来ない為)。なお、不審船は船尾に旗章を掲揚してはいなかった。16時13分から「いなさ」と「みずき」が船体に対して機関砲による威嚇射撃を行った。この射撃に際しては「停船しなければ砲撃を行う」との旗信号と、拡声器と無線による「撃つぞ。船首を撃つから船首から離れろ」との警告放送の後に射撃した。射撃された曳航弾が船首の燃料に命中したことにより、不審船は出火したが、消火器や毛布を使った消火活動、延焼防止のため風上に船尾を向けて後進をかけて炎を船首に追いやり30分で鎮火した。この火災の最中に不審船の左舷側から乗組員が何らかの物体を海中に投棄したのが巡視船に取り付けられている赤外線カメラの映像で確認されているが、この物体はすぐに沈んだため回収するにはいたらなかった。この物体は暗号表などの機密性の高いものではないかと推測されている。 その後も停止と逃走再開を何度か繰り返し、低速で逃走を続けた。

[編集] 不審船からの攻撃と正当防衛射撃

22時00分、低速で逃走する不審船に対し、「いなさ」が距離を取って監視し、「あまみ」と「きりしま」が不審船を挟撃、強行接舷を試みた。すると不審船の複数の乗組員が対空機関銃ZPU-2、PK系軽機関銃及び突撃銃AKS-74により巡視船に対する攻撃を開始。これに対して巡視船も応戦し、20mm機関砲で正当防衛射撃を実施した。まもなくZPU-2は「沈黙」したが、その間も、工作船側は対戦車擲弾発射器RPG-7を用いて2発の対戦車擲弾(ロケット弾)を発射した。しかし、波浪動揺のうえ、嵐の夜の機動中とあっては命中は元より困難であり、命中しなかった。ロケット弾発射の様子は、上空を飛ぶ海上保安庁機の赤外線カメラ映像に記録された。「あまみ」から撮影していたビデオ映像にも、画面は真っ暗闇の中「シュッ」と飛翔物体が「あまみ」の上を通過した音が記録されており、ロケット弾が通過した音とされている。実際には、射撃による損害が大きく、防弾の不十分な「あまみ」は船橋を数多く貫通され3名の負傷者を出した。不審船ハンターとして船橋と乗員の防弾について十分に配慮された「きりしま」「いなさ」の損害は軽微であったが、船橋ではなく主機に被弾した「いなさ」は、1基の主機が停止した。

[編集] 自爆・沈没

22時13分、当該不審船は海上保安庁の巡視船と交戦の末、爆発炎上を起こして、東シナ海沖の中国排他的経済水域(EEZ)内で沈没した。なお、爆発の原因は自沈用爆発物の使用による自爆であり、巡視船の20mm機関砲によって引き起こされたものではない。

[編集] 事件後

[編集] 船体の引き上げ

船の科学館で展示された北朝鮮の工作船船尾から内部を見る(2003年9月撮影)
船の科学館で展示された北朝鮮の工作船
船尾から内部を見る(2003年9月撮影)

日本国内の親北朝鮮派や親中国派の間では、北朝鮮に対する配慮と、沈没地点が中国のEEZ内であったことから、船体引き上げに反対する意見が一部あった。しかし海上保安庁は捜査の一環として沈没した不審船の引き上げを実行した。沈没した不審船の船体および海底に散らばった遺留品は、2002年9月11日に海中より回収され、鹿児島県で分析が行われた。その結果、船は北朝鮮のものとみられる工作船であり、回収された遺体は北朝鮮の工作員であると断定された。なお、遺体は被疑者としての鑑定後、行旅死亡人として扱われ、火葬された上で鹿児島市に引き渡されている。押収された遺留品は日本国内用の携帯電話J-PHONEプリペイド式携帯電話「J-T03」)、GPSプロッター、ポケコントランシーバー(以上は日本製)、鹿児島県沿岸の地図、金日成バッジ等であった。携帯電話の契約者の特定には至らなかったが、メモリーには、日本国内の反社会的勢力、暴力団の構成員の電話番号が残っていたという。

[編集] 工作船から発見された武装

工作船は固有の武装として連装対空機関銃を備えていたほか、多くの携行兵器が積み込まれていた事が明らかになった。携行火器は北朝鮮軍の第一線にもあまり配備されていない最新鋭の物ばかりだ。RPG-7無反動砲といった対戦車火器は無誘導ながら巡視船に命中すれば撃破できるし、突撃銃汎用機関銃から放たれる小銃弾は事件当時の海上保安官に支給されていた防弾ベストを貫通する威力があった。対空機関銃はかつての対戦車ライフル用弾丸を使用しているため貫通力に優れ、炸薬も入っており巡視船の上部構造に被害をもたらせる。携行対空ミサイルは5kmもの射程を持つといい、海保機を撃墜可能だった。

最終的に回収できた兵器は以下の通り。


後にこれらは東京に運ばれ、船の科学館2004年2月まで一般公開後、同年12月10日からは横浜海上防災基地内の海上保安資料館横浜館で展示されている。引き揚げ直後は、船の科学館での一般公開の後にスクラップ処分する予定だったが、石原慎太郎ら多くの人々の反対と多額の浄財によって処分は中止され、現在に至る。

[編集] 日本に与えた影響

海保は沿岸警備隊に相当する準軍事組織であるといっても海上自衛隊の指揮下に入ることはなく、武器使用も警察官職務執行法に拘束される。海保の巡視艇は海自の護衛艦とは全くの別系統であるだけでなく軽武装であったし、武力行使には極めて消極的だった。巡視艇への攻撃はそうした海保の姿勢に変化を迫り、巡視艇の高速化・重武装化が促進された。

海上自衛隊は海上警備行動こそ発動しなかったが、海保と連携して対応に当たった。一連の不審船事件は海上防衛の在り方に一石を投じた事件であった。

北朝鮮工作機関の犯罪行為が白日の元にさらされた事は、拉致問題に揺れる日本の世論にさらなる影響を与えた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク