呉克烈

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呉 克烈(オ・グッリョル、1931年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮人民軍総参謀長朝鮮労働党中央委員会政治局員、党作戦部長最高人民会議第11期代議員(現361号選挙区)などを歴任し、2013年12月時点で朝鮮民主主義人民共和国国防委員会副委員長、党中央委員会政治局員候補。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は大将

経歴[編集]

1931年中華民国吉林省出身。万景台革命学院卒業。金日成邸で10歳年下の金正日と共に2年間すごした呉は、金正日の義兄弟とも言われるほど金正日と強い絆を結び、金正日の野望を目覚めさせた政治的師匠ともされる[1]1962年ソビエト連邦に留学しソ連空軍大学を卒業。1964年11月、少将に昇進し、金策空軍大学学部長に就任。1967年10月、中将に昇進し、空軍司令官に就任。同年11月、最高人民会議の第4期代議員に当選。

1970年11月、党中央委員会の委員に就任。1972年12月、最高人民会議の第5期代議員に当選。

1977年10月、副参謀長に就任。同年11月、最高人民会議の第6期代議員に当選。

1979年9月、党政治局員候補に就任。同年9月、総参謀長に就任[2]

1980年9月、上将に昇進。同年10月10日、第6回党大会において党政治局員に選出[3]

1985年4月13日、中央人民委員会により人民軍大将の称号を授与[4]

1988年2月、総参謀長を退任。呉と金正日の権勢が高まり自身を脅かすことになると考えた金日成による解任ともされる[1]。同年9月、党民間防衛部部長に就任。

1989年、党中央委員に格下げとなるが、金正日の取り成しで党作戦部長に就任[1]し、2009年まで党作戦部長として偽ドル札「スーパーノート」の製造[5]麻薬の製造・輸出などによる外貨獲得などの裏仕事を掌り「影の核心人物」とも呼ばれた[6]

2009年2月、国防委員会副委員長に就任。同年4月9日、最高人民会議第12期第1回会議において国防委員会副委員長に再選し、党作戦部長時代から引き続き外貨獲得業務を担った。2010年頃から、自分以外の独占的な権力の存在を認めない金正日の意向から、張成沢と外貨獲得競争をさせられ、外貨誘致に関する利権をめぐって張成沢と対立関係が始まったとされている[7][6]

2011年12月に金正日が死去し、金正恩体制の発足となる2012年4月11日の第4回党代表者会においては、党政治局員候補の地位に留まった[8]

2013年に張成沢が失脚した際には、実質的に軍を掌握している実力者として報じられた[9]

顕彰[編集]

  • 1982年、金日成勲章
  • 1992年、金日成勲章

脚注[編集]

  1. ^ a b c 金正日にも義兄弟がいる 統一日報 2011年9月21日
  2. ^ http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1979/102/1979102TPC.pdf
  3. ^ http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1980/102/1980102REF.pdf
  4. ^ 重要日誌」『アジア動向年報』1985年版、69ページ
  5. ^ 北朝鮮の「スーパーノート」、韓国への密搬入を摘発 東亜日報 2009年6月4日
  6. ^ a b 張成沢―呉克烈の外貨稼ぎ競争…誰が権力を掴むのだろうか デイリーNK 2010年10月6日
  7. ^ 左・成沢vs右・克烈…北朝鮮は‘第2人者’パワーゲーム中(1) 中央日報 2010年7月5日
  8. ^ “北朝鮮の経済政策トップに郭範基氏”. 朝鮮日報. (2012年4月13日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/04/13/2012041300511.html 2012年4月14日閲覧。 
  9. ^ 北朝鮮・張成沢氏失脚の真相 早稲田大学・重村教授に聞く livedoor news 2013年12月10日


 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代:
呉振宇
朝鮮人民軍総参謀長
1979年 - 1988年
次代:
崔光