保坂武
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ほさか たけし
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| 生年月日 | 1945年2月1日(65歳) |
| 出生地 | 山梨県甲斐市 |
| 出身校 | 山梨県立農林高等学校 |
| 所属政党 | 無所属→自由民主党→無所属→自由民主党→無所属 |
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| 選挙区 | 山梨県第3区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 2003年4月28日 - 2008年9月21日 |
| 退任理由 | 甲斐市長選出馬に伴う自動失職 |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2008年10月3日 - |
保坂 武(ほさか たけし、1945年(昭和20年)2月1日 - )は、日本の政治家。山梨県甲斐市長。
旧竜王町議会議員(3期)、山梨県議会議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。
目次 |
[編集] 略歴
山梨県竜王町(現甲斐市)出身。山梨県立農林高等学校卒業後、県農業試験場果樹分場の研修生として果樹栽培を学び、1965年(昭和40年)頃から家業の農業に従事。町の青年団として、地域活動にも取り組む。
1977年(昭和52年)に竜王町議会議員に初当選。「誠実の人となれ」(農林高校校訓)を信条に、以後連続3期12年間務める。1991年(平成3年)4月からは山梨県議会議員に転身し、3期を務める。竜王町長選への出馬を期待されていたが、2003年(平成15年)4月の衆議院議員補欠選挙に無所属で出馬し初当選。同年6月に自由民主党に入党し、最大派閥である橋本派に所属する。
2003年の衆議院議員補欠選挙は横内正明衆議院議員が山梨県知事選挙立候補のため辞職した欠員を補充するための選挙。この県知事選挙で自由民主党山梨県連は山本栄彦前甲府市長を推す山梨1区・2区と、横内前衆議院議員を推す山梨3区に分裂し、激しい選挙戦を戦った。補欠選挙の時点では事態は収拾しておらず、敢えて無所属で立候補、当選を果たした。
2005年(平成17年)7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議採決では反対票を投じた。このため、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属で出馬。自民党公認の小野次郎候補らを破り3回目の当選を果たす。だが当選後の特別国会では、再提出された郵政法案に一転して賛成票を投じた。
小泉純一郎首相が退任し、後継の自民党総裁の安倍晋三が首相に就任すると、郵政造反組の復党を認める考えが表面化し、復党を望んでいた造反組議員らとともに復党届と誓約書を自民党に提出し、12月4日の党紀委員会で復党が正式に認められ、自民党に復帰した。2007年(平成19年)8月、かつて所属していた平成研究会(津島派)に再入会し、派閥に復帰した。
2007年10月には自民党山梨県連会長に就任。同ポストを巡っては小野次郎が保坂の就任に難色を示したが、「会長人事と公認問題を絡めない」との条件を付したうえで、県選出国会議員と県連正副会長による全会一致での決定となった。
2008年(平成20年)9月21日、山梨県甲斐市長選挙選挙に立候補を届け出て、3期務めた衆議院議員を公職選挙法の規定により自動失職し、同日、甲斐市長選に他の候補が立たなかったため無投票で当選を果たした。
2008年10月3日、山梨県甲斐市長就任[1]。
[編集] 不祥事
- 選挙時の燃料費不正請求
2005年の第44回衆議院議員総選挙にて、保坂が選挙カーの給油量を実際より多く申請し、山梨県選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたことが発覚した[2]。
保坂は「毎日70リットルを給油した」[2]と申請していた。選挙カーの燃料代は一台に限り8万8200円まで公費負担となるため、山梨県選挙管理委員会は保坂に対し燃料費の代金を支給した。しかし、その後の調査により、保坂事務所は「誤って随行車分を含めていたことが分かった」[2]と説明し、2008年1月8日、山梨県選挙管理委員会に随行車分の燃料費を返金した。