森山眞弓
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もりやま まゆみ
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| 生年月日 | 1927年11月7日(81歳) |
| 出生地 | 東京府 |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 労働省婦人少年局局長 |
| 現職 | 白鷗大学学長 栃木県サッカー協会会長 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 法学士(東京大学・1950年) |
| 世襲の有無 | 無 |
| 配偶者 | 森山欽司 |
| 公式サイト | 森山眞弓公式Webサイト |
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| 内閣 | 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
| 任期 | 2001年4月26日 - 2003年9月22日 |
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| 内閣 | 宮澤改造内閣 |
| 任期 | 1992年12月12日 - 1993年8月9日 |
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| 内閣 | 第1次海部内閣 |
| 任期 | 1989年8月25日 - 1990年2月28日 |
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| 内閣 | 第1次海部内閣 |
| 任期 | 1989年8月10日 - 1989年8月25日 |
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| 選挙区 | (比例北関東ブロック→) 栃木県第2区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 1996年 - (現職) |
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その他の職歴
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(1980年7月8日 -1996年9月20日) |
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森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年11月7日 - )は、日本の労働官僚、政治家。衆議院議員。旧姓名は古川 眞弓[1]。
労働省婦人少年局局長、参議院議員、環境庁長官、内閣官房長官、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長などを歴任した。次期衆院選には出馬する予定はなく事実上の引退を表明。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 生い立ち
津田塾専門学校(現津田塾大学)卒業後、女性として初めて東京大学法学部入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。戦後、極東国際軍事裁判において通訳の仕事もしていた。
[編集] 官界
東京大学卒業後、国家公務員上級甲試験(現在の「国家公務員採用I種試験」にあたる)に合格し、労働省に入省。女性官僚の草分け的存在として、キャリアを築いていった。1980年、婦人少年局長を最後に労働省を退官。
[編集] 政界
[編集] 国会議員
1980年に、労働省を退官し、第12回参議院議員通常選挙栃木県選挙区に自由民主党より立候補し、1位で初当選する。夫の森山欽司とは、おしどり議員として知られた。連続3期当選を果たしたのち、第41回衆議院議員総選挙に鞍替え立候補するため、参議院議員を辞職した。同選挙では比例北関東ブロックより立候補し、当選を果たす。以降連続4期当選しており、その間に選挙区を栃木県第2区に変更している(夫が逝去した後の1990年第39回衆議院議員総選挙で自身が衆院鞍替えを望んだが党内事情から断念、弁護士及び宇都宮市選出県議簗瀬進を擁立し当選に導く。しかし、簗瀬は、後に、森山が文相在任中でありながら宮澤改造内閣不信任案賛成し、自民党離党)。
[編集] 海部政権
1989年、第1次海部内閣で環境庁長官として初入閣するが、女性スキャンダルで官房長官の山下徳夫が辞任したため、後任の官房長官に横滑りという形で就任し、女性初の官房長官となった。官房長官時代に、相撲界の神事としての不文律(女人禁制)を無視して内閣総理大臣杯を土俵に上がって授与しようとして日本相撲協会に拒否されると、彼女や支持者らがこの事を日本文化の伝統だけではなく女性差別問題でもあると問題提起を行い、その後の女人禁制反対派の活動により各地で様々な伝統行事のあり方に議論を呼びかけることになった。ちなみに夫婦別姓推進・婚外子差別撤廃派でもある。
[編集] 小泉政権
第1次小泉内閣、および、内閣改造後の第1次小泉第1次改造内閣にて、法務大臣として入閣した。任期中に5名の死刑囚に対する死刑執行命令を下している。
郵政国会では自民党党紀委員長として、郵政民営化法案に反対した党員に対して除名や離党勧告などの党内処分を宣告した。
[編集] 政策
ユースカルチャーに対する法的規制を積極的に推進している国会議員の一人としても知られている。近年においては、児童保護と性倫理の矯正という視点からアニメやコミックなどにおける児童キャラクターの性描写を児童ポルノ法によって規制するべく活動している[2][3]。また女性議員政策提言協議会の会長として、ゲームソフトに対する広範な法的規制の必要性を主張している[4]。
[編集] 人物
太平洋戦争の中、津田塾(当時は津田塾専門学校)で勉強をしていた10代の森山は当時を振り返って「空襲に遭えば死ぬしかないのに何で勉強するんだろう」と考えないでもなかったが「勉強以外にやることがないのならそれを頑張ろう」と思い直したと回顧している。
女性初のエリート官僚であった彼女と対面した際に、夫となる森山欽司は緊張したせいか「君は飯は炊けるのか」と尋ねている。また、浜田幸一が政治の世界で、唯一頭が上がらない女性と言われている。事実、森山の前では借りてきた猫のようにおとなしい。
[編集] 主な所属議員連盟
- 日本教職員組合問題究明議員連盟 会長
- 地球規模問題に取組む国際議員連盟 会長
- 情報化教育促進議員連盟 会長
- 国立追悼施設を考える会
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- たばこと健康を考える議員連盟
- 世界連邦運動推進団体・世界連邦日本国会委員会第13代会長。
[編集] 略歴
- 1944年 - 東京都立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)卒業
- 1947年 - 津田塾専門学校(現・津田塾大学)外国語学科卒。
- 1950年 - 東京大学法学部法律学科卒。労働省入省。
- 1970年 - 労働省労政局労政課長
- 1973年 - 労働省大臣官房国際労働課長
- 1974年 - 労働省婦人少年局長
- 1980年 - 労働省退官。参議院議員当選
- 1984年 - 外務政務次官
- 1985年 - 国連婦人の10年世界会議日本政府首席代表
- 1986年 - 参議院議員再選。
- 1987年 - 参議院外務委員長
- 1989年 - 環境庁長官
- 1989年 - 内閣官房長官(女性初)
- 1992年 - 参議院議員三選、文部大臣
- 1995年 - 自民党人事委員会委員長
- 1996年 - 参議院議員を辞職し衆議院議員に当選、自由民主党行政改革推進本部副本部長
- 1997年 - 自民党文教制度調査会長、自民党総務会副会長
- 1998年 - 自民党政務調査会副会長、衆議院外務委員会筆頭理事、自民党総務会副会長
- 2000年 - 衆議院議員再選、自民党文教制度調査会長、自民党総務会会長代理
- 2001年 - 法務大臣(~2003年)
- 2003年 - 衆議院議員三選、自民党党紀委員長、裁判官訴追委員長、自民党司法制度調査会長。
- 2005年 - 衆議院議員四選、二度目の自民党党紀委員長就任。
- 2006年 - 衆議院教育基本法改正特別委員会委員長
- 2007年 - 地元栃木県の白鴎大学の学長に就任した。
[編集] 著作
- 『法務大臣の八八〇日』河出書房新社、2004年8月。
- 『よくわかる改正児童買春・児童ポルノ禁止法』ぎょうせい、2005年3月。(共著)野田聖子
- 『わたしの呼び名は「まあもちゃん」』岩波書店、2002年11月。
- 『春夏秋冬』河出書房新社、2001年1月。
- 『よくわかる児童買春・児童ポルノ禁止法』ぎょうせい、1999月11月。
- 『この日この時』東京書房社、1993年1月。
- 『非常識からの出発 - 女性官房長官・激動の六か月 - 』小学館、1990年11月。
- 『女と国会とコーヒーカップ - ナイロビへの道 - 』小学館、1985年10月。
- 『うさぎのじょぎんぐ : 労働省婦人少年局長の覚え書き』 サンケイ出版、1980年4月。
- 『各国法制にみる職場の男女平等』東京布井出版、1979年2月。
- 『各国の職場における男女平等法』教育社、1979年3月。
- (編共著)『太郎』東京書房社、1973年7月。
- 1973年(昭和48)1月に高校1年生で事故のため逝った長男について、友人や先生、親戚、家族が綴った追想・追悼文集。
(翻訳)
- キャスリン=ノット著『福祉国家の明暗 - スウェーデンの印象 - 』河出書房新社, 1964.9,
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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