日産・セドリック
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セドリック(CEDRIC)は、日産自動車が1960年から2004年にかけて製造・発売していた高級乗用車である。
目次 |
[編集] 概要
姉妹車のグロリアと共に、同クラスのクラウン(トヨタ)とは、自家用車をはじめ、パトカー、タクシー・ハイヤー、教習車としても長年のライバル車種であった。セダン型とハードトップ型、それにバンおよびワゴンが年式によりラインナップされる。
3代目230型からのセドリックはグロリアと併せて「セド・グロ」と呼ばれた。
[編集] 歴史
[編集] 初代 30型(1960年-1965年)
- 1960年4月 発売。それまでノックダウン生産されていたオースチンA50型にかわる中型乗用車として開発された。ラップアラウンドウィンドウと呼ばれる、サイドに回り込んだフロントウインドウと前傾したAピラー、縦型デュアルヘッドライト等、アメリカ車の影響を強く受けたスタイルが特徴。発売当初の価格は101.5万円(30型 1500DX)。
- ボディバリエーションはセダンのみでスタートし、ワゴンとバンが1962年4月に追加された。日産初の一体構造車体(ユニットボディ = モノコックボディ)を採用した。
- エンジンは当初はG型4気筒1500cc(71ps)、後にH型4気筒1900cc(88ps)、K型6気筒2800cc(115ps)、4気筒 2000ccのSD20型ディーゼルエンジンが追加された。
- サスペンションは前輪ダブルウィッシュボーン + コイルスプリング、後輪リーフスプリング + リジッドアクスルで、ブレーキは前輪ユニサーボ、後輪デュオサーボであった。ステアリングギアボックスはウォームローラー型であった。
- グレード構成は当初スタンダードとデラックス、後にカスタムとスペシャルが追加された。
- 1960年11月 ホイールベースと全長を100mm延長した1900ccカスタム(G30型)が追加された(125万円)。これは1961年4月に小型自動車の規格が排気量2000cc以下、ホイールベース2.7m以下に変更される事に対応したものであった。
- 1961年5月 1900Dx追加(103.5万円)。
- 1961年9月 マイナーチェンジでフェンダー・フロントグリルの形状が変更された。キャッチコピーは「走る豪華な応接間」。
- 1962年4月 エステートワゴン(98万円)、バンが追加された。リヤゲートは電動昇降式のウインドウを下ろした後、下に開く構造であった。又、ワゴンは荷室にジャンプシートが設けられており、8人乗りであった。尚、このジャンプシートは、ワゴンの設定があったY30型まで引き継がれている。
同時にオートクラッチ付きが設定された。 - 1962年10月 マイナーチェンジにより縦4灯から横4灯に変更され、国産車初のパワーシートも設定された。同時に1900Stdも追加された。
- 1963年2月 2800ccのK型エンジンを積む「スペシャル(50型)」が発売された(138万円)。カスタムのホイールベースを205mm、全長を345mm延長したもので、戦後の国産車では初の3ナンバー普通乗用車であった。この50型は後にプレジデントへ発展していく。
- 1963年9月 マイナーチェンジでフロントグリルの形状が変更された。
- 1964年6月 2000ディーゼル(QGS31型)追加。
- 1964年7月 ボルグワーナー製3速オートマチック搭載車追加。
- 1964年9月 マイナーチェンジでフロントグリル、テールランプの形状が変更された。
- 1965年2月 リクライニングシート付きの設定が追加された。
- 1965年5月 一部変更でリアフィニッシャーが追加された。
- 当初の縦型デュアルライトは東武鉄道の特急電車DRCに影響を与えたと言われている。
[編集] 2代目 130型(1965年-1971年)
- 1965年10月 発売。前モデルのアメリカンスタイルとは打って変わってピニンファリーナデザインのヨーロピアンスタイルとなった。フローイングラインと呼ばれるフロントからリアにかけて下がっていくラインや、下すぼまりのCピラーに特徴があった。ピニンファリーナのデザインが採用されたため、このセドリックのために日本でデザインされていたボディスタイルは拡大の上プレジデント150型に流用された。1968年のマイナーチェンジでは、後の230型に続くアメリカンスタイルに大幅な変更が行われた。歴代セドリックでは唯一3ナンバー普通車の設定が存在しないモデルである。発売時の価格は115万円(スペシャル6)。警察向けとしてH30型、Y40型搭載のPatrolが存在する。
- ボディバリエーションは4ドアセダンとワゴン・バン。
- エンジンはH20型4気筒OHV2000cc(92ps) 、J20型6気筒OHV2000cc(100ps)、スペシャル6のみはL20型OHC6気筒ツインキャブ2000cc(115ps、後に130ps)が搭載された。J20型は68年のマイナーチェンジでL20型6気筒シングルキャブ2000cc(115ps)に変更となる。
- H30型直列6気筒OHV3000cc、Y40型V型8気筒4000cc。
- 足回りは前輪ウィッシュボーン・コイル、後輪リーフスプリング。後に長く使われる事になる3N71型フルオートマチックトランスミッションはこのモデルに初搭載された。
- グレード構成は当初は4気筒の130型にDx、6気筒のP130型にStd6とカスタム6、H130型スペシャル6で、後に130S型Std 、P130型Dx6、P130S型パーソナル6、パーソナルDx、H130型スペシャルGLが追加された。
- 1966年10月 マイナーチェンジでテールランプが変更され、Dx6、パーソナル6が追加された。
- 1967年10月 マイナーチェンジでテールランプが変更された。
- 1968年9月 マイナーチェンジでフロントボディスタイルが大きく変更され、運転席のシートベルトが標準装備となった。J20型エンジンに替わりL20型が搭載された。ワゴンは30型以来の特徴あるリヤゲートの開閉構造から、一般的な固定ウィンドウ式1枚パネル跳ね上げタイプに変更となった。トヨタが「白いクラウン」と個人使用を宣伝したことに対抗し、それまでの法人使用をイメージしたCMから一変、白いセドリックを登場させ、「高級車を気楽に乗り回すのが新しいやり方・ON THE CEDRIC」と宣伝した。
- 1969年10月 マイナーチェンジでフロントグリル等が変更され、スペシャルGLとパーソナルDxが追加された。
- 1970年 パーソナルDx-Vが追加された。レザートップで運転席ヘッドレストが標準装備された。
[編集] 3代目 230型(1971年-1975年)
- 1971年2月 発売。同時にモデルチェンジしたグロリアと基本構造を同一とし、グリル、フード、テールランプ、オーナメント類以外はすべて共用する姉妹車となった。このため、これ以降のセドリックとグロリアをあわせて「セド・グロ」と呼ぶこともある。ボディスタイルは流行のコークボトルラインを採り入れた。クラウンの2ドアハードトップに対抗するため、本モデルよりハードトップの設定がなされ、後に日本車としては初の4ドアハードトップも追加された。4ドアハードトップはスポーティさと4ドアの利便性で大きな人気を博し、個人使用の大半が4ドアハードトップとなった。ハードトップのデザインはセダンから派生した物であるが、Aピラー、Cピラー共にセダンよりも傾斜が大きく、セダンの丸型4灯式ヘッドランプ、大型テールランプに対し、ハードトップでは角型2灯式ヘッドランプ、小型テールランプとする等の差別化を図っていた。同時期のMS70系クラウンが特異なボディスタイルで保守的なユーザーに敬遠されたこともあり、グロリアと合わせた販売台数がクラウンを上回った唯一のモデルであった。このモデルより、それまでの追浜工場から栃木工場での生産となった。
- ボディバリエーションは4ドアセダン、バン、ワゴン、2ドアハードトップ(1971年4月追加)、4ドアハードトップ(1972年8月追加)。
- エンジンはH20型4気筒2000cc(92ps)、L20型6気筒2000cc(シングルキャブ115ps、ツインキャブ125ps)、L26型6気筒2600cc(140ps)が設定された。
機構は、前輪ウイッシュボーン・後輪リーフスプリングであり、ライバルのクラウンは、前輪はウイッシュボーンと同じだが後輪は4リンクコイルと、差がつけられていた。
- 発売当初、CMでのキャッチコピーは「ゆとりのセドリック」で、テーマソング「すばらしい出発」が歌われた。後の1972年に4ドアハードトップ発売された以降のCMからは、キャッチコピーは「私のセドリックでどうぞ」であった。
- なお、石原プロモーション製作のテレビドラマ「大都会」「西部警察」では、日産自動車が車両協力していた関係で230型がスタントカーとして使用され、日本車では単一車型で最も多くの車が劇中に登場し破壊されていた。
- 1971年10月 2600GX追加。
- 1972年6月 2600カスタムDx、Dx、ハードトップDxが追加。
- 1972年7月 2000cc車のマイナーチェンジを行い、フロントグリル、テールランプの形状が変更された。
- 1972年8月 4ドアハードトップを追加。
- 1972年10月 2600GXにEマチック3速AT設定。
- 1973年4月 昭和48年排出ガス規制適合、2600cc車の外装を中心にマイナーチェンジが行われた。
- 企業キャッチフレーズは「人とクルマの明日をめざす日産自動車です」「人とクルマの明日をめざす技術の日産です」(1981年まで)。
[編集] 4代目 330型(1975年-1979年)
- 1975年6月 モデルチェンジ。デザインはキープコンセプトとなるが、アメリカンスタイルをさらに昇華させた。
- ボディは4ドアハードトップ、2ドアハードトップ、4ドアセダン、バン。前型に存在したワゴンは廃止された。
- 発売時のグレードは4ドアセダンにおいて(ディーゼルは除く)2000cc車はスタンダード・デラックス・カスタムデラックス・GL・GL-E・SGL・SGL-E、2800cc車はSGL・SGL-E、4ドアハードトップにおいて2000cc車はカスタムデラックス・GL・GL-E・SGL・SGL-E、2800cc車はSGL・SGL-E、2ドアハードトップでは2000cc車はGL・GL-E・SGL・SGL-E、2800cc車はSGL・SGL-E、バンではスタンダード・デラックス。この他にタクシー向けにLPG仕様のカスタムデラックス、スタンダード、パトカー専用としてパトロールも存在した。
- ガソリン車において、昭和51年度排ガス規制対策車の型式は331型、昭和53年度排ガス規制対策車は332型となる。331型と332型には排ガス規制対策車のステッカーがつく。ディーゼル車は51年度対策後も型式は330型。排ガス規制対策の影響を受け、プレジデントと共に採用された排ガス浄化装置(NAPS)が付き230型よりも車重が重くなったため、動力性能は良くなかった。しかし、それをカバーする上でインテリアは格段に豪華なものとなっていた。上級グレードのブロアムもこの型より登場する。エンジンはGXグレードの廃止により全車シングルキャブエンジンとなった。
機構は、前ダブルウイッシュボーン後ろ縦置き半楕円リーフであった。
- Cキャッチコピーは「美しいセドリック」であった。
- 1975年10月 「ディーゼルDX」と「L20型のEGI仕様」を追加。
- 1976年6月 51年排ガス規制適合/4ドアハードトップに角目ライトとカラードホイールキャップを持つ「Fタイプ」を追加。
- 1977年6月 マイナーチェンジ/L28型2753ccエンジンを搭載した、最高級グレード「2800ブロアム」を追加。
- 1977年10月 生産累計100万台達成。
- 1978年10月 53年排ガス規制適合/ハードトップのブロアムとエクストラにラジアルタイヤを標準装備/4ドアセダンと4ドアハードトップFタイプに2000SGL-Eエクストラ追加。2800SGLを廃止し2800SGL-E新設。
- 企業キャッチフレーズは先代とほぼ同じだが、「人とクルマの明日をめざす技術の日産です」に統一された。
[編集] 5代目 430型(1979年-1983年)
- 1979年6月 モデルチェンジ。2ドアハードトップを廃止し、4ドアハードトップ、4ドアセダン、ワゴン/バンの3系統のボディバリエーションとなる。ワゴンは230系以来の復活となった。ハードトップのヘッドランプは異形2灯、スタンダードを除くセダンとワゴンは角形4灯、バンとセダンのスタンダードは丸形4灯であった。
スタイリングはピニンファリーナの協力を仰ぎ、先代330型の、曲線を多用したデコラティブなものとは一線を画した、直線的でクリーンなイメージのものへと大きく変化した。 - 乗用車日本初の直列6気筒ディーゼルエンジン、LD28型搭載車を追加。
サスペンションは、前輪ダブルウイッシュボーンはキャリーオーバーだが、後輪がこの代から5リンクとなった。
- 1979年12月 日本初のターボエンジン(L20ET)搭載車を追加。
- 当時の運輸省(現在の国土交通省)は「ターボは不必要な性能向上のための装置であり、暴走行為を助長する」という見地から、国産車への搭載を頑なに認めなかった。このため日産は「ターボは燃費を向上させる装置」という論理で対抗する。すなわち、ターボの過給圧を調整することにより燃焼効率を向上させ、排ガス浄化と低燃費を両立させることができるとしたのである。しかも「排気エネルギーのリサイクル活用である」として環境問題までもクリアしようと考えた[1]。さらにその論理へのダメ押しとして搭載車種セドリック/グロリアを引き合いに出し、「セドリック/グロリアで暴走する者はいないだろう」とトドメを刺した事は有名である。しかし、実際は暴走族に全面的に支持される人気車種となった。
- こうして生まれたL20ETは、重量級のボディを軽々と走らせる源となった。その後このL20ETは、排ガス規制で「名ばかりのGT」、「牙を抜かれたGT」と揶揄され、何よりもパワーを欲していたスカイライン(GC211)や、フェアレディZ(S130)にも搭載され、トヨタDOHC軍団の後塵を浴び続けた日産車が息を吹き返すきっかけとなる。
- 1980年4月 ターボブロアム(セダン/ハードトップ)/ターボAT/固定式ガラスサンルーフ装備のハードトップ200E SGL-F発売。
- 1981年4月 マイナーチェンジ実施/SGL-Fはターボ付きに発展/280Eブロアムは大型カラードウレタンバンパーを装備。
- 1982年6月 200E/200Eターボ/280EのATを電子制御4速ロックアップ付きに、これにより25%燃費向上。ディーゼル車は昭和57年排出ガス規制適合。
- 1983年2月 4ドアハードトップに「ターボエクセレンス」、「200Eエクセレンス」を追加。
- キャッチコピーは前期は「快適・ローデジベル空間」、後期は「先進の美学」、「華麗なるエレガンス」であった。
- 企業キャッチフレーズは先代・先々代と同じく「人とクルマの明日をめざす技術の日産です」であったが、1982年から「世界に愛される先進技術の日産です」に変更された。
- オープンカーに改造された430は警察行事などの儀礼用に現在も使用されている(これは年に数回しか使用されないためである)。
[編集] 6代目 Y30型(1983年-1987年、バン・ワゴン1983年-1999年)
- 1983年6月 モデルチェンジ。5代目のキープコンセプトとなる。ハードトップとセダン、ワゴン・バンがあった。
- このY30型は日産の技術の粋を集めたモデルで、長年にわたり搭載されていた直列6気筒のL型(L28E,L20ETなど)に代わり、日本初のV型6気筒エンジン(VG型)を搭載したことでも有名である。このVG型エンジンはアルファロメオのV型6気筒を参考にしたといわれる。シリンダーブロックは製作コストの制約上、鋳鉄製となった。なお型式の「Y」は、VG型エンジンを前方から見た際、Yに見えるところから付けられたという説がある[要出典]。サスペンションはこの代から、前輪がダブルウイッシュボーンから、マックファーソンストラットコイルとなり後輪は先代とおなじく5リンクであった。
- 1983年12月 一部改良。5ナンバー車のカラードパンパー付き車が拡大される/ハードトップに日産創立50周年記念車の「50アニバーサリー」を追加。
- 1984年2月 セダン営業車にL20Pエンジン車の6気筒LPG車/ブロアムの最高級仕様の「ブロアムVIP」を追加。
- 1984年5月 特別仕様車「V20E エクセレンス」発売。
- 1984年6月 VG30ET型エンジン(230ps 34.0kg-m)追加。「V30ターボブロアムVIP」と「V30ターボブロアム」。
- 1985年6月 マイナーチェンジで電動可倒式ドアミラーを採用。スタンダードとバン以外ヘッドランプとテールランプが変更され、コーナリングランプ、フォグランプ(ハードトップ、ワゴンのみ)を設定した。ワゴンのフロントマスクはハードトップと同じになる。ラジエータグリルのデザインはグロリアの横基調に対し、縦基調となる。テールランプのデザインはグロリアとほぼ同じであるが、セドリックはハードトップとセダンが上がブレーキ灯、下がターンシグナル。ワゴンは上下が入れ替わる。VG20ET型が可変ノズルターボのジェットターボ仕様となったほか、ディーゼルエンジンがLD28型に替わり新設計のRD28型となる。若者向けの「4ドアハードトップV20ターボ アーバン(430以来のターボSの代わり。後にアーバンG)/アーバンX(430型以来のSGL-Fタイプと代わる)」が追加されたほか、「ワゴンV20E SGL」、「ワゴン280D-6 GL」、「セダンSGLの6気筒LPG仕様」が追加された。
またセダンのVG30系エンジン搭載車全車とターボ車にもタコメーターが装備された[2]
- 1986年1月 セダン/ハードトップにエクセレンス[3]、営業車にブロアム追加。
- 1986年11月 一部改良。駐車灯が廃止され、フロント合わせガラスとリヤシート中央にシートベルトを追加。
- 1987年1月 V6エンジン生産100万台を記念してVG20E、RD28エクセレンスG(エクセレンスとGLを統合)、VG20ETアーバンG追加。
- 1987年6月 セダンとハードトップがY31型にフルモデルチェンジ。ワゴン/バンはそのまま継続生産となった。同時にバンに2LのV6エンジン搭載車を追加。このモデルはワゴンと同じフォグランプ内蔵の角目ライトの顔を持つ。グレードはDX/カスタムDX/GLの3種類。AT車も選べた。
- 1994年3月 遅れながらもバン/ワゴンの一部変更を実施。エアコンは代替フロン化されサイドドアビーム・ハイマウントストップランプ・後席左右に3点式シートベルトを装備。同時にRD28ディーゼルエンジン搭載車は廃止[4]。
- 1995年11月 ワゴン/バンのマイナーチェンジ。バンは全車V6エンジン搭載車のみに集約と同時に6人乗りのマニュアルコラムシフト車が消滅/ワゴンにはルーフレールの追加とベンチシート&コラムATのSGLリミテッドを追加。その他コストダウンに基ずくシート素材の変更と一部装備の廃止もおこなわれた。1999年8月にはフルモデルチェンジされることなくステージアに吸収統合されモデル廃止された。
このモデルはフロントグリルにV6エンジン生産100万台記念のカーバッヂが装着された。
- キャッチコピーは発売初期は「V6、高級車の証」、後に「素晴らしき人生、そしてセドリック」、後期型からは「素晴らしき人生、素晴らしきセドリック」でCM展開されていた。
- Y31型にモデルチェンジ後も、ワゴン・バンは1999年7月まで継続生産・販売されていた。なおY30系ワゴン・バンはドレスアップを好むユーザーにも根強い人気がある。最終型(1995年11月~1999年6月)のワゴンのSGLリミテッド(ベンチシートのコラムAT)は流通台数が少ないこともあり中古車価格が高い。
- 企業キャッチフレーズは、日産創立50周年を機に「もう走り始めています21世紀へ 先進技術の日産です」に変更され、同時に車名フォント・ロゴマーク・看板などが一新された。1985年11月からは「もっと楽しく感じるままに 技術の日産です」に変更されている。
[編集] 7代目 Y31型(1987年-1991年、セダン1987年-)
セドリックパトカー(YPY31型・車載オービス付)
- 1987年6月 モデルチェンジ。従来からの「ブロアム」に加え、スポーツ性を向上させた「グランツーリスモ(GranTurismo)」が登場した。デザインは430型からの直線基調で角張ったものをやめ、曲線を巧みに使用した張りのあるモダンなもので、当時のカーデザインのトレンドに沿ったものとなった。エンジンはVG30ET、VG30E、VG20DET、VG20E、RD28、CA20P(LPG仕様)、RB20P(LPG仕様)。VG20DET初搭載の車種(グロリアも同様)であり、セドリック初のDOHCエンジン搭載車である。このY31型からリアサスがセミトレーリングアーム採用のIRSとなり、この点ではライバルのクラウンに追いついた感がある。(前輪はマクファーソンストラットコイル)
- キャッチコピーは「新しいセドリックを、見た。」「新しいセドリックは、いいね。」「きっと、新しいビッグ・カーの時代が来る。」であり、Y30型までのCM展開とは一転して、新しさや若々しさを前面に出したCM展開がされた。
- 1987年の東京モーターショーに「セドリック・ロイヤルリムジン」(オーテック製)が出品され、市販化される[5]。
- 1987年9月 VG20E型エンジン車にブロアムを追加。
- 1988年6月 ハードトップのみの設定だった「グランツーリスモ」が新たにセダンにも1グレード追加される(DOHCターボ SV)。ATシフトロックシステム採用。
- 1989年3月 パーソナル キーの材質をステンレスに変更。
- 1989年6月 マイナーチェンジ。VG20DET搭載車に当時世界初のトルクコンバータ式5速E-ATが搭載された。また、インタークーラー装着により、ハイオク化されて185psから210psに向上。後期型のCMは、CMキャラクターの起用は一切されずに「新5速ATクルージング」のキャッチコピーでCM展開され、後に「自信のある人はセドリックに乗っている」のキャッチコピーで北海道占冠村のトマムリゾートで撮影されたCMが展開されていた。VG20DET「ブロアム」を3ナンバー化。
- 1989年9月 後部ドアを15センチ大型化したブロアムLシリーズを発売する。
- なお、現在でもタクシーやハイヤー用途としてこの型は生産されている(セドリック営業車参照)。
- 企業キャッチフレーズは、先代後期型に続いて「もっと楽しく感じるままに 技術の日産です」が採用された。同時にこのキャッチフレーズは、1970年代から続いた「技術の日産」シリーズの最後となった。
[編集] 8代目 Y32型(1991年-1995年)
- 1991年6月 ハードトップがモデルチェンジ。エンジンはVG20E、VG30E、Y31型シーマに搭載のVG30DE、VG30DETエンジンと、ディーゼルのRD28を搭載。ミッションはMTが廃止されて、AT車(5E-AT、4E-AT)のみとなった。
- 登場初期のCMで、キャッチコピーの「MIND SHIFT(マインド・シフト)私はセドリックにする」「日産の責任と誇り 新しいセドリック誕生」のナレーションの声は、B.B.クイーンズの男性ボーカルを務めていた、ブルースシンガーの近藤房之助(こんどう・ふさのすけ)である。
- グレードは、ブロアムVIP、ブロアム、クラシックSV、クラシック(後期型より、廉価グレードのクラシックSV、クラシックは廃止されブロアムJに統合される)、グランツーリスモアルティマ、グランツーリスモSV、グランツーリスモ。
- セドリックの旗艦グレードが高級志向のブロアムVIPであるのに対し、姉妹車のグロリアではスポーティなグランツーリスモアルティマとして差別化を図っている。セドリックではクロームメッキのフロントグリルを使用するなど高級志向の高いユーザーや比較的高い年齢層を狙った位置付けとなった。ブロアム/クラシック系は角型のヘッドライトを採用し、高級感と落ち着いた雰囲気をイメージさせる。グランツーリスモ系は丸目4灯ライトを採用し、より若々しくなった感がある。
- Y32型登場と同時に、セダンはY31型がビッグマイナーチェンジされて継続生産・販売された。
- 1993年6月 マイナーチェンジ/ブロアム系のフロントまわりの部品がグランツーリスモと共通化(ヘッドライトは異型2灯のままでフロントグリルがクロム調である)/クラシック系はブロアムJに統一。
- 1994年9月 「V20Eグランツーリスモ」追加。エンジンはY31系と同じVG20E。
- 1995年1月 「V20Eブロアム」追加。VG20E型に4速E-ATを組合わせる。
- 企業キャッチフレーズは、Y32型が発売開始された当初の3ヶ月間はそれまでの「もっと楽しく感じるままに 技術の日産です」であったが、Y32型が発売開始されて4ヵ月後の1991年10月からは「LIFE TOGHTHER 日産です」(1991年10月~1999年5月)に変更されている。
- 同期のクラウン・ロイヤルシリーズがかってのクジラの再来と思わせるスタイリングになったために一時期はグロリアと合わせてグランツーリスモ系の存在もあって再び販売台数でクラウンを上回ることができた。
- パワーウインドウのスイッチやシートの下まで照らす「トータルコーディネート照明」、パーキングブレーキの解除がセンターコンソールのスイッチとインパネ下のノブと2箇所で出来る構造、リモコンミラーとパネルライトコントロールのスイッチが収納可能(開ける時はソフトダンパーでゆっくりと出て来る)、短波ラジオチューナー等、バブル期の開発ゆえか、現在の車では採用されない(無駄とも思える)装備や機構が各所に盛り込まれていた。
[編集] 9代目 Y33型(1995年-1999年)
- 1995年6月 モデルチェンジ。キャッチコピーは「高級車を楽しもう」「Cedric the Driving」である。前席ダブルエアバッグを全車標準装備した。
- エンジンはVG20E、VG30E、上級グレードのエンジンはこれまでの主力のVG型からVQ型にバトンタッチしVQ30DE、VQ30DETを搭載。アルミ合金製となり軽量化が図られた。ターボエンジンのVQ30DETは270psを発生。ディーゼルエンジンのRD28も設定。
- トランスミッションは、旧モデルのY32型で設定のあった電子制御5速ATが搭載されなくなり、このY33型より電子制御4速ATに統一される。当時、日産の財政悪化によるコスト削減策でもあったようだ。
- 1997年6月の後期型より、2500ccのFR用VQ25DEエンジンと、4WDのアテーサE-TSが追加設定される。アテーサE-TS車は、スカイライン、ローレル、ステージアと共通の直列6気筒のRB25DETを搭載した。
- このモデルは、中近東エリア向け左ハンドルの輸出仕様が存在した。
- 1998年 Y31型セダンが、インパネデザインの変更、フロントグリルデザインの変更などビッグマイナーチェンジが実施された。
- 企業キャッチフレーズは先代と同じだが、1997年の後期型から「もっと日産になる」が採用された。
[編集] 10代目 Y34型(1999年-2004年)
- 1999年6月 モデルチェンジ。基本的なスタイリングはポルシェデザインが担当した。
- 先代までの「ブロアムシリーズ」のノーブルさをセドリックの個性とする「1ブランド1モデル」とした。搭載エンジンは直噴技術であるNEO Diシステムを採用したV型6気筒DOHC VQ30DD型、VQ25DD型、280psを発生するターボ付VQ30DET型、および4WD車専用の直列6気筒DOHCターボ付RB25DET型の4機種。先代のボクシースタイルだったこの車がリアをスッポリ切り取った形になりデザインの新鮮さをアピール。
- 1999年11月 無段変速機「エクストロイドCVT」搭載モデル「300VIP-Z」および「300LX-Z Sパッケージ」販売開始。本木目パネルなどシーマに匹敵するような豪華装備を搭載し値段も500万円を超えた。
- 1999年12月、Y34型セドリックをベースとするクラシックセダン光岡・ガリューIIが登場する。
- 2000年1月 40周年記念車およびオーテックジャパンの手による特別仕様車「オーテック」を発売。搭載エンジンはVQ30DET型。
- 2000年6月 特別仕様車「オーテック」のグレード名を「300AX」に変更し、VQ25DD型を搭載する「250AX」、「プレミアムリミテッド」追加。
- 2000年10月 「アイボリーレザーパッケージ」を追加。
- 2001年12月 マイナーチェンジ。内外装の一部変更がなされたほか、特別仕様車「300AX」にVQ30DD型搭載車を設定した。車名ロゴが大文字の「CEDRIC」に変更された。さらに大幅なグレード整理を行った。
- 2002年3月 第102回ニューヨーク国際オートショーに、Y34型をベースとする北米専用車「M45」を出品。F50型シーマの北米向けである「インフィニティQ45」と同じVK45DE型エンジンを搭載する。尚、この年でセドリックセダンが生産終了した。
- 2004年4月 グレード整理。ターボモデル(VQ30DET搭載車)廃止。
- 2004年10月 後継車として「フーガ」が登場したため、生産終了。45年間の歴史に幕を閉じた。ただし、Y31型セダンのセドリック営業車は2008年現在でも生産されている。
- 企業キャッチフレーズは「クルマのよろこびを 日産です」。その後2001年にキャッチフレーズが復活し、「シフト ザ フューチャー 日産」となった。このキャッチフレーズは2004年の生産終了まで続いた。
[編集] 車名の由来
フランシス・ホジソン・バーネットの小説「小公子」の主人公、セドリックに由来。
当時の川又克二社長が命名した。また、キャディラックに似ているからという説もある。
[編集] 取扱販売店
モーター店 (ローレル販売会社) →ブルーステージ。ただし、Y31型セダンは全販売会社。
[編集] CMキャラクター
230型
330型
- 二谷英明・白川由美夫妻
430型、Y30型
- 二谷英明
Y31型
Y33型
[編集] 脚注
- ^ 実際にターボチャージャーで燃費を改善するには、最大過給圧を維持してエンジンを定回転で運転する必要があるが、ゴー・ストップを繰り返す乗用車のエンジンでは条件を満たすことは困難である。
- ^ 330型後期と430型前期は1979年のみの販売のSD22型ディーゼルエンジン搭載のGLのみ。330前期以前と1980年1月~1985年6月まではセダンのタコメーター装備のモデルはなかった。
- ^ 前期型はGLベースの特別限定車
- ^ ワゴンの8人乗りコラムAT車も1995年11月まで休止
- ^ 最上級グレードのロイヤルセレクションIIIでは車両価格が1300万円以上に達し、プレジデントはおろか、メルセデス・ベンツ560SELやBMW750iLよりも高価であった。
- ^ その後は、坂本龍一が単独でCMキャラクターを務めていた。なお、後期型はCMキャラクターの起用は無かった。
- ^ CM曲「RISKY」「Floating Along」の作曲も担当した(「Floating Along」は、自身のベストアルバム『CM/TV』に収録されている)。
- ^ 後にダイハツ・エッセのCMに出演している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 日産 WEBカタログバックナンバー(日産自動車)

