中村長芳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月 - 2007年10月18日)は、元プロ野球チーム経営者。山口市出身。
目次 |
[編集] 人物
山口中学で安倍晋太郎と同級生。最終学歴は中央大学法学部卒業。同郷の岸信介内閣総理大臣の下内閣総理大臣秘書官として活躍した後、1971年に岸の盟友永田雅一(大映社長)の後を受けてロッテオリオンズのオーナーに就任した。しかし翌1972年、西鉄ライオンズを買収。野球協約の定める1人または1団体による複数球団の保有禁止条項に抵触するため、ロッテオリオンズ球団のオーナーを辞任し、中村の保有株を正式にロッテへ譲渡した上で、ライオンズの新たな球団受け皿会社として設立した福岡野球株式会社のオーナーに就任して経営にあたった。
資金力を高めるため太平洋クラブとの提携を取り付けて1973年から「太平洋クラブライオンズ」(1977年、クラウンライターに変更)1978年の堤義明率いる西武鉄道グループ・国土計画(のちコクド、現プリンスホテル)への売却まで経営を続けた。
岸の孫の安倍晋三が総理大臣及び自民党総裁退任直後の2007年10月18日午前1時30分、急性硬膜下血腫のため山口市内の病院で死去。83歳。
[編集] 補足
- 中村が福岡野球株式会社を設立する前、西鉄ライオンズ球団の受け皿スポンサーとしてペプシコーラの日本法人と交渉をしたが、その直後に東映フライヤーズの日拓ホームへの売却が明らかになったことから、ペプシ側が安定経営が見込めないとしてこれを撤回し、やむを得ず中村が球団を買収したとされる。
- 西鉄から買収後、平和台球場の弁当の販売業者を白紙にした所、西鉄時代、弁当販売の利権を持っていた業者の社長である福岡市議会議員が報復として暗躍した結果、福岡市は平和台球場の使用不許可を球団に伝えた。中村は市議会でそれを取り消すように訴えた結果、使用許可は下りたものの市側から使用料の引き上げ(西鉄時代9万8千円→再三値上げされ最終的に120万円)という妨害行為を起こされる羽目となってしまった。[1]。
- 1978年に球団を国土計画に売却する前、福岡市議会及び一部の市民グループは、現状の中村の個人経営のままでは市民球団として成長しないと見越して、一度福岡野球株式会社を清算して新会社を市民中心で設立することも検討していたが、西武・国土グループへの譲渡と埼玉県へのフランチャイズ権移動により実現しなかった。
- 1969年第32回衆議院議員総選挙、岸の側近だった今松治郎の秘書だった森喜朗が自民党の公認得られず無所属新人として出馬する際、岸の応援を懇願してきた森の要望を快諾し、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。岸の応援で勢いがついて初当選果たした森は生涯恩義を忘れていない。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
|
|
|
埼玉西武ライオンズ及びその前身球団 歴代オーナー

