張徳江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
張徳江
Zhang Dejiang.jpg
生年月日 1946年11月4日(68歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国遼寧省台安県
出身校 延辺大学朝鮮語学部
金日成総合大学経済学部
所属政党 Flag of the Chinese Communist Party.svg 中国共産党
配偶者 辛樹森

中華人民共和国の旗 第9代全国人民代表大会常務委員長
任期 2013年3月14日 -
国家主席 習近平

中華人民共和国の旗 国務院副総理
内閣 第2次温家宝内閣
任期 2008年3月17日 - 2013年3月14日
国家主席 胡錦濤
テンプレートを表示
張徳江
各種表記
繁体字 張德江
簡体字 张德江
拼音 Zhāng Déjiāng
和名表記: ちょう とくこう
発音転記: ヂャン・ドゥージャン
テンプレートを表示

張 徳江(ちょう とくこう、ヂャン・ドゥージャン、1946年11月4日 - )は中華人民共和国の政治家。現在、第9代全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長に相当)、第18期中国共産党中央政治局常務委員を務める。党内序列第3位。

経歴[編集]

中国砲戦の開拓者である張志毅の息子として生まれる。文化大革命初期の1968年11月より吉林省汪清県の人民公社で知識青年として労働に従事。1970年10月、吉林省汪清県革命委員会宣伝組幹事・機関共青団支部書記となる。1971年1月、中国共産党に入党。1972年5月より延辺大学朝鮮語学部朝鮮語専攻で学び、1975年1月から延辺大学朝鮮語系党総支部副書記、大学党委員会常務委員、校革命委員会副主任を歴任。1978年8月から2年間、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成総合大学経済学部に留学し、留学生党支部書記を担当する。1980年8月に帰国し、延辺大学党委常務委員・副校長を務める。1983年3月、政界に入り、吉林省延辺朝鮮族自治州党委常務委員兼延吉市党委副書記に就任。1985年4月、延辺朝鮮族自治州党委副書記に昇進。

1986年8月、中央に移り、民政部副部長(次官)に就任。1988年3月、第7期全国人民代表大会代表(議員)に選出される。1990年3月、当時の党中央委員会総書記であった江沢民の就任後初の外遊となった北朝鮮訪問に随行し、これをきっかけに江沢民の知己を得て、引き立てられていく[1]。10月、吉林省党委副書記兼延辺朝鮮族自治州党委書記に就任。1992年10月、第14回党大会で党中央候補委員に選出される。1993年3月、第7期全人代の任期満了に伴い、全人代代表を退任。1995年6月、吉林省党委書記に昇格。1997年9月、第15回党大会で党中央委員に選出される。1998年1月、吉林省人民代表大会常務委員会主任を兼務。同年3月、第9期全人代代表に選出され、以後、第10期・第11期と再選される。8月、浙江省党委書記に転任し、吉林省人代常務委員会主任を退く。

2002年11月、第16回党大会で党中央委員に再選された張は、11月15日の第16期党中央委員会第1回全体会議(第16期1中全会)で党中央政治局委員に選出される。11月21日、浙江省党委書記を退任。11月24日広東省党委書記に任命される。広東省党委書記在任中は、省のトップである党委書記の張が江沢民派、ナンバー2の省長が胡錦濤派ということでその動向が注目された。省党委書記就任まもない翌2003年、新型肺炎SARSが同省でも発生し、その初期対応の遅れを指摘されたが、責任を問われなかった[1]2005年9月には広州市番禺・太石村で起こった民主化運動を武力弾圧し、12月には広東省汕尾市で不当な土地収用に抗議する農民たちに武装警察が発砲するなど、張の施政には強権的な面があった。一方で、同省の急激な経済成長を実現している[1]2006年1月に北朝鮮の最高指導者である金正日が同省広州市を視察した際には「朝鮮通」として随行している[1]。なお、広州市の企業視察には前同省党委書記で張と同じ江沢民派の李長春も同行した。

2007年10月の第17期1中全会で党中央政治局委員に再選された張は、翌年3月17日、第11期全人代第1回会議において国務院副総理に任命され、工業、交通、人力資源、社会保障、企業改革、安全生産などを担当した。2011年7月、浙江省温州で発生した高速鉄道事故の処理を交通部門の最高責任者として担当した[1]。しかし、その処理の方法については批判が上がった[2]

2012年3月15日王立軍事件によって重慶市党委書記の薄熙来が解任されると、張は党中央の決定により副総理在職のまま重慶市党委書記の兼任を命ぜられ、重慶市の混乱収拾に当たることとなった[3]6月18日、重慶市党委員会代表大会において張は市党委書記として活動報告を行い、失脚した薄熙来が絡む一連の事件を批判し、胡錦濤指導部への忠誠を求め、司法の透明性向上や職権濫用、拷問や自白強要の防止を訴えた。これは薄が展開した、犯罪組織に対する法律を無視した撲滅キャンペーンである「打黒」を意識した発言であり、薄の業績を批判することで、薄の「独立王国」と化していた重慶市からその影響力を完全に払拭する狙いがあった[4]6月22日、市党委代表大会で正式に市党委書記に選出された[5]11月8日、第18回党大会開催中の北京で記者会見に臨んだ張は、薄が推し進めた改革方式である「重慶モデル」について、「もともと重慶モデルなどというものは存在しない」と批判した[6]11月15日、第18期1中全会において習近平指導部が発足し、張は党中央政治局常務委員に選出された[7]11月20日、重慶市党委書記を退任[8]

2013年3月14日、第12期全国人民代表大会第1回会議において全人代常務委員長に選出された[9]

家庭[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 北朝鮮通の江沢民派=張徳江副首相兼重慶市党委書記―中国新指導部」時事通信(時事ドットコム)、2012年11月15日付配信記事(2012年12月7日閲覧)。
  2. ^ 張徳江(副首相・重慶市党委書記)」『朝日新聞』2012年11月16日付記事(2012年12月7日閲覧)。
  3. ^ 重慶市トップを解任 中国 副市長事件で責任」『東京新聞』2012年3月15日付記事(2012年3月15日閲覧)。
  4. ^ 川越一「重慶市党委代表大会 張徳江副首相が薄氏らを批判」『産経新聞』2012年6月18日付記事(2012年12月7日閲覧)。
  5. ^ 张德江当选中共重庆市委书记」新華社、2012年6月22日付配信記事(2012年10月11日閲覧)。
  6. ^ 『重慶モデル』存在せず 市トップ張徳江氏」『産経新聞』2012年11月8日付記事(2012年12月7日閲覧)。
  7. ^ 中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議コミュニケ」人民網日本語版、2012年11月15日付配信記事(2012年11月16日閲覧)。
  8. ^ 中国重慶市トップに孫政才氏 『ポスト習』の有力候補」『産経新聞』2012年11月20日付記事(2012年12月17日閲覧)。
  9. ^ 全人代、張徳江氏を常務委員会委員長に選出」人民網日本語版、2013年3月14日付配信記事(2013年3月14日閲覧)。

参考文献[編集]

  • 高橋博・21世紀中国総研編『中国重要人物事典』(蒼蒼社、2009年)

外部サイト[編集]

 中華人民共和国の旗中華人民共和国
先代:
呉邦国
全国人民代表大会
常務委員長
2013年 -
次代:
現職
 Flag of the Chinese Communist Party.svg中国共産党
先代:
薄熙来
重慶市党委書記
2012年
次代:
孫政才
先代:
李長春
広東省党委書記
2002年 - 2007年
次代:
汪洋
先代:
李沢民
浙江省党委書記
1998年 - 2002年
次代:
習近平
先代:
何竹康
吉林省党委書記
1995年 - 1998年
次代:
王雲坤