ウォルドルフ=アストリア

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ウォルドルフ=アストリア
The Waldorf-Astoria
Waldorf Astoria Hotel.jpg
ホテル概要
正式名称 The Waldorf-Astoria
運営 ヒルトン
前身 「ウォルドルフ・ホテル」、「アストリア・ホテル」
階数 - 43階階
部屋数 1380室
開業 1893年(ウォルドルフ・ホテル)
最寄駅 51st Station
最寄IC FDR Drive Exit 9
所在地 〒10022-6897
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 301 Park Avenue, New York, N.Y.
公式サイト 公式サイト
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ウォルドルフ=アストリア(The Waldorf-Astoria)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンミッドタウンにある高級ホテル。また、ヒルトン・ホテル・ファミリーにおける最上級ホテルブランド

49丁目と50丁目の間のパーク・アベニュー301号に所在する。

概要[編集]

アメリカを代表するホテル[編集]

オープン当初からニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして内外に知られ、ニューヨーク市を訪れる歴代アメリカ大統領や、国王などの元首クラスの賓客が数多く宿泊するホテルとしても知られている。なお、アメリカを公式訪問した日本昭和天皇や歴代首相も宿泊している。

ランドマーク[編集]

ホテル内で首脳会談を行うコンゴジョセフ・カビラ大統領、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領、南アフリカタボ・ムベキ大統領、ルワンダポール・カガメ大統領

1960年に行われたイスラエルダヴィド・ベン=グリオン大統領西ドイツコンラート・アデナウアー首相による初会談など、歴史的な首脳会談の舞台として度々使用された他、アメリカ同時多発テロ事件の翌年の2002年には、世界経済フォーラムによる「ダボス会議」が行われた。

また、国連を訪れる各国政府の首脳会談や企業のカンファレンスなどが頻繁に行われる他、多数の映画の舞台となるなど、マンハッタンを代表するランドマークのひとつとなっている。

多彩な「住人」[編集]

アメリカ政府が42階のスイートルームをアメリカの国連特命全権大使の公邸として借り上げているほか、ドワイト・アイゼンハワー大統領ハーバート・フーヴァー大統領、ダグラス・マッカーサー元帥ピアニストコール・ポーターなどが自邸として使用していたこともある。

「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」[編集]

2005年1月からは同チェーンの最上級クラスのホテルが「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」と呼ばれるようになった。なお、ヒルトンホテルズの中で買収され、自社所有ホテルとなった中でヒルトンの名前が入らないホテルは、ウォルドルフ=アストリア以外にはシカゴの名門ホテルの「ドレイク・ホテル」しか存在しなかった。

現在「ウォルドルフ=アストリア」を冠したホテルとしては、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアと同タワーのほか、ウォルドルフ=アストリア・オーランド(フロリダ州オーランド)、ウォルドルフ=アストリア・パークシティ(ユタ州パークシティ)、ウォルドルフ=アストリア上海オン・ザ・バンド(中国上海市)がある。

歴史[編集]

開業[編集]

開業時の建物

ウォルドルフとは、このホテルを建設したアメリカ屈指の大富豪アスター家の初代であるジョン・ジェイコブ・アスターの出身地、ドイツのヴァルドルフに由来する。1893年にアスター家の4代目ウィリアム・ウォルドルフ・アスターが建設した13階建ての「ウォルドルフ・ホテル」と、従兄弟のジョン・ジェイコブ・アスター4世が1897年に建てた17階建ての「アストリア・ホテル」がその起源である。

ウィリアムは、叔母でニューヨークの社交界の大物であるキャロライン・ウェブスター・シャーマーホーン・アスター(Caroline Webster Schermerhorn Astor)と折り合いが悪く、5番街にあったキャロラインの邸宅(現在のエンパイアステートビルディングの場所)を日陰にするために高層ホテルを建てた。その経営には、フィラデルフィアで豪華ホテルのベルビュー(Bellevue)を経営するジョージ・ボルト(George Boldt)が招かれた。ウォルドルフ・ホテルはたちまちニューヨークの社交界の花形の舞台となった。

家を日陰にされたキャロラインとその息子ジョン・ジェイコブ・アスター4世は、ホテルを拡大しようとしていたボルトの勧めもあり、確執の相手だったウィリアムの隣地を売り払ってアップタウンに移転し、跡地にウォルドルフ・ホテルより4階高いアストリア・ホテルを建設した。このホテルもボルトが経営した。ピーコック・アレーという小路を挟んで建つ両ホテルは、ボルトの経営により一体となり、ウォルドルフ・アストリアは世界最大級のホテルとなった。

移転[編集]

当初は現在のエンパイアステートビルディングのある場所に立っていたが、同ビルが建設されるために、世界大恐慌下の1931年に現在のパーク・アヴェニューに移され再オープンした。

建物の内外のデザインの随所に、当時流行の先端であったアール・デコ様式が取り入れられており、その為にアメリカの歴史的建築物に指定されている。またオープン時、ウォルドルフ=アストリア楽団にザビア・クガートが招かれている。

ヒルトン傘下へ[編集]

このホテルを買収することを夢見ていた大手ホテルチェーンのヒルトンホテルズ創始者コンラッド・ヒルトン1949年にウォルドルフ=アストリアを手に入れた。その後はニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして君臨し、現在は、ヒルトンホテルズの旗艦ホテルとなっている。2005年1月からは、ヒルトンホテルズの最上級クラスのホテルが「ウォルドルフ=アストリア・コレクション」と呼ばれるようになった。

2014年、中国の保険会社「安邦保険集団」が100年間ヒルトンが経営に携わる条件の下、19億5000万ドルで買収。(Forbes.com:2014/10/09/日経新聞:2014/10/16)

建物[編集]

本館・タワーズ[編集]

「稲ぎく」の入口

47階建ての「ウォルドルフ=アストリア」(本館)と、違う出入口を持つ25階建ての「ウォルドルフ・タワーズ」の2つのホテルから構成されている。2007年度より「ウォルドルフ・タワーズ」も含めて、「ウォルドルフ=アストリア」とともにウォルドルフ=アストリア・コレクションに組み入れられている。

レストラン[編集]

  • ピーコック・アレー(Peacock Alley)
  • ブル&ベアー(Bull and Bear Steakhouse & Bar)
  • 稲ぎく(2009年11月29日に閉店)
  • オスカーズ(Oscar's American Brasserie)

鉄道引き込み線[編集]

グランド・セントラル駅からの引き込み線が地下につながっており、フランクリン・ルーズベルト大統領やアドレー・スティーブンソン国連大使などが使用していたが、現在は使用されていない。

著名な宿泊客、居住者[編集]

宿泊客[編集]

エレノア・ルーズベルトとオランダユリアナ王女(当時)ノルウェーの王族
ウォルドルフ=アストリアに居住するダグラス・マッカーサー(左)を訪ねた吉田茂(1954年

居住者[編集]

映画[編集]

アメリカを代表する高級ホテルとして、また、マンハッタンのランドマークとして有名なことから、数多くの映画の舞台ともなっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]