一つの中国

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一つの中国(ひとつのちゅうごく、繁体字中国語一個中國簡体字一个中国)とは、中国大陸マカオ香港台湾は不可分の中華民族国家「中国」でなければならないとするイデオロギーおよびそれに基づく政策的立場。特に中華人民共和国政府が全中国を代表する唯一の合法的政府であるとの意味合いで主張されることが多い。また国際社会では中華民国を承認する国が少ないため、中華民国を承認していない国においては、「一つの中国」の「中国」とは中華人民共和国と解釈される傾向が強い。

中華人民共和国が主張する「一つの中国」[編集]

  • 中国大陸に存在する政権(中国)は世界でただ一つだけあって、台湾は中国の一部分であり、中華人民共和国政府が全中国を代表する唯一の合法的政府である。
  • 中国大陸と台湾島は一つの中国であり、中国の主権と領土の分割は許さない。
  • 現在まだ統一が達成されていないことに、双方は共に努力するべきで、一つの中国の原則の下、対等に協力し、統一を協議する。
  • 一つの国家として主権と領土の分割は認めず、台湾の政治的地位は一つの中国を前提として一国二制度の適用を検討する。

2005年には、台湾の「独立」阻止を念頭に反分裂国家法を制定した。

中華民国の反応[編集]

中華民国も過去に「中国を代表する政府は、中華民国である」との立場から「一つの中国」政策を打ち出していた。

蒋介石時代
蒋介石は国共内戦の延長としてしか両政府の関係を定義できず、「漢賊不兩立(漢賊並び立たず)」との主張を繰り返した。アメリカや日本から「二つの中国」を検討するよう説得されても、反発し続けた。しかし1960年代を中心に相次いだアジア・アフリカ諸国の独立により、国際連合の中国代表権をめぐって中華人民共和国を支持する国が増加していた。アメリカのリチャード・ニクソン政権は、「中国代表権と安全保障理事会常任理事国の地位を放棄して、一般の加盟国として国連に残る」という道を蒋介石に勧めた。しかし蒋介石が妥協しなかった(あるいはアメリカの最後通告の後に妥協を決断したが、遅過ぎて間に合わなかったとの説もある)ため、1971年に国連における「中国代表権」を失った(いわゆるアルバニア決議)。また、国内的には、中華民国憲法の本文を形式上維持しつつ、中国大陸で選出された国会議員の任期を無期限に延長することで、中国の正統政府であることを誇示しようとした(「法統」)。なおニクソン政権は、中華人民共和国冷戦下において対立が深刻化していたソ連と中華人民共和国の両国を牽制することと、1960年代から続いていたベトナム戦争において、北ベトナムを支援していた中華人民共和国を牽制するなどの目的もあり、翌1972年中華人民共和国を訪問し、その後中華人民共和国と国交樹立。中華民国とは断交した(ただし、その後も「台湾関係法」を制定するなど、事実上の国交のみならず、同盟関係を維持している)。
蒋経国時代
中華人民共和国が改革開放政策を打ち出し、資本主義の中華民国を敵視せず、「台湾解放」という従来の姿勢を転換し、「平和統一」を呼び掛け始めた。しかし、当時の中華民国政府は、強権的だった蒋介石の死後、重しがとれたことで民主化要求が抑え切れないという不安定な状況にあった。そのため、蒋経国は中華人民共和国の呼びかけに応えることをためらい、「不接觸、不談判、不妥協的(接触しない、交渉しない、妥協しない)」という「三不政策(三つのノー政策)」を掲げた。その一方で、敵対政策を転換する必要性も徐々に認識され、老兵(中華民国軍の退役兵士)が中国大陸の家族・親戚を訪問することを解禁した。
李登輝時代
1990年以降、基本方針は大きく変化していく。1990年には国家統一委員会が設置され、1991年国家統一綱領を定める。「一つの中国」の意味を曖昧にしつつ、「法統」を放棄して事実上の法理独立、つまり憲法改正と民主化へ歩みだした。しかし「一つの中国」を原則として否定もできなかったため、中華民国憲法増修条文には「統一前の需要により、憲法を以下のように修正する」との一文を前文に挿入した。
1999年の李登輝総統による「特殊な国と国の関係」発言に至ると、中華人民共和国側はこれを「両国論(二国論)」と呼び、「一つの中国」を放棄したものと解釈して強く反発した。
  • 1990年には「一國兩府(一国二政府)」
  • 1991年には「一個中國,兩個對等政治實體(一つの中国、二つの対等な政治実体)」
  • 1993年には「一個中國指向的階段性兩個中國政策(一つの中国に向けた段階的な二つの中国政策)」
  • 1999年には「特殊的國與國關係(特殊な国と国の関係)」
陳水扁時代
1999年民主進歩党(民進党)は2000年総統選挙に向けて現実路線に転換し、台湾前途決議文を採択し、台湾独立を盛り込んだ党綱領を棚上げした。そして、陳水扁政権は李登輝時代の中華民国政府の立場を継承する姿勢を見せ、さらに中国大陸との「統合論」や「未来における『一つの中国』」という考え方を示した。これは、「一つの中国」という立場を共有した上での対話を求めてきた中華人民共和国政府に譲歩しつつ、中華民国の地位を認めさせようとする戦略(「強本西進」政策)からであった。アメリカも両者の仲介を行うことを材料に、陳水扁政権に独立路線の放棄を求めていた。これが「四不一没有(四つのノー、一つのない)」の背景である。
しかし、中華人民共和国政府はこうした動きを無視し、中華民国を承認する国に承認転換を迫り続けた。そのため、陳水扁政権は「一つの中国」政策に見切りをつけ、また選挙キャンペーンでの材料として独立路線の活用を再開した。また、「一個中國,各自表述(一つの中国の解釈は各自が表明する)」という「九二共識(1992年コンセンサス)」について、中国国民党および当時の中華民国政府による拡大解釈であり、中華人民共和国が同意したことを表明していないことにも懸念を示し始めた。そして、陳水扁政権は「コンセンサスがない、というコンセンサス」だったとの見解を示している。そして、「一つの中国」という言葉が、国際的には「中国とは中華人民共和国であり、台湾はその一部」というイメージが定着していることを懸念し、その使用を控えるようになった。
馬英九時代
2008年に総統に就任した馬英九は、「統一せず、独立せず、武力を行使せず」という「三つのノー」(三不)政策を打ち出している。一方で中華人民共和国との間で「三通」(通信、通商、通航)を解禁するなど、中華人民共和国との融和姿勢を取っている。

国際社会の反応[編集]

日本
日中共同声明を踏襲し「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 (recognize) し、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と表明する「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する (understand and respect)」 として、現状では中華人民共和国の主張も支持はしていないが、中華民国の主張は支持しないという立場を取っている。しかし、現在も民間レベルで親密な関係を保っている。
アメリカ合衆国
中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 (recognize) し、「台湾は中国の一部である」と認知する (acknowledge) として、今の所、中華民国の主張を支持しない立場を取っている。しかし、現在も民間レベルで親密な関係を保つほか、中華人民共和国側の反国家分裂法制定に、中華民国との間における事実上の軍事同盟であって米華相互防衛条約の後継法・「台湾関係法」を結ぶなど親密な関係にある。
大韓民国
中韓共同声明を踏襲し「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 (recognize) し、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と表明する「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する (fully understanding and respect)」 として、現状では中華民国の主張を支持しないという立場を取っている。しかし、現在も民間レベルでの関係を保っている。

関連項目[編集]