優越感

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優越感(ゆうえつかん、: a sense of superiority ; a superiority complex)とは、自分が他者より優れているとの認識、およびここから生じる自己肯定の感情である。多くの場合において自尊心の一端に位置する感情である。対義語は劣等感

概要[編集]

優越感は、自分が他者より優れていると感じることや、これにより自分自身の在り様を好む状態で、自尊心はこういった自分に対する好意的な感情の総体であると解される。優越感は既に獲得した自分の属性に対して抱く感情であるが、いわゆる「努力した結果として獲得した能力」が他者より勝っていると感じる場合において、そういった体験が努力などの自助活動を促す側面を持つ。

反面、なんら努力せずに獲得している属性に関連して、自分より勝っている存在の、自分より劣っている部分を見出し、そこに優越感を抱くという「後ろ向き」な場合もある。これは劣等感に対する自己防衛(防衛機制)であるが、この場合は単なる自己満足に過ぎずなんら実質的な利益は生み出さない。ただ、劣等感から自己否定の感情により自身が傷つくようなストレスを受け続けて精神的に参ってしまうよりも、適度にそういった「ガス抜き」的な逃避を行うことで決定的な事態を回避するという意味合いからは、有効な手段と解することも可能である。

上のようなものに関して具体的な例を挙げれば、走る練習をして駆けっこで優位に立つ状態から発生したのが「努力に基づく優越感」で、もう一方は他が駆けっこが早いものの家は自分のところに比べると貧乏だなどというケースなどが想定できる。駆けっこが早いのは当人の手柄であるし頑張った賜物であるが、家が裕福か貧しいかは当人の能力には関係ない。しかし実際問題として、こういった優越感はどちらのケースもしばしば様々な箇所で見出される。

なお、ものの優劣は価値観にもよって様々な見方が存在する。上の例を更に言及すると、駆けっこで早いとは言っても、競技としての場合は短距離走と持久走の場合では「早い」という意味がかなり違ってきて、短距離走でいくら早くても持久走でスタート直後から短距離走のペースで走っても持久走で勝つことはできないし逆もまたしかり、単純に走るのが速いといっても状況で結果が異なる。また、家が裕福だとか貧しいとかにしても、高層マンション住まいと下町の持ち家住まいでは不動産価値という意味において分譲マンションは裕福とは言えない一方で、近代化された住宅という意味において下町の持ち家は設備が古く不便なこともあるなどやはり単純比較はできない。このため優越感も実質的に価値観を違えれば余り意味を持ち得ない属性に対して勝っていると認識しているに過ぎないケースもまま見出される。

こういった価値観による優越感は、例えば性差(性別の違い)による優越感などが顕著で、男性が尊重されている場では男性の側が優越感を持つだろうが、女性が尊重されている場では女性の側が優越感を持ちうるという程度に過ぎない。実際の社会では往々にしてこういった価値観の逆転がおこるため、優越感に関しても簡単に覆される場合も存在する。

優越性と他の現象[編集]

優越性に関しては、しばしば自分の側が他より勝っていると主張する集団ないし団体も存在する。ただ、こういった現象に関しては歴史上において否定的にならざるを得ないようなケースもあり、いわゆる選民思想のようなものがあり、他民族を貶めることで相対的に自民族を持ち上げるような事例も散見される。

しかしこういった民族としての優越感に関しては、自民族の結束を高める働きを持つ傾向があるのも否定できない。結果はどうあれ歴史を遡れば、様々な側面で自民族の自尊心を優越感によっていや増すことで精強さを発揮した民族というのも枚挙に暇が無い。20世紀初頭時点での近代史においてはナチス・ドイツの例もあるが、日本にしても明治時代日露戦争ロシアバルチック艦隊を撃退せしめた故に「海軍力で大国ロシアに勝る」という優越感を抱いたことから、国際社会での地位を得る上で強気の姿勢で応じたし、第二次世界大戦後は技術力と経済力で米国自動車業界をも席巻し、アジアの中でも技術・経済に秀でるという優越感を見出すことができる。

ただ、こういった優越感によって満足しきってしまい、それ以上を望まなければ、後発に簡単に追い抜かれるケースもやはり歴史上に散見され、これによって没落の憂き目を見た例もまた、枚挙に暇が無い。