ホロコースト否認

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ホロコースト否認(英語:Holocaust denial)とは、現行ホロコースト観を支持する立場と異なり、「戦後の通説におけるホロコースト観が描写する出来事、その全てが実際に起きた訳ではない」とする主張を表現した言葉である。また、ホロコーストに関する「通説」に何らかの疑義を表明し、あるいはこれらの主張を支持する者を、「ホロコースト否認論者」という。ホロコースト修正主義ホロコースト見直し論[1]ホロコースト否定論[2]とも言う。

ホロコースト否認論者に関する思想背景や指摘内容は多様であるが、否認論者はホロコーストの規模を数十万人程度に修正し、また、その計画性を否定している。ただ、ホロコーストそのものは歴史的事実であり、ドイツフランスイスラエルなどでは、前述したような主張の流布は反ユダヤ主義的思想によって動機付けられたものとされるとともに、「ヘイトスピーチの一種」と認識され、違法行為とされている。また、否認論を裏付ける査読付き論文も、2010年代時点において無い。

「否認論」なのか「修正主義」なのか[編集]

「否認論」または「否認主義」という用語[3]のような、ホロコーストそのものを全否定している印象を与える言葉を意図的に使用するのが修正拒否派の特徴である。修正拒否派は「修正主義」という用語は故意にミスリードするものだと主張している[4]。「修正主義」の学者[誰?]からは「ホロコースト否認」という言葉は、ホロコースト全体を否定しているような印象を与え、ホロコーストを部分的に修正しようとしている、「修正論」の実態を表していない、という指摘がある。

これは「否認論」は自分が予想した仮説を支持する証拠のみを採用し、史実をなおざりにするという印象を与える用語であるのに対して、修正主義は、新しく発見されたより正確でより客観的な情報によって歴史の事実を新しく書き換えていくことを目的とし、それまで受け入れられていた歴史を再び調査・検討しようとする態度を示しうるためである。それまで伝統的に教えられてきた歴史の全てが完全に正確なわけではなく、歴史は適切に修正され続けるべきとする態度という意味では、歴史修正主義は歴史研究のなかで充分に受け入れられている主流的態度である。実際はホロコースト研究においても意図派、機能派等修正をされ続けており修正主義は現行のホロコースト観にも反映されている。ただし、「修正主義」という用語を用いずにホロコーストを研究し修正する作業を続けている歴史家もいる。

だがホロコースト否認論(ホロコースト修正論)自体は修正主義を主張しつつ約半世紀に渡って自説の修正はしていない[5]

ホロコースト修正論者は、適切な修正主義的原則のホロコースト史への適用に努めているとし、この視点において「ホロコースト修正主義」という用語が適切であると指摘する。しかし、現状のホロコースト観を絶対視する人々[誰?]はこれを受け容れず、「ホロコースト否認論」というレッテルを好んで使う。「ホロコースト否認論」の用語は「戦後のホロコースト観が描写するようなホロコーストは起こっていないとする論説」に用いるのに対して、「ホロコースト修正主義」という用語は、一次史料などからホロコーストの諸側面を考察するのに用いられる通常の史学的態度に使用される。

「ホロコースト否認論」と「ホロコースト修正主義」の区別は一般的に受け入れられていない。2006年2月に独学の歴史家・作家[6]デイヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定を理由にオーストリアで有罪判決を受けた時、イギリスのニュースメディアはアーヴィングに対して「修正主義者」という用語を頻繁に使用した[7]

批判[編集]

ホロコーストにより数百万人規模の計画的な殺戮が行われたこと、ホロコーストが中央で計画されたこと、およびホロコーストの実行におけるナチ指導部の役割のあったことは、膨大な物証、証言および文献によって、既に裏付けられているという認識が、近現代ヨーロッパ史の研究者における国際的なコンセンサスである(参照: ホロコースト)。ホロコースト否認論に基づく「論文」のうち、一流誌の査読をパスしたものは皆無である。否認論者はこの事実について、ヨーロッパ等の歴史学会には否認論を研究する機会が無いため等として説明しようとする(e.g. 2006年イランで行われたホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議等)。

ホロコースト否認は学術的な合意に反するのみならず、ネオナチ等のナチズム再興を標榜する極右過激派の主要なイデオロギーとなっている。このような経緯を踏まえ、主要なEU諸国においては、公共空間におけるホロコースト否認は、単なる歴史的見解ではなく、「扇動」として扱われ、違法化されている(学術研究は除く)。

ホロコーストに関して、生存者、目撃者、歴史家によって提出された証拠は圧倒的な量ではあるが、否認論者はそれに対して、その「矛盾」を指摘することにより、ホロコーストに関する「通説」の立証は十分ではないとして、その見直しを主張している。一方で、否認論者を批判するヨーロッパ近現代史の研究者は、ホロコーストの主要部分は十分に実証された「史実」であり、既に立証された事実に対しては、それを修正または否定する側に挙証責任があると見なしている。

例えば、一部の否認論者は、ロイヒター・レポートを「強制収容所にガス室は無かった」と主張する上で重視している。対して、ロイヒター・レポートは、専門家による調査ではなく、文献資料も無視しているため、ツンデル裁判においては証拠としての価値を認められなかった。また、ロイヒター・レポートは、その後の専門家による調査によって否定されている。

※主な論点については#争点を参照。

争点[編集]

アインザッツグルッペン報告書「秘密帝国問題」。1941年12月
ヘフレ電報。親衛隊大隊指揮官ヘフレからアイヒマン宛て、1943年1月11日付。2000年イギリス国立公文書館で発見された。
ポーランドでの囚人処刑に関するヒムラーからヒトラーへの報告書第51号(1942年12月)

ホロコースト否認論の主張は主に以下の3点である。

  • ナチス・ドイツはユダヤ人の計画的な絶滅を意図していなかった。
  • ナチス・ドイツはユダヤ人を大量殺害するのにガス室を使用していない。
  • 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字は誇張であり、実数ははるかに少ない。

主張の詳細を以下に記す。ただし全ての論者が同一の主張をしている訳ではない[8]。また、ホロコースト通説への批判とホロコースト否認とは異なるが、「通説を修正する」という意味においては同一の欄に納めた。他方、ホロコースト否認論を批判する立場については、通説を批判する論者のいう意味での「通説」も含まれる。


ホロコースト通説への批判 (ホロコースト否認) ホロコースト否認を批判する立場
「ユダヤ人絶滅政策」(ホロコースト政策の計画性) 戦後、連合軍がドイツで押収したドイツ政府公文書の中に、ドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、発見されていない。ヒトラー署名の命令書、すなわちドイツやポーランドのユダヤ人を殺害する特別命令、総統命令は発見されていない。

残された公文書には殺害という字句を使用していない。ヴァンゼー会議の状況においても、ナチス政権上層部のホロコーストに帰着するような殺害命令は存在していない。 公文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画案がある。これは収容所の建設目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味している。「最終的解決」と言う用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。だがソ連戦線の崩壊とともに移住計画は頓挫し移住による「最終的解決」は不可能となり別の解決策が模索された。 当時のドイツ政府は「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上していなかった。だがその予算表にはユダヤ人から接収した資産は計上されておらずその接収資産をそのままユダヤ人対策の予算として使っていた証拠の一つとなっている ドイツは確かにユダヤ人を差別、迫害したが、その状況の下においても、ユダヤ人を虐待したドイツ人を処罰する場合もあった。

  • ホロコースト否認論を批判する人々は、ナチスの文書には彼らの行動を扱う時には「殺害」や「死」といった明確な用語を用いているものはほとんどない点に関し、ナチスの人間はほぼ常に「ユダヤ人の絶滅」でなく「ユダヤ人問題の最終的解決」といった暗示的な言い回しを使って話したり書いたりしていたと主張するが、実際問題殺害や絶滅を謀った事を窺える史料が決定的に欠けている。
  • プリンストン大学名誉教授でユダヤ人のアーノ・メイヤーは(1)ドイツははじめからユダヤ人を絶滅する計画ではなかった。(2)アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは故意の殺害ではなく、病死や飢餓の犠牲者であった、と述べている[9]
  • ヨーロッパのユダヤ人を殺害する意図に関してヒトラーの発言の中で最も多く引用されるのは1939年1月30日ドイツ帝国議会演説であるが、後にも先にその1度きりである。

本日、私はいま一度預言者となろう。もしヨーロッパ内外の国際的ユダヤ人資本家が諸国を再度の世界戦争に陥れることが成功したら、その結果は地球のボリシェヴィキ化やそれによるユダヤ人の勝利ではなく、ヨーロッパのユダヤ人の全滅である。[10]

ホロコースト計画は官僚的だったドイツ政府ドイツ軍によって詳細に文書化されており、何カ国もの間で長年にわたって指揮統括組織によって行われた一大事業であった。ナチスは敗色が濃厚となるとホロコーストの証拠を消し去ろうと試みたが、戦争終盤のナチスの戦力は急速に崩壊したため証拠消滅は不成功に終わった。戦後、何トンもの文書が見つかり、各地の強制収容所の近くに掘られ多数の死体が投げ入れられた穴からは死体が完全には腐敗しない状態のまま発見された。物的証拠や文書証拠の中には、殺されたユダヤ人の数に関するナチスの報告書、収容所へユダヤ人を搬送した列車の記録、何トンものシアン化合物やその他の整理された毒物、写真、フィルム、破壊されずに残った収容所の構造物そのものが含まれている。
  • ヒトラーがホロコーストを知っていたということを立証するためには総統命令は必要不可欠なものではない、ヴァンゼー会議に付随した書類、特別行動部隊の報告書、その他の一次資料はナチス指導部上層の大半が中央集権化されたホロコースト計画を理解していたことを圧倒的に証明している。
  • ヒトラーの遺言書にはヒトラー自身がヨーロッパ中部からユダヤ人を殺し尽したとの記述が明記されている。
  • ルブリンの親衛隊大隊指揮官ヘルマン・ヘフレ1943年1月11日にベルリンの親衛隊上級大隊指揮官アドルフ・アイヒマンに宛てて送ったヘフレ電報では、ラインハルト作戦 の最初の年である1942年ルブリンマイダネク)、ベウジェツソビブルトレブリンカの4箇所の強制収容所で合計1,274,166人が死亡と報告されている。電報にある数字は、親衛隊統計官のリヒャルト・コルヘア博士が1943年1月18日に親衛隊長官ヒムラー命令により作成され同年3月に発表したとされるコルヘア報告の内容と合致する。コルヘア報告では、事実かどうかは別として、控えめな数字として総勢2,454,000人のユダヤ人の大半が収容所に追放され、一部がアインザッツグルッペン(特別行動部隊)によって殺害されたと報告している。
  • アインザッツグルッペンA隊長が1941年12月に作成したと主張されている報告書「秘密帝国問題」の地図は、バルト海沿岸地域で処理した可能性もあるユダヤ人の数を現しており、下部には「いまだ我々の手元にいるユダヤ人の推定数は128,000」と書いてある(特別行動部隊の報告書中これは突出して大規模な報告)。
  • ホロコーストはドイツやドイツの占領地域に進攻した連合軍第二次世界大戦の終わりまでドイツに追従していた枢軸軍によっても数十件目撃されている。提出された証拠の中には、連合軍が収容所に踏み込んだ時に解放された囚人達や付近の住人(その中には収容所内で労働する者もいた)の証言の他に、収容所の存在を示したフィルムやスチル写真も存在している。
  • ナチ支配下においては、「総統命令の秘匿」および「人道犯罪の隠蔽」は日常的であった。障害者、同性愛者および労働不能者などに対する組織的な大量虐殺[11]は、T4作戦(戦後の呼称)[12]として既に1939年より行われており[13]、ガス殺も主要な手段の一つとして用いられていた[14]。それは続く14f13作戦に発展し、「社会的に不要な存在」として虐殺される対象は段階的に拡大した[15]。T4作戦の延長がホロコーストであり、その手法はホロコーストに応用された[16]。T4作戦もまた法制化されておらず[17]、ヒトラーによる文書命令は秘密裏になされた[18][19][20]。また、この作戦の関係組織には徹底したカムフラージュが行われていた[21]。またヒトラーは総統命令を文書化しないことや、あるいはその意図すら明確に伝達しないこともしばしばある。「長いナイフの夜」や「水晶の夜」は明確なナチスによる迫害行動であるが、事前に総統命令が文書によって行われたわけではない。
ガス室 ブーヘンヴァルト強制収容所ミッテルバウ=ドーラ強制収容所に収容されたポール・ラシニエはブーヘンヴァルト強制収容所ではガス殺人を目撃しなかったと証言している[22]
  • アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所ルブリン強制収容所では青酸ガスを用いたガス室が使用されたとされる。青酸ガスを用いたガス室はアメリカ合衆国死刑執行の一手段として使用されてきた。ところが、その米国の経験では青酸ガスを用いたガス室処刑は致死量の22倍ものガスを一人の処刑に使用しており、高価な処刑方法とされ、経済的には非合理的である。
  • 青酸ガスの発生法として、米国ではポット法と呼ばれる希塩酸もしくは希硫酸とシアン化カリウムを反応させる方法が採られているが、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所やルブリン強制収容所では、パルプなどに青酸ガスを吸着させたツィクロンBを投入する方法が採られたとされている。しかし、ツィクロンBからの青酸ガス遊離は時間がかかり、処刑時間が余りにも長時間に及ぶ[要出典]。また、ガス室の換気にも長時間が必要で、非効率である[要出典]。このような方法を大量殺人の手段に選んだとする主張は不合理である。
  • トレブリンカ強制収容所ソビブール強制収容所ベウゼツ強制収容所ヘウムノ強制収容所の4収容所では、「ディーゼル・エンジンによって一酸化炭素を発生するガス室」が存在したとされている。しかし、ディーゼル・エンジンは一酸化炭素をほとんど排出しないことが特徴であり、この話は科学的に不合理である。『ディーゼル・エンジンも、排気口を一部塞いで不完全燃焼させれば一酸化炭素を排出するが、ガソリン・エンジンを使えばはるかに多くの一酸化炭素が得られる。なのに、わざわざディーゼル・エンジンを選択する理由はソ連からの鹵獲品のディーゼルエンジンが大量に存在したからである』という主張があるが、ソ連から鹵獲したディーゼルエンジンとはどの形式のエンジンをどれだけの数量いつどこれどのようにして鹵獲したのか一切明らかにされていない。
  • アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋の壁などを化学分析した結果、対照(コントロール)として採取された殺虫用ガス室にからは1988年においても高濃度のシアン化合物が検出されたのに対し、「処刑用ガス室」からはほとんど検出されなかった(『ロイヒター・レポート』)。この分析結果は、その後ロイヒター・レポートに批判的な立場から同様の化学分析を追試したポーランドの法医学グループの報告によっても裏付けられている。この分析結果は戦後の通説と矛盾している(ポーランドのグループは分析においてロイヒター・レポートを批判している)。
  • ソ連軍が押収したドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は発見されていない。
  • 戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋は、設計図上は病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されていたことが、図面から読み取れる。このことは、これらの設計図を検証したフランスのガス室肯定側研究者プレサック自身が認めている。プレサックは、設計段階と建設後に使用目的が変更されたという解釈を述べているが、それにしては目的に沿わない中途半端な改造であり非合理である。
  • ガス室で殺された死体を病理学者もしくは法医学者が、解剖と化学分析によって証明した医学論文・報告は存在しない。一酸化炭素による死体を発見したと主張したソ連の文書があるが、医学的記述ではなく、死体の解剖記録をソ連は提出していない。また、カチンの森事件で、ソ連が虚偽の法医学報告をしていたことを考えると、医学的記述がないこの文書には信用性がない。
  • 戦後語られてきたガス室の目撃証言には、相互の矛盾や内容の変遷が多い。収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、ガス室の存在に否定的な証言をした生存者がごく少数存在し、また自身の証言を後に撤回した証人もいたが、彼等の発言は無視され続けた。
  • ガス室及びツィクロンBは当初シラミ駆除のために設計、納品された。
*青酸ガスは高価であるが、科学的に見て極めて致死性の高いガスであり、一度に大量の人数を処刑する方法としては合理的である。
  • 焼却炉の図面は多数発見されている。

ホロコースト否認論者は、民間人を虐殺するために建設されたというガス室は存在せず、ガス室とされている構造物は他の目的に使用されたものと主張する。またガス室の多くは戦後にわざわざ公に見せるために建設されたものでポーランド政府もこの事を認めているとして引き合いに出されるのがロイヒター・レポートであるがそれによると、1988年にアウシュヴィッツのガス室で採取された標本を検査したところシアン化合物が一切検出されず、感染症対策の為に使われたシラミ駆除室からはシアン化合物が検出されている。しかし、1988年シアン化合物が検出されなかったから、40数年前もアウシュヴィッツではシアン化合物は一切使用されなかったのだという議論には問題がある。

  • 1990年2月にクラクフ法医学研究所所長のヤン・マルキェヴィチJan Markiewicz)と彼の調査チームは、マイクロディフュージョン法」を用いて、アウシュヴィッツ内にある殺人用ガス室だと疑われる部屋、シラミ駆除用ガス室、管理棟のそれぞれから採取した標本中のシアン化合物の解析を再度行った[23]。照査標本では陰性の結果が出たが、シラミ駆除用ガス室からは多量の殺人用とされるガス室から極微量のシアン化合物の残留物が検出された[24]

「ビルケナウのガス室や火葬炉とされている場所では、その規模の建物の残骸に相当する瓦礫が存在しない」との指摘があるが、解放後に地元のポーランド人農民が戻ってきて、冬になる前に家を再建するためのレンガ等を大量に持ち去った。(廃物を利用した人々が使えるレンガを探したときに投げ捨てた大量の廃棄物が火葬炉の場所の近くに残っている)。 死体焼却後の灰についての疑義[25]については1体の死体の灰は靴箱一杯位であり、処理は難しいことではない。ある程度の量の灰が近くの川や沼地に積まれていたことはアウシュヴィッツの航空写真が示している。またその他の灰は近くの畑で肥料として使われたという書類証拠が存在する。トレブリンカ強制収容所所長によって撮影された写真には灰を掘削機で一面にまく場面が写っている。

焼却炉 大量殺人が実行された場合、死体処理には多数の焼却炉が必要となるが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にもルブリン強制収容所にもなく、また焼却に必要な燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていた。工業廃油等を使わざるを得ない。存在が確認できた火葬炉は大規模焼却を目的とするには規模が小さく数も少ない。
  • 1944年に米軍の偵察機が撮影したアウシュヴィッツの航空写真には死体焼却の煙も石炭の山も見られない。また大量の石炭を購入した伝票などの証拠も大量の石炭が運び込まれていたとの証言もない。
  • 火葬炉があった理由は自然死や、囚人の密集していた環境で当然予想される伝染病の蔓延による病死に対応する目的で設置されたものと考えるのが自然である。死体焼却は肉等の有機物を炭化しその腐敗を防止して衛生環境を守るのが目的であって、死体の消滅が目的ではない。死体の消滅が目的であれば、死体を骨ごとミンチにして家畜の餌等するのが簡単で経済的である。家畜の糞は醗酵させ堆肥として畑に撒けば完璧である。ドイツは養豚業など家畜の飼育が盛んであり肉骨粉などの家畜の餌の引き取り先には困らない。だが、この方法を取るとすれば、アウシュビッツに輸送してきた人員と同じ重量の肉骨粉を家畜の飼育場までもう一度列車で輸送する必要が出てくるため非常に非効率的である。さらに骨ごとミンチにするにはその前に捕虜を殺害しておく必要があるため(生きたまま人間を裸にして口の中から金歯などを奪いミンチにするのは労力や合理性の点からみて不可能である。)結局、その場で焼却して焼け残った骨を砕いて捨てるのが一番効率的な方法だということになる。
石炭を使用する焼却炉が建設されているのに石炭が運び込まれた証拠がないから石炭が存在しなかったと主張するのは明らかな矛盾である。
  • 耐熱煉瓦などの入手困難な状況で建設された焼却炉で骨まで灰にすることがでる高温を維持するのは困難である。ゆえに「骨まで焼いて灰にした」という説は否定されており、「肉だけを灰にして残った骨を砕いて捨てた」という説が通説となっている。
死亡者数 600万人説に関する疑義
  • 1939年前後の全世界のユダヤ人総数は1600~1700万人、1948年前後では1500~1800万人という統計から、ユダヤ人犠牲者が600万人というのは誇張が入っている。『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac) の統計ではホロコースト前の1940年版ではユダヤ人人口15,319,359人、1948年版で15,713,638人とあり、3年間で1.4~1.8倍の人口増加している。(戦後日本の第一次ベビーブームの時代を経た昭和20年~昭和30年の人口増加でさえ7200万人から9000万人であり1,25倍)。この人口増加率からしてもたとえ出生率が非常に高かったとしても600万人ものユダヤ人が死んだことはありえない。仮に600万人が犠牲となったならば大戦終結後のユダヤ人総数は1100万人前後となるはずである。
  • 『ワールド・アルマナック』1938年ではユダヤ人全人口は1660万人で、『ニューヨーク・タイムズ』の1948年2月22日号によると1948年のユダヤ人人口は最小で1500万人、最大で1800万人である。つまり最大で160万人の減少しかありえない。戦争前後のユダヤ人人口は情報源によって数字が異なるが、反修正主義者たちは自分たちの主張に合致する数字を選択的に採用しており、また情報源の評価を避けている。例えば『ワールド・アルマナック』の示す世界のユダヤ人人口は1982年版では14,318,000人、1990年版では18,169,000人、1996年版では13,451,000人。この数字の推移を解釈するなら1982年から1990年の間に370万人のユダヤ人が増加し、逆に1990年から1996年の間に450万人のユダヤ人が消失したか、それとも『ワールド・アルマナック』がユダヤ人人口を正確に見積る目的においては特に信頼できる情報源ではないか、のどちらかである。
  • アメリカユダヤ人年鑑1932年版では、ユダヤ人人口を15,192,218人、その内9,418,248人がヨーロッパ居住としている。1947年版では以下のように記述されている。

世界のユダヤ人人口の見積はアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会によって整理された。この数字はアメリカ合衆国カナダは除いた数字であるため、1946年の約11,000,000人にまで減少したのがアメリカ及びカナダのユダヤ人口を除いた分なのかヨーロッパでの死者分なのか不明である。当時の北米ユダヤ人口は500万人弱である--アメリカユダヤ人年鑑1947年

収容所での死者数を誇張している複数の例が報告されていることは事実であり、反修正主義者も年々死亡者数と死亡地域の変更を余儀なくされている。

  • また、当時のドイツ占領地域にいたユダヤ人の総数も不明で、600万人の犠牲者が出るには相当のユダヤ人が占領地域に存在していなければならないが、1933~1945年までの間に出国奨励策等により最低300万人のユダヤ人がドイツ占領地域外へ移動している。すると600万人の犠牲者が出るためには1933年以前に最低900万人前後のユダヤ人がドイツ占領地域内に存在する必要がある。ドイツ占領時に占領地域内にいたユダヤ人の数は300万人以下とする情報もあり、600万人の犠牲者を生み出すことが物理的に不可能だった可能性すら存在する。
  • ブレイトバード文書[26]によれば、アウシュヴィッツにある「1940年から1945年の期間にナチの殺人者の手によって400万の人々がここで苦しみ亡くなった」と記されている記念碑が、1990年に「ヨーロッパのさまざまな国から連れてこられたユダヤ人150万の男性、女性、子供たちがこの地で人知れず殺された」と更新されたが、これに従えば250万の犠牲者数が誇張されてきた。
  • 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字には、実際にはロシアイギリスパレスチナアメリカ合衆国へと移住したユダヤ人が含まれている。実際のユダヤ人の死者は100万人程度、戦時死傷者は30万人程度とも主張される。
  • ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、サイモン・ヴィーゼンタールは被害者数を水増ししていると批判している[27][1]
ニュルンベルク裁判では被害者数は600万人と認定された。アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館では2013年現在も被害者数は600万人としている[28][29]
  • サイモン・ウィーゼンタール・センターは、犠牲者の数が以前と比べて少なく表されるようになったのはソ連が「アウシュヴィッツ=ビルケナウでの死者数を意図的に誇張していた」からと反論している。収容所跡の石碑はソ連当局によって据えられたもので冷戦が終結するに伴い数字が書き換えられた。またソ連が主張した400万という数字には、約200万人の非ユダヤ人が含まれていた。ただし、西側諸国の歴史家たちはこの400万という数字をユダヤ人犠牲者の数を計算するのに用いてきておらず、アウシュヴィッツで殺害された人々の推定数は60万から150万の間を推移している[30]
公文書の解釈 ヒムラー発ヒトラー宛のナチス・ドイツ占領下のポーランドで行われた囚人処刑に関する報告書第51号は、ホロコーストで行われた大量虐殺行為に対してヒトラーの共謀と是認があったことの証拠としてニュルンベルク裁判の際に提出された。南ロシア地方、ウクライナ地方、ビャウィストク地方にて、無法者の共犯者と容疑者として、4ヶ月の間にユダヤ人だけで36万3211人が殺害されていると主張するが、当該地域はユダヤ人の反乱を恐れたスターリンの強制移住政策で使われた地域であり、記録に残るだけでも100万人以上のユダヤ人がソ連東部へ強制移住させられていた。
証言 * 連合国は、戦後の戦犯裁判に際して多くのドイツ人に拷問を加えて自白を得ており、こうした自白には信憑性がない。
  • ホロコーストを生き延びた反対証言も存在するにもかかわらず、彼等の証言は無視され続けている。例えばヘスの証言は署名された自白調書だけで構成されているのではない。ヘスの2部にわたる回想録や、ニュルンベルク裁判以外の場でも広範囲にわたる証言などもある。ヘスの証言はペリー・ブロード (de:Pery Broad) のような元アウシュヴィッツ職員による書面による説明とも矛盾していない。
*自白のための拷問がホロコーストを捏造する目的で行われたという証拠は存在しない。
  • ブロードは戦勝国及びイスラエルのいう虐殺がもっとも多く起きた時期には既にアウシュヴィッツから離任しており、当該時期の担当者ティエス・クリストファーセンは健康であったにもかかわらず、証言する直前に急死している。だがクリストーファーセンがヘスの供述に反論したようなことはなくむしろヘスと同様のことを認めていた。
連合国のプロパガンダと証拠捏造 戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転している。例えば、戦後間もない時期にはダッハウ強制収容所ブーヘンヴァルト強制収容所ベルゲン・ベルゼン強制収容所などの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われていた。ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われていなかったとされる。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。人間石鹸も都市伝説であった。
  • ホロコーストの歴史学的証拠とされたものは偽造、または故意に誤って解釈されたものである。戦後に公開された多数の写真や映画フィルムは、連合国軍による反ナチスプロパガンダとして特別に捏造されたものである。例えば、戦後になってドイツ人に見せられたホロコースト犠牲者を撮影したとされるフィルムは実際のところ連合軍によるドレスデン爆撃の後に処理されているドイツの民間人であった。我々が目にする写真は飢餓チフスの犠牲者を写したものである。
  • アウシュヴィッツ第一死体焼却棟の1945年の写真には、撤退直前に爆破されたため現在そこにある煙突が当時存在していなかったことが見てとれる。煙突は戦後建てられており、現地の「物証」はこのように戦後変更されている。ポーランドアウシュヴィッツ博物館は、戦後長い間、第一アウシュヴィッツの処刑用ガス室とされる第一死体焼却棟を当時のままと主張していた。しかし、さまざまな不合理を指摘されると、戦後の再建を認めた。同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている。
撤退直前に爆破された煙突を再建ことを捏造扱いするのは無理がある。また、アウシュビッツの焼却棟を見学した修正主義者のフォリソンの質問に対して現地ガイドが「戦後再建された」と答えただけの話であり公式な説明が変わったとか議論した末に通説が変わったとかいう性質の話ではない。現にこの話が世間で相手にされていない理由は真相が現地ガイドとの問答にすぎないからである。
イスラエルプロパガンダ ユダヤ人を犠牲者、ドイツ人を悪魔のように扱うアングロサクソン、あるいはユダヤ人の陰謀がある。また、ドイツについての狂気じみた話を広めることでポーランドチェコスロヴァキアといった関係国を脅してソ連による支配を受け入れさせることはソ連の利益になる。ホロコースト論には、パレスチナにユダヤ人の母国を建設することを可能にする連合国の意向を促進する意図があり、この主張は現在はイスラエルのパレスチナ人政策に対する支持を獲得することに利用されている。1970年代の中東戦争以来、ホロコースト論が語られるようになった[1]。ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、アメリカのユダヤ社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、中東戦争を背景にイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している[31][1] ホロコーストが捏造であればイスラエルが崩壊するのなら、イランを支援していたソ連が第三次中東戦争の際、何故ホロコーストが捏造だとばらさなかったのか非常に不合理的である。イスラエルは、一貫してアメリカの支援を受けており、修正主義者によればホロコーストはすべてソ連が捏造したとされている。イスラエルに投入された資金の量とドイツからの賠償金だけでもイスラエルがこの陰謀を続けようとするだけの強力な誘因になる。だが、その陰謀の存在を証明する具体的な証拠は存在しない。
言論弾圧言論の自由 ほとんどの学者や歴史家はホロコーストが虚構であると認める勇気がない。もし堂々とそのような話をすれば職を失う恐れがあるし、アメリカやドイツでは現実に解任された教授や経営者、解雇されたキャスターや記者などが多く存在する。数々の放火や暴行、またフランソワ・デュプラがユダヤ人組織に殺害されたことは暴力である[32]
他の大量虐殺との比較 ソ連のグラグで殺された反体制派やキリスト教徒の数に比べればホロコーストは小規模である。 他の大量虐殺と比較して、ホロコーストは罪の程度が軽いので見逃すべきであるというのが修正主義者の主張である。

ホロコースト否認論の歴史[編集]

ホロコーストを疑問視する主張は戦後間もなくから始まっており、フランスの歴史家ポール・ラシニエ は1948年の著書で「ホロコースト生存者」の証言に疑義を呈した[33]1964年には『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ』でガス室を始めとする戦後の通説に疑義を投じた[22]。ラシニエは社会主義者、非暴力主義者で、ドイツ占領下のフランスでレジスタンスに身を投じ、ユダヤ人をスイスに脱出させる活動などを行なっていた。そのために自らがゲシュタポに捕えられてブーヘンヴァルト強制収容所ミッテルバウ=ドーラ強制収容所に収容された。戦後、レジスタンス活動によりフランス政府から最高位の勲章を受けている。自身が犠牲者であったラシニエがホロコーストを否認していることもあり、修正主義者たちはラシニエをシオニスト、連合国、ソ連の巨大な陰謀によってホロコーストが捏造されたということを告発した最初の否認論者として「ホロコースト修正主義の父」と呼び、現在も彼の著作をホロコーストに関する通説に異議を申し立てた学術的な研究として引用している。ラシニエへの批判としては「ブーヘンヴァルト強制収容所は絶滅収容所ではなかったので、ガス殺人を目撃しなかった」という彼の主張は意外ではないとするもの、また、ラシニエは旧来説支持者を納得させるだけの証拠を挙げておらず、自己の指摘と矛盾する情報を無視している点、さらにラシニエ自身の主張そのものが、「ガス室で殺された人数は通説ほど多いものでもないと思われる」という程度のものであり、ラシニエ自身が虐殺自体を否定しておらず、後世の否定派によって勝手にホロコースト否認論者だと決めつけられてしまったというものがある。なお、シオニストの為のホロコーストの捏造というテーマは他の歴史家によっても取り上げられている[34]

  • ラシニエと同時期に、ルーマニア系ユダヤ人であるブルグ(Burg)も、戦後語られ出した「ガス室」などによるユダヤ人大量殺戮の主張に疑問を抱き、収容所を自ら調査するなどしている。

1960年代には、通説的なホロコーストに対する異議の表明が公に現れ始めた。

  • 米国コロンビア大学の歴史家ハリー・エルマー・バーンズは晩年ホロコースト否認の姿勢をとるようになった。バーンズは立場的には主流派に属する歴史家であり、歴史修正主義運動の初期の指導者の一人である。戦間期には反戦的な著述家で、第二次世界大戦後、ドイツと日本への批判は米国の参戦を正当化するための戦時プロパガンダに過ぎず、その正体が暴かれる必要があると考えた。バーンズは晩年の著作でホロコーストを戦時プロパガンダに含まれるとした。同様に反戦的歴史修正主義の立場をとってきた著述家ジェームス・マーティンはバーンズに倣ってホロコースト否認論の姿勢を示した[35]
  • アメリカ人の歴史家デイヴィド・ホガン1961年に発表したの第二次世界大戦の原因を論じた『強制された戦争』 (Der Erzwungene Krieg)、1969年には、ホロコーストを否認する最初の本の一つである『600万人の神話』を執筆した[36]。ホガンは一流大学教授の経歴もあり、ホロコースト否認論運動初期の中心的人物の1人となった。
1970年代

1970年代にホロコースト否認運動は大きな盛り上がりを見せる。

  • ドイツでは、ホロコーストに疑問を投げ掛ける議論が戦後厳しく規制されたため、当時の関係者を含めた多くのドイツ人は戦後永く沈黙していた。しかし、1974年にアウシュヴィッツ周辺のモノヴィッツで天然ゴムに代わる素材の開発に従事していた元親衛隊員のティエス・クリストファーセンが回想録『アウシュヴィッツの嘘』を出版し、ドイツのユダヤ人政策は批判されるべきであるが、戦後のアウシュヴィッツ像はあまりにも誇張されたもので、クリストファーセンがアウシュヴィッツ周辺で勤務していた当時、ユダヤ人ら被収容者は虐待されていなかったと証言した。戦争末期は別として、大戦中前半はユダヤ人への待遇は戦後語られるような劣悪なものではなかったという。また、被収容者のための売春宿があったことや、当時アウシュヴィッツに勤務していた同僚のドイツ人の中には、ユダヤ人と友情を結んで戦後も文通を続けた者などもいた事実を挙げて、戦後のアウシュヴィッツ像は虚偽であると主張した。更には、クリストファーセン自身が、ビルケナウ収容所における衛生状態の劣化に懸念を抱いて、ユダヤ人の処遇を改善するよう上司に提案したことがあったことや、ユダヤ人の中にはドイツよりもソ連を恐れる者がいて、ソ連に対するドイツの勝利を期待していたユダヤ人がいたことなどをも述べている。
  • 1976年にアーサー・バッツ著『20世紀の法螺:ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅説に対する異議申し立て[37]1977年デイヴィッド・アーヴィング著『ヒトラーの戦争』を発表、ベストセラーとなったことから、ホロコースト否認論の代表的な論客と見なされている。これらの著述はホロコーストに対する疑義として現在も重要視されている[38]
  • 1978年3月18日には、リチャード・ヴァーラルの著書『本当に600万人も死んだのか?』のフランス語訳を刊行した国民戦線のフランソワ・デュプラ(Francois Duprat)がユダヤ人組織に殺害され、妻も腕と足を失った[32][39]。同1978年、ソルボンヌ大学で文書鑑定を専門としていたロベール・フォーリソンが『ル・モンド』紙に「ガス室」の存在に疑問を投じる記事を発表しフォーリソン事件が起きた。フォーリソンは「ガス室」を欺瞞 (fraud) と呼び、「この欺瞞の犠牲者は、(ドイツの)支配者たちを除くドイツ人と、全てのパレスチナ人だ」と述べ、この問題がパレスチナ問題と密接に関係することを指摘した。その後、1989年9月16日、ユダヤ系団体のSons of Jewish Memory(ユダヤの記憶の子供)から襲撃され、顎と顔を砕かれ重傷を負った[32]。Sons of Jewish Memoryの犯行声明文には「ホロコースト否定派をぶるぶる震えさせろ」とあった[32]
  • 1979年、大戦中ドイツ空軍部隊将校として自らアウシュヴィッツを短期間訪れた経験を持つ西ドイツ(当時)の判事ヴィルヘルム・シュテークリッヒ (Wilhelm Stäglich) は、裁判官の視点からニュルンベルク裁判をはじめとする戦後の「戦犯」裁判を徹底的に再検証し、ホロコーストを検証する『アウシュヴィッツの神話』(The Auschwitz Myth - Legend or Reality)を刊行したが、1980年にはシュトゥットガルト裁判所の命令によりドイツ国内で頒布禁止とされ、発売日に書店から回収された。
  • 1978年、米国でウィリス・カート (Willis Carto) によって歴史見直し研究所 (IHR) が創設された。これは「ホロコーストの俗説」に異議を唱える組織であり、英語圏における見直し論の広がりにおいて中心的な役割を果たしている。IHRは科学的な歴史修正主義を標榜し、ネオナチの背景を持たないジェイムズ・マーティン (James J. Martin) やサミュエル・エドワード・コンキン三世 (en:Samuel Edward Konkin III) のような支持者を歓迎し、またラシニエやバーンズの著作を販売している。ホロコースト肯定者はIHRの支持者はネオナチや反ユダヤ主義者であり、出版配布されている資料の多くはホロコーストに疑問を呈することを専らとしている団体であると攻撃している[40]。IHRは「我々の組織はホロコーストを否認しない」と表明しており、IHRの定期刊行物には次のように書かれている。

数多くのユダヤ人が強制収容所やゲットーに追放された事実、あるいは多くのユダヤ人が第二次世界大戦で殺害された事実については論争は存在しない。修正主義の学者達は証拠を提出している。この証拠はヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅するというドイツの計画は存在しなかったこと、600万のユダヤ人が戦時中に死んだとする推定が当てにならない誇張であることが示されている。この証拠に対して「絶滅派の連中」(exterminationists) は反駁することができずにいる。ホロコースト、すなわち約600万というユダヤ人が皆殺しにされた (そのほとんどがガスによる) と伝えられていることは悪い冗談であり、これはキリスト教徒や、教養があり誠実で正直な人ならどこの人にも悪い冗談と見なされるべきことである。[41]。しかし、旧来説支持派は、IHRがホロコースト否認論者ではないと表明することにより人々をミスリードする意図があると攻撃している。[42]

IHRは「殺人を目的としたガス室がアウシュヴィッツに存在したという(検証可能な)証拠」に対して50,000米ドルの賞金を提示したのでアウシュヴィッツの生存者メル・メーメルスティーンMel Mermelstein)は証拠を提出した。しかしIHRは賞金を支払わないので個人的苦痛に対する損害賠償訴訟を起こし、勝訴、40,000米ドルを受け取った。

1980年代
  • IHRはユダヤ主義者から暴力による襲撃を繰り返し受けており、1981年6月26日、1982年4月25日には放火、1982年9月5日には事務所へ発砲をうけ[32]1984年7月4日にはシオニストグループによって放火され多くの資料が焼失した[32]。見直し論者側はこれを焚書行為と糾弾し、ゲルマール・ルドルフは「異なる意見を抱いているだけで、非人間、悪魔、害虫、下等人種とみなしていいのだろうか? ナチスはそれをやったから非難されているのではないか? 扇動的な表現をすることは、ファシスト的、ナチス的、人種差別主義的ではないか」とユダヤの過激派を批判した[32]
  • 1984年、カナダの高校教師ジェームズ・キーグストラ) は授業で資料の一部としてホロコーストに関する戦後の通説に疑問を呈する教材を使用し反ユダヤ主義的主張をしたとして告発され、有罪宣告を受け、解雇された。1988年7月18日にはキーグストラの自宅が放火された[32]
  • プリンストン大学教授で、左翼と見なされていた歴史家アーノ・マイヤーは、祖父が収容所で命を落としたユダヤ人である。1988年に『天はなぜ曇らなかったのか?』 [43] において、(1)ドイツははじめからユダヤ人を絶滅する計画ではなかったと考えられる、(2)アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは故意の殺害ではなく、病死や飢餓の犠牲者であった等の考察を述べている。メイヤーの問題提起はニューズウィークでも取り上げられ、日本の西岡昌紀にも影響を与え、マルコポーロ事件が発生した。
  • 1987年ブラッドリー・スミスが「ホロコーストに関する公開討論委員会」 (CODOH) を創立。CODOHは、ホロコーストの通説を問題とする新聞広告をアメリカ合衆国内の大学学生新聞に打つ試みを繰り返している。掲載の諾否は新聞によって異なるが、編集長がどちらの判断を下しても、ほとんどの新聞は表現の自由を理由として、あるいは反ユダヤ主義的な言論は慎むべきであるという理由で、自らの判断を擁護する論説を掲載している。この広告キャンペーンによって、1990年代初期に多くの学生新聞にCODOHの広告が掲載され、全国的な議論を巻き起こし、ニューヨーク・タイムズもで取り上げた。2000年以降は、ユダヤ人広告主の批判を受けた事もあって、少数の例外を除き大半の学生新聞が広告を拒否するようになった。
  • 1987年、ベルリン自由大学教授エルンスト・ノルテが「過ぎ去ろうとしない過去」でかつて迫害されたユダヤ人はいまでは「永く特別に取扱われ、特権化されている」などと述べ、論争となった[44]1988年2月10日にはノルテ教授の車が放火される[32]
  • 1992年10月28日、ベルギーで修正主義者とされた書店が放火される[32]
ツンデル裁判とロイヒター・レポート

カナダ居住者のエルンスト・ツンデルはサミスダット・パブリッシング (Samisdat Publishing) という出版社を運営し、リチャード・ヴァーラル(本名リチャード・ハーウッド) の著書『本当に600万人も死んだのか?』 (Did Six Million Really Die?) といった書物を出版した。1985年、ツンデルは「ホロコーストを否定する書物を配布、出版した」として「虚偽の報道」罪で裁判にかけられ、オンタリオ州地方裁判所によって有罪宣告、15箇月の禁固刑を言い渡された。この事件は大きく注目され、多くの活動家が表現の自由を訴えて、ツンデルの表現の権利を擁護しようと介入し、1992年カナダ最高裁判所が「虚偽の報道」法は憲法違反だと宣言し、彼の有罪判決は覆された[45]。この裁判で1988年にツンデルが弁護側証拠として米国のフレッド・ロイヒターen:Fred A. Leuchter)に依頼して作成した「ロイヒター・レポート」は、一般にガス室とされている建造物では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であると結論づけている。裁判でロイヒターが証言をしたものの、彼が工学修士ではなく哲学修士であること、ビルケナウのガス室に関する資料を十分に読むことなくレポートを書いていることを指摘され「専門家による証言」とはみなされなかった。1995年5月20日にはツンデル自宅へ爆弾が届く[32]。その後、ツンデルはウェブサイトを立ち上げて主張を宣伝した。このウェブサイトに対する告訴に対して、2002年1月、カナダ人権裁判所カナダ人権法に違反しているとの判決を下した。2003年2月、アメリカ合衆国移民帰化局テネシー州において移民法違反の容疑でツンデルを別件逮捕し、数日後カナダに身柄を送還した。そこでツンデルは難民認定を受けようとしたが、ツンデルは2005年1月まで拘留され、11月にドイツで起訴された[1]

ルドルフ・レポート

1993年には、当時マックス・プランク研究所で化学博士課程にあったゲルマー・ルドルフルドルフ・レポートがロイヒター・レポートと同様の結論を提示した。批判としてはインターネット上で発表された Richard J. Green のものがあるが、内容は政治的な面についてのもので、化学の学位を持つ者による学術的反論はあまりない。レポート内でルドルフは「化学を用いてもホロコーストの存在を科学的に立証することはできない」と、化学的な論争を回避している。ゲルマーは採取したサンプルの分析依頼のためにマックス・プランク研究所の名前を使用したため、批判を恐れた同研究所が解雇している。

1998年、デイヴィッド・アーヴィングはアメリカ人作家のデボラ・リプスタットが著書『ホロコーストの否認[46]』 で名誉毀損を行ったとして、彼女と出版社のペンギン・ブックスを提訴したが、訴えは棄却された[47]

1998年10月、ユダヤ系の The Scribe誌は「神の存在を否認する者は罰せられるべきである」「ホロコーストへの正しい態度とは、神の敵であるわれわれの敵に罰を与えることである」として、否認論者こそが「われわれの敵」であり、この人々は「ホロコーストに関与し、参加したとみなされるべきである」し、否認論者の頭には「死刑宣告」とある、と述べた[48]

フランスではホロコーストの否認は1990年代に否認主義 (négationnisme) として顕著になってきたが、この動きは遅くとも1960年代にはピエール・ギヨーム (Pierre Guillaume) などのフランス左翼政治家の中に存在していた[49]。1990年代には、フランス共産党の理論的指導者であったフランスの左翼系哲学者ロジェ・ガロディ(Roger Garaudy)が、「ガス室」をはじめとする従来の「ホロコースト」言説に疑義を提出し、イスラエルが政治的にこの言説を利用してきたと論じた。近年、フランスでは左派右派を問わず、否認論が広く展開している。その主張はホロコーストを越えて広がり、戦後それを最大限に利用してきたイスラエル批判にも繋がっている。この中には「ユダヤ人資本家」への批判、聖書にあるカナン人虐殺への指摘、シオニズムに対する批判などが含まれる[50]

1990年代半ば以降、インターネットが大衆化するにつれてホロコースト否認論者やその他のグループを含む多くの組織が新たに国際的な登場をしてきた。他方、1970年代後半から頻発した否認論者への暴行や関係出版社への放火なども多発し続けた[32]1996年9月にはイギリスの歴史評論社印刷所に爆弾放火が行われ、1999年1月16日にはバルセロナの書店Libreria Europaが放火された[32]

ヴァルザー論争

1998年、作家のマルティン・ヴァルザーフランクフルト書籍見本市の平和賞受賞講演で、ホロコーストがドイツ人に対して「道徳的棍棒」として使われていると述べて元ドイツ・ユダヤ人中央評議会議長イグナツ・ブービスとの間に「ヴァルザー論争」が起こった[51]

アーヴィングの転向

2000年代に入り、ある重要な出来事によって、ホロコースト否認論者は核心的な論拠を失った。それはアーヴィングの転向である。オーストリアでは、公共の場におけるホロコースト否認は犯罪であり、アーヴィングが1989年に行った演説を理由に逮捕状が出されていた。2006年、アーヴィングはホロコースト否定の罪によって、オーストリアにおいて起訴され、その場において、「私は1989年にホロコーストを否定したが、1991年にアイヒマン論文を読んでからは認識を改めた」「ナチスは数百万人のユダヤ人を殺した」「具体的な数字は知らない。私はホロコーストの専門家ではない」と、自らの否定説を撤回する発言を行ったものの、3年の懲役刑を受けた[52]。オーストリア内務省の決定で、アーヴィングは国外退去処分とされた。

「ホロコースト産業」論[編集]

ユダヤ人指導者がホロコーストを利用して金銭的または政治的な利益を得ており、「ホロコースト産業」 (Holocaust industry) や「ショアー・ビジネス」 (Shoah business) という用語もある。たとえば、1996年、スイスの主要銀行に対し、ホロコースト犠牲者のものとされる休眠口座に眠る預金の返還を求めるユダヤ人の集団訴訟が起こされた。1997年、ドラミュラ大統領兼経済相は「あたかもスイスにもかつて強制収容所があり、ホロコーストの主犯であったかのような非難だ。賠償金の要求はまるで脅迫のようなもの」として、これを「ゆすり・たかり」と非難したが[53]、イスラエルやアメリカの圧力を受け謝罪を余儀なくされる。1998年、休眠口座の調査は続行中だったが、銀行側が今後支払い要求に応じないことを条件に12億5千万ドルを支払うことで政治決着した。2001年10月13日、英紙タイムズはスイスの独立請求審判所による調査の結果を報じ、それによれば休眠口座の総額は6千万ドル程度に過ぎず、ほとんどは少額で、処理した10,000 件近い請求のうち確認できた口座は200件だった。

ユダヤ人政治学者ノーマン・フィンケルスタインは、2002年、このようなユダヤ人団体の行動をホロコーストを利用して利益を得るものとして批判する『ホロコースト産業』を著した。このユダヤ人団体などからホロコースト否定論者とされ非難を浴びた。しかしフィンケルスタインは『ホロコースト産業』において「ホロコーストを利用して利益を得るユダヤ人団体」したものであり、ホロコースト否定論を唱えている訳ではない。著名なホロコースト研究家であるラウル・ヒルバーグや、ユダヤ系であるノーム・チョムスキーはこのような見解を支持している[54]。一方で「産業論」はホロコースト否定論者に好意的に用いられることもしばしばある。

2001年2月にドイツのシュピーゲル誌が発表した世論調査結果によると「ユダヤ人団体は、自身が利益を得るために、独に対し過度の補償要求をしていると思うか」との設問に対し、ドイツ人の15%がそうだと答え、50%が部分的にせよそうだ、と回答している。また2003年12月に行われたイギリスのガーディアン誌の世論調査では「ユダヤ人は自分たちの利益のためにナチス時代の過去を利用し、ドイツから金を取ろうとしているか」という質問に全体の1/4が「そう思う」と返答し、1/3が「部分的だが真実」との認識を示すなど「ホロコースト産業」論も現在のドイツにおいて広く受け入れられている。

イスラム圏における概況[編集]

イスラム教国家においては、ホロコーストに対するユダヤ人への同情論が、結果的にシオニズムの容認とパレスチナからのパレスチナ人追放へと繋がったとする反発から、ホロコースト否認論が近年台頭してきている。中東では、パレスチナの政治グループだけでなくシリアイランの政府の人間がホロコースト否認を表明しており[55]、2005年にはイランアフマディーネジャード大統領が「ホロコーストは無かった」などとホロコーストを否定する発言を行って非難を受けた。

ホロコースト否認論はイスラム世界では比較的新しい動きである。名誉毀損防止同盟 (ADL) の副理事ケネス・ジェイコブソン (Kenneth Jacobson) はハアレツ (Haaretz) 紙のインタヴューに応えて次のように述べている。

西側の学者によるホロコースト否認論を適用することはイスラム世界において比較的新しい現象である。彼らの姿勢は、ホロコーストが起こったことは真実だが、パレスチナ人がその代償を負担するべきではないという極めて当然のものである。

ファタハの協同設立者の1人でパレスチナ解放機構の指導者の一人であるマフムード・アッバースはモスクワ東洋大学で1982年に歴史学の博士号を取得したが、学位論文は『ナチスとシオニスト運動の指導者との秘密の関係』と題するものであった[56][57]。なお、ソ連は1960年代からナチスとシオニスト指導部との秘密の結び付き (en:Zionology) を主張し、それを押し進めてきていた。彼がその博士論文を基に1983年に書いた『もう一つの顔: ナチスとシオニスト運動との秘密の関係』 では次のように述べられている。

シオニスト運動の関心事は (ホロコーストの死者) を誇張し、それによって利益を拡大することにあるようだ。これは彼らが国際的世論とシオニズムとの連帯を勝ち得るために (600万という) この数字を強調させる動機になっている。多くの学者がこれまでに600万という数字について議論し、ユダヤ人の犠牲者数を数十万人に修正するという驚くべき結論に達した。[58]

アッバースはまた、2006年3月にハーレツ紙のインタヴューでこう述べている。

私はホロコーストについて詳細に書いており、数字について議論するつもりはないと言っている。私は歴史家の議論を引用したのであって、そこではさまざまな数の犠牲者が言及されていた。ある者は1200万人と書き、ある者は80万人と書いていた。私にはその数字について論争しようとは思っていない。ホロコーストはユダヤ民族にとって恐ろしくかつ許すことのできない犯罪であり、人間には受け入れることの出来ない類の人道に対する罪である。ホロコーストは恐ろしいことであって、私がそれを否認したなどとは誰にも言わせない。[59]

ホロコーストの修正は、現在、様々なアラブ人指導者によって恒常的に宣伝され、それが中東全域の各種メディアを通じて広まっている[60]。2002年8月にはアラブ連盟のシンクタンクで、アラブ首長国連邦副首相のスルターン・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン (Sultan Bin Zayed Al Nahayan) が議長を務めるザーイド協同追求センター (Zayed Center for Coordination and Follow-up) がアブダビでホロコースト修正シンポジウムを開催した[61]。ハマースの指導者たちもまたホロコースト修正を宣伝している。

2005年12月の演説で、イランの大統領マフムード・アフマディーネジャードはホロコーストがイスラエルを守るために広められた「おとぎ話」だと述べ、国際的非難の新しい波を誘った。「彼らはユダヤ人の虐殺の名の下に伝説を捏造し、神よりも、宗教よりも、預言者たちよりも高い位置にそれを捧げ持っている」と述べ、またユダヤ人を迫害したのはドイツやオーストリアとして、迫害の責任を負うのはイスラエルの国家のために土地を手放しているパレスチナ人ではなくドイツやオーストリアであり、イスラエルはこれらの国々だに移転するべきだと主張した。さらにイスラエルのユダヤ人をアメリカ合衆国に移住させることを提案している[62]

2006年4月24日には、「究極の真実を明らかにするために」ホロコーストの真の規模を独立の立場から再び査定することを求めた[63]。米国ではイスラム教徒公共問題協議会en:Muslim Public Affairs Councilがアフマディーネジャードの発言を非難した[64]。同年12月にはテヘランで、ホロコーストの存在に否定的・懐疑的な立場を取る著名人・識者を集めたホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議が開かれた。一方、ハマースの政治指導者であるハーリド・マシャアル (Khaled Mashal) はアフマディーネジャードの発言を「勇敢だ」と評価し、「イスラム教徒はイランを支持するだろう。それはイランが彼らの想い、特にパレスチナの人々の想いを言葉にしてくれるからだ」と述べた[65]

2007年国連総会本会議は、ホロコーストを「歴史的事実」と認め、虐殺を否定する言動を非難する決議案が全会一致で採択されたがイラン代表は虐殺自体を批判的に検証することはできるはずとして、採決に参加しなかった。

日本における概況[編集]

1994年、政治的には護憲派で左翼とみなされてきたジャーナリストの木村愛二が雑誌『噂の真相』に「シンドラーのリストが訴えたホロコースト神話への大疑惑」と題した記事を寄稿した[66]。1995年には著書『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版)を発表、言論規制の動きに警鐘を鳴らした。木村の問題提起に触発された本多勝一は、一時的にではあるがホロコースト見直し論に関心を抱き、当時、本多が編集長を務めていた『週刊金曜日』に木村による連載を企画した。1994年、筑紫哲也がTBSのNEWS23のテレビコラム「多事争論」においてホロコースト否認に対する言論規制の問題に触れ、ドイツにおける言論規制強化を「他山の石」と呼んで、一定の共感を表明した。

マルコポーロ事件
  • 1995年、当時厚生省職員であった医師の西岡昌紀が「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を『マルコポーロ』誌に掲載したことが国際的非難を呼び、最終的に『マルコポーロ』紙は廃刊となった(マルコポーロ事件)。記事の中で西岡は「ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害した事は明白」として当時のドイツのユダヤ人政策を支持する立場ではないことを明確にした上で、ドイツはユダヤ人を迫害したが「絶滅」までは計画しておらず、収容所でユダヤ人が大量死した原因は発疹チフスなどによるもので、アウシュヴィッツ等の収容所に処刑のためのガス室は存在しなかった、連合国はそれら病死したユダヤ人の死体の映像をガス室の犠牲者であったかのように発表・宣伝した、等の考察を発表した。なお同記事は、数回のシリーズの第一回として書かれた記事であった。
    • 江川紹子はマルコポーロ事件の直後、マルコポーロの西岡記事を支持しないと明言した上で、サイモン・ウィーゼンタール・センター文藝春秋に対して行なった広告ボイコットの手法を「民主主義の枠を超えている」と批判[67]、月刊誌『噂の真相』やジャーナリストの長岡義幸などももこの問題を巡る言論弾圧の空気を批判している。他方、木村愛二は『マルコポーロ』の記事がイスラエル建国とホロコーストの関係に全く言及していない点を批判している[68]
    • 西岡自身はその後、パソコン通信上の発言と1997年の著書[69]において、細部の記述には誤りがあったと自ら認めつつ、ホロコースト否認の立場を維持、ホロコースト否認論者に対する言論規制の動きを「ファシズムと呼ぶべきもの」と呼んで批判した。
  • ジャーナリストの田中宇は、ホロコーストをめぐる言論状況について「常識と異なる結論に達したら「犯罪者」にされるというのは、分析が禁じられているのと同じ」であるし、またヨーロッパではホロコーストの事実性を検証の対象にすることさえ禁じられようとしていると指摘している[1]。また、シオニストの中でも過激派と、国際協調主義を労働党系の中道派(左派)とでは意見が対立していると指摘している[1]

ホロコースト否認を規制する法律[編集]

国連では1965年に人種差別撤廃条約を採択、1966年には国際人権規約が採択された。同B規約20条2項には「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」とある。これらは基本的人権たる表現の自由とも衝突することがある。ホロコースト修正主義者は人種差別の罪で告発されることもある。

ホロコースト否認は次の10カ国で違法である。フランス(ゲソ法)、ベルギー (Belgian Negationism Law) 、スイス (刑法261条bis ) 、ドイツオーストリア (article 3h Verbotsgesetz 1947) 、ルーマニアスロヴァキアチェコリトアニアポーランド [70]イスラエルでも違法。カナダやイギリスでは、ホロコースト否認を禁止する法律はないが、名誉毀損や民族間の憎しみの助長やヘイトスピーチを禁止する法律がある。

ドイツ・オーストリア・フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されているが、人種差別禁止法によって「ホロコースト否定」を取り締まる国もある。

1994年からドイツでは「ホロコースト否定」が刑法で禁じられており、違反者は民衆扇動罪(第130条)で処罰される。オーストリアにも同様の法律がある。なお「民主主義に敵対する言論や結社の自由は認めない」という理念は極右と極左の双方に向けられており、旧西ドイツの最高裁判所は1956年にドイツ共産党に対し解散命令を下した。これはドイツが第二次大戦の教訓から「自由の敵には自由を与えない」とする、いわゆる「戦う民主主義」を採ったためであるが、同時に国家による言論弾圧に対する嫌悪感を生み出すとの立場もある。

2003年のヨーロッパ委員会による「サイバー犯罪条約への追加議定書」[71]では、人種差別的で排外主義的な行為の犯罪化に関する協約で、第6条に「大量虐殺や人道に対する罪の否認、著しい矮小化、是認、正当化」が上げられているが、まだ法律化されていない段階にある。

ホロコーストの加害者であったドイツ、オーストリア、チェコ、ルーマニア、スロヴァキア) の国の多くでは、ナチズムに関するナチの象徴なども禁止している。加えて、ホロコースト否認を特別に禁止している国々では、ヘイトスピーチを禁じるなど、公的な場での発言を制限する法体系が存在していることが指摘されている。グッテンプラン (D. Guttenplan) によると、これは「米国やイギリス、元イギリス植民地のような判例法 (Common law) の国々と、大陸ヨーロッパの大陸法 (Civil law) の国々との違いである。大陸法の国々では法律は一般により規範的である。また、大陸法の体制下では、裁判官はより多く尋問者として振舞い、証拠を分析するほかに証拠を集めたり提示したりする。」[72]

2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。 ホロコースト犠牲者は100万人に満たないという内容の博士論文を書いたことがあるパレスチナ解放機構事務局長マフムード・アッバース(前首相)を標的として極右政党国民連合が提出した法案であった[73]

2007年1月26日国連総会本会議は、ホロコーストを否定する言動、「全面的、部分的否定」を非難する決議案が米国などが提出、投票なしで採択されたが、イランは不参加で「偽善的」と批判した[74]


脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 田中宇ホロコーストをめぐる戦い」2005年12月20日
  2. ^ 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち――歴史修正主義の論理と病理――」「上智大学仏語・仏文学論集」2000年3月
  3. ^ Negationism is the denial of historic crimes. The word is derived from the French term Le négationnisme, which refers to Holocaust denial.
  4. ^ Omer Bartov, The Holocaust: Origins, Implementation and Aftermath, Routledge, p.12
  5. ^ https://en.wikipedia.org/wiki/Why_People_Believe_Weird_Things
  6. ^ 1969年にアーヴィングは、ドイツ人劇作家ロルフ・ホッホヒュース (Rolf Hochhuth) がポーランドのシコルスキ将軍殺害についてウィンストン・チャーチルを糺弾する発言を支持した。この際、デイリー・テレグラフ紙は記者全員にメモを回し、今後はアーヴィングを「歴史家」ではなく「作家」と位置付けるよう指示した。Richard Ingram Irving was the author of his own downfall in The Independent 25 February 2006.
  7. ^ イギリスのニュースメディアにおいてアーヴィングを「修正主義者」とした例。
  8. ^ Michael Shermer and Alex Grobman, Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why do they Say it? University of California Press
  9. ^ Why Did the Heavens Not Darken?: the "Final Solution" in History, (Pantheon Books, 1988).
  10. ^ http://www.holocaustchronicle.org/StaticPages/149.html
  11. ^ 木畑和子 1989, pp. 259.
  12. ^ Sandner (1999): 385 (66 in PDF) Note 2. The author claims the term Aktion T4 was not used by the Nazis but was first used in the trials against the doctors and later included in the historiography.
  13. ^ 佐野誠 1998, pp. 4.
  14. ^ 佐野誠 1998, pp. 6.
  15. ^ 木畑和子 1989, pp. 262.
  16. ^ 佐野誠 1998, pp. 7.
  17. ^ 宮野彬 1968, pp. 131.
  18. ^ 宮野彬 1968, pp. 128-129.
  19. ^ ヒトラーは10月末日にこの命令書に署名している(宮野彬 1968, pp. 128-129)。
  20. ^ 木畑和子 1989, pp. 246.
  21. ^ 木畑和子 1989, pp. 279-280.
  22. ^ a b 『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ』 (フランス語: Le Drame des Juifs européens),1964
  23. ^ http://www.nizkor.org/hweb/orgs/polish/institute-for-forensic-research/
  24. ^ http://www.nizkor.org/hweb/orgs/polish/institute-for-forensic-research/table-seven.html
  25. ^ 例えば歴史見直し研究所のホロコーストに関する疑問リストを参照。
  26. ^ [1] Aaron Breitbart,Breitbard Document
  27. ^ Peter Novick,The Holocaust in American Life,1999
  28. ^ [2]Guidelines for Teaching about the Holocaust,アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館。2013年11月23日閲覧.
  29. ^ 加藤幸実,「ホロコーストの「アメリカ化」という現象千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第232集『帝国・人種・ジェンダーに関する比較研究』栗田禎子編 ,2013
  30. ^ http://www.nizkor.org/features/techniques-of-denial/four-million-02.html
  31. ^ Peter Novick,The Holocaust in American Life,1999
  32. ^ a b c d e f g h i j k l m Germar Rudolf: [3]Lectures on the Holocaust, Theses & Dissertations Press, 2000,5-2 Violence.pp495-499.
  33. ^ 著書『越境』 (Passage de la Ligne),1948
  34. ^ Deborah E. Lipstadt, History on Trial, Harcourt:2005 ISBN 0060593768
  35. ^ Phyllis B Gerstenfeld, Diana R Grant, Crimes of Hate. Sage Press, 2003, p 191
  36. ^ ロサンジェルスに本拠を構える、中立主義的な文献を専門とする出版社ヌーンタイド・プレス (Noontide Press) から刊行。
  37. ^ The Hoax of the Twentieth Century: The Case Against the Presumed Extermination of European Jewry
  38. ^ Deborah Lipstadt, Denying the Holocaust: The Growing Assault on Truth and Memory 1994
  39. ^ Le Havre Presse, March 20, 1978
  40. ^ Richard J. Evans, Lying About Hitler: History, Holocaust, and the David Irving Trial, Basic Books, 2002 ISBN 0465021530.
  41. ^ Journal for Historical Review, 1993, 13, 5, p. 32
  42. ^ Paul Raber, San Francisco Express, January 17, 1992, page 4.
  43. ^ Why Did the Heavens Not Darken?
  44. ^ 『過ぎ去ろうとしない過去』徳永恂,清水多吉,三島憲一他訳,人文書院
  45. ^ 判決ではヴァーラルの著書『本当に600万人も死んだのか?』については論評しなかった。
  46. ^ 邦訳「ホロコーストの真実」上下、恒友出版 (1995)滝川義人
  47. ^ Lipstadt, History on Trial
  48. ^ [4]Holocaust Denial,” The Scribe, Journal of Babylonian Jewry, No 70, October 1998
  49. ^ ギヨームは1960年代にラ・ヴィエイユ・トープ (La Vieille Taupe) という出版社に関わっていた。
  50. ^ Richard Joseph Golsan, Vichy's Afterlife, University of Nevada Press, 2003, p 130
  51. ^ [5]
  52. ^ ここまで. “Holocaust denier Irving is jailed”. BBC News (BBC). (2006年2月20日). http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/2/hi/europe/4733820.stm 2009年6月16日閲覧。 
  53. ^ [6]International Service of the Swiss Broadcasting Corporation,2004.5.7.
  54. ^ Omer Bartov, A Tale of Two Holocausts. Review of The Holocaust Industry, by Norman Finkelstein. New York Times Book Review 6 Aug. 2000
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  57. ^ Abu Mazen: A Political Profile. Zionism and Holocaust Denial by Yael Yehoshua (MEMRI) April 29, 2003
  58. ^ "It seems that the interest of the Zionist movement, however, is to inflate this figure [of Holocaust deaths] so that their gains will be greater. This led them to emphasize this figure [six million] in order to gain the solidarity of international public opinion with Zionism. Many scholars have debated the figure of six million and reached stunning conclusions—fixing the number of Jewish victims at only a few hundred thousand." A Holocaust-Denier as Prime Minister of "Palestine"? by Dr. Rafael Medoff (The David S. Wyman Institute for Holocaust Studies). Abu Mazen and the Holocaust by Tom Gross. PA Holocaust Denial by Itamar Marcus (Palestinian Media Watch). Can Israel survive if it does not defend itself? by Francisco Gil-White (Historical and Investigative Research).
  59. ^ Interview with Mahmoud Abbas by Akiva Eldar, Haaretz. March 30, 2006
  60. ^ ADL on Holocaust Denial, MEMRI
  61. ^ http://www.likud.nl/extr225.html
  62. ^ CNN, Iranian leader: Holocaust a 'myth'
  63. ^ アフマディーネジャードは最近、ロバート・フォーリソン のような有名なホロコースト否認論者たちを招き、「ホロコーストを検証」する会議を開こうとしているといわれている。イスラエル、ヨーロッパ、米国の政府高官は即座にこれを非難。イスラエル政府のある高官はパレスチナ問題に対する「ナチ式の解決」を提案したイラン大統領を非難した。ドイツ連邦議会の6つの政党全てがホロコースト否認論を非難する決議文に署名した。http://www.expatica.com/source/site_article.asp?subchannel_id=52&story_id=26268&name=German+parliament+slams+Ahmadinejad+remarks
  64. ^ Muslim Public Affairs Council
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  68. ^ 『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版)
  69. ^ 『アウシュウィッツ「ガス室」の真実:本当の悲劇は何だったのか?」日新報道
  70. ^ 国家記銘院1998年12月18日議決法第55条
  71. ^ http://conventions.coe.int/Treaty/en/Treaties/Html/189.htm
  72. ^ D D Guttenplan, Should Freedom of Speech Stop at Holocaust Denial?, Index of Free Expression, 2005.
  73. ^ 『エルサレム・ポスト』(2004年7月20日)
  74. ^ 時事通信社2007年1月27日

参考文献[編集]

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関連項目[編集]

関連人物

外部リンク[編集]

ホロコーストの全部または一部を否定しているウェブサイト
ホロコースト否認への批判