ホロコースト否認
ホロコースト否認論(ホロコースト修正主義、ホロコースト見直し論)とは、戦後の通説におけるホロコースト観が描写する出来事、その全てが実際に起きた訳ではないとする指摘である。ホロコースト否認論者は、事実関係の不明確さや疑わしさからホロコーストの規模や計画性を疑問視している。
「ホロコースト否認論」という用語は、現行ホロコースト観を絶対視し一切の修正を認めない立場の人達が用いる単語である。 ホロコーストに関する「通説」に何らかの疑義を表明する者の思想背景や指摘内容は多様である。
ホロコーストを否定することはドイツ、フランス、イスラエルなどでは違法とされ、反ユダヤ主義的思想によって動機付けられたものと断定される。
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[編集] 「否認論」なのか「修正主義」なのか
「否認論」または「否認主義」という用語[1]のような、ホロコーストそのものを全否定している印象を与える言葉を意図的に使用するのが修正拒否派の特徴である。修正拒否派は「修正主義」という用語は故意にミスリードするものだと主張するが[2]。「修正主義」の学者[誰?]からは「ホロコースト否認」という言葉は、ホロコースト全体を否定しているような印象を与え、ホロコーストを部分的に修正しようとしている、「修正論」の実態を表していない、という指摘がある。
これは、「否認論」は自分が予想した仮説を支持する証拠のみを採用し、史実をなおざりにするという印象を与える用語であるのに対して、修正主義は、新しく発見されたより正確でより客観的な情報によって歴史の事実を新しく書き換えていくことを目的とし、それまで受け入れられていた歴史を再び調査・検討しようとする態度を示しうるためである。それまで伝統的に教えられてきた歴史の全てが完全に正確なわけではなく、歴史は適切に修正され続けるべきとする態度という意味では、歴史修正主義は歴史研究のなかで充分に受け入れられている主流的態度である。ホロコースト研究においては、政治的な問題が多く「修正主義」は受け容れられていない。
ホロコースト修正論者は、適切な修正主義的原則のホロコースト史への適用に努めているとし、この視点において「ホロコースト修正主義」という用語が適切であると指摘する。しかし、現状のホロコースト観を絶対視する人々はこれを受け容れず、「ホロコースト否認論」というレッテルを好んで使う。
「ホロコースト否認論」の用語は「戦後のホロコースト観が描写するようなホロコーストは起こっていないとする論説」に用いるのに対して、「ホロコースト修正主義」という用語は、一次史料などからホロコーストの諸側面を考察するのに用いられる通常の史学的態度に使用される。
一部では、「ホロコースト否認論」と「ホロコースト修正主義」という2つの用語の区別をつけるための口論が行われているが、その区別が一般的に受け入れられるには至っていない。2006年2月に独学の歴史家[3]デイヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定を理由にオーストリアで有罪判決を受けた時、イギリスのニュースメディアはアーヴィングに対して「修正主義者」という用語を頻繁に使用した[4]。
[編集] 争点
ホロコースト否認論の論者はドイツが第二次大戦前から大戦中にユダヤ人を差別、迫害したこと自体を全否定している訳ではなく、大きくは、戦後のホローコスト言説(通説)に関する批判を行っている。争点と見解については、論者によって異なり、また、政治的党派も一定ではない。
主要論点は以下の3点である。
- ナチドイツにユダヤ人絶滅を意図した公式の政策の存在を示す文書は確認できない。
- ナチスはユダヤ人を大量殺害するのにガス室を使用していない。
- 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字は誇張であり、実数ははるかに少ない。
主張の詳細を以下に記す。ただし全ての論者が同一の主張をしている訳ではない[5]。
[編集] 「ユダヤ人絶滅政策」に関する争点
- 戦後、連合軍がドイツで押収したドイツ政府公文書の中に、ドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、発見されていない。
- 公文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画があったことが読み取れるものがある。これは、アウシュヴィッツ等の収容所が建設された目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味している。「最終的解決」と言う用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。強制移住計画を人道的にどう判断するかとは別に、「最終的解決」が意味する計画が「絶滅」ではなかったのであれば、戦後の通説は誤っていたことになる。
- 当時のドイツ政府は「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上していなかった。
- ドイツは確かにユダヤ人を差別、迫害したが、その状況の下においても、ユダヤ人を虐待したドイツ人を処罰する場合もあった。この点も「ドイツはユダヤ人を絶滅しようとした」とする戦後の通説が胎む矛盾の1つである。
[編集] ガス室に関する争点
- アウシュヴィッツとマイダネクでは青酸ガスを用いたガス室が使用されたとされている。青酸ガスを用いたガス室は、アメリカ合衆国で、実際に死刑の一手段として使用されてきた歴史がある。ところが、その米国の経験では、青酸ガスを用いたガス室処刑は、処刑法の中で最も高価であり、大量殺人には最も向かない処刑法である。このような方法を「民族絶滅」の手段として選んだとする主張は不合理であるが、戦後の通説となっている。家畜・動物の屠殺処分には、有毒ガスではなく二酸化炭素による酸素欠乏状態が用いられることが多い。
- 青酸ガスの発生法として、米国ではポット法と呼ばれる希塩酸もしくは希硫酸とシアン化カリウムを反応させる方法が採られているが、アウシュヴィッツやマイダネクでは、パルプなどに青酸ガスを吸着させたツィクロンBを投入する方法が採られたとされている。しかし、ツィクロンBからの青酸ガス遊離は時間がかかり、処刑時間が余りにも長時間に及ぶ。また、ガス室の換気にも長時間が必要で、非効率である。このような方法を大量殺人の手段に選んだとする主張は不合理である。
- トレブリンカ、ソビブール、ベウジェーツ、ヘウムノの4収容所では、「ディーゼル・エンジンによって一酸化炭素を発生するガス室」が存在したとされている。しかし、ディーゼル・エンジンは一酸化炭素をほとんど排出しないことが特徴であり、この話は科学的に不合理である。(ディーゼル・エンジンも、不完全燃焼させれば一酸化炭素をある程度排出するが、ガソリン・エンジンを使えば、はるかに多くの一酸化炭素が得られるのに、わざわざディーゼル・エンジンを選択する理由は何もない。)
- アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋の壁などを化学分析した結果、対照(コントロール)として採取された殺虫用ガス室にからは1988年においても高濃度のシアン化合物が検出されたのに対し、「処刑用ガス室」からはほとんど検出されなかった(『ロイヒター・レポート』)。この分析結果は、その後ロイヒター・レポートに批判的な立場から同様の化学分析を追試したポーランドの法医学グループの報告によっても裏付けられている。この分析結果は戦後の通説と矛盾している(ポーランドのグループは分析においてロイヒター・レポートを批判している)
- ソ連軍が押収したドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は発見されていない(焼却炉の図面は多数発見されている)。
- 戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋は、設計図上は病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されていたことが、図面から読み取れる。このことは、これらの設計図を検証したフランスのガス室肯定側研究者プレサック自身が認めている。プレサックは、設計段階と建設後に使用目的が変更されたという解釈を述べているが、それにしては目的に沿わない中途半端な改造であり非合理である。
- ガス室で殺された死体を病理学者もしくは法医学者が、解剖と化学分析によって証明した医学論文・報告は存在しない。一酸化炭素による死体を発見したと主張したソ連の文書があるが、医学的記述ではなく、死体の解剖記録をソ連は提出していない。また、カチンの森事件で、ソ連が虚偽の法医学報告をしていたことを考えると、医学的記述がないこの文書には信用性がない。
- 戦後語られてきたガス室の目撃証言には、相互の矛盾や内容の変遷が多い。収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、ガス室の存在に否定的な証言をした生存者が多数存在し、また自身の証言を後に撤回した証人もいたが、彼等の発言は無視され続けた。
- ガス室及びツィクロンBは当初シラミ駆除のために設計、納品された。
[編集] 死体処理用火葬炉に関する争点
- 大量殺人が実行された場合、それらの死体を処理するには多数の焼却炉が必要となるが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツにもマイダネクにもなく、またそれらの焼却炉に必要とされる燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていた。
- 存在が確認できた火葬炉は大規模焼却を目的とするには規模が小さく数も少ない。火葬炉があった理由は自然死や、囚人の密集していた環境で当然予想される伝染病の蔓延による病死に対応する目的で設置されたものと考えるのが自然である。
- 1944年に米軍の偵察機が撮影したアウシュヴィッツの航空写真には死体焼却の煙も石炭の山も見られない。また大量の石炭を購入した伝票などの証拠も大量の石炭が運び込まれていたとの証言もない。
- 耐熱煉瓦などの入手困難な状況で建設された焼却炉で骨まで灰にすることがでる高温を維持するのは困難である。普通のレンガ作りの窯では肉は焼けても骨は残る。オウム真理教事件で教団は死体を隠すため、死体をマイクロウェーブ焼却炉で焼却した後、焼け残った骨を硫酸で溶かす等している。
- 死体の焼却は肉等の有機物を炭化しその腐敗を防止して衛生環境を守るのが目的であって、死体の消滅が目的ではない。死体の消滅が目的であれば、死体を骨ごとミンチにして家畜の餌等するのが簡単で経済的である。家畜の糞は醗酵させ堆肥として畑に撒けば完璧である。ドイツは養豚業など家畜の飼育が盛んであり肉骨粉などの家畜の餌の引き取り先には困らない。死体の消滅が目的であれば、なぜこの簡単で経済的な方法を採らず費用や燃料の掛かる焼却という方法を採ったか疑問である。
[編集] 死亡数に関する争点
[編集] 600万人説に関する疑義
- 1939年前後の全世界のユダヤ人総数は1600~1700万人、1948年前後では1500~1800万人であるという統計から、ユダヤ人犠牲者が600万人というのは誇張が入っている。ホロコースト前の1940年版の『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac) では、ユダヤ人人口は15,319,359人であり、1948年版『ワールド・アルマナック』では15,713,638人とあり、3年間で1.4~1.8倍の人口増加が発生している。日本における戦後の第一次ベビーブームの時代を経た昭和20年~昭和30年の10年間の人口増加でさえ7200万人から9000万人であり1,25倍である。この数字を見ても3年間で1,4~1,8倍という数字は異常である。従って、たとえ出生率が非常に高かったとしても、600万人ものユダヤ人が死んだことはありえない。仮に600万人が犠牲となったならば第二次世界大戦終結前後のユダヤ人総数は1100万人前後となる。
- 当時のドイツ占領地域にいたユダヤ人の総数が明確になっていない。600万人の犠牲者が出るには相当のユダヤ人が占領地域に存在していなければならないが、1933~1945年までの間に出国奨励策等により最低300万人のユダヤ人がドイツ占領地域外へ移動している。すると600万人の犠牲者が出るためには1933年以前に最低900万人前後のユダヤ人がドイツ占領地域内に存在する必要がある。具体的な資料はないが、ドイツ占領時に占領地域内にいたユダヤ人の数は300万人以下とする情報もある。600万人もの犠牲者を生み出すことが物理的に不可能だった可能性すら存在する。
- 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字には、実際にはロシア、イギリス、パレスチナ、アメリカ合衆国へと移住したユダヤ人が含まれている。
[編集] 連合国のプロパガンダと証拠捏造
- 戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転している。例えば、戦後間もない時期にはダッハウ、ブーヒェンヴァルト、ベルゲン・ベルゼンなどの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われていた。ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われていなかったとされる。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。
- ホロコーストの歴史学的証拠は偽造、あるいは故意に誤って解釈されたものである。戦後に公開された多数の写真や映画フィルムは、連合国軍による反ナチスプロパガンダとして特別に捏造されたものである。例えば、戦後になってドイツ人に見せられたホロコースト犠牲者を撮影したとされるフィルムは実際のところ連合軍によるドレスデン爆撃の後に処理されているドイツの民間人であった。我々が目にする写真は飢餓やチフスの犠牲者を写したものである。
- アウシュヴィッツ第一死体焼却棟の1945年の写真には、現在そこにある煙突が当時存在していなかったことが見てとれる。煙突は戦後建てられた。このように、現地の「物証」は戦後変更されている。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館は、戦後長い間、第一アウシュヴィッツの処刑用ガス室とされる第一死体焼却棟を当時のままのものと主張していた。しかし、さまざまな不合理を指摘されると、戦後再建されたものであったことを認め、説明を変更している。同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている。
- 連合国は、戦後の戦犯裁判に際して多くのドイツ人に拷問を加えて自白を得ており、こうした自白には信憑性がない。
- ナチスによるホロコーストに関する主張には、パレスチナにユダヤ人の母国を建設することを可能にする連合国の意向を促進する意図があり、この主張は現在はイスラエル国家の政策、特にパレスチナ人を扱う政策に対する支持を獲得することに利用されている。事実、1970年代に中東戦争が発生して以来、ホロコースト論が語られるようになった。ユダヤ人を犠牲者、ドイツ人を悪魔のように扱うアングロサクソン、あるいはユダヤ人の陰謀がある。また、ドイツについての狂気じみた話を広めることでポーランドやチェコスロヴァキアといった関係国を脅してソ連による支配を受け入れさせることはソ連の利益になる。イスラエルに投入された資金の量とドイツからの賠償金だけでもイスラエルがこの陰謀を続けようとするだけの強力な誘因になる。だが、その陰謀の存在を証明する具体的な証拠は一切存在しない。
[編集] その他
- ほとんどの学者や歴史家はホロコーストが虚構であると認める勇気がない。もし堂々とそのような話をすれば職を失う恐れがあるし、アメリカやドイツでは現実に解任された教授や経営者、解雇されたキャスターや記者などが多く存在する。
- ソ連のグラグで殺された反体制派やキリスト教徒の数に比べればホロコーストは小規模である。
[編集] ホロコースト否認論の歴史
[編集] 初期
ホロコーストを否定する主張は戦後間もなくから始まっており、1960年代には、通説的なホロコーストに対する異議の表明が公に現れ始めた。
- フランスの歴史家ポール・ラシニエ (Paul Rassinier) は1948年、著書『越境』で「ホロコースト生存者」の証言に疑義を呈した[6]。1964年には『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ』でガス室を始めとする戦後の通説に疑義を投じた[7]。ラシニエは社会主義者、非暴力主義者で、ドイツ占領下のフランスでレジスタンスに身を投じ、ユダヤ人をスイスに脱出させる活動などを行なっていた。そのために自らがゲシュタポに捕えられてブーヘンヴァルト強制収容所 とドーラ収容所に収容された。戦後、レジスタンス活動によりフランス政府から最高位の勲章を受けている。自身が犠牲者であったラシニエがホロコーストを否認していることもあり、修正主義者たちはラシニエをシオニスト、連合国、ソ連の巨大な陰謀によってホロコーストが捏造されたということを告発した最初の否認論者として「ホロコースト修正主義の父」と呼び、現在も彼の著作をホロコーストに関する通説に異議を申し立てた学術的な研究として引用している。ラシニエへの批判としては、ブーヘンヴァルトは絶滅収容所ではなかったので、ガス殺人を目撃しなかったという彼の主張は意外ではないとするもの、また、ラシニエは旧来説支持者を納得させるだけの証拠を挙げておらず、自己の指摘と矛盾する情報を無視している点などがある。なお、シオニストの為のホロコーストの捏造というテーマは他の歴史家によっても取り上げられている[8]。
- ラシニエと同時期に、ルーマニア系ユダヤ人であるブルグ(Burg)も、戦後語られ出した「ガス室」などによるユダヤ人大量殺戮の主張に疑問を抱き、収容所を自ら調査するなどしている。
- 米国・コロンビア大学の歴史家ハリー・エルマー・バーンズ (Harry Elmer Barnes) は晩年ホロコースト否認の姿勢をとるようになった。バーンズは立場的には主流派に属する歴史家であり、歴史修正主義運動の初期の指導者の一人である。戦間期には反戦的な著述家で、第二次世界大戦が終わると、ドイツと日本への批判は米国の参戦を正当化するための戦時プロパガンダに過ぎず、その正体が暴かれる必要があると考えた。バーンズは晩年の著作でホロコーストを戦時プロパガンダに含まれるとした。大半の著名人はバーンズの業績を評価しつつも、そのホロコースト否認論は受け付けなかったが、同様に反戦的歴史修正主義の立場をとってきた著述家の幾人かはバーンズに倣ってホロコースト否認の姿勢を示した。ジェームス・マーティン (James J. Martin) はその1人である[9]。現在のホロコースト否認論者は、彼らの参考文献にバーンズの著作を用いることがある。
- アメリカ人の歴史家デイヴィド・ホガン (David Hoggan) は1961年発表の主に第二次世界大戦の原因を論じた『強制された戦争』 (Der Erzwungene Krieg)、1969年には、ホロコーストを否認する最初の本の一つである『600万人の神話』を執筆した[10]。ホガンは一流大学教授の経歴もあり、ホロコースト否認論運動初期の中心的人物の1人となった。
[編集] 1970年代
1970年代にホロコースト否認運動は大きな盛り上がりを見せる。
- ドイツでは、ホロコーストに疑問を投げ掛ける議論が戦後厳しく規制されたため、当時の関係者を含めた多くのドイツ人は戦後永く沈黙していた。しかし、1974年にアウシュヴィッツ周辺のモノヴィッツで天然ゴムに代わる素材の開発に従事していた元親衛隊員のティエス・クリストファーセン (Thies Christophersen) が回想録『アウシュヴィッツの嘘』を出版し反響を巻き起こした。それによれば、確かにドイツのユダヤ人政策には批判されるべきであるが、戦後のアウシュヴィッツ像はあまりにも誇張されたもので、少なくともクリストファーセンがアウシュヴィッツ周辺で勤務していた当時、収容されていたユダヤ人ら被収容者は虐待されていなかった。戦争末期は別として、大戦中前半はアウシュヴィッツにおけるユダヤ人の待遇は決して戦後語られているようなものではなく、例えば食事を初めとする待遇は劣悪ではなかったという。また、被収容者のための売春宿があったことや、当時アウシュヴィッツに勤務していた同僚のドイツ人の中には、ユダヤ人と友情を結んで戦後も文通を続けた者などもいた事実を挙げて、戦後のアウシュヴィッツ像は虚偽であると主張している。更には、クリストファーセン自身が、ビルケナウ収容所における衛生状態の劣化に懸念を抱いて、ユダヤ人の処遇を改善するよう上司に提案したことがあったことや、ユダヤ人の中にはドイツよりもソ連を恐れる者がいて、ソ連に対するドイツの勝利を期待していたユダヤ人がいたことなどをも述べている。
- 1976年にアーサー・バッツ (Arthur Butz, 1933 - ) 著『20世紀の法螺:ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅説に対する異議申し立て』 (The Hoax of the Twentieth Century: The Case Against the Presumed Extermination of European Jewry)、1977年にデイヴィッド・アーヴィング著『ヒトラーの戦争』 (Hitler's War) が刊行された。これらの著述はホロコーストに対する疑義として現在も重要視されている[11]。
- 1978年にはフランスのソルボンヌ大学で文書鑑定を専門としていたロベール・フォーリソン (Robert Faurisson) がフランスの『ル・モンド』紙に「ガス室」の存在に疑問を投じる記事を発表し「フォーリソン事件」 (Faurisson affair) が起きた。フォーリソンは「ガス室」を欺瞞 (fraud) と呼び、「この欺瞞の犠牲者は、(ドイツの)支配者たちを除くドイツ人と、全てのパレスチナ人だ」と述べ、この問題がパレスチナ問題と密接に関係することを指摘している。フォーリソンはその後、ホロコースト否認論の中心的な歴史家となり、マルコポーロ事件後には日本の見直し論者である西岡昌紀と木村愛二に助言を与えるなどしている。1989年にホロコースト肯定派から襲撃され、重傷を負った。
- 1979年、大戦中ドイツ空軍部隊将校として自らアウシュヴィッツを短期間訪れた経験を持つ西ドイツ(当時)の判事ヴィルヘルム・シュテークリッヒ (Wilhelm Stäglich) は、裁判官の視点からニュルンベルク裁判をはじめとする戦後の「戦犯」裁判を徹底的に再検証し、ホロコーストを検証する『アウシュヴィッツの神話』(The Auschwitz Myth - Legend or Reality)を刊行したが、1980年にはシュトゥットガルト裁判所の命令によりドイツ国内で頒布禁止とされ、発売されたその日に書店から回収されたと伝えられている。
[編集] 歴史見直し研究所 (IHR)
1978年、米国でウィリス・カート (Willis Carto) によって歴史見直し研究所 (IHR) が創設された。これは「ホロコーストの俗説」に公に異議を唱えることをもっぱらとする組織であり、英語圏における見直し論の広がりにおいて中心的な役割を果たしている。IHRは科学的な歴史修正主義を標榜するために、ネオナチの背景を持たないジェイムズ・マーティン (James J. Martin) やサミュエル・エドワード・コンキン三世 (en:Samuel Edward Konkin III) のような支持者を歓迎し、またラシニエやバーンズの著作を販売している。ホロコースト肯定者はIHRの支持者のほとんどはネオナチや反ユダヤ主義者であり、主流的歴史家による本を販売したりしてはいるが、実際に出版配布されている資料の圧倒的多数はホロコーストを巡る事実に疑問を呈することを専らとしている団体であると攻撃している。[12]。
IHRは「我々の組織はホロコーストを否認しない」と表明しており、IHRの定期刊行物には次のように書かれている。
数多くのユダヤ人が強制収容所やゲットーに追放された事実、あるいは多くのユダヤ人が第二次世界大戦で殺害された事実については論争は存在しない。修正主義の学者達は証拠を提出している。この証拠はヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅するというドイツの計画は存在しなかったこと、600万のユダヤ人が戦時中に死んだとする推定が当てにならない誇張であることが示されている。この証拠に対して「絶滅派の連中」(exterminationists) は反駁することができずにいる。ホロコースト、すなわち約600万というユダヤ人が皆殺しにされた (そのほとんどがガスによる) と伝えられていることは悪い冗談であり、これはキリスト教徒や、教養があり誠実で正直な人ならどこの人にも悪い冗談と見なされるべきことである。[13]
旧来説支持派は、IHRがホロコースト否認論者ではないと表明することにより人々をミスリードする意図があると攻撃している。[14]
「歴史見直し研究所」は「殺人を目的としたガス室がアウシュヴィッツに存在したという(検証可能な)証拠」に対して50,000米ドルの賞金を公に提示した。アウシュヴィッツの生存者メル・メーメルスティーン(Mel Mermelstein)は証拠を提出しても賞金を支払わない「歴史見直し研究所」を相手に個人的苦痛に対する損害賠償訴訟を起こし、40,000米ドルを受け取った。裁判所は、ホロコーストの過程で発生したことの有無については法的に争う事柄ではないと宣告した。
IHRはユダヤ主義者から暴力による襲撃を繰り返し受けている。特に1984年7月4日にはシオニストグループによって放火され多くの資料が焼失した。見直し論者側はこれを焚書に等しい行為であると糾弾している。
[編集] キーグストラ事件
1984年、カナダの高校教師であったジェームズ・キーグストラ (James Keegstra) は授業で資料の一部としてホロコーストに関する戦後の通説に疑問を呈する教材を使用し反ユダヤ主義的主張をしたとして告発され、有罪宣告を受け、解雇された。
[編集] ブラッドリー・スミスとCODOH
1987年、ブラッドリー・スミス (Bradley R. Smith) により「ホロコーストに関する公開討論委員会」 (略称CODOH) が創立された。CODOHは、ホロコーストが戦後の通説にあるそのままの形で行われたのか否かを問題とする新聞広告をアメリカ合衆国内の大学学生新聞を中心に打つ試みを繰り返している。掲載の諾否は新聞によって異なるが、編集長がどちらの判断を下しても、ほとんどの新聞は表現の自由を理由として、あるいは反ユダヤ主義的な言論は慎むべきであるという理由で、自らの判断を擁護する論説を掲載している。この広告キャンペーンによって、1990年代初期に多くの学生新聞にCODOHの広告が掲載され、全国的な議論を巻き起こし、ニューヨーク・タイムズのような大新聞でもその社説の題材とされたが、2000年以降は、ユダヤ人広告主の批判を受けた事もあって、少数の例外を除き大半の学生新聞が広告を拒否するようになった。
[編集] ツンデル裁判とロイヒター・レポート
元カナダ居住者のエルンスト・ツンデル (Ernst Zündel) はサミスダット・パブリッシング (Samisdat Publishing) という小さな出版社を運営していた。この出版社は、リチャード・ヴァーラル (Richard Verrall、本名リチャード・ハーウッド) の著書『本当に600万人も死んだのか?』 (Did Six Million Really Die?) といったホロコースト否認に関する書物を出版していた。1985年、ツンデルは「ホロコーストを否定する書物を配布、出版した」として「虚偽の報道」罪で裁判にかけられ、オンタリオ州地方裁判所によって有罪宣告、15箇月の禁固刑を言い渡された。この事件は大きく注目され、多くの活動家が表現の自由を訴えて、ツンデルの表現の権利を擁護しようと介入し、1992年にカナダ最高裁判所が「虚偽の報道」法は憲法違反だと宣言し、彼の有罪判決は覆された[15]。
この裁判において、1988年にツンデルが弁護側証拠として米国のフレッド・ロイヒター(en:Fred A. Leuchter)に依頼して作成した「ロイヒター・レポート」は、一般にガス室とされている建造物では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であると結論づけている。裁判でロイヒターが証言をしたものの、彼が工学修士ではなく哲学修士であること、ビルケナウのガス室に関する資料を十分に読むことなくレポートを書いていることを指摘され「専門家による証言」とはみなされなかった。
その後、ツンデルは自分のウェブサイトを立ち上げて自身の主張を宣伝した。このウェブサイトに対する告訴に対して、2002年1月、カナダ人権裁判所はカナダ人権法に違反しているとの判決を下した。2003年2月、アメリカ合衆国移民帰化局はテネシー州において移民法違反の容疑でツンデルを別件逮捕し、数日後カナダに身柄を送還した。そこでツンデルは難民認定を受けようとしたが、ツンデルは2005年1月まで拘留され、その後ドイツに追放された。[16]
[編集] アーノ・メイヤー
プリンストン大学教授で、左翼と見なされていた歴史家アーノ・メイヤーは、祖父が収容所で命を落としたユダヤ人である。1980年代末に『天はなぜ曇らなかったのか?』 [17] において、(1)ドイツははじめからユダヤ人を絶滅する計画ではなかったと考えられる、(2)アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは故意の殺害ではなく、病死や飢餓の犠牲者であった等の考察を述べている。メイヤーのこうした問題提起は、ニューズ・ウィークでも大きく取り上げられ、日本のマルコポーロ事件の記事は、このユダヤ人歴史家メイヤーの見解に興味を持った論者が書いた記事であった。
[編集] ルドルフ・レポート
1993年には、当時マックス・プランク研究所で化学博士課程にあったゲルマー・ルドルフのルドルフ・レポートがロイヒター・レポートと同様の結論を提示した。批判としてはインターネット上で発表された Richard J. Green のものがあるが、内容は政治的な面についてのもので、化学の学位を持つ者による学術的反論はあまりない。レポート内でルドルフは「化学を用いてもホロコーストの存在を科学的に立証することはできない」と、化学的な論争を回避している。ゲルマーは採取したサンプルの分析依頼のためにマックス・プランク研究所の名前を使用したため、批判を恐れた同研究所が解雇している。
[編集] デイヴィッド・アーヴィングとリプスタット裁判
デイヴィッド・アーヴィングは1977年に『ヒトラーの戦争』を発表し、その著書がベストセラーとなったことから、ホロコースト否認論の代表的な論客と見なされている。1998年、アーヴィングはアメリカ人作家のデボラ・リプスタット (Deborah Lipstadt) がその著書『ホロコーストの否認』 の中で自身に対する名誉毀損を行ったとして、彼女と出版社のペンギン・ブックスに対して訴訟を起こしたが、裁判所はリプスタット支持の判決を下した。 [18]。
オーストリアでは敗戦国としての政策によりホロコースト否認は犯罪であり、アーヴィングが1989年に行った演説を理由に逮捕状が出されていた。アーヴィングは逮捕状が出たのを知っており、オーストリアへの入国は禁止されていたが、2005年、オーストリアへ行くことを選択し、逮捕された。裁判の罪状認否の際においてアーヴィングは、ホロコーストを否認した容疑について認めた。オーストリア内務省の決定で、アーヴィングは国外退去処分とされた。
[編集] フランスにおける否認主義の広がり
フランスではホロコーストの否認は1990年代に否認主義 (négationnisme) として顕著になってきたが、この動きは遅くとも1960年代にはピエール・ギヨーム (Pierre Guillaume) などのフランス左翼政治家の中に存在していた[19]。1990年代には、フランス共産党の理論的指導者であったフランスの左翼系哲学者ロジェ・ガロディ(Roger Garaudy)が、「ガス室」をはじめとする従来の「ホロコースト」言説に疑義を提出し、イスラエルが政治的にこの言説を利用してきたと論じた。
近年、フランスでは左派右派を問わず、否認論が広く展開している。その主張はホロコーストを越えて広がり、戦後それを最大限に利用してきたイスラエル批判にも繋がっている。この中には「ユダヤ人資本家」への批判、聖書にあるカナン人虐殺への指摘、シオニズムに対する批判などが含まれる[20]。
[編集] インターネット上の論争
1990年代半ば以降、インターネットが大衆化するにつれてホロコースト否認論者やその他のグループを含む多くの組織が新たに国際的な登場をしてきた。
[編集] ヴァルザー論争
1998年、作家のマルティン・ヴァルザーがフランクフルト書籍見本市の平和賞受賞講演で、ホロコーストがドイツ人に対して「道徳的棍棒」として使われていると述べて元ドイツ・ユダヤ人中央評議会議長イグナツ・ブービスとの間に「ヴァルザー論争」が起こった[21]。
[編集] 「ホロコースト産業」論
近年、ユダヤ人指導者がホロコーストを利用して金銭的または政治的な利益を得ているため、「ホロコースト産業」 (Holocaust industry) や「ショアー・ビジネス」 (Shoah business) という用語が流行している。
1996年、スイスの主要銀行に対し、ホロコースト犠牲者のものとされる休眠口座に眠る預金の返還を求めるユダヤ人の集団訴訟が起こされた。ドラミュラ大統領兼経済相はこれを「ゆすり・たかり」と非難したが、イスラエルやアメリカの圧力を受け謝罪を余儀なくされる。1998年、休眠口座の調査は続行中だったが、銀行側が今後支払い要求に応じないことを条件に12億5千万ドルを支払うことで政治決着した。
2001年10月13日、英紙タイムズはスイスの独立請求審判所による調査の結果を報じ、それによれば休眠口座の総額は6千万ドル程度に過ぎず、ほとんどは少額で、処理した10,000 件近い請求のうち確認できた口座は200件だった。
ユダヤ人政治学者ノーマン・フィンケルスタインは、2002年、このようなユダヤ人団体の行動をホロコーストを利用して利益を得るものとして批判する『ホロコースト産業』を著した。フィンケルスタインは、ホロコースト生存者の息子であり、ホロコーストついては戦後の通説をなぞる立場に立つが、ユダヤ人団体からホロコースト否定論者とされ非難を浴びた[22]。フィンケルスタインの研究はノーム・チョムスキーやラウル・ヒルバーグら一部の識者を除き、主流的ユダヤ人団体の大部分や多くのユダヤ人学者たちからは拒絶されている[23]。
2001年2月にドイツのシュピーゲル誌が発表した世論調査結果によると「ユダヤ人団体は、自身が利益を得るために、独に対し過度の補償要求をしていると思うか」との設問に対し、ドイツ人の15%がそうだと答え、50%が部分的にせよそうだ、と回答している。また2003年12月に行われたイギリスのガーディアン誌の世論調査では「ユダヤ人は自分たちの利益のためにナチス時代の過去を利用し、ドイツから金を取ろうとしているか」という質問に全体の1/4が「そう思う」と返答し、1/3が「部分的だが真実」との認識を示すなど「ホロコースト産業」論も現在のドイツにおいて広く受け入れられている。
[編集] イスラム世界において
イスラム教国家においては、ホロコーストに対するユダヤ人への同情論が、結果的にシオニズムの容認とパレスチナからのパレスチナ人追放へと繋がったとする反発から、ホロコースト否認論が近年台頭してきている。中東では、パレスチナの政治グループだけでなくシリアやイランの政府の人間がホロコースト否認を表明しており[24]、2005年にはイランのアフマディーネジャード大統領が「ホロコーストは無かった」などとホロコーストを否定する発言を行って非難を受けた。
ホロコースト否認論はイスラム世界では比較的新しい動きである。名誉毀損防止同盟 (ADL) の副理事ケネス・ジェイコブソン (Kenneth Jacobson) はハーレツ (Haaretz) 紙のインタヴューに応えて次のように述べている。
西側の学者によるホロコースト否認論を適用することはイスラム世界において比較的新しい現象である。彼らの姿勢は、ホロコーストが起こったことは真実だが、パレスチナ人がその代償を負担するべきではないという極めて当然のものである。
ファタハの協同設立者の1人でパレスチナ解放機構の指導者の一人であるマフムード・アッバースはモスクワ東洋大学で1982年に歴史学の博士号を取得したが、その学位論文は『ナチスとシオニスト運動の指導者との秘密の関係』と題するものであった[25][26]。なお、ソ連は1960年代からナチスとシオニスト指導部との秘密の結び付き (en:Zionology) を主張し、それを押し進めてきていた。彼がその博士論文を基に1983年に書いた『もう一つの顔: ナチスとシオニスト運動との秘密の関係』 [27])では次のように述べられている。
しかしシオニスト運動の関心事は (ホロコーストの死者) を誇張し、それによって利益を拡大することにあるようだ。これは彼らが国際的世論とシオニズムとの連帯を勝ち得るために (600万という) この数字を強調させる動機になっている。多くの学者がこれまでに600万という数字について議論し、ユダヤ人の犠牲者数を数十万人に修正するという驚くべき結論に達した。[28]
アッバースはまた、2006年3月にハーレツ紙のインタヴューでこう述べている。
私はホロコーストについて詳細に書いており、数字について議論するつもりはないと言っている。私は歴史家の議論を引用したのであって、そこではさまざまな数の犠牲者が言及されていた。ある者は1200万人と書き、ある者は80万人と書いていた。私にはその数字について論争しようとは思っていない。ホロコーストはユダヤ民族にとって恐ろしくかつ許すことのできない犯罪であり、人間には受け入れることの出来ない類の人道に対する罪である。ホロコーストは恐ろしいことであって、私がそれを否認したなどとは誰にも言わせない。[29]
ホロコーストの修正は、現在、様々なアラブ人指導者によって恒常的に宣伝され、それが中東全域の各種メディアを通じて広まっている[30]。2002年8月にはアラブ連盟のシンクタンクで、アラブ首長国連邦副首相のスールタン・ビン・ザーイェド・アル・ナハーヤン (Sultan Bin Zayed Al Nahayan) が議長を務めるザーイェド協同追求センター (Zayed Center for Coordination and Follow-up) がアブダビでホロコースト修正シンポジウムを開催した[31]。ハマースの指導者たちもまたホロコースト修正を宣伝している。
[編集] アフマディーネジャード
2005年12月の演説で、イランの大統領マフムード・アフマディーネジャードはホロコーストがイスラエルを守るために広められた「おとぎ話」だと述べ、国際的非難の新しい波を誘った。「彼らはユダヤ人の虐殺の名の下に伝説を捏造し、神よりも、宗教よりも、預言者たちよりも高い位置にそれを捧げ持っている」と述べ、またユダヤ人を迫害したのはドイツやオーストリアとして、迫害の責任を負うのはイスラエルの国家のために土地を手放しているパレスチナ人ではなくドイツやオーストリアであり、イスラエルはこれらの国々だに移転するべきだと主張した。さらにイスラエルのユダヤ人をアメリカ合衆国に移住させることを提案している[32]。
2006年4月24日には、「究極の真実を明らかにするために」ホロコーストの真の規模を独立の立場から再び査定することを求めた[33]。米国ではイスラム教徒公共問題協議会en:Muslim Public Affairs Councilがアフマディーネジャードの発言を非難した[34]。同年12月にはテヘランで、ホロコーストの存在に否定的・懐疑的な立場を取る著名人・識者を集めたホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議が開かれた。
一方、ハマースの政治指導者であるハーレド・マシャール (Khaled Mashal) はアフマディーネジャードの発言を「勇敢だ」と評価し、「イスラム教徒はイランを支持するだろう。それはイランが彼らの想い、特にパレスチナの人々の想いを言葉にしてくれるからだ」と述べた[35]。
[編集] 日本
- 政治的には護憲派であり、左翼とみなされてきたジャーナリストの木村愛二が、1994年、月刊誌『噂の真相』に「シンドラーのリストが訴えたホロコースト神話への大疑惑」と題した記事を寄稿した[36]。1995年には著書『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版)を発表した。
- 木村の問題提起に触発された本多勝一は、一時的にではあるがホロコースト見直し論に関心を抱き、当時、本多が編集長を務めていた『週刊金曜日』に木村による連載を企画した。
- 1995年、当時厚生省職員であった医師の西岡昌紀が「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を『マルコポーロ』誌に掲載したことが国際的非難を呼び、最終的に『マルコポーロ』紙は廃刊となった(マルコポーロ事件)。記事の中で西岡は「ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害した事は明白」として当時のドイツのユダヤ人政策を支持する立場ではないことを明確にした上で、ドイツは確かにユダヤ人を迫害したが「絶滅」までは計画しておらず、収容所でユダヤ人が大量死した原因は発疹チフスなどによるもので、アウシュヴィッツ等の収容所に処刑のためのガス室は存在しなかった、連合国はそれら病死したユダヤ人の死体の映像をガス室の犠牲者であったかのように発表・宣伝した、等の考察を発表した。なお同記事は、数回のシリーズの第一回として書かれた記事であった。木村愛二は『アウシュヴィッツの争点』などで『マルコポーロ』の記事がイスラエル建国とホロコーストの関係に全く言及していない点を批判している。西岡自身は、パソコン通信上の発言と1997年の著書『アウシュウィッツ「ガス室」の真実:本当の悲劇は何だったのか?」[37]において、細部の記述には誤りがあったと自ら認めつつ、ホロコースト否認の立場を維持している。
- 1994年、筑紫哲也がTBSのNEWS23のテレビコラム「多事争論」においてホロコースト否認に対する言論規制の問題に触れ、ドイツにおける言論規制強化を「他山の石」と呼んで、一定の共感を表明した。
- 木村愛二は『アウシュヴィッツの争点』(1995年)の中で言論規制の動きに警鐘を鳴らし、西岡昌紀も『アウシュウィッツ「ガス室」の真実』(1997年)の中で、ホロコースト否認論者に対する言論規制の動きを「ファシズムと呼ぶべきもの」と呼んで批判した。
- 江川紹子はマルコポーロ事件の直後、マルコポーロの西岡の記事を支持しないと明言した上で、サイモン・ウィーゼンタール・センターが文藝春秋に対して行なった広告ボイコットの手法を「民主主義の枠を超えている」と述べて非難している[38]。
- 月刊誌『噂の真相』は、マルコポーロ事件後文春で行われたセミナーを批判する記事において、この問題を巡る言論弾圧の空気を批判している。
- ジャーナリストの長岡義幸などもこうした言論規制の動きを批判している。
- ジャーナリストの田中宇は、歴史上の事実関係については見解を述べない形で、イスラエルと中東戦争を巡る国際関係から総括した「ホロコーストをめぐる戦い」(2005年12月20日)を自らのメールマガジンで発表している。
[編集] ホロコースト否認論への批判
ホロコースト否認論に対しては、イスラエルやユダヤ人社会からは強い批判が寄せられている。また著名な欧米人や欧米の学者の多くが肯定しない旨の発言をしている。2007年の国連総会本会議は、ホロコーストを「歴史的事実」と認め、虐殺を否定する言動を非難する決議案が米国に主導されて提出され、全会一致で採択された。なおイラン代表による批判があり、同代表が虐殺自体を否定することはできるはずとして、採決に参加しなかった。
「修正主義」という用語を用いずとも、主流派の歴史家たちもホロコーストの諸側面に関する見解を研究し修正する作業を続けている。しかし令名が高い歴史家でホロコーストの基本的な規模や大要について異議を唱えた者はいないと主張する。
[編集] 証明責任に関する主張
- ある命題や弁証を支持するためには、主張者は証拠を提示しなくてはならない[39]。例えば、噂は通常正当な証拠として認められないが、目撃者は証拠と認められる場合がある。他からの受け売りの話は証拠として認められないが、申し立てられた問題を証明する公式で日付があり書名のある文書は証拠として認められる。証拠が提示されると、主張者の申し立ては一個の問題として扱われ、証拠は精査される。主張者には証明責任が生じる。主張者の対話の相手が主張者の証拠に疑問を呈したならば、対話者は自分自身の主張をしなくてはならない。例えば、これやあれやの証拠は偽物であるという主張である。こうなると証明責任は対話者の方に移ることになり、証拠基準は元の主張が立てられたのと同一程度となる(証明責任の転換)。主張者の証拠は一見自明なものとして、証拠としての価値能力においていかなる力をも持つことになる。対話者は、主張者に異議を唱えるためにさらなる証拠を要求して、それによって作られるような懐疑的推量や仮想の可能性に答えるというやり方はできない。もしこれが通れば、主張者の証明責任は不合理な水準に押し上げられてしまう。
ホロコーストのケースに上記のことを適用すると、生存者、目撃者、歴史家は全体として主張者と見なすことができる。生存者、目撃者、歴史家によって提出された証拠は圧倒的な量ではあるが、規模や細部に関して或いは信憑性に欠け、或いは反対証拠により否定される。
- 否認論者の主張する「事実」や「証拠」に関しては、裁判の場で提出された証拠も含めて数多くのものが提出されている。しかし、独立した調査によって、これらの主張は欠陥のある調査、偏向した証言、さらには意図的に捏造された証拠に基づいている。
- 異なる事実の合成によって誤った結論へ導される。頻繁に使われるのは、殺傷力を持つチクロンBという殺虫剤が大量に保管されていた事実とナチスがユダヤ人に対して加虐的だった等の組み合わせである。言い訳としては非常に薄いガス室の扉の写真であるがこの写真は実際のガス室の扉であっても、シラミ駆除のためのガス室に使われたものと推測されている、というものがある。このような言説は殺害に適した造りのガス室が実際にあったという心証を与えるが、全てはシラミ駆除のためのガス室であった事が明らかになっている。
[編集] ホロコーストの証拠
ホロコーストの存在は官僚的だったドイツ政府及びドイツ軍自身によって詳細に文書化されている。ホロコーストは何カ国もの間で長年にわたって指揮統括組織によって行われた一大事業であり、証拠となる書類を大量に後に残している。ナチスドイツは敗色が濃厚となるとホロコーストの証拠を消し去ろうと試みたが、重要な証拠資料は残されたままだった。戦争の終盤、ナチス・ドイツの戦力は非常に急速に崩壊したため、ドイツ国内で証拠を消滅させる試みはほとんど不成功に終わった。ナチスの敗北の後、何トンもの文書が見つかり、各地の強制収容所の近くに掘られ多数の死体が投げ入れられた穴からは何千もの死体が完全には腐敗しない状態のまま発見された。そういった物的証拠や文書による証拠の中には、殺されたユダヤ人の数に関する多数のナチスの報告書、収容所へユダヤ人を搬送した列車の記録、何トンものシアン化合物やその他の整理された毒物、写真、フィルム、破壊されずに残った収容所の構造物そのものが含まれている。(しかしそのいずれの証拠も規模と計画性という点に関して証明するものではない)
[編集] ヘフレ電報
ルブリンの親衛隊大隊指揮官ヘルマン・ヘフレ (Hermann Höfle) が1943年1月11日にベルリンの親衛隊上級大隊指揮官アドルフ・アイヒマンに宛てて送った「ヘフレ電報」(en:Höfle Telegram) では、ラインハルト作戦 の最初の年である1942年にルブリン(マイダネク)、ベウジェツ 、ソビブル、トレブリンカの4箇所の強制収容所で合計1,274,166人が死亡したことを報告した、ことになっている。この電報はビンラディンの所有するポルノビデオが洩れなく発見されたように、2000年にイギリスのキュー(Kew)にある第二次世界大戦の資料を保管していると主張する公文書庫で発見された。電報にある数字は、親衛隊統計官のリヒャルト・コルヘア(Richard Korherr)博士が1943年1月18日に親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーによって下されたと言われている命令により作成されたとされている、同年3月に発表したと主張されているコルヘア報告(Korherr Report)の内容と合致する。コルヘア報告では、事実であるかどうかは別の問題であるが、控えめな数字として総勢2,454,000人のユダヤ人の大半が収容所に追放され、極一部が特別行動部隊によって殺害されたことを報告している。
特別行動部隊という非公式かつ隠匿された部隊の状態を完全に把握した報告書は、アメリカ陸軍がゲシュタポの文書保管所を捜索した際に発見されたと主張しているが、戦争犯罪裁判などで証言した元特別行動部隊隊員は苛烈な拷問を受けていた。だが、その拷問がホロコーストを捏造する目的で行われたという具体的な証拠は存在しない。
右に示された写真は特別行動部隊Aによって実行されたユダヤ人処刑を表す地図とされているもので、特別行動部隊の隊長によって1941年12月に作成されたと主張されている報告書にあったものである。「秘密帝国問題」と題されたこの地図は、バルト海沿岸地域で処理した可能性もあるユダヤ人の数を現しており、下部には「いまだ我々の手元にいるユダヤ人の推定数は128,000」と書いてある。これが事実であるならば、特別行動部隊の報告書中これは突出して大規模な報告である。
ホロコーストはドイツやドイツの占領地域に進攻した連合軍や第二次世界大戦の終わりまでドイツに追従していた枢軸軍によっても数十件目撃されている。提出された証拠の中には、連合軍が収容所に踏み込んだ時に解放された囚人達や付近の住人(その中には収容所内で労働する者もいた)の証言の他に、収容所の存在を示したフィルムやスチル写真も存在している。
ホロコーストを生き延びた、何千という人々による反対証言もまた存在するにもかかわらず、彼等の証言は無視され続けている。例えばヘスの証言は署名された自白調書だけで構成されているのではない。ヘスの2部にわたる回想録や、ニュルンベルク裁判以外の場でも広範囲にわたる証言などもある。ヘスの証言はペリー・ブロード (de:Pery Broad) のような元アウシュヴィッツ職員による書面による説明とも矛盾していない。(しかしブロードは戦勝国及びイスラエルのいう虐殺がもっとも多く起きた時期には既にアウシュヴィッツから離任しており、当該時期の担当者ティエス・クリストファーセンは健康であったにもかかわらず、証言する直前に急死している。だがクリストーファーセンがヘスの供述に反論したようなことはなくむしろヘスと同様のことを認めていた。)
[編集] 「ユダヤ人絶滅政策」の不在
- ホロコースト否認論者は、アドルフ・ヒトラーによって書かれたり署名されたりした命令書、すなわちドイツやポーランドのユダヤ人を殺害する特別命令が存在しないことを挙げている。現在までそのような総統命令は発見されていない。
- しかし、ヒトラーがホロコーストを知っていたということを立証するためには総統命令は必要不可欠なものではない、ヴァンゼー会議に付随した書類、特別行動部隊の報告書、その他の一次資料はナチス指導部上層の大半が中央集権化されたホロコースト計画を理解していたことを圧倒的に証明している。
- しかしそのどれもが殺害という字句を使用していない。ヴァンゼー会議の状況においても、ナチス政権上層部のホロコーストに帰着するような殺害命令は存在していない。反修正主義者は、ホロコーストが中央で計画されたということと、ホロコーストの計画と実行におけるナチス指導部の役割は、我々にとってまったく疑いの対象ではないと主張するが、彼等にとってもっとも強力な説得材料は文献や記録、証拠の提示ではなく経済的、政治的、肉体的圧力である。
- ホロコースト否認論を批判する人々は、ナチスの文書には彼らの行動を扱う時には「殺害」や「死」といった明確な用語を用いているものはほとんどない点に関し、ナチスの人間はほぼ常に「ユダヤ人の絶滅」でなく「ユダヤ人問題の最終的解決」といった暗示的な言い回しを使って話したり書いたりしていたと主張するが、実際問題殺害や絶滅を謀った事を窺える史料が決定的に欠けている。ヒトラーの遺言書にはヒトラー自身がヨーロッパ中部からユダヤ人を殺し尽したとの記述がはっきりと見て取れると主張する者もいるが、その様な文言が明記されていないにもかかわらず何故断定できるのか謎である。
- ヨーロッパのユダヤ人を殺害する意図に関してヒトラーの発言の中で最も多く引用されるものは、彼が1939年1月30日にドイツ帝国議会で行った演説であるが、後にも先にその1度きりである。
右に掲げられた写真はヒムラーからヒトラーへ送られたナチス・ドイツ占領下のポーランドで行われた囚人処刑に関する報告書で、この書類はホロコーストで行われた大量虐殺行為に対してヒトラーの共謀と是認があったことの証拠としてニュルンベルク裁判の際に提出された。南ロシア地方、ウクライナ地方、ビャウィストク地方にて、無法者の共犯者と容疑者として、4ヶ月の間にユダヤ人だけで36万3211人が殺害されていると主張するが、当該地域はユダヤ人の反乱を恐れたスターリンが強制移住地域であり、記録に残るだけでも100万人以上のユダヤ人がソ連東部へ強制移住させられているのである。
[編集] ガス室否定
ホロコースト否認論者は、民間人を虐殺するために建設されたというガス室は決して存在せず、ガス室とされている構造物は他の目的に使用されたものであると指摘する。またガス室の多くは戦後にわざわざ公に見せるために建設されたものでポーランド政府もこの事を認めている。この主張を強めるものとしてしばしば引き合いに出されるのがロイヒター・レポートである。それによると、1988年にアウシュヴィッツのガス室で採取された標本を検査したところシアン化合物が一切検出されず、感染症対策の為に使われたシラミ駆除室からはシアン化合物が検出されている。しかし、1988年にシアン化合物が検出されなかったのだから、それから40数年前もアウシュヴィッツではシアン化合物は一切使用されなかったのだという議論には問題があると反修正主義者は主張する。
- 1990年2月にクラクフ法医学研究所所長のヤン・マルキェヴィチ(Jan Markiewicz)と彼の調査チームは、「マイクロディフュージョン法」を用いて、アウシュヴィッツ内にある殺人用ガス室だと疑われる部屋、シラミ駆除用ガス室、管理棟のそれぞれから採取した標本中のシアン化合物の解析を再度行った[41]。照査標本では陰性の結果が出たが、シラミ駆除用ガス室からは多量の殺人用とされるガス室から極微量のシアン化合物の残留物が検出された。(反修正主義者は「検出されたシアン化合物の量は標本によって大きな違いがあった。」と曖昧な表現を多用する)[42]
あるいは「ビルケナウのガス室や火葬炉とされている場所では、そのような大きさの建物の残骸に相当する充分な量の瓦礫が存在しない」という指摘があるが、解放後に地元のポーランド人農民が戻ってきて、冬になる前に家を再建するための材料を必要としていたため、再利用できるレンガを残骸から大量に持ち去り、廃物を利用した人々が使えるレンガを探したときに投げ捨てた大量の廃棄物が火葬炉の場所の近くに残っている、などという解説もある。
[編集] 灰
ホロコースト否認論者が頻繁に疑問を呈している指摘は、死体の焼却施設に関する事柄と死体が焼却された後の灰についてである[43]。しかし、1体の死体を焼却した時に生成される灰は靴箱1つを一杯にする位であり、その処理は難しいことではない。ある程度の量の灰が近くの川や沼地に積まれていたことはアウシュヴィッツの航空写真が示している。またその他の灰は近くの畑で肥料として使われたという書類証拠が存在する、またトレブリンカの写真は収容所長によって撮影されているが、灰が掘削機で一面にまく場面が写っている。
[編集] 死亡数の誇張
「600万人」という数字については、しばしば死者は100万人だけだ、あるいは「戦時死傷者」は30万人だけだという風に、より少なく主張されることがある。
- 死者数についての論争でしばしば引用されるものの1つにアーロン・ブレイトバート(Aaron Breitbart)による「ブレイトバード文書」(Breitbard Document)がある[44]。この文書によれば、アウシュヴィッツにある「1940年から1945年の期間にナチの殺人者の手によって400万の人々がここで苦しみ亡くなった」と記されている記念碑が、1990年に「その多数はヨーロッパのさまざまな国から連れてこられたユダヤ人であった150万の男性、女性、子供たちがこの地で人知れず殺された。」と替えられている。この数字の更新により、殺されたユダヤ人の数は少なくとも実際より250万は少ないはず、またホロコーストの犠牲者数が誇張されている、という当然の指摘がなされた。
- しかし、サイモン・ウィーゼンタール・センターの主張に従えば、犠牲者の数が以前の石碑の場合と比べて少なく表されるようになったのは、ソヴィエト連邦が「アウシュヴィッツ=ビルケナウでの死者数を意図的に誇張していた」からである。この石碑はソヴィエト連邦当局によって据えられたもので,冷戦が終結するに伴い数字が書き換えられた。またソ連によって示された400万という数字には、約200万人の非ユダヤ人が含まれていた。そもそも西側諸国の歴史家たちはこの400万という数字をユダヤ人犠牲者の数を計算するのに用いてきておらず、アウシュヴィッツで殺害された人々の推定数は60万から150万の間を推移している[45]。
『ワールド・アルマナック』によれば1938年のユダヤ人人口は1660万人であり、『ニューヨーク・タイムズ』の一九四八年二月二二日号によると当年のユダヤ人人口は最小で1500万人、最大で1800万人となっている。つまり最大で160万人の減少しかありえないのである。
戦争前後のユダヤ人人口は情報源によって大きく数字が異なるが、反修正主義者たちはその中で自分たちの主張に合致する数字を選択的に採用しており、またその情報源が十分信頼できるものであるかの評価を避けている。例えば、『ワールド・アルマナック』の示す世界のユダヤ人人口は1982年版では14,318,000人、1990年版では18,169,000人、1996年版では13,451,000人となっている。すなわち、1982年から1990年の間に370万人のユダヤ人が増加し、逆に1990年から1996年の間に450万人のユダヤ人が消失したのか、それとも『ワールド・アルマナック』が世界のユダヤ人人口を正確に見積る目的においては特に信頼できる情報源ではないか、のどちらかである。
他方、アメリカユダヤ人年鑑では1932年版の年鑑で世界のユダヤ人人口を15,192,218人、その内9,418,248人がヨーロッパに居住しているとしている。1947年版の年鑑では以下のように記述されている
世界のユダヤ人人口の見積はアメリカユダヤ人統一送金委員会 (The American Jewish Joint Distribution Committee) によって整理された。この数字は、アメリカ合衆国とカナダは除いた数字であるため、1946年の約11,000,000人にまで減少したのがアメリカ及びカナダのユダヤ人口を除いた分なのかヨーロッパでの死者分なのか不明である。当時の北米ユダヤ人口は500万人弱である
収容所での死者数を誇張している複数の例が報告されていることは事実であり、反修正主義者も年々死亡者数と死亡地域の変更を余儀なくされている。
[編集] ホロコースト否認を禁じる法律
ホロコースト否認は次の10カ国で違法である。フランス (Loi Gayssot) 、ベルギー (Belgian Negationism Law) 、スイス (刑法261条bis ) 、ドイツ、オーストリア (article 3h Verbotsgesetz 1947) 、ルーマニア、スロヴァキア、チェコ、リトアニア、ポーランド [46] 。イスラエルでも違法。カナダやイギリスでは、ホロコースト否認を禁止する法律はないが、名誉毀損や民族間の憎しみの助長を禁止する法律がある。
ドイツ・オーストリア・フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されているが、人種差別禁止法を名目に「ホロコースト否定」を取り締まる国もある。国際人権規約批准国では、B規約20条2項「国民的、人種的または宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」を根拠とする以外に、基本的人権たる表現の自由を制限することが難しい。このため、ホロコースト修正主義者は人種差別の罪で告発されることが多い。
1994年からドイツでは「ホロコースト否定」が刑法で禁じられており、違反者は民衆扇動罪(第130条)で処罰される。オーストリアにも同様の法律がある。なお「民主主義に敵対する言論や結社の自由は認めない」という理念は極右と極左の双方に向けられており、旧西ドイツの最高裁判所は1956年にドイツ共産党に対し解散命令を下した。これはドイツが第二次大戦の教訓から「自由の敵には自由を与えない」とする、いわゆる「戦う民主主義」を採ったためであるが、同時に国家による「言論弾圧」に対する「嫌悪感」を生み出すとの立場もある。
2003年のヨーロッパ委員会による「サイバー犯罪に関する協約への追加議定書」[47]は、コンピュータシステムを通じて行われる人種差別的で外国人排斥的な行為の犯罪化に関する協約で、第6条に「大量虐殺や人道に対する犯罪の否認、著しい矮小化、是認、正当化」が上げられているが、まだ法律化されていない段階にある。
ホロコースト否認を禁止している国々のうち半分 (オーストリア、チェコ、ドイツ、ルーマニア、スロヴァキア) はホロコーストの加害者である。これらの国の多くのでは、ナチの象徴などナチズムに関連する他の要素も禁止している。加えて、ホロコースト否認を特別に禁止している国々では、ヘイトスピーチを禁じるなど、公的な場での発言を制限する法体系が存在していることが指摘されている。グッテンプラン (D. Guttenplan) によると、これは「米国やイギリス、元イギリス植民地のような判例法 (Common law) の国々と、大陸ヨーロッパの大陸法 (Civil law) の国々との違いである。大陸法の国々では法律は一般により規範的である。また、大陸法の体制下では、裁判官はより多く尋問者として振舞い、証拠を分析するほかに証拠を集めたり提示したりする。」[48]
2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。 『エルサレム・ポスト』によれば、ホロコースト犠牲者は100万人に満たないという内容の博士論文を書いたことがあるパレスチナ解放機構の事務局長アッバース(前首相)を標的として極右政党国民連合が提出した法案であった[49]。
だが、こうした法律では否認論を押しとどめ切れていないのも実情である。というのは、ホロコースト否認論は欧州圏外、とくにアメリカ合衆国において顕著な高まりを見せているためである。それが、インターネットの普及の著しい米国や日本から、隔絶できないネット情報によって逆輸入されている。米国では、民間の人権擁護団体が経済力によってホロコースト否認論の出版物やインターネットサイトをなくそうとしているが、そのたびに類似のインターネットサイトが乱立し、逆にそれが話題性を作ってしまいホロコースト否認論を広めてしまっているところがある。
[編集] 脚注
- ^ Negationism is the denial of historic crimes. The word is derived from the French term Le négationnisme, which refers to Holocaust denial.
- ^ Omer Bartov, The Holocaust: Origins, Implementation and Aftermath, Routledge, p.12
- ^ イギリスのニュースメディアにおいてアーヴィングを「修正主義者」とした例。
- Kate Connolly Irving held in Austria for denying Holocaust in The Daily Telegraph November 18 2005
- Tony Paterson Austria considers Holocaust denial charge for Irving in The Independent, November 18 2005
- Staff and agencies David Irving jailed for Holocaust denial in The Guardian February 20, 2006
- By Times Online and agencies Bankrupt, disgraced and now jailed: Irving sinks to new low in Times Online, February 20, 2006
- Kate Murphy Irving tests Europe's free speech on the BBC website February 20 2006.
- ^ Michael Shermer and Alex Grobman, Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why do they Say it? University of California Press
- ^ 著書『越境』 (Passage de la Ligne)
- ^ 『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ』 (フランス語: Le Drame des Juifs européens)
- ^ Deborah E. Lipstadt, History on Trial, Harcourt:2005 ISBN 0060593768
- ^ Phyllis B Gerstenfeld, Diana R Grant, Crimes of Hate. Sage Press, 2003, p 191
- ^ これはロサンジェルスに本拠を構える、中立主義的な文献を専門とする小さな出版社であるヌーンタイド・プレス (Noontide Press) から刊行された。
- ^ Deborah Lipstadt, Denying the Holocaust: The Growing Assault on Truth and Memory 1994
- ^ Richard J. Evans, Lying About Hitler: History, Holocaust, and the David Irving Trial, Basic Books, 2002 ISBN 0465021530.
- ^ Journal for Historical Review, 1993, 13, 5, p. 32
- ^ Paul Raber, San Francisco Express, January 17, 1992, page 4.
- ^ ヴァーラルの『本当に600万人も死んだのか?』については、コメントを避けた。
- ^ ドイツの法律でも、ツンデルは訴追される可能性もある。
- ^ Why Did the Heavens Not Darken?
- ^ Lipstadt, History on Trial
- ^ ギヨームは1960年代にラ・ヴィエイユ・トープ (La Vieille Taupe) という出版社に関わっていた。
- ^ Richard Joseph Golsan, Vichy's Afterlife, University of Nevada Press, 2003, p 130
- ^ [1]
- ^ なお『ホロコースト産業』は「ホロコーストを利用して利益を得るユダヤ人団体」を批判するものであり、ホロコースト否定論を唱えている訳ではない。しかし、彼の言葉はホロコースト否認論者たちによっても取り上げられているため、フィンケルスタインは自分の研究が不当に利用されていると考えている。
- ^ See, for example, Omer Bartov, A Tale of Two Holocausts. Review of The Holocaust Industry, by Norman Finkelstein. New York Times Book Review 6 Aug. 2000
- ^ Jewish Virtual Library, MEMRI, ICT.
- ^ Was Abu Mazen a Holocaust Denier? By Brynn Malone (History News Network)
- ^ Abu Mazen: A Political Profile. Zionism and Holocaust Denial by Yael Yehoshua (MEMRI) April 29, 2003
- ^ The Other Face: The Secret Connection Between the Nazis and the Zionist Movement
- ^ "It seems that the interest of the Zionist movement, however, is to inflate this figure [of Holocaust deaths] so that their gains will be greater. This led them to emphasize this figure [six million] in order to gain the solidarity of international public opinion with Zionism. Many scholars have debated the figure of six million and reached stunning conclusions—fixing the number of Jewish victims at only a few hundred thousand." A Holocaust-Denier as Prime Minister of "Palestine"? by Dr. Rafael Medoff (The David S. Wyman Institute for Holocaust Studies). Abu Mazen and the Holocaust by Tom Gross. PA Holocaust Denial by Itamar Marcus (Palestinian Media Watch). Can Israel survive if it does not defend itself? by Francisco Gil-White (Historical and Investigative Research).
- ^ Interview with Mahmoud Abbas by Akiva Eldar, Haaretz. March 30, 2006
- ^ ADL on Holocaust Denial, MEMRI
- ^ http://www.likud.nl/extr225.html
- ^ CNN, Iranian leader: Holocaust a 'myth'
- ^ アフマディーネジャードは最近、ロバート・フォーリソン (Robert Faurisson) のような有名なホロコースト否認論者たちを招き、「ホロコーストを検証」する会議を開こうとしているといわれている。イスラエル、ヨーロッパ、米国の政府高官は即座にこれを非難。イスラエル政府のある高官はパレスチナ問題に対する「ナチ式の解決」を提案したイラン大統領を非難した。ドイツ連邦議会の6つの政党全てがホロコースト否認論を非難する決議文に署名した。http://www.expatica.com/source/site_article.asp?subchannel_id=52&story_id=26268&name=German+parliament+slams+Ahmadinejad+remarks
- ^ Muslim Public Affairs Council
- ^ Al Jazeera, "Hamas springs to Iran's defence"
- ^ 同誌1994年9月号
- ^ 日新報道
- ^ 月刊『創』(1995年4月号)
- ^ 。証拠の価値やそれが支持する結果はその本質による。
- ^ http://www.holocaustchronicle.org/StaticPages/149.html
- ^ http://www.nizkor.org/hweb/orgs/polish/institute-for-forensic-research/
- ^ http://www.nizkor.org/hweb/orgs/polish/institute-for-forensic-research/table-seven.html
- ^ 例えば歴史見直し研究所のホロコーストに関する疑問リストを参照。
- ^ http://motlc.wiesenthal.com/site/pp.asp?c=gvKVLcMVIuG&b=901829
- ^ http://www.nizkor.org/features/techniques-of-denial/four-million-02.html
- ^ 国家記銘院1998年12月18日議決法第55条
- ^ http://conventions.coe.int/Treaty/en/Treaties/Html/189.htm
- ^ D D Guttenplan, Should Freedom of Speech Stop at Holocaust Denial?, Index of Free Expression, 2005.
- ^ 『エルサレム・ポスト』(2004年7月20日)
[編集] 参考文献
[編集] ホロコースト否認論者について
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[編集] ホロコースト否認論者ごと
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- 西岡昌紀『アウシュウィッツ「ガス室」の真実:本当の悲劇は何だったのか?』(日新報道・1997年))
- ロジェ・ガロディー著・木村愛二訳『偽イスラエル政治神話』(れんが書房新社)
[編集] 関連項目
- 否認主義
- 偽史
- ポーランドにおけるホロコースト
- アーサー・バッツ (en:Arthur Butz)
- ボビー・フィッシャー
- ユルゲン・グラフ (en:Jürgen Graf)
- リチャード・ハーウッド (en:Richard E. Harwood)
- マイケル・ホフマン2世 (en:Michael Hoffman II)
- ユーリ・リナ (en:Jüri Lina)
- ティート・マディソン (en:Tiit Madisson)
- ハッサン・ナスララ
- ゲルマー・ルドルフ
- en:Wendy Campbell
- en:François Duprat
- en:Robert Faurisson
- en:Hutton Gibson
- en:Nick Griffin
- en:James Keegstra
- en:Fred A. Leuchter
- en:Norman Lowell
- en:Carl O. Nordling
- en:Roeland Raes
- en:Paul Rassinier
- en:Ahmed Rami (writer)
- en:Gerald Fredrick Töben
- en:Mohammed Mahdi Akef
- en:Richard Williamson
- en:Mark Weber
- en:Ernst Zündel
- リチャード・コシミズ
[編集] 外部リンク
[編集] ホロコーストの全部または一部を否定しているウェブサイト
- Institute for Historical Review (歴史見直し研究所) ホロコーストを否認する代表的な組織 (英語)
- CODOH:ブラッドリー・スミスのホロコーストに関する公開討論委員会 (英語)
- デイヴィッド・アーヴィング、David Irving's Action Report (英語)
- エルンスト・ツンデル、The Zundelsite (英語)
- カルロス・ホィットロック・ポーター、Website of Carlos Whitlock Porter (英語)
- マイケル・ホフマン2世、第二次世界大戦FAQト (英語)
- 歴史的修正主義研究会(日本語)
[編集] ホロコースト否認に関する報告と批判
- ニツコー・プロジェクト — ホロコースト否認に対する返答 (英語)
- The Holocaust History Project — ホロコーストとその否認に関する書類や論文 (英語)
- ユダヤ人に対する「矯正手段」としてのガス処理 (英語、ドイツ語)
- Holocaust Denial: An Online Guide to Exposing and Combating Anti-Semitic Propaganda 名誉毀損防止同盟出版 (英語)
- Open Directory Project: Holocaust Denial: Opposing Views (英語)
- "No Planes and No Gas Chambers" ホロコースト否認論者たちはいかにして嘘を押し通し、9.11真実運動 (en:9/11 Truth Movement) に対する破壊工作をしているか (英語)
- The Jerusalem Post reporting on Rabbi Yisroel Dovid Weiss visit to Iran, supporting their denial of the Holocaust. (英語)
- Holocaust Denial Versus 9/11 Truth 9.11に関する公式説明に対する疑問を呈する研究者たちの信用を傷つける目的でのホロコースト否認の利用 (英語)
- History on Trial:デボラ・リプシュタットのブログ (英語)
- How To Be A Revisionist Scholar — もとは1996年 (英語) 1月3日に alt.revisionismに投稿されたもので、ホロコースト否認論者たちのさまざまな主張をちゃかしている (英語)
- Holocaust Denial: A Global Survey - 2004 アレックス・グロブマン (Alex Grobman) とラファエル・メドフ (Rafael Medoff) The David S. Wyman Institute for Holocaust Studiesにおけるアレックス・グロブマン (Alex Grobman) とラファエル・メドフ (Rafael Medoff) の論文 (英語) 。 2003 Surveyでも読むことが可能。
- A New Form of Holocaust Denial (英語)
- Palestinian Holocaust Denial at ICT. 2000年4月22日 (英語)
- PA Holocaust Denial イタマール・マルクス (Itamar Marcus) により著述および編集されたもの (英語) 。 他にPalestinian Media WatchにおけるHolocaust Denial. TV Archives。
- アメリカホロコースト記念館 (英語)
- ホロコーストの歴史、英国放送教会(BBC) (英語)
- 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち――歴史修正主義の論理と病理――」「上智大学仏語・仏文学論集」2000年3月。(国立情報学研究所)
[編集] ホロコースト否定論者たちに利用された議論の方法に関する風刺 (英語)
[編集] ホロコースト生存者による証言 (音声 - 英語)
- Audio Testimony of Dr. Walter Ziffer, Recorded April 11, 2004 2004年4月11日現在ノース・カロライナ州のアッシュヴィル (Asheville) に住んでいるウォルター・ジファー (Walter Ziffer) 教授による討論。収容所での生活とホロコースト修正主義思想について。