ドイツ社会主義帝国党

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ドイツの旗 ドイツの政党
ドイツ社会主義国家党
Sozialistische Reichspartei Deutschlands
成立年月日 1949年
解散年月日 1952年
解散理由 連邦憲法裁判所による禁止
後継政党 ドイツライヒ党ドイツ語版英語版
政治的思想・立場 ナチズム第三の位置
親ソ反米
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解散命令を受け取る社会主義国家党の首脳(1952年)
中央の人物がオットー・エルンスト・レーマー

ドイツ社会主義帝国党ドイツ語:Sozialistische Reichspartei Deutschlands)は、第二次世界大戦後の1949年に結成された西ドイツ政党。ドイツ社会主義ライヒ党、ドイツ社会主義国家党とも。指導部にドイツ国防軍の元少将オットー・エルンスト・レーマーや民族主義系の作家フリッツ・ドールス(de:Fritz Dorls)がいた。

SRDは、戦後に建国されたドイツ連邦共和国(西独)は米国の傀儡政権であり、正統政府はアドルフ・ヒトラーの死後、カール・デーニッツが率いたフレンスブルク政府であると主張した。

またSRDは、ホロコースト否定論を展開し、アメリカが戦後にダッハウ強制収容所にガスオーブンを作ってホロコーストを捏造したとしている。復興したドイツ国資本主義共産主義に対する「第三勢力」によって導かれるとした。

反米や親ソの見解を持っていたのでソ連はSRDに資金を提供していた。そのためSRDは決して公然とソ連の非難をすることはなかった。ドイツ共産党とも協力関係にあり、1952年連邦憲法裁判所によって、ともに活動禁止を命ぜられた[1]。レーマーは、「もしもソ連がドイツを侵略するならば、自分達を交通警察官と位置づけ、ライン川への行き方をロシア人に教える」「ロシア人ができるだけ早くドイツを通過できるように、手を広げる」とまで述べた[2]

SRDはかつての「突撃隊」を思わせる準軍事的組織「ライヒ戦線」(Reichsfront)を持ち、およそ1万人のメンバーを抱え、ニーダーザクセンの議会選挙で16議席を、ブレーメンでは8議席を獲得していた。

参照[編集]

  1. ^ "Encyclopedia of modern worldwide extremists and extremist groups", Stephen E. Atkins. Greenwood Publishing Group, 2004. ISBN 0-313-32485-9, ISBN 978-0-313-32485-7. p. 273-274
  2. ^ Martin A. Lee, The Beast Reawakens (Warner Books, 1998)

外部リンク[編集]