ヴワディスワフ・シコルスキ

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ヴワディスワフ・シコルスキ

ヴワディスワフ・エウゲニウシュ・シコルスキ(Władysław Eugeniusz Sikorski、1881年5月20日 - 1943年7月4日)は、ポーランドの政治家、軍人。ポーランド・ソビエト戦争時の「ヴィスワ川の奇跡」の立役者。戦前と第二次世界大戦中の亡命政権で首相を務める。

ソ連を撃退し世界中に名を馳せた名将でありながら、いっぽうで一貫した民主主義者かつ社会的な自由主義者で、あらゆる急進主義に反対した。ピウスツキとも対立し、他の穏健主義者と共にモルジュ戦線を立ち上げ、ポーランドの民主主義と穏健主義の伝統を守ろうと奔走した。また、第二次世界大戦中にロンドンで元ベルギー首相パウル・ヴァン・ゼーラントに協働を呼びかけ、欧州統合運動、すなわち後に欧州連合(EU)として結実した全ヨーロッパ政治運動の発端を作った人物である。

1943年7月4日ジブラルタルにて謎の航空機事故により逝去。この事故を巡ってはスターリンヒトラーによる陰謀であるとの説が後を絶たない。ヨーロッパの自由と民主主義のために戦い続けた名将・大政治家シコルスキの早すぎる死は、少なくともポーランド、あるいは全てのヨーロッパにとって多大なる損失であった。

来歴[編集]

サンドミェシュ市近郊のトゥシュフ・ナロドヴィ(pl:Tuszów Narodowy)出身。1910年、オーストリア=ハンガリー帝国領内でポーランド人武装連盟「銃兵隊」を創設。1914年からガリツィア民族委員会委員、1916年からのその軍事部長。オーストリア=ハンガリー帝国の庇護下でのポーランド再建に賛成していた。

1918年、ポーランド軍に入隊。ポーランド・ソビエト戦争時、第5軍を指揮。1920年8月14日、第5軍はワルシャワの北にあるモドリンから出撃し、一日あたり30キロ以上の迅速な機動を行い、赤軍の攻撃を足止めし、赤軍を最終的に退却に追い込んだ。後に第3軍を指揮。

1921年、ポーランド軍参謀総長。1922年、首相兼軍事相、1924年、軍事相。1925年、軍管区司令官。ユゼフ・ピウスツキクーデター後、1928年に罷免され、フランスに亡命。亡命先では穏健主義者の政治運動組織モルジュ戦線を設立した。

1939年~1943年、ロンドンポーランド亡命政府の首相、軍事相、ポーランド軍最高司令官。1941年7月30日、ソ連のとの外交関係修復条約に署名。ジブラルタルでの航空機事故で死亡。

先代:
ポーランド亡命政府首相
ヴワディスワフ・シコルスキ:1939年~1943年
次代:
スタニスワフ・ミコワイチク:1943年~1944年