有害コミック騒動
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有害コミック騒動(ゆうがいこみっくそうどう)とは、日本において戦後延々と繰り返されてきた漫画と児童の保護者らの闘争の中で、悪書追放運動とならんで大規模な運動に発展した数度目のものである。
[編集] 経緯
- 1989年連続幼女誘拐殺人事件が発生、犯人がマンガ、アニメのファンであったことから、このようなものが人間に悪影響を及ぼすという風潮が高まる。これが全ての始まりである。事件から16年後に当時取材した記者の暴露により、犯人の部屋に数十冊あった男性向け雑誌から猥褻な雑誌を一番上にして撮影するという意図的なヤラセがあったと判明している。これは、2005年11月21日に、当時この事件の取材をしていた木村透が、読売ウイークリーのブログにて偏向報道があったことを告白したもの。但し、当該エントリーはすぐに削除された(関連記事)。削除されたエントリーでは、部屋の隅に数十冊あった雑誌の大半は20代男性なら誰でも読むような本だったのに、ある民放カメラマンがワザワザ猥褻な雑誌を一番上に乗せかえて撮影するという意図的な行為があったと告白した。また、大量のビデオテープの中でも、いかがわしいビデオは少数で、幼女関連のビデオは5787本中44本で全体の1%に満たず、大半は「男どアホウ甲子園」や「ドカベン」など普通のアニメや、ウルトラマンなどの特撮モノの録画テープだったという。
- 1990年、前述の風潮の煽りを受け、朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えるという旨の社説を載せる。まだ事件の余波も残っていた時期でもあり和歌山で「コミック本から子どもを守る会」が結成され、署名運動を展開。これに各地のPTAや「~親の会」が賛同、対象年齢が小学生と低めだった週刊少年ジャンプを特に非難した。「北斗の拳」、「ドラゴンボール」などが暴力表現が過ぎるとして槍玉に挙がった。黒人差別をなくす会による手塚治虫批判も同時期である。80年代半ばから展開された性的描写の含む漫画への批判がこの運動に合流、出版社側は出版問題懇話会を設置し性的描写の自主規制に乗り出す。
- 1991年東京都議会が「有害図書類の規制に関する決議」を採択、青少年保護育成条例の強化に乗り出す。国会議員では、自民党の麻生太郎を会長に「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」が結成され、業界関係者を招致。自主規制の現状について説明させた。これに対して民間側では、出版社のみならず、フェミニスト、子どもの人権確立の活動家など、幅広い会員から構成される「『有害』コミック問題を考える会」が集会を開催。なお、後に同会は「マンガ防衛同盟」と改称後、2001年には「発展的解消」を遂げており、その活動は「NGO-AMI」へと継承されている。
- 1992年、マンガ家、編集者、書店主らにより、「コミック表現の自由を守る会」が結成された。代表は石ノ森章太郎であった。
- この騒動以降、出版側の自主規制としてゾーニングマークが付けられたり、過激な表現に対し規制を敷く事になった。しかし、ゾーニングされたことによって、逆に騒動以前より修正が少なくなっているコミックや雑誌も多々ある。

