複雑性PTSD

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複雑性PTSD(ふくざつせいピーティエスディ、Complex post-traumatic stress disorderC-PTSD)とは児童性的虐待など長期反復的トラウマ体験による心的外傷後ストレス障害である。DESNOSDisorder of Extreme Stress not otherwise specified)とも呼ばれる。

概説[編集]

複合的な心的外傷後ストレス障害 (C-PTSD) は、暴行、性的虐待家庭内暴力拷問及び戦争のような長期の対人関係の外傷に起因する臨床上で認識された病気である。PTSDはC-PTSDに比べ慢性的な安全の感覚、信用、自尊心などの損失、再被害傾向などが起こらない。C-PTSDは、DSM-Vの考慮の下にある。C-PTSDは感情的なこと、そして対人関係の機能の多くの領域における慢性的な困難が特色である。

その症状としては感情調整の障害、解離症状、身体愁訴、無力感、恥、絶望、希望のなさ、永久に傷を受けたという感じ、自己破壊的および衝動的行動、これまで持ち続けてきた信念の喪失、敵意、社会的引きこもり、常に脅迫され続けているという感じ、他者との関係の障害、その人の以前の人格状態からの変化などが含まれる。

そのため、DSM-IVに載っている戦争や事故、レイプなどによるものは単純性PTSDと通称し、それに対し家庭内での虐待体験など複雑な体験によるものは複雑性PTSDと呼ぶことを治療者は提唱した(DSM-IV-TRでは一症状として取り上げられた)[1]。もしくはこれを指してDESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)と呼ぶことを提唱している研究者もいる。その研究者としてはジュディス・ハーマンやvan der Kolkなどが知られている。

しばしば外傷にさらされた子供及び介護人は、心的外傷後ストレス障害のいくらかの特徴的な徴候に苦しむ。子供は悪夢及び外傷後の経験によって外傷を再び経験するかもしれない。また、もしくはその行動からの回避を示す。しばしば外傷にさらされた子供は、発達の混乱、素行問題、愛着関係の問題に苦しみ、そして児童養護施設や障害性の学校で育つ。

Judith Hermanは著書『心的外傷と回復』において「過覚醒」「侵入」「狭窄」というPTSDの3つのステージを述べている。「過覚醒」は絶えず危険を予知するための極度の不安、「侵入」はフラッシュバックや悪夢による過去の体験の再体験、「狭窄」は変化した意識状態や麻痺状態などの無力状態を指す[2]

一方、van der Kolkによると、PTSDは「過剰な反応性」と「表面上の無感覚」の二様相からなり、刺激に対する過記憶や過剰反応、トラウマの再体験と同時に、心理的麻痺、回避、健忘、無快感症(アンヘドニア)が並存するという[3]。これらの結果として脳の変化が起こり自律神経システムは崩壊し、認知的・行動的変化の原因となったり、その促進材料になったりする[3]

Burgessは、子供時代のトラウマによる一種の記憶への刷り込みを「Trauma Learning」と名づけ、PTSDにおける記憶の特徴を再演(回想、断片化、フラッシュバック、強烈な感覚的経験)、反復(再被害化、攻撃者や被害者への同一化)、置き換え(トラウマの加工、異常な性幻想、異常性愛、精神病様反応)の3つに分類した。また、PTSD発症が遅延している状態として、回避(性行動回避、鎮静系の薬物依存、身体化、抑うつ反応)、攻撃(危険な行動、反社会的行為、刺激系の薬物依存、性行動過多)の二つを挙げた[4]

PTSDとの違い[編集]

現在トラウマによる後遺症全般がPTSDという言葉で流通している[要出典]。ところが、性的虐待後遺症は愛着の持ち方、人格形成など広範な影響が認められ、精神障害の診断と統計の手引き (DSM-IV) に載っていたPTSDとは明らかに異なることが明らかとなり問題となった。PTSDパラダイムとして問題化されたのは、以下の点である。

  • 現在の場合、何年も経った場合PTSDではないとされるが、実際には何年も経ってからでも起こりうる。外傷的事件とトラウマ反応との直線線的因果関係は、事故災害など一度限りの事象を捕らえることには適しているのだが、現実の性的虐待においては複数の外傷的事件が重なって起こるため、きれいな因果律は描けないのである。事件の影響でドミノ的に別の事件を呼んでしまったり、二次的被害が起こったり、フロイトの言うところの「事後性」(後付の解釈)により外傷的な作用が作り出されたり、些細な事により過去の事件がフラッシュバックで再演したりしてPTSDが発症したりするのである。
  • レイプなどの事件がさほど重視されない傾向があるが実際にはそんなことはない。この原因は外傷的事件の事例を「生命や身体の保全に関わる危機」や「恐怖・無力感・戦慄」に限っているため、モラル意識や社会的タブーの意識の侵犯、喪失や屈辱などの暴力、被差別体験やマインドコントロールが、軽視され、罪悪感や裏切り、存在否定など主観的経験が二次的なものとしてしか扱われないところにある。
  • PTSDに属さなければトラウマでないと誤解されがちであるが、実際には欝、不安、パニック、解離、嗜癖、自傷行為摂食障害などはよく起こるもので、現在のPTSD概念はそれらの症状に対し、複数の病名を付けることを医師に余儀なくさせている。免疫力の低下が起こり、身体疾患に罹患しやすくなることもある。また、トラウマが固定化しパーソナリティ障害の形をとることもある。また、アルコール依存薬物依存もPTSDの過覚醒状態における自己投薬とも言われ、ヒステリーや身体化障害、疼痛や不定愁訴などの症状も認められる。

また、境界性パーソナリティ障害の患者の多くがインセストの体験者であるというデータもあり、実際には内因性ではなく外傷性の事件によって引き起こされた境界性パーソナリティ障害の患者が非常に多いのではという推測もある。Stone (1981) によると境界性パーソナリティ障害患者の75%が近親姦の体験者であるとされている[5]。このため因果関係があるのではと主張する論者もいるが、愛着関係に障害があったために性的虐待のターゲットにされてしまった可能性を否定できないため、これに関してはさらなる研究が必要である。

トラウマの反応としては、概して境界性パーソナリティ障害自己愛性パーソナリティ障害反社会性パーソナリティ障害妄想性パーソナリティ障害解離性障害、転換性障害、身体表現性障害摂食障害アルコール依存薬物依存強迫性障害非行犯罪、性的逸脱とされているもの原因にはそれらの外傷的事件が関与している場合がある。もちろん内因性の場合もあるが、それは外傷性の事例を否定することにはならない。例えば白血病は内因性のものも放射線によるものも存在する。すなわち原因が全く異なっていても全く同じ症状が現れることがあるので、それらはいずれの可能性も考える必要がある。

外傷的解離[編集]

複雑性PTSDの主症状は解離である。解離現象は現在、それまでのジークムント・フロイト (1900) の抑圧の理論に変わって重視されている。解離は抑圧の理論を提唱したフロイトを始めとして、多くの学者が早期のトラウマ体験の症状として述べたものであり、ジャン=マルタン・シャルコー (1887) や弟子のピエール・ジャネ (1887) が提唱したものである[6]

解離とは意識に上る前にある心理内容と、他の内容との連結を無意識的に断絶する事を指す。一方で抑圧というのはそれらを積極的に追い出すことで葛藤がもたらすものを支配することを指す。それゆえ解離状態の体験が意識化された際は本人の苦痛は激しいが、抑圧の場合はそれがない。

解離状態は精神的苦痛から自己を守ろうとする自己誘発性催眠により発生し、結果別々の心理内容は接点を持たず並存し、精神的な不調和を警告する繋がりが消滅し、同じ対象に対する自己内部の異なる感情は全くの矛盾なく並存しうるため、過去の心理的外傷を混乱した感情から分離する事が可能となる。その混乱した感情自体は意識に表出する事はなく、言語に象徴化されない。

人間は通常広義で経験を解離し、日常生活においての人間の行動の大部分は言語化されないのだが、これは非防衛的なものであり「整理されていない体験」と呼び「広い意味で」解離されているものとする[7]。解離の能力は人間の人格発達においての構成要素の一つで、通常の人間は「非自己」に対し「厳密な意味で」解離現象を起こし、一貫した自己感覚を確立する[8]

van der Kolk (1996) は心的外傷に関する解離現象の推移を研究し、一次解離、二次解離、三次解離の順に推移するとした。まず、一次解離においては圧倒的恐怖により知覚が断片化され、二次解離においては離人症や現実感の喪失が見られ、痛みや苦痛の感覚の消失が起こり、最後の三次解離の状況においては外傷的体験を担うため別の自我状態が現れ、この時点において具体的な解離性障害の臨床像を呈することになる[9]

外傷的解離は心理的外傷を生み出す圧倒的状況に対する精神的適応反応であり、それらは日常体験としての白昼夢等の解離現象の一端の解離連続体とされる。連続体仮説はBernstein、Putnamらにより提唱されたもので、健常な解離(normal dissociation)、解離性健忘(dissociative amnesia)、解離性遁走(dissociative fugue)、特定不能の解離性障害(dissociative disorders not otherwise specified、DDNOS)、解離性同一性障害(dissociative identity disorder、DID)の順に複雑性が増していくとされる。

この外傷的解離により自我から分離した体験は、自我の認知処理能力を超えた情報であり、象徴化されない原情報のまま保存される。自我は分離し、複数の自己状態が作り出され個々に組織化され、互いに異なった思考、記憶、感情、行動を持ち、それぞれ別々に麻痺と侵入の機能により意識に上る。その際、それらの分離した自己状態は侵入的印象、暴力的再演、極度の悪夢、不安反応、心気的症状、極限的身体感覚等を与え、自己の存在を示す。外傷的解離は情報処理メカニズムを閉鎖し、心理的苦痛の感覚及び記憶の新たなる侵入を防ぎ、心的外傷による自己の崩壊を回避する事が可能となり、その状態において統合された自己感覚の保持に成功するのである。

Hermanは著書「心的外傷と回復」においてこれを「解離的技巧」と呼び、性的虐待を受けた人はこれにより現実検討能力を低下させ自らの苦痛を複雑な健忘の内部に隠してしまうことを述べた。しかしこれには弊害があり、Hermanは「心的外傷と回復」の増補版において自らが解離を防衛機制として評価しすぎたことを反省し、解離がレイピストたちによる再被害を容易にさせてしまうことを述べている[2]

その状況は心理的外傷を生み出す圧倒的状況が過ぎた後も保持され、自己の本来的な感情記憶、危機意識を麻痺させ現実検討能力の全般的低下をもたらす。また、解離の働きが不完全な場合、保障行為としての解離的適応行動としての一時的防衛の一つとして嗜癖行動等をきたす。さらに解離の働きが不完全となりそれらの防衛が突破されると、性的強迫観念に基づく不特定多数との性行為など危険な行動を起こす。

この性的強迫行動をGoldら (2002) は「性嗜癖・強迫衝動(sexal addiction/compulsivity、SAC)」と呼ぶ事を提唱した[10]。SACの状況においては通常の性の喜びは存在せず、単純な性的興奮及び麻痺、屈辱感、不快感がもたらされる。また、解離性トランスも促しており、痛覚消失物質オピオイドも同時に発散されている。

多重自己状態[編集]

古典的なアプローチは自己の内的葛藤の解決をすることにより問題の解決をしようとした。だが、1990年代に入り多くの学者により、多重自己状態(multtiple self-states)と呼ばれる状態がポスト構造主義的な立場により一般的にも適用されうるとされ、状況は一転した。実際には、人はみな多重自己状態にあるのであり、それが時とともにその非連続性に気づくよりも、自分自身が一人の確固たる人間であるという必要不可欠である錯覚を人にもたらすようになるのである。Rivera (1989) は「自己の統一性」などという概念は、単に文化的規範を押し付けているに過ぎない危険なフィクションと呼んだ[11]

Rivera (1989) によると通常は個人の中心的意識において異なった自己状態における複数の視点や感情状態を同時に抱える事ができるとされ、これを「パラドックスに耐えうる能力」と呼んだ[12]。Pizer (1996) はこの立場における多重自己状態は人格に標準的に解離が組み込まれているため「配置された多重自己」と呼び、一方外傷的解離によるものは組織化されたものであるため「解離した多重自己」と呼ぶことを提唱した[13]。配置された多重自己と解離した多重自己の最大の違いは、健康な場合はそれぞれの自己状態間の相互連結が容易に出来るのに対し、心的外傷を受けた場合この行動が行われない事である[14]

Putnam (1997) は「離散行動状態」として、解離のために欲望されると応じてしまうという関係が複数生じてしまうために、結果的に自分自身の人間としての整合性を失うような場合に適用されるといわれるモデルを提唱している[15]。これは近似し、また重複しているものの解離性同一性障害とは限らない。解離性同一性障害の場合ははっきりと異なっているが、この場合様々な多重自己のコーラスのようになって自分の行動が決定される。

このように、対人関係の分だけ人格があるという考えは、古くは小説家マルセル・プルーストや、精神分析家のハリー・スタック・サリヴァンも述べている。だが、こうした考えはコンセンサスが必ずしも取れているわけではない。

出典[編集]

  1. ^ 貝谷久宣 『よくわかるパニック障害・PTSD - 突然の発作と強い不安から、自分の生活をとり戻す』 主婦の友社、2012年ISBN 9784072816776
  2. ^ a b 『心的外傷と回復増補版』(ジュディス・ルイス・ハーマン、1992、翻訳1996、増補版1999)ISBN 4-622-04113-8
  3. ^ a b 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 35ページ ISBN 4-86182-013-8
  4. ^ 『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(宮地尚子、2004年) 55・56ページ ISBN 4-7724-0815-0
  5. ^ 『子どもの虐待 子どもと家族への治療的アプローチ』(西澤哲、1994年) 52ページ ISBN 4-414-40172-0
  6. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 204ページ ISBN 4-86182-013-8
  7. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 205ページ ISBN 4-86182-013-8
  8. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 205・206ページ ISBN 4-86182-013-8
  9. ^ 『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(宮地尚子、2004年) 150ページ ISBN 4-7724-0815-0
  10. ^ 『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(宮地尚子、2004年) 57ページ ISBN 4-7724-0815-0
  11. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 238・239ページ ISBN 4-86182-013-8
  12. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 239ページ ISBN 4-86182-013-8
  13. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 239・240ページ ISBN 4-86182-013-8
  14. ^ 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー、1999年の書籍の翻訳本。2005年) 240ページ ISBN 4-86182-013-8
  15. ^ 『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(宮地尚子、2004年) 58ページ ISBN 4-7724-0815-0

参考文献[編集]

関連項目[編集]