自由民主党青年局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自民党青年局から転送)

自由民主党青年局(じゆうみんしゅとうせいねんきょく、: Youth Division, Liberal Democratic Party、英文略称: LDP youth[1])は、日本の政党である自由民主党(1955年-)の組織局の1つ。主に、若手の議員によって構成される機関である。通例、「自民党青年局」(じみんとうせいねんきょく)と呼ばれる。

国会議員(衆議院議員及び参議院議員)によって構成される党本部の青年局と地方支部の青年局があるが、特に断りがない場合、通常前者をさす。

概説[編集]

参加資格[編集]

「45歳以下の党員」で構成される。

党所属の国会議員(衆議院議員及び参議院議員)はじめ地方議員(都道府県議会議員、特別区及び市町村議会議員)、サラリーマン自営業者公務員学生、いずれの場合も45歳以下でさえあれば、青年局に所属することが出来る。

慣例上、衆議院議員は当選3回以下、参議院議員は当選2回以下が参加資格とされている[2]

党本部の青年局役員は、内閣構成者である大臣副大臣大臣政務官などの職にある者を除く党所属国会議員の中から、総務会の承認を経て任命されるが、45歳以下の党所属国会議員全員が自動的に青年局所属となるわけではない。

台湾(中華民国)との関係[編集]

重要な性格として、自民党における唯一の対中華民国台湾)窓口機関であることが挙げられる。これは、1967年に台湾の蔣経国(当時中国青年反共救国団=現・中国青年救国団=主任、後の中華民国総統)が来日した際[3]海部俊樹青年局長・小渕恵三青年部長との間で、両国間の窓口を自由民主党青年局および中国青年反共救国団とすると合意したことにさかのぼる[2][3]

以降、毎年日本・台湾間の相互訪問を実施しており、1972年の台湾との国交断絶後も続いている。野党時代の2011年10月には麻生太郎(第92代首相兼第23代総裁)ら青年局長経験者が訪台し「中華民国建国100周年」の祝賀式典に出席した[2]

組織・運営[編集]

党本部における青年局幹部は、青年局長を責任者とし、以下局長代理、部長、広報部・国際部・学生部・遊説部の正副部長、東部・中部・西部の統括部長からなる。「党の縮小版」と表現されることもあり、党本部と地方の橋渡し役を担っている[2]。局長以外には、個別の役員の肩書きの他に、自動的に「自由民主党青年局次長」の肩書きがあてがわれる。このため、党本部の青年局全員が、表面上、青年局の「役員」ということになる。

党本部の青年局長は、「若手政治家の登竜門」と呼ばれる。青年局長経験者では、竹下登宇野宗佑海部俊樹安倍晋三、麻生太郎、岸田文雄の6名が後に総裁総理まで上り詰めたほか、中川昭一額賀福志郎西岡武夫などの主要政治家が名を連ねる。青年局長は青年層の代弁者として、役員連絡会や自民党における最高意思決定機関、総務会にも出席を求められる[2]

竹下内閣退陣後、竹下が自民党国対族に挨拶に来た際、国対副委員長の高村正彦らに対し雑談交じりで、「僕の次の自民党青年局長は宇野さん、その次が海部だったわな」と発言。高村はその時点では聞き流していたが、後になってその意を察したという。

福田康夫内閣では閣僚18名中3名(財務相の額賀福志郎、文部科学相の渡海紀三朗内閣府特命担当大臣沖縄・北方対策)及び消費者行政担当大臣岸田文雄)が、第2次安倍内閣では閣僚19名中5名(首相の安倍晋三、副総理兼財務相の麻生太郎、国家公安委員長の古屋圭司、外相の岸田文雄、文部科学相の下村博文)が青年局長経験者だった[2]

浜田幸一とその息子の浜田靖一は、親子で青年局長に就任した唯一の例である。

局長更迭[編集]

2015年6月、青年局長であった木原稔が呼びかけ人となり文化芸術懇話会が発足したが、同会の初回会合において報道規制容認発言等が続出したため、同月に木原が更迭された[4]

青年局長一覧(局長代理)[編集]

太字は、党総裁内閣総理大臣経験者。

青年局長 在任期間 所属派閥 局長代理
1 田中久雄 1955年11月 - 1956年12月
2 早川崇 1956年12月 - 1958年7月
3 天野公義 1958年7月 - 1959年7月
4 竹下登 1959年7月 - 1963年12月
5 宇野宗佑 1963年12月 - 1966年2月
6 海部俊樹 1966年2月 - 1966年12月
7 内藤誉三郎 1966年12月 - 1968年12月
8 海部俊樹 1968年12月 - 1972年7月
9 西岡武夫 1972年7月 - 1972年12月
10 浜田幸一 1972年12月 - 1976年1月
11 深谷隆司 1976年1月 - 1977年1月
12 中山正暉 1977年1月 - 1978年12月
13 戸塚進也 1978年12月 - 1979年11月
14 愛知和男 1979年11月 - 1980年7月
15 鹿野道彦 1980年7月 - 1981年12月
16 塚原俊平 1981年12月 - 1982年12月
17 麻生太郎 1982年12月 - 1984年1月
18 船田元 1984年1月 - 1986年1月
19 平沼赳夫 1986年1月 - 1986年8月
20 北川正恭 1986年8月 - 1989年6月
21 額賀福志郎 1989年6月 - 1990年3月
22 中川昭一 1990年3月 - 1991年1月
23 斉藤斗志二 1991年1月 - 1991年11月
24 渡海紀三朗 1991年11月 - 1993年1月
25 佐藤謙一郎 1993年1月 - 1993年6月
26 増子輝彦 1993年6月 - 1993年9月
27 塩谷立 1993年9月 - 1995年3月
28 古屋圭司 1995年3月 - 1995年10月
29 中島洋次郎 1995年10月 - 1996年1月
30 古屋圭司 1996年1月 - 1996年11月
31 安倍晋三 1996年11月 - 1997年9月
32 岸田文雄 1997年9月 - 1998年8月
33 小此木八郎 1998年8月 - 1999年11月
34 浜田靖一 1999年11月 - 2000年7月 無派閥
35 下村博文 2000年7月 - 2001年5月
36 水野賢一 2001年5月 - 2002年2月
37 柳本卓治 2002年2月 - 2002年2月
38 棚橋泰文 2002年2月 - 2003年11月
39 金子恭之 2003年11月 - 2005年11月
40 谷本龍哉 2005年11月 - 2006年9月 町村派
41 萩生田光一 2006年10月 - 2007年8月 町村派
42 井上信治 2007年8月 - 2010年9月 麻生派
43 古川禎久 2010年9月 - 2011年10月 無派閥
44 小泉進次郎 2011年10月 - 2013年9月 無派閥
45 松本洋平 2013年9月 - 2014年9月 二階派
46 木原稔 2014年9月 - 2015年6月 額賀派
47 牧原秀樹 2015年10月 - 2016年8月 無派閥
48 鈴木馨祐 2016年8月 - 2018年10月 麻生派 佐々木紀
滝波宏文
49 佐々木紀 2018年10月 - 2019年9月 細田派 小林史明
朝日健太郎
50 小林史明 2019年9月 - 2020年9月 岸田派 武井俊輔
朝日健太郎
51 牧島かれん 2020年9月‐2021年10月 麻生派 小倉將信
自見英子
52 小倉將信 2021年10月‐2022年9月 二階派 鈴木憲和
佐藤啓
53 鈴木憲和 2022年9月‐2023年9月 茂木派 藤原崇
佐藤啓
54 藤原崇 2023年9月‐2024年3月[5] 安倍派 中曽根康隆
藤井一博
55 鈴木貴子 2024年3月‐ 茂木派 藤井一博

関連書籍[編集]

  • 常井健一「誰も書かなかった自民党 総理の登竜門「青年局」の研究」(新潮新書)

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]