全権委任法

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議場で全権委任法の採決を求めるアドルフ・ヒトラー

全権委任法(ぜんけんいにんほう、: Ermächtigungsgesetz)とは、非常事態に立法府行政府立法権を委譲する法律。一般に、1933年ドイツヒトラー政権に立法権を委譲した法律を指す。全権賦与法授権法とも訳される。正式名称は、民族および国家の危難を除去するための法律(Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich)。

目次

[編集] 経緯

世界恐慌後のドイツでは、深刻な不況・失業率の急増に対して対応できない議会に対し不信が高まっていた。こうした中、ヒンデンブルク大統領は議会を重視せず、大統領緊急令(ヴァイマル憲法第48条)を多用することで政治運営を図った。このヒンデンブルクのもとで樹立された権威主義体制は、議会制民主主義に失望する大衆の支持を集めていった。これらのことは、既に全権委任法以前から反議会主義的な世論が形成されていたことを示している。

ヒンデンブルク大統領のもとで1933年1月30日に成立したヒトラー内閣は、2月27日のドイツ国会議事堂放火事件の翌日に大統領緊急令を布告して共産党幹部を逮捕し、3月23日「民族および国家の危難を除去するための法律案」(いわゆる全権委任法)の国会審議を求め、急速に反対勢力の排除に突き進んだ。たった5条の法律案であるが、内容は議会から立法権を政府に移譲し、ナチ政府の制定した法律は憲法に背反しても有効とする法律案である。つまり為政者の権力濫用の手を縛り国民の人権を保証する憲法を非常事態を理由に骨抜きにして、与党ナチ党に逆らう者に「公益を害する者」というレッテルを貼って人権を剥奪して弾圧するようなナチ立法を(憲法に反していても)有効とし、選挙を経ていないナチ行政府公務員に立法権まで与える法律案であった。

審議の中で、社会民主党のオットー・ヴェルスが反対演説を行った。

採決は議場の周辺を突撃隊親衛隊が囲む異様な状況下で行われた。既にドイツ共産党議員(本来なら81議席)は議席を剥奪されており、26人のドイツ社会民主党議員と5人の諸派議員は逮捕・逃亡・病気などで欠席を余儀なくされた。ナチス党は、国家国民党中央党などの支持をえて、賛成441票・反対94票(出席したドイツ社会民主党議員の票)で本法案を成立させた。

採決
政党 議席数 賛成投票 反対投票
国家社会主義ドイツ労働者党 288 45 % 288 0
国家国民党 52 8 % 52 0
バイエルン人民党 18 3 % 18 0
その他 14 2 % 9 0
中央党 74 11 % 74 0
ドイツ社会民主党 120 19 % 0 94
共産党(議席剥奪) 81 13 %
総計 647 100 % 441 94

注目すべきは国民主権簒奪と自由民主主義社会から全体主義社会への移行が、国民の歓呼のなかで選挙で選ばれたナチ党国会議員によって合法的に成し遂げられた事であろう。しかしその結果、ナチスは反対者やユダヤ人の人権を自由自在に剥奪できるようになり、誰もナチ党を止められなくなった。

[編集] 内容

全権委任法の前半
全権委任法の後半
署名は上から
大統領ヒンデンブルク
宰相ヒトラー
内務大臣フリック
外務大臣ノイラート
財務大臣クロージック
のもの

いわゆる全権委任法は全5条から成る。

  • 第一条 ドイツ国の法律は、憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府によっても制定されうる。本条は、憲法85条第2項および第87条に対しても適用される。
  • 第二条 ドイツ政府によって制定された法律は、国会および連邦参議院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる。ただし、大統領の権限はなんら変わることはない。
  • 第三条 ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。憲法68条から第77条は、政府によって制定された法律の適用を受けない。
  • 第四条 ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
  • 第五条 本法は公布の日をもって効力を発する。本法は1937年4月1日になるか、現政府が他の政府に交代した場合に効力を失う。

要旨をまとめると、

  • 第一条は、立法権を国会にかわって政府(ヒトラー内閣)に与えたものである。
  • 第二条は、政府の立法が憲法に優越しうる(違背しうる)ことを定めたものである。
  • 第三条は、大統領にかわって首相(アドルフ・ヒトラー)が法令認証権を得たことを示す。
  • 第四条は、外国との条約を成立させる際、議会の承認が必要ではないことを確認したものである。
  • 第五条は、この法律が時限立法であったことを示す。全権委任法の成立には中道政党である中央党の賛成が必要であったが、この規定は中央党が賛成へと傾く一因にもなりえた。

[編集] その後

同法の成立後、ナチス党はこの法律を楯にナチス党以外の政党を解体に追い込み、同年7月14日には合法的に一党独裁体制を確立した。ヒトラーの独裁下でもヴァイマル憲法は廃止されなかったが、この法律によって事実上ヴァイマル憲法は死文化した。また、1937年、1939年、1942年と全権委任法は更新され、同法の時限立法としての性格は事実上失われていた。

第二次世界大戦後の西ドイツでは、この法律で合法的、民主的な手段でヒトラーの独裁が確立してしまった反省から、国民に憲法への忠誠義務を課し、自由主義・民主主義を否定する団体の存在を許さない「戦う民主主義」を基本としている。

[編集] 参考文献

  • 加瀬俊一 『ワイマールの落日』 文藝春秋社、1976年。
  • 四宮恭二 『ヒトラー1932-1933』 日本放送協会、1981年。
  • エーリッヒ・マティアス 『なぜヒトラーを阻止できなかったか』 岩波書店、1984年。
  • ヘーネ・ハインツ 『ヒトラー独裁への道』 朝日新聞社、1992年。
  • 有澤廣巳 『ワイマール共和国物語』 東京大学出版会、1994年。

[編集] 関連項目

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