谷内正太郎

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谷内 正太郎(やち しょうたろう、1944年1月6日 - )は、日本外交官外務事務次官(在任 2005年1月4日 - 2008年1月17日)。

次官としては異例の3年という任期を務めた[1]実力者で、安倍内閣麻生太郎外相(当時)の提唱した外交方針(価値観外交・自由と繁栄の弧、対北朝鮮強硬論)の策定・実行に中心的役割を果たした。退官後は早稲田大学東京大学で教鞭を執っている。

目次

[編集] 略歴

  • 1962年 3月 - 富山県立富山中部高等学校卒業
  • 1962年 4月 - 東京大学入学 (法学部卒)
  • 1969年 3月 - 東京大学大学院法学政治学研究科修了
  • 1969年 4月 - 外務省入省
  • 1985年 1月 - 外務省条約局法規課長
  • 1987年 8月 - 在アメリカ合衆国日本国大使館参事官
  • 1992年 5月 - 外務省大臣官房人事課長
  • 1995年 7月 - 外務省大臣官房審議官
  • 1996年 7月 - 在ロス・アンジェルス日本国総領事館総領事
  • 1999年 8月 - 外務省条約局長
  • 2001年 1月 - 外務省総合外交政策局長
  • 2002年10月 - 内閣官房副長官補
  • 2005年 1月 - 外務事務次官
  • 2008年1月17日 - 同退任、外務省顧問就任
  • 2008年4月1日 -早稲田大学日米研究機構 客員教授

[編集] 人物

石川県生まれ、富山県育ち。貧しい環境で苦労して育つ。大学時代は若泉敬主宰の研究会に参加し、研鑽を積む。学者を目指して大学院に進学するものの、指導教官の急逝などで断念し、外交官となる。[2]

外務省における田中眞紀子鈴木宗男の争いにおいては、田中眞紀子に忠実に仕えた。鈴木宗男に対しては「私は鈴木さんには詫びない。鈴木さんの考え方は、外交論として筋の通ったものだ。それを踏まえたうえで、外務省の方針を決める。それで鈴木さんとぶつかるなら、残念だけれども仕方が無い」という態度をとり、後日の鈴木宗男バッシングにも加わらなかった。これを鈴木に伝えた外務省の情報官・佐藤優によれば、それを聞いた鈴木は「谷内はしっかり者だ」と言ったという。佐藤も、谷内を「官僚道をわきまえた人物」と評価している[3]

[編集] 同期

外務省同期入省には、以下のような人物がいる。

[編集] 脚注

  1. ^ 2007年に迎える予定であった定年を1年延長されている。
  2. ^文藝春秋』2008年1月号 260-269頁
  3. ^ 『インテリジェンス 武器なき戦争』(手嶋龍一佐藤優幻冬舎新書、2007年)137頁

[編集] 外部リンク