佐藤優 (作家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤優 (外交官)から転送)
移動: 案内検索
佐藤優
Replace this image JA.svg
誕生 1960年1月18日(55歳)
日本の旗 日本 東京都
職業 作家
拓殖大学客員教授
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 同志社大学大学院(神学修士)
テンプレートを表示

佐藤 優(さとう まさる、1960年昭和35年〉1月18日 - )は、日本作家。元外務省職員。

経歴[編集]

学生時代[編集]

東京都出身。埼玉県大宮市(現さいたま市)育ち。大宮市立大砂土小学校(現さいたま市立大砂土小学校)、大宮市立植竹中学校(現さいたま市立植竹中学校)卒業。1975年に埼玉県立浦和高等学校に入学。高校時代は応援団文芸部新聞部に同時に所属するという異色の生徒だった。新聞部では副部長も務め、応援団では、旗手を務めた。同年夏に東欧ハンガリーチェコスロバキア東ドイツポーランド)・ソ連(当時)を1人で旅する。浦和高校卒業後、1年間の浪人生活を経て同志社大学神学部に進学[1]。主に緒方純雄、野本真也樋口和彦、渡邉雅司教授等に師事し、組織神学護教学)、無神論などを中心に学ぶ。また、在学時代には学生運動にも傾倒した。同大学大学院神学研究科前期課程を修了し、神学修士となる。大学1回生のクリスマスに京都の教会で正式に洗礼を受け、クリスチャンプロテスタントカルヴァン派)になった。

研究のテーマは「チェコスロバキア社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」。特にチェコの神学者ヨセフ・ルクル・フロマートカに強い興味を持ち、外務省の専門職員採用試験を受験した。

外交官時代[編集]

大学院修了後はチェコスロバキアのプラハに留学し、本格的にフロマートカに関する研究をするという希望を持っていたが、フロマートカは反ソ連主義的な神学者であり、フロマートカの研究を冷戦下のチェコスロバキアで行うことは事実上不可能であるということで一度は断念した。しかし外交官になればチェコスロバキアに行けると考え、1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省(2度目の外務省専門職試験受験で合格した)。しかし、外務省から指定された研修言語は希望していたチェコ語ではなくロシア語であり、5月に欧亜局(現在は欧州局アジア大洋州局に分割)ソビエト連邦課に配属された。なお、当時のソ連課長は野村一成、首席事務官は宮本雄二(後の駐中国大使)であった。1986年ロンドン郊外ベーコンズフィールドの英国陸軍語学学校(Defence School of Languages)で同期の武藤顕(キャリア、14年から欧州局大使[2][3])と共に英語やロシア語を学んだ後、1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部にロシア語を学ぶため留学した。その中で哲学部科学的無神論学科の講義にも参加するようになった。当時のソ連では「科学的無神論」と言う立場からキリスト教や各宗教の研究を行っていた。ちょうど1988年ロシア正教導入1000年紀にもあたっていたこともあり、ソ連では宗教への理解が進んでいた時期でもあった。

1988年から1995年まで在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務し、1991年8月クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生死について独自の人脈を駆使し、東京の外務本省に連絡する。アメリカよりも情報が早く、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領から「ワンダフル!」と言わしめた。また国会議員としてロシアを訪れていた猪木寛至(アントニオ猪木)参議院議員を便宜供与したこともあり、現在でも親交は続いている。またソ連科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー民族学人類学研究所にも正式に研究員として出入りすることを許されていた。

日本帰任後の1998年には国際情報局分析第一課主任分析官(課長補佐級、佐藤のために急造されたポストといわれる)となり、橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領のクラスノヤルスク会談にもとづく2000年までの日露平和条約締結に向け交渉する。

外交官としての勤務のかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の客員講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。また、雑誌『世界』(岩波書店)の「世界論壇月評」担当など論壇への寄稿に加え、フロマートカの自伝の翻訳出版(1997年)、『福音と世界』、『基督教研究』といった雑誌に執筆するなど、神学方面の学問的活動も行っていた。

鈴木宗男との関係[編集]

1991年9月、日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた、鈴木宗男の通訳と車の手配などを佐藤が行った件を機に知り合い、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったといわれる(鈴木とともに仕事をし、鈴木から「外務省のラスプーチン」というあだ名を付けられたという[4]

逮捕・起訴[編集]

2002年に鈴木宗男に絡む疑惑が浮上したことによる連座する形で、2月22日外交史料館へ異動。4月に外務省を混乱させたとして給与20%一カ月分の懲戒減給を受ける。

同年5月14日鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕。同年7月3日偽計業務妨害容疑で再逮捕。2003年10月、保釈。512日間勾留された。

2005年2月に東京地方裁判所安井久治裁判長)で執行猶予付き有罪判決(懲役2年6か月 執行猶予4年)を受け控訴していたが、2007年1月31日、二審の東京高等裁判所高橋省吾裁判長)は一審の地裁判決を支持し控訴を棄却。最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)は2009年6月30日付で上告を棄却し、期限の7月6日までに異議申し立てをしなかったため、判決が確定した。国家公務員法76条では「禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又は執行を受けることがなくなるまでの者」は失職すると定められており、これにより外務省を失職した。

佐藤は次の2つの容疑で起訴された。

支援委員会をめぐる背任[編集]

この2回の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いである。この疑いに対し佐藤は、支援委員会から支払をすることは通常手続きである外務事務次官決裁を受けており正当なものだった、との主張をしている。また、佐藤の上司だった当時の外務省欧亜局長東郷和彦は、「外務省が組織として実行しており、佐藤被告が罪に問われることはあり得ない」と証言している。そして、東郷は、佐藤が逮捕された時海外にいたが、事務次官野上義二と電話で「こんなことが犯罪になるはずがない。何も問題はない」と話し、しかも、野上はこのことを記者会見で述べるとまで語ったと佐藤の著書には書かれている[5]

北方領土支援にからむ偽計業務妨害[編集]

2000年3月に行われた国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木の意向を受け、三井物産が落札するように違法な便宜を図ったり支援委員会の業務を妨害したとの疑いである。この疑いに対し佐藤は、北方領土の事情に通じた三井物産の選定は妥当であり、鈴木の「三井に受注されればいい」との発言を三井側に伝えただけだ、と主張している。

論壇へ[編集]

一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕や背景などをつづった著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を2005年に出版すると大きな反響を呼んだ。同書などにおいて、佐藤本人は自身にかけられた一連の容疑・判決を「国策捜査」であると主張。この著書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞し、以後、新聞・雑誌などに外交評論や文化論を執筆している。 

2006年より、魚住昭宮崎学らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。2009年に失職するまで「起訴休職外務事務官」を自称していた。2010年から、外務省時代の体験を元にした漫画「憂国のラスプーチン」の原作を手がける(伊藤潤二作画、長崎尚志脚本)。

政策[編集]

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対しては武力行使も辞さずという立場だが、媒体によってトーンの強弱を使い分けている。

レバノン侵攻イスラエル・パレスチナ紛争などイスラエルの関わる問題では、一貫してイスラエル全面支持を表明し、イスラエルと「私たちは人間としての基本的価値観を共有している」と主張している。レバノン侵攻や2006年のガザ侵攻は、ヒズボラハマスのイスラエル人拉致というテロに対する当然の行動であったと主張した。これは、北朝鮮による日本人拉致問題について、日本に武力行使を促した意味もある。また、2009年ガザ侵攻では、イスラエル擁護の理由として「停戦協定を破ったハマスの先制攻撃が原因でありイラン、ヒズボラ、アルカイダと通じてイスラエル国家を破壊しようと画策している」と持論を展開。

また、佐藤は自らや鈴木宗男の逮捕の背景の一つに、イスラエルとのインテリジェンス協力を邪魔する外務省の親アラブ派・反ユダヤ主義的グループの策謀があったと主張している[6]

沖縄の集団自決・小林よしのりとの論争[編集]

佐藤は大田昌秀との対談(『徹底討論沖縄の未来』2010)で、沖縄戦での渡嘉敷島集団自決裁判については大江健三郎が正しいと発言しており、山崎行太郎とともに集団自決は軍の責任だとする立場をとっている。

ゴーマニズム宣言』において、小林よしのりが沖縄の現状に対して連載したところ[7]、佐藤からマスコミを通じた批判が「一方的に行われた」として、小林が3ページに及ぶ佐藤への反駁をおこない、両者の間で論争が続いている。小林によれば、佐藤は『琉球新報』の連載で「沖縄は全体主義の島だ」と主張する一論客を非難。この一論客を「名指ししていないが、もちろんわしのことだ」と小林が一方的に捉えたことから両者間の論争が始まったとされる(佐藤はその後のサイゾーからの取材の際に、沖縄批判を展開する言論人の不徹底な態度を批判したものである論じていただけであり、別段小林を非難する趣旨で書かれたわけではない、という趣旨の弁解をしている。ただし、小林が編集長を務める雑誌『わしズム』の2007年秋号のタイトルにも『全体主義の島「沖縄」』とあったため、これが小林が一方的に自身への批判と捉えた理由とも考えられる)。佐藤は『SPA!』に「佐藤優のインテリジェンス職業相談」を寄稿し、「ラスプーチン」と「大林わるのり」という架空の相談者を登場させ、フィクションとしての体裁を整えた上で、反撃を行った。

この争いは以後も続いているが、2人とも同じく雑誌『SAPIO』『Will』に連載を抱えていること、また、小林の佐藤批判も『SAPIO』誌上で行われたことから、佐藤は小林よりもむしろ相反する主張を同時に掲載している小学館『SAPIO』編集部の姿勢に対して批判を向けている。佐藤は論争にあたり、両者間の争点が明確であること、論争相手に対し人間として最低限の礼儀が必要であるとし、これら2点が満たされていないものに関して論戦を行なわないとしている[8]。ただし佐藤も『マンガ 嫌韓流』の作者・山野車輪について「知的水準があまり高くない」と指摘している。

佐藤は「編集権の問題です。雑誌にはいろいろな長期連載があります。Aという長期連載者が、Bという別の長期連載者が書いているものはデタラメだと論評している。Aさんの言うとおりだとすれば、Bさんというデタラメな人に長期連載を書かせている雑誌編集部の責任はどうなるのか」「仮にデタラメなことを書く筆者ならば、そのような筆者を排除するのが編集部としての読者に対する責任」と述べている[8]。これに対して佐藤を批判し、のちに民事訴訟で佐藤を訴えた金光翔は、『SAPIO』に対して佐藤が「自分を取るか、小林を取るか」の二者択一を迫っていないのが不徹底であり、矛盾していると自身のサイトで論評している[9]

2008年、小林は佐藤から「言論弾圧」が加えられたとして『わしズム』の廃刊を宣言した[10]。なお、小林には過去にも宅八郎との論争の末、『SPA!』から連載を引き上げたことがある。佐藤は以前、小林について「非常に真面目な人物です。他者の言説をきちんと聞いてその内在的論理を正確に捉えようとする思想の構えがあります」[11]と語っていたが、今回の件で「それは崩れました。2年前に比べて今の小林さんは、ずいぶんと変わってしまった」と述べている[8]

人物[編集]

  • 父は1925年(大正14年)東京下町生まれで、夜間工業学校を卒業後、東京帝国大学工学部の実験助手をしていたが、太平洋戦争末期に徴兵され、中国大陸において無線通信兵となった。復員後しばらくして沖縄の米軍基地の建設に従事した際、佐藤の母にあたる妻と縁を持った。1952年(昭和27年)に本土に戻った後は、都市銀行に電気技師として勤めた。
  • 母は1930年(昭和5年)沖縄県久米島出身で、沖縄での米軍との地上戦を経験。終戦後は沖縄本島の看護学校に通っていたが、佐藤の父にあたる夫と出会い、看護学校を中退して本土に渡った。地上戦の生き地獄の体験から、人間の生死は人間の知恵や努力を超えた大きな力によって動かされるという信念を持つようになり、看護学校に通っている頃に教会で洗礼を受け、熱心なキリスト教徒となった。また、兄に日本社会党所属だった元兵庫県議会議員がいる関係で日本社会党の支持者だったとのこと。
  • 睡眠時間は1日平均3時間ほどで、ウオツカを5本飲んだ翌日も、それだけ寝れば健康に過ごせると著作に記している[12]
  • 2007年4月、『AERA』の「佐藤優という『罠』」という記事では、「外務省のある人物」という匿名コメントで「(鈴木宗男の質問主意書は)佐藤が仕掛けている」「(佐藤は)都合のいいことしか書いてない」「佐藤はものすごい陰謀家で、外務省に復讐しようとしている」などと言及された[13]。これについて、佐藤が「事実誤認」として内容証明郵便で『AERA』編集長に抗議すると、翌週発売号[14]で訂正記事が掲載される。佐藤はまた、『週刊金曜日』誌上で、記事中の「私が書かない『都合のよくないこと』が具体的でないコメントを載せるのは公平でない」と、執筆者の大鹿靖明個人に公開質問状を出す[15]。大鹿は、マスコミ主催の勉強会の席上で佐藤に謝罪した[16][17]
  • 尊皇家でありながら左翼的な雑誌に寄稿するあり方や南朝正統論に立つ佐藤に対し、小谷野敦は現在の天皇は北朝ではないのかと批判した。
  • 本郷和人との対談で、三種の神器によって即位したのが正統な天皇だと佐藤が言うのに対し、本郷は、しかし三種の神器は複数あったはずだと問うたが、北畠親房が正しいとした三種の神器が本物の神器だと佐藤は答えた[18]
  • 左翼の側からは、国家主義者であり、ファシズムに親和的な佐藤を起用してよいのかとする批判が、『週刊金曜日』『世界』など、佐藤を重用する左派誌に寄せられているという[19]
  • ウィキペディアに対して、百科事典が本来果たすべき「歴史をある時点で切断し、その時点での体系知の構造を提示する」という目的・機能をウィキペディアは果たすことができないとしている[20]。また、ウィキペディアへの批判として、それが『世界大百科事典』といった従来の事典と比較して「信憑性が根本的に異なる」と主張している[20]
  • 田母神論文問題を引き起こしたアパグループ主催・「真の近現代史観」懸賞論文は、アパグループ代表・元谷外志雄の著作『報道されない近現代史』(産経新聞出版刊)を記念して創設されたものだが、佐藤は同書の広告に推薦文を書き、そこで「異能の実業家、元谷外志雄氏が描くグローバリセージョン後の帝国主義的国家対立の姿に戦慄した」と絶賛している[2]
  • 麻生邸見学ツアー逮捕事件については、参加者が逮捕されたことは不当逮捕であると主張している[21]
  • 『自壊する帝国』のあとがきによれば、離婚と再婚を経験しているとのこと。現妻は外務省時代の後輩だという。

著作[編集]

著書[編集]

  • 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』 新潮社、2005年
増補版〈解説:川上弘美新潮文庫、2007年[22]
  • 『自壊する帝国』 新潮社、2006年 ※のち文庫、2008年(解説:恩田陸
  • 『日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く』
    小学館、2006年/ 小学館文庫、2011年
  • 『獄中記』 岩波書店、2006年 ※改訂版:岩波現代文庫、2009年
  • 『国家と神とマルクス 「自由主義的保守主義者」かく語りき』 太陽企画出版、2007年 ※角川文庫、2008年
  • 『地球を斬る』 角川学芸出版、2007年 ※角川文庫、2009年
  • 『国家の謀略』 小学館、2007年
  • 『野蛮人のテーブルマナー ビジネスを勝ち抜く情報戦術』 講談社、2007年 ※講談社+α文庫、2009年
    • 『野蛮人のテーブルマナー「諜報的生活」の技術』 講談社、2009年
  • 『私のマルクス』 文藝春秋、2007年 ※文春文庫、2010年
  • 『インテリジェンス人間論』 新潮社、2007年 ※新潮文庫、2010年
  • 『国家論 日本社会をどう強化するか』 NHKブックス]、2007年
  • 『世界認識のための情報術』 金曜日、2008年
  • 『交渉術』 文藝春秋、2009年 ※文春文庫、2011年
  • 『テロリズムの罠 右巻 忍び寄るファシズムの魅力』 角川ワンテーマ21、2009年
    • 『テロリズムの罠 左巻 新自由主義社会の行方』 同上、2009年
  • 『外務省ハレンチ物語』 徳間書店、2009年/ 徳間文庫、2011年
  • 『神学部とは何か 非キリスト教徒にとっての神学入門』 新教出版社、2009年
  • 『「諜報的(インテリジェンス)生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー』 講談社、2009年
  • 『甦る怪物 私のマルクス ロシア篇』 文藝春秋、2009年
  • 『功利主義者の読書術』 新潮社[23]、2009年/ 新潮文庫、2012年
  • 『沖縄・久米島から日本国家を読み解く』 小学館、2009年
  • 『はじめての宗教論 右巻 見えない世界の逆襲』 日本放送出版協会生活人新書、2009年
    • 『はじめての宗教論 左巻 ナショナリズムと神学』 NHK出版新書、2011年
  • 『日本国家の神髄 禁書「国体の本義」を読み解く』 扶桑社、2009年
  • 『この国を動かす者へ』 徳間書店、2010年
  • 『3.11クライシス!』マガジンハウス、2011年
  • 『共産主義を読みとく いまこそ廣松渉を読み直す』 世界書院、2011年
  • 『予兆とインテリジェンス』 産経新聞出版、2011年
  • 『人たらしの流儀』 PHP研究所、2011年
  • 『佐藤優のウチナー評論』 琉球新報社、2011年
  • 『この国を壊す者へ』 徳間書店、2011年
  • 『世界インテリジェンス事件史 祖国日本よ、新・帝国主義時代を生き残れ!』 双葉社、2011年
  • 『インテリジェンス人生相談 復興編』 扶桑社、2011年
  • 『共産主義を読みとく いまこそ廣松渉を読み直す 『エンゲルス論』ノート 廣松渉エンゲルス論との対座』 世界書院 2011
  • 『外務省に告ぐ』 新潮社 2011年 
  • 『野蛮人の図書室』 講談社、2011年
  • 『国家の「罪と罰」』 小学館 2012年
  • 『紳士協定 私のイギリス物語』 新潮社、2012年
  • 『帝国の時代をどう生きるか 知識を教養へ、教養を叡智へ』 角川oneテーマ21、2012年
  • 『読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門』 東洋経済新報社、2012年7月
  • 『人間の叡智』 文藝春秋・文春新書、2012年7月
  • 『同志社大学神学部』 光文社、2012年11月
  • 『人に強くなる極意』 青春出版社・青春新書インテリジェンス、2013年10月 ISBN 4413044096
  • 『知の武装 救国のインテリジェンス』 新潮社、新潮新書、2013年12月
  • 『元外務省主任分析官・佐田勇の告白 小説・北方領土交渉』 徳間書店、2014年1月
  • 『先生と私』 幻冬舎、2014年1月
  • 『地球時代の哲学 池田トインビー対談を読み解く』 潮出版社、2014年2月
  • 創価学会と平和主義』 朝日新書、2014年10月
  • 『「ズルさ」のすすめ』 青春出版社・青春新書インテリジェンス、2014年12月 ISBN 9784413044400
  • 『神学の思考 キリスト教とは何か』 平凡社、2015年1月
  • 『危機を克服する教養 知の実戦講義「歴史とは何か」』 角川書店、2015年1月

共著(対談)[編集]

聞き手:斎藤勉産経新聞元モスクワ支局長)
  • 『国家の崩壊』(聞き手:宮崎学) にんげん出版、 2006年3月 ISBN 4931344119
  • 『北方領土「特命交渉」』(鈴木宗男共著)、講談社、2006年9月、講談社+α文庫、2007年12月 ISBN 4062811669
  • 『インテリジェンス―武器なき戦争』(手嶋龍一共著)、幻冬舎幻冬舎新書]、2006年11月、ISBN 4344980115
  • 『ナショナリズムという迷宮-ラスプーチンかく語りき』 魚住昭対談、朝日新聞社、2006年12月 ISBN 4022502452、朝日文庫、2010年1月、ISBN 4022616512
  • 『アメリカの日本改造計画』(関岡英之・小林よしのり・西部邁らと共著)イースト・プレス、2006年12月 ISBN 4872577442
  • 『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』 (鈴木宗男共著)アスコム、2007年6月 ISBN 4776204355
  • 『国家情報戦略』(高永哲共著)講談社、2007年7月 ISBN 4062724456
  • 『中国の黒いワナ』(青木直人西尾幹二共著)宝島社、2007年8月 ISBN 4796659099
  • 『佐藤優国家を斬る』(コーディネーター 宮崎学、連帯運動編)同時代社、2007年10月ISBN 4886836151
  • 『国家と人生 寛容と多元主義が世界を変える』 (竹村健一対談) 太陽企画出版、2007年12月、角川文庫、2008年11月 ISBN 4884664426
  • 『正義の正体』(田中森一共著)集英社インターナショナル、2008年3月 ISBN 4797671742
  • 『大和ごころ入門』(村上正邦共著)扶桑社、2008年4月 ISBN 4594055842
  • 『ロシア闇と魂の国家』(亀山郁夫対談) 文春新書、2008年4月 ISBN 4166606239
  • 『情報力 情報戦を勝ち抜く“知の技法”』(鈴木琢磨共著)イースト・プレス、2008年5月 ISBN 4872578309
  • 『政治を語る言葉』(山口二郎編)七つ森書館、2008年6月
  • 『暴走する国家 恐慌化する世界―迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』 (副島隆彦共著)、日本文芸社、2008年12月ISBN 4537256400
  • 『第三次世界大戦 左巻 新・帝国主義でこうなる!』 田原総一朗共著、アスコム、2008年12月 ISBN 4776205327
  • 『第三次世界大戦 右巻 新・世界恐慌でこうなる!』 田原総一朗共著、アスコム、2008年12月 ISBN 4776205335
  • 『テロルとクーデターの予感-ラスプーチンかく語りき2』 魚住昭対談、朝日新聞出版、2009年2月ISBN 4022503998
  • 『インテリジェンス人生相談 社会編』、『同 個人編』 扶桑社、2009年4月
  • 『知の超人対談 岡本行夫・佐藤優の「世界を斬る」』 岡本行夫共著、産経新聞出版、2009年
  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』 立花隆共著、文春新書、2009年10月
  • 『徹底討論沖縄の未来』 大田昌秀共著、沖縄大学地域研究所編、芙蓉書房出版、2010年1月
  • 『猛毒国家に囲まれた日本 ロシア・中国・北朝鮮』 宮崎正弘共著、海竜社、2010年3月
  • 『小沢革命政権で日本を救え 国家の主人は官僚ではない』 副島隆彦共著、日本文芸社、2010年6月
  • 『週刊とりあたまニュース 最強コンビ結成!編』 西原理恵子共著、新潮社、2011年1月、ISBN 4103019336
  • 『国家の危機』 的場昭弘共著、KKベストセラーズ、2011年5月
  • 『聖書を語る 宗教は震災後の日本を救えるか』 中村うさぎ共著、文藝春秋、2011年7月
  • 『沈黙より軽い言葉を発するなかれ』柳美里対談集、創出版、2012年9月
  • 『はじめてのマルクス』 鎌倉孝夫共著、金曜日、2013年11月、 ISBN 978-4906605927
  • 『知の武装 救国のインテリジェンス』 手嶋龍一と共著、新潮新書、2013年12月、 ISBN 978-4106105517

訳書[編集]

雑誌連載[編集]

※ 2015年現在

  • SAPIO』「SAPIO intelligence database」
  • 『一冊の本』「ラスプーチンかく語りき」(魚住昭との対談)
  • 『アサヒ芸能』「ニッポン有事!」
  • 『創』「ナショナリズムという病理」
  • 『産経新聞』「佐藤優の地球を斬る」
  • 『みるとす』「イスラエル並びにユダヤ人に関するノート」
  • クーリエ・ジャポン』「知への「ショートカット」」
  • 週刊東洋経済』「知の技法」
  • 『新潮45』「組織で生き抜く極意」
  • 『福音と世界』「佐藤優のことばの履歴書」
  • 『中央公論』「佐藤優の修羅場の作法」
  • 『潮』「激動の世界と日本 池田・トインビー対談から現代を読み解く」「新時代への創造 『池田大作 大学講演』を読み解く」
  • 『週刊ダイヤモンド』「知を磨く読書」
  • 『CREA』「CREA'S VIEW ふたり論点」池上彰との対談 

漫画原作[編集]

受賞歴[編集]

出演番組[編集]

現在のレギュラー番組[編集]

過去のレギュラー番組[編集]

関連人物[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 琉球大学法文学部にも合格していたが、当時マルクス主義に傾倒していた佐藤を心配した親族によって、同志社大学に進学させられることとなった。
  2. ^ 「幹部名簿平成27年3月6日」外務省平成27年3月6日
  3. ^ [T00C14A7EE8000 「人事、外務省 」]日本経済新聞2014/7/4
  4. ^ 上柳昌彦のお早うGoodDay!』(ニッポン放送) 2008年4月24日放送。
  5. ^ 田原総一朗の政財界「ここだけの話」
  6. ^ 【佐藤優の眼光紙背】第5回:守屋武昌前防衛事務次官に対する証人喚問 2007年10月30日11時00分 / 提供:眼光紙背、『SANKEI EXPRESS』 「【佐藤優の地球を斬る】「反イスラエル」強い 日本のメディア 配信元:2009/03/09 11:42
  7. ^ 『SAPIO』2008年8月20日・9月3日合併号
  8. ^ a b c 「よしりんと戦争勃発!」佐藤優ロングインタビュー 日刊サイゾー 2008年9月30日取材
  9. ^ 資料庫
  10. ^ 『SAPIO』2008年11月26日号
  11. ^ 『国家と神とマルクス』(2007年、角川文庫)
  12. ^ 『野蛮人のテーブルマナー ビジネスを勝ち抜く情報戦術』(2007年、講談社)183-184頁
  13. ^ 『AERA』2007年4月23日号
  14. ^ 『AERA』2007年4月30日号
  15. ^ 『週刊金曜日』2007年5月11日号
  16. ^ 「朝日『アエラ』スター記者が『佐藤優』に全面降伏」(『週刊新潮』2007年5月17日号)
  17. ^ 「マスコミを手玉に取る『佐藤優』の『豪腕』ぶり」『実話ナックルズRARE』(2008年11月25日発行、ミリオン出版)
  18. ^ 『en-taxi』Vol.20(2008年、扶桑社)
  19. ^ 『週刊金曜日』2009年5月29日号
  20. ^ a b 佐藤優「『改訂新版 世界大百科事典』について」、『月刊百科』第543号、平凡社、2008年1月、2010年12月28日閲覧。
  21. ^ 麻生でてこい!!リアリティツアー救援会 賛同・声明集 [1]
  22. ^ 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』|新潮
  23. ^ 新潮社での著書一覧
  24. ^ 新潮ドキュメント賞落選は、選考委員櫻井よしこのつけた前代未聞の0点が影響した。

外部リンク[編集]