佐藤優 (外交官)

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佐藤 優
生誕 1960年1月18日(48歳)
埼玉県
職業 起訴休職外務事務官
文筆家
配偶 既婚

佐藤 優(さとう まさる、1960年 - )は、日本外交官作家。男性。ロシア情報収集・分析のエキスパートとして活躍し、「異能の外交官」「外務省のラスプーチン」などの異名をとった。

2002年5月、背任容疑で逮捕。無罪を主張するが1審で有罪判決、2審で控訴棄却、2008年現在最高裁に上告中。 1審判決後、事件の内幕や背景などをつづった著書『国家の罠』を出版、ベストセラーとなった。

執筆時の肩書きは「起訴休職外務事務官」。護憲派にして、国体を重視し皇統の維持を強く訴える尊皇家であり、キリスト教徒でもある[1]

目次

[編集] 経歴

[編集] 外交官

東京都出身だが、母親は沖縄県久米島出身である[2]埼玉県立浦和高等学校卒業後、同志社大学神学部に進学[3]、大学院神学研究科修了。

1985年ノンキャリアの専門職員として外務省に入省。欧亜局ソビエト連邦課に配属され、ロンドン郊外の英国陸軍語学学校でロシア語を学んだ後、モスクワ国立大学言語学部に留学。

1988年から1995年まで在露日本大使館に勤務し、旧ソ連の政界・経済界・学界などに幅広い人脈をつくった。その人脈はイリイン旧ロシア共産党第2書記ら大物政治家をはじめ、改革派から守旧派にまで及び、若手のノンキャリアでありながら大使館幹部級の人脈をもつとして注目されていった。

  • 1991年1月のリトアニア独立運動の際には、最高会議場に立て籠もる独立派と独立阻止のため攻め入ろうとするソ連派双方の間を行き来し、説得と情報の橋渡しを続け、結果的にリトアニア独立後に独立貢献した外国人64人の1人としてリトアニア政府から図らずも叙勲される。
  • 1991年8月のソ連8月クーデターの際には、全世界が注目していたゴルバチョフの生死について、ゴルバチョフ生存の情報を世界のどの情報機関よりも早くつかみ、東京の外務本省に連絡する。
  • 日本帰任後の1998年には、国際情報局分析第一課主任分析官(課長補佐級、佐藤のために急造されたポストといわれる)となって情報収集・分析に活躍し、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領のクラスノヤルスク会談にもとづく2000年までの日露平和条約締結に向け交渉を担ってきた。

また、外交官として勤務するかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の講師(弁証法神学)や東京大学教養学部の非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。

[編集] 鈴木宗男との関係

1991年9月、日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた鈴木宗男の通訳と車の手配などを佐藤がおこなった件を機に知り合い、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったと言われる。鈴木宗男と共に仕事をしていたため、外務大臣になった田中真紀子からは疎まれ、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた。

[編集] 逮捕

2002年2月22日に外交史料館へ異動。2002年5月14日に背任容疑で逮捕。同年7月3日、偽計業務妨害容疑で再逮捕。2004年10月、保釈。2005年2月に東京地裁(安井久治裁判長)で執行猶予付き有罪判決(懲役2年6ヶ月 執行猶予4年)を受け控訴していたが、2007年1月31日、二審の東京高等裁判所(高橋省吾裁判長)は一審の地裁判決を支持し控訴を棄却。2008年現在最高裁に上告中。

佐藤は次の2つの容疑で起訴された。

一つは支援委員会をめぐる背任で、

この2回の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いである。この疑いに対し佐藤は、支援委員会から支払をすることは通常手続きである外務事務次官決裁を受けており正当なものだった、との主張をしている。

もう一つは北方領土支援にからむ偽計業務妨害である。これは2000年3月に行われた国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木の意向を受け、三井物産が落札するように違法な便宜を図ったり支援委員会の業務を妨害したとの疑いである。この疑いに対し佐藤は、北方領土の事情に通じた三井物産の選定は妥当であり、鈴木の「三井に受注されればいい」との発言を三井側に伝えただけだ、と主張している。

[編集] 論壇へ

一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕や背景などをつづった著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版すると、大きな反響を呼んだ。同書などにおいて、佐藤本人は自身にかけられた一連の容疑・判決を「国策捜査」であったと批判している。この著書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞し、以後爆発的に知名度を高めた佐藤は、外交官としての経験と知識を生かして論壇に多く姿を見せるようになった。そして新聞・雑誌などに外交評論や文化論を多く執筆し、手嶋龍一魚住昭など各界のビッグネームとの対談も好評価を得たことなどから、論壇での地位を確立した。

テレビというメディアに出演することには抵抗があるようだが、活字メディアや講演には精力的に顔を見せることでも知られる。特に最近ではジュンク堂書店での著書の紹介キャンペーンにも力を入れている。

2008年より早稲田大学大学院に設置されたジャーナリズムコースで、講師としてインテリジェンスを踏まえたメディア論について教鞭をとることとなった。裁判の終了後に正式な教員となる予定[4]

[編集] 人物

国際ジャーナリストの河合洋一郎によれば、佐藤の酒豪ぶりは関係者の間で有名で「ウオトカの5本くらいは乱れることなく、その体におさめてしまう」らしい。多くの編集者は、佐藤との会食のためにそれなりの準備をしてくるのが普通で、翌日の二日酔いは覚悟のうちだという。

睡眠時間も一日平均3時間ほどで、ウオトカを5本飲んだ翌日も、それだけ寝れば健康に過ごせるという[5]。こうした体質が、彼の情報収集、特に大酒のみのロシア人相手の場合において大いに役立っていることは、他の著作からもうかがうことができる。

[編集] ウィキペディアへの評価

佐藤は、ウィキペディアに対して、百科事典が本来果たすべき「歴史をある時点で切断し、その時点での体系知の構造を提示する」という目的・機能をウィキペディアは果たすことができない、と評している。また、ウィキペディアへの批判として、それが『世界大百科事典』といった従来の事典と比較して「信憑性が根本的に異なる」と指摘している[6]

[編集] 著作

[編集] 著書

[編集] 訳書

[編集] 解説・後書き

[編集] 雑誌連載

※2008年現在

  • SAPIO』「SAPIO intelligence database」
  • 月刊現代』「国家の嘘」
  • 『一冊の本』「ラスプーチンかく語りき」(魚住昭との共著)
  • 『文藝春秋』「インテリジェンス交渉術」 
  • 『PLAYBOY』「役に立つ神学」 
  • 『KING』(講談社)「野蛮人のテーブルマナー」
  • 『アサヒ芸能』「ニッポン有事!」
  • 『創』「ナショナリズムという病理」
  • 『文學界』「私のマルクス」
  • 『新潮』「高畠素之の亡霊」
  • 『諸君!』「保守再建」
  • 『創』「ナショナリズムという病理」
  • 『情況』「いまこそ廣松渉を読み返す」
  • 『産経新聞』「佐藤優の地球を斬る」
  • 『本の窓』「開国-私のナショナリズム」
  • 『みるとす』「イスラエル並びにユダヤ人に関するノート」
  • クーリエ・ジャポン』「海外ニュースの『楽しみかた』」
  • 『週刊東洋経済』「知の技法 出世の作法」
  • 『Will』「猫は何でも知っている」

他。

[編集] 受賞歴

[編集] 関連人物

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 「キリスト教徒」であることと「尊皇家」であることは両立できる。例えば、皇室の存在意義を積極的に認めていた知識人のクリスチャンには、新渡戸稲造・賀川豊彦・神谷美恵子が挙げられる。
  2. ^ わたしの視点(3) 沖縄戦「集団自決」問題
  3. ^ 琉球大学にも合格していたが、当時マルクス主義に傾倒していた佐藤を心配した親族によって、同志社大学に進学させられることとなった。
  4. ^ asahi.com:佐藤優さん、早大でインテリジェンスを講義
  5. ^ 『野蛮人のテーブルマナー ビジネスを勝ち抜く情報戦術』 講談社、2007年 p183-184
  6. ^ 「『改訂新版 世界大百科事典』について」『月刊百科』第543号、2008年1月
  7. ^ 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』|新潮
  8. ^ 新潮ドキュメント賞に元外交官の佐藤優さん : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

[編集] 外部リンク