野上義二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

野上義二(のがみ よしじ、1942年6月19日 - )は、日本の官僚外交官

来歴・人物[編集]

東京都出身。1961年都立日比谷高校卒業。高校時代はラグビー部で全国大会ベスト8に進出した。1966年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。

英語研修(在米国)、在タイ大使館三等書記官、通商産業省出向、経済局国際機関第一課、OECD代表部一等書記官、在タンザニア大使館一等書記官を経て、1982年6月経済協力局国際機構課長、1983年1月経済局国際機関第二課長、1984年7月経済局国際機関第一課長、1985年7月在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1988年 11月日本国際問題研究所所長代行、1991年2月大臣官房外務参事官兼中近東アフリカ局、1992年7月大臣官房審議官兼中近東アフリカ局、1993年8月兼総合外交政策局(免兼中近東アフリカ局)、1994年8月香港総領事

1996年経済局長、1997年OECD代表部大使、1999年外務審議官(経済担当)、2001年外務事務次官を歴任。次官在任時はその風貌から「ヒゲの次官」とマスコミにより渾名(あだな)された。

2002年駐イギリス公使兼イギリス王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)中東部シニアフェロー、2004年駐イギリス大使。2008年退官。同年6月よりみずほコーポレート銀行常任顧問。同年11月4日、第1回緊急首脳会議(金融サミット)を前に、行天豊雄と共に内閣官房参与に任命された。他、日本ラグビーフットボール協会評議員、日本オリンピック委員会理事などを務める。09日本国際問題研究所理事長兼所長。日本国際フォーラム評議員[1]


経済外交を得意とした。また、2000年九州・沖縄サミットではシェルパ(首脳の個人代表)を務めた。外務省の論客として知られ、しばしば総合雑誌などに寄稿している。

田中真紀子外務大臣就任以後、外務省内の人事も大幅な見直しを強制された。事務次官の人事にまで及ぶ混迷を極める中で、前任の川島裕の辞任を受け、経済畑ながら事務次官に就任するも、総理官邸と意思疎通を交わす中で、アフガン復興会議でのNGO処遇の事務当局の不手際もあって、田中と差し違える形で共に辞任することになる。

同期[編集]

参考資料[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。

外部リンク[編集]

先代:
原口幸市
外務省経済局長
1996年 - 1997年
次代:
大島正太郎