疑似科学

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疑似科学(ぎじかがく)とは、学問学説理論知識研究等のうち、その主唱者や研究者科学であると主張したり科学であるように見せかけたりしていながら、現時点(As of Today)での知見において科学の要件として広く認められている条件(科学的方法)を十分に満たしていないものを言う。例えば、当該分野で認められた科学的方法をとっていることが疑問であるため、科学専門誌への掲載が受理されないだけでなく査読にすら回らない「論文もどき」など。

pseudoscience(発音:/sudoˈsaɪəns/シュドサイエンス)の訳語であり、「虚偽の」を表すギリシア語ψευδήςpseudēs プセウデース)と、「知識・学問・学術」を表し、英語のscienceの語源でもあるラテン語のscientia(スキエンティア)の複合語である。

目次

概説

この語が最初に使われたのは1843年のことで、フランソワ・マジャンディーによるものである[注釈 1]

類似する表現として「ニセ科学」「病的科学」「プロトサイエンス」などがある。(⇒#類似の表現・概念との比較

科学と疑似科学の区別が混乱しているのは、けっして最近始まったことではなく、いつの時代も科学者はこの問題に直面してきた。1934年、ポパーによって、「反証可能性 」をもつ理論が科学、とするひとつの考え方が提示され、一定の評価を得ている。だが、このポパーの反証主義にも問題点があることが指摘された。反証主義の提示の後、統計学的手法が発展した。(⇒#科学と疑似科学の境界線

疑似科学の特徴や傾向については様々な指摘がある。(⇒#疑似科学の特徴・傾向

疑似科学は悪徳商法とも親和性が高く、金品を得るために用いられることがしばしばある。(⇒#疑似科学と悪徳商法

類似の表現・概念との比較

日本語では、「科学ではない」ということをはっきりさせるために、ニセ科学あるいはエセ科学という語を用いる人もいるが、単に「科学でない」ということであるならば文字通り「非科学」という表現がある。

「病的科学」。1953年にラングミュアがGE社で行った講演のタイトルで用いた。[1]

類似の概念で、科学的方法を採用するが未だ至らないもの、至っているが社会全般に科学であると認められていないものをプロトサイエンス未科学異端の科学)という。

フリンジサイエンス(境界科学)という表現もあるが、この表現を使う人の立場や話の前後状況によって肯定的な使い方か、または否定的ではあるが完全な揶揄や非難を避けたい場合の表現法であるかが微妙に変わる。いずれにしても、従来の正統な科学ではない意味となる。

周辺科学は、自分が主体となる科学分野から見た、その周辺の別分野の科学領域を指すものであり、疑似科学などの表現とはまったく関係がない。だが「境界科学」と紛らわしい表現である。

科学と疑似科学の境界線

科学と疑似科学の区別が混乱しているのは、けっして最近始まったことではなく、いつの時代も科学者はこの問題に直面してきた[2]とされる。 全ての人の要求にかなっていて、どんな批判にも耐えうる「科学の定義」などというものはない[3]ともされる。同様に、「科学」と「科学のまがいもの」の境界を定めようという試みも繰り返しなされてきたが、全ての人を満足させたことなど一度としてない[4]とされる。

科学哲学による科学と疑似科学の境界線

科学哲学では、何を科学とするかの論争が続いている。 どこからを科学とし、どこからを疑似科学とするのかを決定する境界設定問題(線引き問題)がある。この問題について詳細な探求を行った代表的なグループがウィーン学団である。ウィーン学団は、論理実証主義を用いて既存の科学を検証した。その結果、「あらゆる理論の中には、必ず未実証の部分が含まれている」ため、存在する全ての科学は「最終的には疑似科学と区別ができない」という結論に達した。

故に、現代の自然科学では、少なくとも人間によって合理性が認められる理論を「今のところ正しい(正しい可能性が高い)」と仮定し、それ以外の理論を「正しくない(正しい可能性が低い)」とする考え方が一般化した。(→仮説[注釈 2] もっとも現実には、学会の権威者の意向、科学雑誌の編集長の個人的な考え、その他の政治的な理由などで"正しさ"が決定されることもある[要出典]。極端な例としては、政治的な理由で"正しさ"が決定された旧ソ連におけるルイセンコ説がある。とはいえ、一般には同じ分野でも複数の学会や査読付き学術雑誌が存在するため、論理的・方法論的に間違った内容の論文・学説は別の学術雑誌からの批判に晒される。

反証主義

1934年、科学哲学者のカール・ポパーは自著『科学的発見の論理』[5]で、反証主義の考え方を展開した。反証が可能であるという意味の「反証可能性 (falsifiability)」をもつ理論が科学、とした[注釈 3]。「反証が不可能」な理論は、科学では無いとして線引きされる、という考え方である。

しかし、この反証主義の理論は、100%の再現性を求めるため、1度でも反証された理論を認めないという欠陥がある。このため現在の科学哲学では主流の考え方ではない。たとえば、ポパーの元で学んだラカトシュ・イムレは、ハードコアの考え方を展開し、多少反証が出た場合も有効であるとした。

アドホック(後付け)な仮説

ある理論が反証された後、後付けの説明を行うアドホックな仮説が行われることがある。反証主義では認められないが、科学的発見においてはしばしば行われている。

統計とバイアス

反証主義以降に、ある頻度で起こるというように確率的にものごとを検証する方法としての統計学が発達していった。 集団遺伝学を築いたロナルド・フィッシャーによる統計学的な実験計画法が発展していった。こうした統計に従った場合、線引きではなく、ある方法は再現性がどの程度あるかという程度の問題として捉えられる。

統計の際にも、人間の心理的な作用によって認知バイアスが起こり、例えば、自分の都合のいいように証拠を集める、測定するという確証バイアスがある。こうしたことを避けるため、1948年には、観察者にも誰に偽薬を渡したのか分からない計測方法である二重盲検法がはじめて行われた。1955年に、偽薬や偽治療によっても、心理作用を通して効果が出るというプラシーボ効果について発表された。効果のあると思っていることが、単なるバイアスだったり、プラシーボ効果だったりすることがある。

こうした統計を行った結果が有意水準以下だった場合、ある方法は偶然以上の確率で起こると考えられる。

1990年には医学分野で根拠に基づいた医療が提唱され、よりバイアスを排除できる研究や、複数の文献をもとに評価したものほど科学的根拠が強いとし、科学的根拠の強弱の概念を採用している。

こうした統計によって有効性が認められなかった方法や理論は、効果のない疑似科学であると批判されることがある。

疑似科学の特徴・傾向

疑似科学の特徴や傾向についての言及や、それをリスト化しようとした試みはある。ただ、そのリストは、一部が重なっているものもある[6]といった状態である。また、ひとつのリストに限ってみても、ある疑似科学の事例が、そのリストのすべてに当てはまる[7]、というわけでもない、という。

マリオ・ブンゲによる指摘 [8]

1. 融通性に乏しく、一般に新たな研究の妨げになる。 2. 一般に、支持者は、研究していない信奉者からなっている。 3. 場合によっては、商業的な関心から支持を得ることもある。 4. 現象のほとんどが信奉者にしか証明できず、その多くが超自然的効果をほのめかしている。 5. 根拠とする議論の多くが、時代遅れか、信頼できない文献からの引用か、証明不可能なものである。論の立て方に明確さや首尾一貫性がかけている。 6. 数学が使われることがめったになく、論理的な議論が欠けていることが多い。 7. 主張される現象の多くが、昔からあるものだが、アイディアに進展が見られない。

ハインズによる指摘

1988年、アメリカ合衆国心理学者テレンス・ハインズは自著[9]において疑似科学の傾向を以下のようにまとめた

  1. 反証が不可能であること (ポパーによる反証可能性)
  2. 検証への消極的態度
  3. 立証責任を転嫁する

マーティン・ガードナーによる指摘

1952年、アメリカ合衆国懐疑論マーティン・ガードナーは、その著書において、疑似科学者の傾向として以下の5項目を挙げた[10]

  1. 自分を天才だと考えている。
  2. 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
  3. 自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
  4. もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
  5. 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。

またガードナーは同著において以下のようにも述べた。

「もしある人が、手に入る限り全ての証拠に矛盾するし、また真剣な検討に値するような合理的な根拠を何一つ提供しないような考え方を頑固に提唱し続けるのなら、仲間から奇人というレッテルをつけられるのも当然だろう」

疑似科学に属する主張では、データの扱い方が作為的である、想定された結論に矛盾するデータを無視する、引用している文献と違うことが書かれている、データや根拠の非公開、研究方法の非公開、などといったものが見られる[11]

疑似科学の中には、「既存の科学理論の間違いを見つけたと主張する」ものがあるが、この場合科学理論の「直観的に分かりやすい」部分や「一般人にとって知名度が高い」理論が攻撃されやすいとされる。これは、疑似科学者の多くは科学的知識に乏しくて複雑な科学理論を理解できない事と、科学理論の間違いを示した時に一般人の反響が大きい事などが原因であろう。例えば「時空が歪む」とする相対性理論や「永久機関は存在しない」とする熱力学の法則は、疑似科学者達に頻繁に攻撃される傾向にある。特に相対性理論は素人には誤解されやすい理論であり、こうした攻撃の根拠の一つとして「宇宙はシンプルである」事が挙げられる。すなわち、シンプルであるはずの宇宙で、時空が歪むような「複雑な」現象が起こるはずがない、というのが彼らの主張である。

その他の傾向として、疑似科学者のなかにはディプロマミルで取得した博士号を権威付けに使うこともある。

疑似科学と悪徳商法

疑似科学を用いる者には法的には悪意の者(自分で説いている説明が科学的でないことを承知の上で非科学的な説明をして相手に何らかの不利益を与えようとしている者)もいれば善意の者(自らも信じており、それが非科学的とは思っていない者)もいる。善意の者は心から信じきっていることから「ビリーバー(「信者」の意)」とも呼ばれる。

疑似科学は悪徳商法とも親和性が高く、商品等を消費者に売って金品を得んがために用いられることがしばしばある。

金融商品の販売の現場においては、金融工学としては間違っている説明をあたかも金融工学的あるいは科学的であるかのように見せかけ、説明されたほうもそれが科学的と信じていることがある。

ねずみ講連鎖販売取引(MLM)の分野において、数式や図式を用いてミクロ経済学を装い事実と異なる説明が行われる場合があり、説明されたほうも自分は科学的で合理的な行動をとっていると思っている場合がある。

工業製品の販売に疑似科学が用いられることがある。節電器マイナスイオンなどを参照。

疑似科学は、偽医療の分野に親和性が高く、療法の根拠として使われることがある。世間に広く知れ渡っている医学的俗説の中には、医学的な正当性がないにも拘らず、(一般の人ばかりでなく)それを信じている医師が多いものもあるため、不適切な医療行為の原因になる恐れが指摘されている[12]

ニセ科学批判

疑似科学の社会的な悪影響を問題視する場合に、ニセ科学という表現が使われることがある。笑えるトンデモ科学のように社会的に有害性があるとまでは言えない疑似科学も多いため、ニセ科学という表現は、単に疑似科学というだけではなく、それが社会に対し大きな有害性を持っているとの見解を暗に表明するために用いられる。例えば、悪徳商法の手段となっている疑似科学を強く批判し、その社会的な害悪を防止する活動などを自ら評してニセ科学批判と呼ぶ。ニセ科学批判の目的が科学の啓蒙や社会の論評であるといった誤解がなされることがあるが、正しくは「社会的な有害性を持った疑似科学」による被害の防止を目的とした活動である。疑似科学的な表現を含む商品説明によってある特定の事業者が法令違反を犯していると仄めかす記述が大学のサイトで公開されている状態をお茶の水女子大学が削除の要請を拒否してまで放置したことが名誉毀損に当たるとして、法的紛争にまで発展している事例もある[13]。参加申立人代理人の壇俊光弁護士(Winny弁護団事務局長)は、科学的根拠を伴わずに「環境にやさしい」ことを謳った商品宣伝が行われていたとして、事業者による「エコ偽装」疑惑を追及する弁論を展開した[14]。さらには、 事業者が扱っている商品について「効能の,具体的内容を明らかにせず」に販売していた点を追及して、そのような販売方法は社会通念上の重大な問題があるとして、また、Wikipediaの悪徳商法の記述を有力な根拠として、当該事業者を悪徳商法に該当するものであると公式に断定してよいことを立証しようとした[15]。 ニセ科学批判の実際の態様については天羽優子のコメントが参考になる[16]


学問と疑似科学

精神分析学

ポパーなどの科学哲学者は精神分析学を疑似科学として断じた。というのも精神分析学反証可能性を持っておらず、たとえ精神分析学が間違っていようとも、うまく言い逃れができてしまう構造を精神分析学は内包しているからである。 Grunbaumにいたっては、精神分析学は反証可能性をもつ---なぜならそもそも精神分析学は全くの間違いであるから---と批判した。 なかには、フロイトの治療業績のいくつかは、---Anna Oの有名な奇跡すら---、捏造であると告発する者すらいる(Borch-Jacobsen 1996)。 (詳細は精神分析学を参照[注釈 4]

ソーカル事件

学者として認知される人も、自説を権威づける為に科学的な専門用語をもともとの意味を理解するつもりもなく並べる事がある。[注釈 5]

このような事態の一つの批判として、物理学者のアラン・ソーカルは、あえて科学用語を出鱈目に使った疑似哲学論文を書き上げて、有名なポストモダン系の人文学評論誌「ソーシャル・テキスト」に送りつけたところ、査読を通過し、見事に載録されてしまった。そしてソーカルはその後ブリクモンとともに『『知』の欺瞞』という本を書いて、ポストモダンないしフランス現代思想にくくられるような人文学批評に疑似科学的な表現があふれている事実を広めた。[注釈 6]

彼らの批判に対し「人文学批評における科学用語の使用は単なる比喩である」という再反論もあるだろう。しかし例えばラカンラトゥールは自身のフィクションについて、比喩でないと明言している[注釈 7]。ソーカルによれば彼らの著作における「科学」や「数学」は「あまりにも荒唐無稽」[17]なのだった。またソーカルらは比喩や詩的表現そのものを批判したわけではない。ソーカルが批判したのは評論家たちが「簡単な事を難しく言うために」[注釈 8]比喩を用いている事である。

疑似科学の悪影響

有名でない人物が正しい成果を出した際、単なる疑似科学と誤解されてしまい、世に成果を発表できない事がある。

科学でなく数学の例だが、インドの天才数学者ラマヌジャンが無名時代にイギリスのヒル教授、ベイカー教授、ボブソン教授に自己の成果を送ったが、見向きもされなかった。 しかし藤原正彦によれば、こうした無理解も「仕方がない」事だった。というのも「著名数学者はしばしば、大問題を解決したという数学マニアからの、ナンセンスな「論文」や手紙に悩まされており、「私(藤原)程度の人物にも年に1、2通は(そうした手紙が)届けられる」からである。[18]

なお、ラマヌジャンの場合はハーディが手紙を読んでくれた為事無きを得た。ハーディも最初は「狂人のたわごと」程度にしかとらなかったが、ラマヌジャンの成果の中に自分の未発表の成果と同じものが含まれているのを発見して、ラマヌジャンを評価したのである。

疑似科学批判の信頼性

疑似科学の主張には明らかに馬鹿げていると見えるものもままあるため、非科学的・非論理的な「批判」が行われてしまうことがある。誤った「批判」は、科学的思考の妨げとなるだけでなく、巧妙な外見を持った疑似科学を『科学者という暴君に弾圧される殉教者』のように見せ、科学的であるかのように誤認させる危険性がある。

科学的に評価する例として、アメリカでは1990年以降、国家機関が科学とは合わない理論をもつ代替医療の有効性についての臨床比較実験を行っている。このように科学的な手法によって有効性があるのかどうかを調査するか、既に行われた調査をもとにして批評を行うことが科学的な態度である。これを欠いた場合、批判者の批判も疑似科学となってしまう。

問題のある「批判」としてまず挙げられるものとして、「明らかに誤っている」「あり得ない」という態度で、検証・論証を抜きにした頭ごなしに否定することがある。こういった否定論は、地動説大陸移動説のように当初は認められなかった学説が後に定説となった科学史上の事例によって容易に反駁され、その否定された疑似科学の主張があたかもそのような不遇の学説であるかのように語られるという、否定論者の意に反した結果になりがちである。 これほど単純ではないが同様の問題を持つ「批判」が、対象となる疑似科学の主張や論理を十分理解せずに思い込みで行われる「批判」である。この種の論では検証や論証が行われるのだが、実はそれらが的外れなものになってしまうことがある。その場合、批判される側は「批判者は無知・傲慢にとらわれている」「彼らは愚かだから分からない」と反駁することができ、やはり批判が逆効果となる可能性がある。

例えば「魔女は魔力を利用してホウキで空を飛ぶ」という主張があるとする。この時、ともすれば「なぜ魔力で空を飛べるのか?(魔力は浮力や推進力に変換出来るのか?)」といった批判になりがちである。しかしこの批判はすでに的はずれである。なぜなら魔力が存在することを前提に議論しているからである。ここですべき批判は「魔女や魔力という言葉は何を指しているか?」である。魔力が浮力を産むかどうかの検証をしようとしてはいけない。

なお、少なくない疑似科学批判者の言説、一例を挙げれば大槻義彦超常現象に対する言動がこのような安易な疑似科学「批判」にあたるとの指摘がなされている[19][20][21]

疑似科学とみなされる事が多いもの

マーチン・ガードナーが『奇妙な論理』で挙げているもの

1952年の著書[10]で言及されているもの。

英語版の疑似科学例より

疑似科学とは言い切れないが、疑似科学扱いされているもの

その他

美容・健康に関するもの

自然科学に関するもの

社会科学に関するもの

考察対象

 

脚注

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注釈

  1. ^ フランソワ・マジャンディは、実験生理学の先駆者と評価されている人物である。en:François Magendie
  2. ^ 但し、原理といった一般に広く真実と受けとめられている事柄を前提条件とし、その確かさ(不確かさ)に依存させつつ、ある理論の"正しさ"を、それなりに評価することは可能である。だが、科学の世界では、ある時(時代)に当たり前と思っていた前提が、後にあっけなく崩れることがある。また、法則は、有効範囲がどこまでなのか、事前には予測がつかないことも多い(科学哲学者ツールミンの指摘など)[要出典]
  3. ^ 例えば、相対性理論から導かれる有名な結論として、「いかなる質量も真空中の光速を超えて運動することはない」というものがある。そのため、ある物体を超光速まで加速してみせること、あるいは加速した結果を示すことができれば相対性理論は否定される。これが反証可能性であり、カール・ポパーは、これによって相対性理論を科学理論に分類できる、と考えた。
  4. ^ ただし現代のアカデミックな心理学まで疑似科学だと誤解しないように注意する必要がある。現代のアカデミックな心理学はおおむね科学的方法を守っている。(フロイトなどの)精神分析学は、心理学の本流ではなく、あくまで傍流である。それについては心理学の項の「誤解」の節も読むこと。
  5. ^ こういった事は、学術論文の著者やその査読者によっても、論文の題材についてよく知らない編集者の印象を操作しようとして行われることがある。但し、それは非公式の著者、査読者、編集者の間のやりとりにおいてのことである。
  6. ^ たとえば『『知』の欺瞞』には次のような発言がある。(ポストモダンの著作で)「最もよく見られるのは、用語の本当の意味をろくに気にせず、科学的な(あるいは疑似科学的な)用語を使って見せる」行為である(p6)。彼らは「人文科学のあいまいな言説に数学的な装いを施して「科学的な」体裁をつくり出すための絶望的な努力」をしている(p18)。たとえば、「擬似科学的な用語がドゥールズガタリの作品全体にはあまねく満ちあふれている」(p225)
  7. ^ ラカンは神経症トポロジーと関係するという自身のフィクションについて『これはアナロジーではない』とはっきり発言している(『「知」の欺瞞』p27より重引)し、ラトゥールも経済と物理における特権性に関する自身のフィクションについて『隠喩的なものではなく、文字通り同じ』(『「知」の欺瞞』p172より重引)と隠喩でない旨を強調している。
  8. ^ 正確な引用は『メタファーは馴染みのない概念を馴染深い概念と関連させる事で説明するために使うものであって、決して逆の状況では使わない』(『「知」の欺瞞』p14)。実際我々が『場の量子論についての非常に専門的な概念をデリダの文学理論でのアポリアの概念にたとえて説明したら』(「知の欺瞞」p14)、『学をひけらかす以外いったい何の役に立つのか、と思うはず』である』(同書同ページ)。

出典

  1. ^ 『きわどい科学 -ウソとマコトの境域を探る-』p.322
  2. ^ 『きわどい科学』p.320
  3. ^ マイケル・フリードランダー『きわどい科学 -ウソとマコトの境域を探る-』p.322
  4. ^ 『きわどい科学』p.322
  5. ^ カール・R.ポパー 『科学的発見の論理-上』大内義一訳、森博訳、恒星社厚生閣、1971年。(原著 Logik der Forschung, 1934)
  6. ^ 『きわどい科学』p.322
  7. ^ 『きわどい科学』p.325
  8. ^ 『きわどい科学』p.324
  9. ^ テレンス・ハインズ『ハインズ博士「超科学」をきる―真の科学とニセの科学をわけるもの』化学同人、1995、ISBN 4759802754。(原著 Pseudoscience and the paranormal, 1988
  10. ^ a b マーティン ガードナー『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究(ハヤカワ文庫NF)』早川書房、2003、ISBN 4150502722。(原著 in the Name of Science, 1952)
  11. ^ 『トンデモ科学の見破りかた』ロバート・アーリック p10-16. ISBN 978-4794212825
  12. ^ R. C. Vreeman and A. E. Carroll, Medical myths, BMJ, 335 (2007), 1288-1289.
  13. ^ 「お茶の水女子大学を神戸地裁に提訴しました」(マグローブ株式会社 会長 吉岡英介)
    平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加人 準備書面2
    平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 原告 準備書面3
  14. ^ 平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加人 独立当事者参加の申出書
  15. ^ 平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加人 準備書面1
  16. ^ 「「ニセ科学」関連・最終記事」(津村ゆかり)のコメント欄 ― Posted by: apj | 2007.08.26 at 05:31 PM
    「ニセ科学批判に関する個人的な考察」(Jack周遊記)のコメント欄 ― Posted by apj at 2007年12月23日 16:10
  17. ^ 『「知」の欺瞞』p50
  18. ^ 『天才の栄光と挫折―数学者列伝』、p162。
  19. ^ 皆神龍太郎「日本のアンチ・ビリーバーは、だからトホホなのだ」『別冊宝島334 トンデモさんの大逆襲!』227-235頁(宝島社、1997年)
  20. ^ 久保田裕「火の玉教授はなんでもプラズマ 大槻義彦」と学会『トンデモ本の世界』269-278頁(洋泉社、1995年)
  21. ^ 永瀬唯「大槻博士の、科学の基本がわかってない本」と学会『トンデモ本の逆襲』48-53頁(洋泉社、1996年)

関連項目

類義語

疑似科学批判

関連理論

その他

関連書籍

外部リンク

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