ジョージ・ソロス

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ジョージ・ソロス
2006年12月、クアラルンプールで採取産業透明性イニシアティブ(EITI)について話すソロス
生誕 1930年8月12日
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国ブダペスト
出身校 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
職業 投機家 投資家 慈善家 哲学者 事業家
純資産 220億USドル2011年
配偶者 Tamiko Bolton(再々婚。前妻: Annaliese Witschak, Susan Weber Soros)
子供 5人(Robert, Andrea, Jonathan; Alexander, Gregory)
Tivadar Soros(父)
親戚 Paul Soros(兄)ほか

ジョージ・ソロスGeorge Soros1930年8月12日 - )は、ハンガリーブダペスト生まれのハンガリー系およびユダヤ系アメリカ人投機家投資家ヘッジファンドマネージャー。ハンガリー名はショロシュ・ジェルジ(Soros György)。

概要[編集]

哲学者慈善家自由主義的な政治運動家でもある。自身を「国境なき政治家」と称す。

1960年代にファンドを立ち上げ、2010年時点のソロスのファンドの運用資産(そのほとんどは現在では彼と彼の家族の個人資産からなる)は270億ドル。個人資産は220億ドル(2011年)。思考の不確実性と現実の出来事の不確定性の双方向の繋がりに関する概念「再帰性 (reflexivity)」の理論を提唱。2011年1月26日、ファンドでの投資活動から引退したことを明らかにした。同年7月26日、ソロス・ファンド・マネジメント内の外部投資家資金を全額年内に返還することを決定。

また、1979年に始まる慈善事業への寄付金総額は、2011年までに80億ドルを超えた。

ソロス・ファンド・マネジメント会長、Open Society Foundations(OSF、オープンソサエティ財団。旧称: Open Society Institute (OSI))創設者、彼の生まれ故郷でもあるハンガリーブダペストにある中央ヨーロッパ大学 (CEU) 共同創設者、Project SyndicateおよびInstitute for New Economic Thinking出資者。過去に外交問題評議会 (CFR) に在籍した時期もある。


経歴[編集]

家族[編集]

ジョージ・ソロスは弁護士でエスペラント作家でもあったティヴォドア・ソロスの二人息子の次男として生まれた。カウフマンの伝記“Soros”(2002年)によれば、ティヴォドアはハンガリー系のユダヤ人であり、第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアから逃走し、ハンガリーのブダペストで自分の家族と合流した。

ソロス一家は、ファシストの台頭と反ユダヤ主義の広まりに応じ、1936年アシュケナジムに多いSchwartz(シュヴァルツ)からSoros(ショロシュ)へと姓を変えた(参照:Kaufmann, p.24)。ティヴォドアは、この新しい名前が気に入った。この名前は、回文であり、それなりの意味があったからである。その意味について、カウフマンの伝記でも明確に述べられているわけではないが、ハンガリー語では「SOROS」は「並びの次」または「指名されている後継者」を意味し、エスペラントでは「上昇するだろう」(「上昇する」を意味するsoriの未来形)を意味する。彼の息子であるジョージは、生まれたときからエスペラントを学んだ。このため、彼は数少ないエスペラント母語話者である。ジョージ・ソロスは後に、典型的なユダヤ人家族に育ったことと、彼の両親は宗教的なルーツに対して慎重であったことを述べている。ただし、ティヴォドアはユダヤのルーツを誇りにしていた。これは、彼のホロコースト体験を綴った回顧録「Masquerade」にも記述されている。

ジョージ・ソロスは3度の結婚を経験している。最初の妻はAnnaliese Witschak、2番目の妻はSusan Weber Soros、3番目の妻はTamiko Boltonである。最初の妻Annalieseとの間にロバート、アンドレア、ジョナサンの3子がおり、2番目の妻Susanとの間にアレクサンダーとグレゴリーの2子がいる。彼の4人の息子のうち、最年少でまだ若年のグレゴリーを除いたロバート、ジョナサン、アレクサンダーの3人全てが、ソロスのファンドまたは財団の下で働いている。一人娘のアンドレア・ソロス(Andrea Soros)は慈善家として、1993年より中国におけるチベット人コミュニティを支援するための独自の財団Trace Foundationを持ち活動しているほか、世界の貧困解決のための非営利のベンチャーファンドであるアキュメン・ファンド(Acumen Fund)の評議員を努めてもいる[1]。また、兄ポール・ソロス(Paul Soros)はエンジニア出身の起業家で、慈善家、投資家、ニューヨークの名士としてもよく知られている。

ソロスは1983年のスーザン(Susan Weber Soros)との生涯2度目となる結婚の後、2004年に離婚したが、2013年には1972年カリフォルニア生まれの日系ハーフTamiko Boltonと結婚している。

少年期[編集]

ソロスが13歳のとき、ナチス・ドイツが同盟国であるハンガリーを軍事的コントロール下に置いた(1944年3月19日)。そして、ハンガリーのユダヤ人に対しホロコーストによる殺戮が始まった。ソロスは、短い間だが、ナチスが設立したユダヤ協会に従事した。この組織は、ユダヤ人弁護士たちに退去命令を送るものであった。ソロスは、退去命令がもたらす結果について、関知していなかったと主張した。翌年、ソロスはブダペストでのナチス・ドイツ軍ソ連軍による熾烈な市街戦を生き延びた。その後、ソ連軍による虐殺を目の当たりにしハンガリーを出ることを決意する。この時期、ハンガリーのハイパーインフレーションの間(1945年 - 1946年)、ソロスは初めて通貨取引をした。

1946年、ソロスは西側でのエスペラント青年議会に参加することによってソ連の占領から逃れた。ソロスは幼児期(母語獲得期)からエスペラントを教えられていたので、彼は貴重な「著名人としての」エスペラントの「母語」話者である。

1947年、ソロスは荒廃した祖国を逃れてイギリスに移住し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに入学する。この頃のソロスは、国許から援助はなく、鉄道駅で貨車の積み込みの重労働などをして生活費と学費を稼ぐような苦学生であった。足場から落ちて脚を骨折したため一時は生活にも窮するが、思いがけず送られてきた保険金でようやく学費を払うなど苦節の青年期を送る。同校を1952年に卒業し、しばらく職を転々としたのち1956年にはアメリカに移る。その意図はウォール街で著述家と哲学者として自立するのに十分な資産を稼ぐことにあったと述べている。

ビジネス[編集]

ソロスはソロス・ファンド・マネジメントの設立者である。1970年、彼はジム・ロジャーズとともに(後のクォンタム・ファンド)を設立した。ファンドは10年間で3,365%のリターンを出してソロスの富の大部分を形成した。

通貨投機[編集]

90年代初頭のイギリスは、89年の東西ドイツ統合や欧州経済共同体の域内資本移動活発化による資本流出、欧州各国の不況、イギリスのサッチャー政権を初めとした各国政府の財政健全化策の影響等によって経済成長が後退し、失業率が上昇を見せ始めていた。弱い経済の中、イギリスは欧州為替相場メカニズム (ERM) に従い、自国通貨ポンドと欧州他国通貨との相場を、将来の欧州共通通貨ユーロ導入に向け、一定範囲に固定する政策を取っていた。1992年になると欧州経済圏統合の形を具体的に定めたマーストリヒト条約が調印され、その中で「政治統合無しの通貨統合を行う」と謡われていたことから、ユーロ導入が進むことでユーロ採用国が自国経済調節のため打ち出す金融政策の柔軟性は失われて行くであろうことが予想された。イギリスは共通通貨導入に向けたこれらの制約によって、効果的金融政策の手段の一部を欠いていた。欧州経済が不調な中で92年9月、同様に経済が後退期に入りつつあったイタリアが自国通貨リラを7%切り下げた。以前よりソロスは彼の部下スタンレー・ドラッケンミラーStanley Druckenmiller)(後に世界的に著名なヘッドファンドマネージャーとして知られるようになる)と共に、イギリスの経済力に比して通貨ポンドが政府により無理に高く固定されていると考えていた。イタリアによるリラ切り下げを契機として彼らは短期間に巨額のポンド売りを行った。これによりポンドは大きく下落した。イギリスはユーロ導入に向けポンドをERMのルールに基づき固定させる必要があったため、イギリス政府・財務省はポンドの下落に対し買い向かったが、資金が尽き、固定相場制を解きERMを脱退、ユーロ導入を断念した。イギリスがERMを脱退しユーロ導入を断念して以後、イギリス国内経済は、1993年より2008年まで長期に渡り失業率の改善・安定経済成長・安定インフレ率を実現した。

1992年10月26日の「タイムズ」紙にて、ソロスは以下のように答えている。

「我々のブラックマンデーまでのトータルポジションはほぼ100億ドルの額であった」
「しかし、我々はそれ以上に売ることを決断した」
「事実、ノーマン・ラモント(英財務大臣)が英国通貨スターリング(UKポンド)を買い支えるため、150億ドルを借りることを価値切り下げの直前に行ったとき、我々はどのくらい空売りすることになるかということを暗に示していたので、楽しんでいた。」

1997年アジア通貨危機の間、マレーシア首相マハティールはソロスがマレーシア通貨リンギットを下落させたと名指しで非難した。ソロスはこの非難について、アジア通貨危機の最中もそれに先立つ数ヶ月間にも、バーツやリンギットを売ったことがなく、これらの通貨が下落しはじめたときはリンギットを買っており、この買いは早すぎたと述べている。

インサイダー取引の有罪判決[編集]

1988年、ソロスはフランスの大手金融機関ソシエテ・ジェネラルの乗っ取りの試みに参加するように頼まれた。彼は株式の取得への参加を断ったが、後に比較的少量の株式を買った。14年後の2002年、フランスの裁判所はその行為はフランス証券取引法を根拠としてインサイダー取引であると裁決し、200万ドルの罰金を科した。ソロスは一貫して罪状を否認し、乗っ取りのニュースは誰もが知っていたことであったと主張した。PBS

自由主義的な政治運動家[編集]

投資・投機家として著名であるが、自由主義的な政治運動家としても知られる。例えば、ポーランド民主化運動において、労働組織である「連帯」へ支援を行い、チェコスロバキアにおける反体制運動であった憲章77と同様に、ソビエト連邦によるこれらの国々への支配を終わらせることに寄与した。また、2003年グルジアで起こった政変(バラ革命)でも彼の資金提供があったとされ、その成功に重要な役割を果たしたとロシアと西欧双方の識者から評された(ソロス本人はこの見方を、誇張されたものだとコメントしている)。その他、アメリカ大統領選挙において、ジョージ・W・ブッシュの再選に反対する陣営に支援を行っていた。

連邦準備制度議長ポール・ボルカーは、ソロスの著書『ソロスの錬金術』(原題:The Alchemy of Finance)の序文に寄稿し、以下のように述べた。

ジョージ・ソロスは、非常に成功した投機家として、あるいは、まだゲームが有利なうちに手を引く賢明さを具えていることで、その名を知られている。現在、彼の得た大金の大半は、途上国と新興国の社会が「開かれた社会」になるために使われている。ここで言う「開かれた社会」とは、"商業の自由"のことだけを意味しているわけではない。もっと重要なこと、すなわち(人々が)新しい考え方や、自分とは異なった考え方や行動に対して、寛容の心を持っていることを意味している。

慈善事業[編集]

ソロスは、アパルトヘイトが行われていた南アフリカの黒人生徒のケープタウン大学への通学援助のために基金の提供と、鉄のカーテンの後ろでの反体制運動への資金提供を始めたときの1970年代以来慈善家として活動している。東ヨーロッパでのソロスの慈善的資金提供はほとんどOpen Society Institute(OSI)とNational Soros Foundations——これはポーランドでときどき他の名前(Stefan Batory Foundation 等)を通して行われている。OSIは最近は毎年約4億ドル使っていると発表している。注目すべきプロジェクトには科学者への援助と、中央・東ヨーロッパのいたるところの大学への援助とサラエヴォ包囲間の市民の援助、世界規模のドラッグを廃止するためのドラッグ禁止法への努力への援助、トランスペアレンシー・インターナショナルへの援助がある。

1979年に始まるソロスの慈善事業への寄付金の総額は、2011年までに80億ドルを超えている。

ソロスはまた、彼の生まれ故郷ハンガリー・ブダペストにて共産主義の崩壊後の1991年に設立された中央ヨーロッパ大学 (CEU) の共同創設者であり、4.2億ユーロの寄付を行っている。同大は現在、8.8億ドル(2010年)もの豊富な大学基金を有する、ヨーロッパで最も資金力のある大学の一つになっている[2]

ソロスが5000万ドルを提供する約束で2009年10月、ニューヨークに新経済思想研究所(Institute for New Economic Thinking)が創設された。この研究所にはジョセフ・スティグリッツジョージ・アカロフジェフリー・サックスらが助言を行っている。 2010年4月には同研究所経由での出資により、英オックスフォード大学に新たな経済研究所を創設すると発表した。

彼はニューヨークのNew School for Social Research1980年オックスフォード大学ブダペスト経済大学1991年イェール大学から名誉博士号を授与された。2000年にソロスはまた1995年ボローニャ大学の最も名誉なLaurea Honoris Causa同様、財政の賞のためにYale School of ManagementからYale International Centerを授与された。

ソロスの財団Open Society Instituteはまた、ウィキメディア財団の大口寄付者の一つでもある[3]

哲学[編集]

教育と信条[編集]

ソロスは哲学にも強い関心を抱き続けてきた。彼の哲学に対する考え方は、主にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス在学中に学んだカール・ポパーの思想に広範な影響を受けている。実際、ソロスが創設したOpen Society Instituteは、ポパーの上下2巻に及ぶ著書『開かれた社会とその敵』(原題: Open Society and Its Enemies)にちなんで名付けられているし、ソロスが現在取り組んでいる哲学上の関心事である「可謬論(可謬主義)」[4]の原則も、同様にポパーの哲学に由来している。もっとも、ソロスの固い政治信条がポパーが支持する徹底した合理主義と矛盾するのではないかとする批判もあるが、ソロス本人の主張するところによれば、彼の政治信条はまさにポパーの合理主義を通して培われてきたものであるという。

再帰性[編集]

ソロスによる再帰性の理論は人間社会で起こる出来事を理解するためのパラダイムである。

この理論では、再帰性の定義として、人間が世界を知識として理解しようする機能を「認知機能」と呼ぶ。また、人間が世界に影響を与えようとし、改造しようとする機能を「操作機能」と呼ぶ。認知機能においては、世界の現実的な姿が独立変数、観察者の世界理解が従属変数となる。ここで、世界 world の現実的な姿を「W」、観察者の世界理解 understanding を「U」、認知機能(認知 cognition の機能 function)を「FC」とすると、"FC(W) → U" と記述できる。一方、操作機能においてはこの関係が逆転して、観察者の世界理解が独立変数、世界の現実的な姿が従属変数となる。操作機能(操作 manipulation の機能 function)を「FM」とすると、"FM(U) → W" と記述できる。つまり、U が W を、W を U が規定しあう関係となっており、この双方向的な状況においては確たる結果を生み出すことは不可能となる。

この双方向的な干渉を、ソロスは「再帰性 (reflexivity)」と名付けた。

資本主義的自由市場システムについての主張[編集]

投資家・通貨投機家としてのキャリアをスタートしてから増大し続けて来たソロスの富は、2011年には過去最高の220億ドルに達した。彼の莫大な富のほとんどを形成し、半生に渡り現在も継続しているそのキャリアにも関わらず、ソロスは現在の国際金融投機のシステムについて、多くの発展途上国の健全な経済発展を阻害するものであるとし、また世界の多くの問題を彼の言う市場原理主義固有の失敗の為であると主張する。グローバリゼーションに対しても多くの面で反対し、論争の的になっている。

ヴィクター・ニーダーホッファーによれば「とりわけ、ジョージはそれでも自己利益の過剰を罰するための強い中央国際政府のある混合経済を信じていた」。

グローバル市場において巨額の利益を得て来ながら、同時に一方ではこのグローバリズムに反対し、自己の利益を損なうことを意味する市場の規制強化を要求するという、自己矛盾的であり不可解にも感じられる彼の主張は、ポール・クルーグマンのような著名な経済学者を含めた専門家らをも困惑させて来た。ソロスの主張に対して一貫して批判的態度を取っているクルーグマンは、この主張を「私がこれ以上儲ける前に、私の行動を止めてくれ!」という意味だと揶揄を込めて語っている[5]

これに対し、ソロスはまず、単に市場参加者であることと、市場参加者が従うべきルールを変えるために働くことの違いを示すことで自身の主張の意味を明らかにしている。つまり、既に単なる一投資家であることを超え、広く公共的利益のために政治経済に対する主張と活動を展開している彼にとっては、たとえそれが金融市場における自己利益の追求における減損を意味するものであったとしても、公共の利益のためならば市場システムの問題改善を要求することにやぶさかではないということである。

従って、ソロスはまた、市場参加者として自己の経済的利益のために働くことに何の疑問も持たないようである一方、同時に「国境なき政治家」を自負する者として、世界的な金融システムの劇的な総点検を政治家に働きかけてもいる。イングランド、東ヨーロッパとタイを含む多くの金融危機に対して個人的に責任があるという告発に対しては端的に、「市場参加者として、私は自分の金融行動の結果に関心を持つ必要はありません。」と述べた。

政治的見解[編集]

ソビエト連邦への反対[編集]

Neil Clark(“New Statesman” に書かれている)によると、彼の型にはまった左翼の多くと共有している見解は、東ヨーロッパでの社会主義の崩壊はその体系的弱さと、民衆の支援を得ることへの政治的エリートの失敗のためであるということである。それは、部分的には正しいかもしれないがソロスの役割は決定的に重要であった。1979年から、彼は年300万ドルをポーランドの連帯運動、チェコスロバキアの憲章77、ソビエト連邦のアンドレイ・サハロフを含む反体制組織に寄付した。1984年、彼は最初のOpen Society Instituteをハンガリーで設立した。そして、何百万ドルも反対運動と独立したメディアに注ぎ込んだ。

ソビエト連邦の(進歩的なソロスの資金提供によっての)没落から反帝国主義の大義は、旧ソ連で重要な役割を果たし続けている。グルジアバラ革命への彼の資金提供と組織は、ロシアで西側のオブザーバーによるその成功にとって重要であると思われた。しかし、ソロスは自身が果たした役割について、大いに誇張されていると語った。

ソロス vs. ブッシュ[編集]

ソロスは、個人的に長年に渡って民主党びいきであったが、それでも2004年のアメリカ大統領選挙まではアメリカの政治の原因を作り出すような大きな寄付者ではなかった。2003年11月11日、「ワシントン・ポスト」のインタビューで、ソロスはオフィスからジョージ・W・ブッシュを取り除くことは"私の人生の中央にある焦点"であり"生と死の問題"と言った。彼は自分のすべての財産を犠牲にしてブッシュを破ると冗談で言った。そして、カリフォルニアのCommonwealth Clubで2004年3月3日の終わり、ソロスがQ&Aの集まりでこの声明のユーモアの本質をはっきりさせた後でさえ、多くがブッシュについて声明を出し続けた。

ソロスは300万ドルをCenter for American Progressに与え、500万ドルをMoveOn.orgに委託して、一方で彼と彼の友人Peter LewisはそれぞれAmerica Coming Togetherに1000万ドルを与えた(すべてが2004年のアメリカ大統領選挙で民主党の支援のために活動していたグループであった)。2004年9月28日、彼はそのキャンペーンにもっと資金を捧げた。そして、複数の州を巡る演説の旅を始めた。“Why We Must Not Re-elect President Bush”(なぜ私たちはブッシュを大統領再選させてはいけないのか?)ワシントンDCのナショナル・プレス・クラブで配達された。ディック・チェイニーが副大統領の議論で「factcheck.com」として偶然にFactCheck.orgに言及したあと、このスピーチへのオンライン・コピーは多くのアクセスを受けた。そして、そのドメインの所有者に全ての通信をソロスのサイトに繋がせた。

Responsive Politicsのためのセンターによると、2003年から2004年の選挙サイクルの間、ソロスは236万ドルをジョージ・ブッシュ大統領を破ることに捧げられている527の様々なグループに寄付した。ソロスの努力にもかかわらず、ブッシュは2004年11月2日に大統領として第2期目となる再選を果たした。

また、連邦選挙運動への「紙幣」献金を禁止することを目的とした2002年のBipartisan Campaign改正法を要求したので、ソロスは彼の大きな寄付のために非難された。ソロスは、つながりのない組織への寄付によって、候補者または政党に対する直接の寄付と同じような腐敗問題が生じることはないと答えた。

ちなみに、ハーケン・Energy(ソロスによって部分的に所有される会社)は、彼の石油会社Spectrum 7を買収することによって、1986年にジョージ・W・ブッシュとビジネスをした。

彼の本“The Bubble of American Supremacy”は、2004年1月に出版された([4])。

批評[編集]

ファイナンシャル活動への批評[編集]

批評家はソロスが彼の私的所有ファンドを通じて為替市場に対して不当な影響を与えていると主張する。他の多くの巨大ヘッジファンドと同様、彼のファンドはオフショアタックス・ヘイヴンに登記されており、特にオランダ領アンティルキュラソー島に登記されている。

2004年8月にChris Wallaceの「FOX News Sunday」に出演して、アメリカの下院議長デニス・ハスタートは、

「我々はジョージ・ソロスの資金がどこから来ているのか知らない。我々はそれが左のどこから来て右のどこへと入っていくのか知らない。知っての通りソロスの資金のいくらかは海を越えてきている。それは、麻薬の資金である可能性もある。我々はそれがどこから来ているのか知らない。」

と発言した。これに対してソロスは

「私に言い掛かりと間違った事実を塗りつけることによって、あなたは批評の議論を抑えて、この管理が破滅的な方向に国を導いていると思っている人々を脅迫しようとしています。私があなたの冤罪の上であなたを名指しした今、あなたはさらなる中傷戦術を使用しています。」

とハスタートに反論した[5]。ソロスは下院のStandards of Official Conductの委員会に公式な不満を提出した。 ソロスは、ハスタートのコメントが「強く、沈黙批評に中傷戦術、脅迫と嘘を使う慎重な努力を提案する」と主張した。

政治活動への批評[編集]

ジョージ・ソロスは多くの批判をアメリカの共和党とイスラエルの支持者に対して行ってきた。

ブッシュ政権の支持者は、彼の反ブッシュのキャンペーンへの寄付をよく思ってはいない。ニューヨークでのユダヤ人のフォーラムでソロスは、部分的に反ユダヤ主義の近年の復活をイスラエルとアメリカ合衆国の方針、そして、彼自身のような成功したユダヤ人によるものであると考えた。

"反ユダヤ主義の復活が、ヨーロッパにあります。ブッシュ政権とシャロン政権の方針は、それに貢献します。それは特に反ユダヤ主義ではありませんが、それは同様に反ユダヤ主義を現しています。私は、それらの方針に批判的です。
我々がその方向を変えるならば、反ユダヤ主義も減少します。私は、人がどのように直接それに直面することができたかについて、分かりません……
新しい反ユダヤ主義がユダヤ人が世界を支配すると考えているので、私は私自身の役割も非常に心配します……私の行動の意図しない結果として……私も、そのユダヤ人が世界を支配するというイメージに貢献しています。[6]

これはおそらく、ソロスのカール・ポパーの哲学の結果と自己批判に対する結果傾向であろう。

B・ゴールドバーグは、著書『アメリカをだめにする100人の人々』で、厳しくソロスの哲学を批判した。

引用[編集]

  • テロに関して:「“どのようにしたら我々はテロリストが我々に仕掛けた罠から逃げることができるのだろうか”と彼は尋ねた。“テロリズムに対する戦争は賃金を払う戦争によっては勝てないということを認識することだけである。我々は、もちろん我々の安全を守らなくてはならない。しかし、我々はまたテロが作る深い悲しみを修正していかなくてはならない。犯罪は軍事行動ではなく政治的力が必要なのである。”」
  • ブッシュ政権に関して:「“開かれた社会は社会の構成員に他の構成員の利益と比較できる程度の利益を追求する自由が最大限可能な程度許されている社会である。”このようにソロスは言った。“ブッシュ政権は単により狭い自己の利益の定義しかもっていない。それには他の利益は含まれない。”」
  • ブッシュ政権に関して:「ブッシュ政府の至上主義者イデオロギーは開かれた社会の原理に反対して位置しています。開かれた社会は人々には異なる見方がある、そして、誰もが究極的真実を所有していないと気づく社会です。至上主義者イデオロギーは、我々が他より強いから、我々には分別があって、我々の側で正当があると仮定します。2002年9月の国家安全保障戦略の最初の文[7](大統領年次国家安全保障目的会議計画)は以下のことを読み上げます — 『自由と全体主義の間の20世紀の大きな闘いは、自由の力への決定的な勝利と国家成功の唯一持続可能なモデルによって終わりました:自由、民主主義と自由企業制。』」
  • 麻薬の合法化について:「私に責任があるならば、私が何をするだろうかについて、あなたに話したいと思います。私は私がほとんどの麻薬を作る厳しく制御された流通ネットワーク(クラック(合法的に利用できる)のように最も危険なものを除外して)を確立します。まず最初に、私は麻薬取引を破壊するのに十分な安い価格を維持します。一旦その目的が遂げられるならば、私はタバコの消費税のように価格をかなり上げ続けます、しかし、私は犯罪をはばむために登録された中毒者のために例外を作ります。私は、防止と治療のために一部の収入を使います。そして、私は薬物使用の社会的な非難を促進します。」
  • 慈善に関して:「いかなる罪の意識という理由によっても、私は慈善事業をしているわけではありませんし、いかなる公共的関係を創造する必要性からでもありません。私がそれをする余裕があるから、私はそれをしています、そして、私はそうであると信じています。」
  • 株式市場バブルに関して:「株式市場バブルは、何も無いところから成長しません。それは、現実(誤った概念によってゆがめられた現実であるが)というしっかりした根拠を持ちます。」
  • アメリカに関して:「私はハンガリーで育って、ファシズムホロコーストを生きながらえて、それから、共産主義が台頭するという予知を感じました。私は、早い年齢で、どんな政府が勝つことがどれくらい重要かについて学びました。私が自由と民主主義、市民的自由と開かれた社会を評価するので、私はアメリカを私の家に選びました。私が私自身と私の家族のためより多くのお金を稼いだとき、私は開放的な社会と自由の原理と価値観を促進するために財団を作りました。」

書籍[編集]

著作者または共著[編集]

  • ジョージ・ソロス安倍晋三朴槿恵ほか『世界論』(土曜社、2014年1月予定)
  • ジョージ・ソロスジョセフ・E・スティグリッツクリスティーヌ・ラガルドほか『世界は考える』(野中邦子訳、土曜社、2013年)
  • ジョージ・ソロスジョセフ・E・スティグリッツクリスティーヌ・ラガルドほか『混乱の本質』(徳川家広訳、土曜社、2012年)
  • ジョージ・ソロス、『ソロスの警告―ユーロが世界経済を破壊する』、徳間書店、2012/ 原タイトル:FINANCIAL TURMOIL IN EUROPE AND THE UNITED STATES
  • ジョージ・ソロス、『ソロスの講義録―資本主義の呪縛を超えて』講談社、2010/ 原タイトル: Soros Lectures: At the Central European University
  • ジョージ・ソロス、『ソロスは警告する 2009―恐慌へのカウントダウン』講談社、2009/ 原タイトル: Additional Chapters for The New Paradigm for Financial Markets
  • The New Paradigm for Financial Markets: The Credit Crisis of 2008 and What It Means ジョージ・ソロス『ソロスは警告する―超バブル崩壊=悪夢のシナリオ』(徳川家広訳、講談社、2008年)
  • The Age of Fallibility: Consequences of the War on Terror ジョージ・ソロス『世界秩序の崩壊―「自分さえよければ」社会への警鐘』ランダムハウス講談社、2007
  • The Bubble of American Supremacy: Correcting the Misuse of American Power (PublicAffairs, 2003) ISBN 1-58648-217-3 (paperback; PublicAffairs, 2004; ISBN 1-58648-292-0) 『ブッシュへの宣戦布告―アメリカ単独覇権主義の危険な過ち』ダイヤモンド社、2004
  • George Soros on Globalization (PublicAffairs, 2002) ISBN 1-58648-125-8 (paperback; PublicAffairs, 2004; ISBN 1-58648-278-5)『グローバル・オープン・ソサエティ―市場原理主義を超えて』ダイヤモンド社、2003
  • Open Society: Reforming Global Capitalism (PublicAffairs, 2000) ISBN 1-58648-019-7『ソロスの資本主義改革論―オープンソサエティを求めて』日本経済新聞社、2001
  • Science and the Open Society: The Future of Karl Popper's Philosophy by Mark Amadeus Notturno, George Soros (Central European University Press, 2000) ISBN 963-9116-69-6 (paperback: Central European University Press, 2000; ISBN 963-9116-70-X) 未訳
  • The Crisis of Global Capitalism: Open Society Endangered (PublicAffairs, 1998) ISBN 1-891620-27-4『グローバル資本主義の危機―「開かれた社会」を求めて』日本経済新聞社、1999
  • Soros on Soros: Staying Ahead of the Curve (John Wiley, 1995) ISBN 0-471-12014-6 (paperback; Wiley, 1995; ISBN 0-471-11977-6)『ジョージ・ソロス』テレコムスタッフ、1996
  • Underwriting Democracy: Encouraging Free Enterprise and Democratic Reform Among the Soviets and in Eastern Europe (Free Press, 1991) ISBN 0-02-930285-4 (paperback; PublicAffairs, 2004; ISBN 1-58648-227-0)未訳
  • Opening the Soviet System (Weidenfeld & Nicholson, 1990) ISBN 0-297-82055-9 (paperback: Perseus Books, 1996; ISBN 0-8133-1205-1)未訳
  • The Alchemy of Finance (Simon & Schuster, 1987) ISBN 0-671-66238-4 (paperback: Wiley, 2003; ISBN 0-471-44549-5)『相場の心を読む』講談社(1988)、『ソロスの錬金術』総合法令出版(1996、2009)

伝記[編集]

  • Soros: The Life and Times of a Messianic Billionaire by Michael T. Kaufman (Alfred A. Knopf, 2002) ISBN 0-375-40585-2
  • Soros: The Unauthorized Biography, the Life, Times and Trading Secrets of the World's Greatest Investor by Robert Slater (McGraw-Hill, 1997) ISBN 0-7863-1247-5

寄与したもの[編集]

  • MoveOn's 50 Ways to Love Your Country: How to Find Your Political Voice and Become a Catalyst for Change by MoveOn.org (Inner Ocean Publishing, 2004) ISBN 1-930722-29-X

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ For President of Central European U., All Roads Have Led to Budapest
  3. ^ [2]
  4. ^ 「人が信じているものは何であれ、誤りを含んでいることがある。故に、その信念をより良いものにするための批判精神を忘れてはならない」とする哲学的姿勢の一つ。
  5. ^ [3]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

伝記[編集]

その他[編集]

スピーチ[編集]

書籍[編集]

ソロスの思案についての学究的な見解[編集]

  • Bryant, C. G. A. (2002). 'George Soros's theory of reflexivity: a comparison with the theories of Giddens and Beck and a consideration of its practical value', Economy and Society, 31 (1), pp. 112-131.
  • Cross, R. and D. Strachan (1997). 'On George Soros and economic analysis', Kyklos, 50, pp. 561-74.

インタビュー[編集]