リベラル・フェミニズム

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リベラル・フェミニズム: liberal feminism)は、男女平等は法的手段や社会改革を通して実現可能であり、集団としての男性と闘う必要はないと主張する、フェミニズムの一形態である。

概要[編集]

リベラル・フェミニズムの起源はリベラリズムにあるが、今日の基準からすれは、むしろやや保守的もしくは徹底した個人主義をとるリバタリアン的なフェミニズムであると言える。リベラル・フェミニズムは、(差異派フェミニズムとは異なり) 男性との同一性の平等を支持する傾向がある。

リベラル・フェミニズムは、政治を個人主義的な観点から理解し、「男」と「女」という利害集団の間の闘争だとは見ない。

その結果として階級闘争的発想からの大規模な変革を主張するよりも、むしろ、現在の「リベラル」な社会慣行の漸進的改革に期待することが多い。

リバタリアニズムに基づく場合には現状からの大規模な変革を要求するけれども、それは性別や性差に関わらない個人の自由の徹底した尊重という要求に加えて殊更に「女」の自由や権利を主張するものではない。

この伝統につらなるフェミニストとしては、メアリ・ウルストンクラフト(女性の権利の擁護)、ジョン・スチュアート・ミル(女性の隷従)、第二波フェミニストのベティ・フリーダンなどがいる。ナディーン・ストロッセン英語版もリベラル・フェミニストである[1]

リベラル・フェミニストの見解[編集]

リベラル・フェミニストの多くは、同性間の性交が刑法で禁止されている地域での脱犯罪化・合法化はいうまでもなく、同性カップルの同性結婚 (もしくはそれに準ずるものとしてのシビル・ユニオン) の法制化を支持する傾向がある。つまり、個人同士が合意の上でどのような関係を持つかは、政府の干渉すべき事柄ではないし、異性カップルに与えられている権利は等しく同性カップルにも与えられるべきだとする。

また、妊娠中絶に関する議論については、リベラル・フェミニストは、プロチョイスの立場をとる傾向がある。この立場をとる一般的な根拠は、個人は自分のに対する支配権を持つはずなので、自分の体についての医学的な判断を行う権利もあるはずだということである。

また、このような自己所有権ないし他者危害原理に基づくプライバシー権によるアプローチから、リベラル・フェミニストは、大麻の所持・使用などの「被害者なき犯罪」の合法化・非犯罪化を支持する傾向があり、この立場は、宗教右派のみならずラディカル・フェミニストによってもしばしば批判の的になる。

そのような批判の例としては、キャサリン・マッキノンアンドレア・ドゥウォーキンらに代表されるラディカル・フェミニストらによる、ポルノグラフィーの制作・流通・所持を女性の搾取につながるものとして敵視する立場を挙げることができる。

それに対して、リベラル・フェミニスト・法学者でもあるナディーン・ストロッセン英語版が、「ポルノをやり玉にあげる検閲は、性差別や暴力を減らせない」と説く[2]

男女不平等の起源[編集]

リベラル・フェミニストは、以下のようなものを、男女不平等の主な起源と考える傾向がある。

引用[編集]

アメリカ合衆国のリベラル・フェミニズムの目標は、決して批准されることのなかった米国憲法に対する男女平等憲法修正条項に具現化されている。そこにはこうある。 「法の下の権利の平等は、合衆国およびいかなる州によっても、性別だけを理由に否定ないし制限されないものとする。」 – ジュディス・ローバー Gender Inequality: Feminist Theories and Politics, Second Edition

脚注[編集]

  1. ^ 江口聡 (2008年). “性の倫理学の可能性をさぐる”. 2009年9月11日閲覧。
  2. ^ ナディーン・ストロッセン (2007年). “ポルノグラフィ防衛論”. 2009年9月11日閲覧。

関連項目[編集]