ジョン・アクトン

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ジョン・アクトン

初代アクトン男爵ジョン・エメリク・エドワード・ダルバーグ=アクトン: John Emerich Edward Dalberg-Acton, 1st Baron Acton1834年1月10日 - 1902年6月19日)はイギリス歴史家思想家政治家アクトン卿Lord Acton)と呼ばれることが多い。主著に『自由の歴史』、『フランス革命講義』。

略歴[編集]

イタリアナポリに生まれる。祖父は英国海軍将校でナポリの海軍提督・首相を歴任したジョン・エドワード・フランシス・アクトン。1843年からオスコット・カレッジ、次いでエディンバラ・カレッジで学ぶ。更に1848年にミュンヘン大学の学生となり、デリンガーのもとで暮らす。1855年、アメリカを訪れている。

1859年から英国に移住、シュロップシャー州の屋敷に長年暮らすことになる。同年から1865年まで下院議員を務めたが、議会の空気になじめず、政治活動にはあまり熱心ではなかった。ウィリアム・グラッドストンと親交を結び、その思想に大きな影響を与えた。また、母がグランヴィル卿と再婚したことからホイッグとつながりを持つようになった。1869年に男爵に。晩年はケンブリッジ大学で近代史の教授を務めた。

業績[編集]

主著に『自由の歴史』があり、自由主義の研究につとめ、『フランス革命講義』で、フランス革命を批判し続けた。エドマンド・バークの哲学を体系的に継承し、その復活を試みた。ルソーフランス革命を「功利主義」という偽装的な言葉で「現代化」したベンサムの英国型全体主義理論がJ・S・ミルによって社会主義へと発展している事態を憂慮して、バークを用いて反撃に出たのである[要出典]。ローマ教皇の無謬説を批判した。

アクトン卿の格言(Lord Acton's dictum)[編集]

  • Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.(「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」)

著作[編集]

  • Lectures on Modern History (1906年
  • The History of Freedom and Other Essays (1907年
  • Lectures on the French Revolution (1910年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]