ウィリアム・グラッドストン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ウィリアム・グラッドストン
William Gladstone
ウィリアム・グラッドストン
生年月日 1809年12月29日
出生地 イングランドの旗 イングランドリヴァプール
没年月日 1898年5月19日(満88歳没)
死没地 ウェールズの旗 ウェールズハワーデン
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジ
所属政党 保守党自由党 (イギリス)
サイン William Ewart Gladstone Signature 2.svg

イギリスの旗 第41・43・45・47代首相
任期 1868年12月3日 - 1874年2月17日
任期 1880年4月23日 - 1885年6月9日
任期 1886年2月1日 - 1886年7月20日
任期 1892年8月15日 - 1894年3月2日
国王 ヴィクトリア女王
テンプレートを表示

ウィリアム・エワート・グラッドストンWilliam Ewart Gladstone, 1809年12月29日 - 1898年5月19日)は、イギリス政治家。首相に4度任命され、84歳で首相を解任されるまで精力的に勤めた。また、蔵相としても4度任命されている(1852年~1855年, 1859年~1866年, 1873年~1874年, 1880年~1882年)。 保守党の党首ベンジャミン・ディズレーリの好敵手として、またヴィクトリア女王との不和でも有名である。

[編集] 概要

1809年リヴァプールのスコットランド系の豪商ジョン・グラッドストン(en:Sir John Gladstone, 1st Baronet)の四男として生まれる。

1828年イートン校オックスフォード大学に学び、1831年に古典と数学の最優秀成績者として学位を取得した。

1833年より保守党に所属する下院議員となり、1835年に植民次官、1843年に商務院総裁、1845年に植民相を歴任する。1846年穀物法の廃止のさいロバート・ピールを支持し、保守党からは次第に離れ、1852年アバディーン連立内閣に蔵相として入閣。1855年に辞職して、1858年に「ホメロス研究」を発表する。

1859年から1866年にかけて再び蔵相を務め、1867年自由党党首となる。1868年から1874年に首相としてアイルランド国教廃止、第1次アイルランド土地法・軍制改革・秘密投票法・司法制度の改革を成立させた。1880年から1885年の第2次グラッドストン内閣では第3次選挙法改正を行い、1886年の第3次内閣はアイルランド自治問題で崩壊。1892年から1894年の第4次内閣の時に提出したアイルランド自治法案は、上院で否決された。

19世紀イギリスの典型的な議会政治家で、国民から愛称GOM(偉大なる老人、Grand Old Man)で呼ばれ親しまれたが、1885年スーダンの反乱に関与した英国軍を救出に向かったチャールズ・ゴードン少将が戦死した際には、それをもじってMOG(ゴードンの殺人者、Murderer of Gordon)と呼び、非難。第2次内閣崩壊のきっかけともなった。

アヘン戦争の際は議会において反対の演説を行ったが、当人は登壇前にはいつもアヘン入りのコーヒーを飲んでいることは有名であった。ちなみに当時のイギリス国内においても、アヘンの売買や使用は不道徳と看做されてはいたが違法ではなく、法的に禁止されたのは後世の出来事である。

明治日本の政党政治家には、自由主義の理想を追求する政治家として人気があった。中江兆民が大政治家の一人に挙げている。

なお1839年にキャサリン(en:Catherine Gladstone)と結婚しており、その後8人の子供に恵まれている。

[編集] 画像

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語