枢密院 (イギリス)

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イギリスの旗 イギリスの行政官庁
枢密院
Privy Council
Royal Arms of the United Kingdom (Privy Council).svg
Victoria Privy Council (Wilke).jpg
即位の日に枢密院会議を招集したヴィクトリア女王(1837年)
役職
議長 ニック・クレッグ(2010年-)
事務局長 リチャード・ティルブルック
組織
内部局 事務局、司法部
概要
設置 1530年代[1]
前身 国王評議会
ウェブサイト
http://privycouncil.independent.gov.uk/
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イギリス枢密院(いぎりす すうみついん)、正式名称・女王陛下の最も高潔なる枢密院(じょおうへいかの もっとも こうけつなる すうみついん、: Her Majesty's Most Honourable Privy Council) は、イギリス女王の諮問機関。イギリス国王大権の行使に関する助言を行う。

歴史[編集]

それ以前の国王の諮問機関である国王評議会(King's Council)が肥大化したため、ヘンリー7世の時代に「国王評議会の中の評議会」が形成されるようになった。この評議会は1536年頃には独自の記録と書記を持つに至り、事実上国王評議会から独立した存在となった。これが枢密院であった[2]

枢密院は徐々に整備されていき、エリザベス1世時代には統治の中心機関になっていた[2]17世紀末から18世紀初頭にかけて枢密顧問官の一群が枢密院と別に会合を行うようになり、そちらの方が国王の重要な助言者となっていった。これが内閣(Cabinet)である[3]

構成[編集]

現在は、400人程度の枢密顧問官(Privy Counsellor)によって構成されている。首相の助言に基づく女王の勅許状英語版によって枢密顧問官は任命される。主要閣僚[注釈 1]、2人の国教会大主教、法曹高官などから選ばれるのが慣例になっている。またコモンウェルス諸国から王権行使を求められた場合に備えて、コモンウェルス諸国の政治家や法曹からも任命される。そのため枢密院はコモンウェルス統合の象徴的機関にもなっている[4]

枢密院の長である枢密院議長英語版(Lord President of the Council)は、内閣の閣僚職の一つであり、与党政治家が務める。枢密院議長の下に枢密院事務局(Privy Council Office)が設置されている[4]

枢密院会議は枢密院事務局長英語版が3人以上の枢密顧問官をバッキンガム宮殿もしくは王の御座所に召集した場合に有効となる[4]。枢密院会議は不定期だが、慣習上、王権行使にあたって枢密院に諮問する必要がある場面は存外多く、現代でも一カ月に一度程度の頻度で枢密院会議が開かれている[4]。ただ内閣の閣僚たちが枢密顧問官であるため、実務上は枢密院の決定は事前の閣議で了解されていることが多い[4]

権限[編集]

議会の招集・解散、宣戦布告などは国王大権であるが、慣習上、これらは枢密院の議を経ることになっている。枢密院で決議されると勅令もしくは枢密院令という形で公布される[4]

また王の勅許状も枢密院の議を経ることになっている。たとえば首相の任命、イングランドウェールズ各州[注釈 2]州長官英語版およびコモンウェルス諸国総督の任命である。これらの任命は枢密院の議を経て勅許状によって行われている[5]。またイギリスでは法人格は、制定法の規定の他に王の勅許状によっても得られる(たとえばBBC1992年以前に創設されたイギリスの大学は王の勅許状で法人格を得ている)。この際の助言も枢密院が行うことになっている[5]

高等教育に関する王権(University名称の使用や学位授与の裁可権など)は枢密院が王権に基づいて管理している[5]

イギリス本国における王の司法権はほとんど裁判所に移譲されているが、マン島海峡諸島・コモンウェルスなどでは王に司法権が残されており、その行使も枢密院の助言を得る。そのため枢密院には職業裁判官で構成される司法部が設置されている[6]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 政権交代によって枢密顧問官を辞職する必要はないので、与野党の主要政治家はほぼ全員枢密顧問官に列している[4]
  2. ^ ランカスター公領英語版コーンウォール公領英語版など王が諸侯に権限を譲った地域除く[5]

出典[編集]

  1. ^ 今井(1990) p.48
  2. ^ a b 今井(1990) p.46
  3. ^ 神戸(2005) p.167
  4. ^ a b c d e f g 神戸(2005) p.164
  5. ^ a b c d 神戸(2005) p.165
  6. ^ 神戸(2005) p.166

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]