アリスター・ダーリング

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イギリスの旗 イギリスの政治家
アリスター・ダーリング
Alistair Maclean Darling
AlistairDarlingABr cropped.jpg
生年月日 1953年11月28日(60歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスロンドン
出身校 アバディーン大学
所属政党 労働党
選挙区 南西エディンバラ選挙区
任期 1987年6月17日 -

内閣 ゴードン・ブラウン内閣
ゴードン・ブラウン改造内閣
ゴードン・ブラウン再改造内閣
任期 2007年6月28日 - 2010年5月11日

イギリスの旗 貿易・産業大臣
内閣 第3次トニー・ブレア改造内閣
任期 2006年5月5日 - 2007年6月27日

内閣 第2次トニー・ブレア内閣
任期 2003年6月13日 - 2006年5月5日

イギリスの旗 運輸大臣
任期 2002年5月29日 - 2006年5月5日

その他の職歴
イギリスの旗 社会保障大臣
雇用・年金大臣(役職名変更)

1998年7月27日 - 2002年5月29日
イギリスの旗 財務省主席担当官
1997年5月3日 - 1998年7月27日
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アリスター・マクリーン・ダーリングAlistair Maclean Darling, 1953年11月28日 - )は、イギリスの政治家。労働党所属の庶民院議員。ブラウン政権財務大臣、第二大蔵卿を務めた。

一部では、アリステア・ダーリングの表記も用いられる。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1953年11月28日、エンジニアの父・トーマスと母アンナのもとでロンドンで生まれる。[1]彼の大叔父ウィリアム・ダーリングは1945年から1957年の間、エディンバラ南選挙区選出の保守党議員だった。アバディーン大学では法学を専攻、学生組合の委員長も務めた。1978年、事務弁護士となる。後にスコットランド人向けの弁護を受け持つようになり、1984年には法廷弁護士に認められた。1982年にはロージアンの地方議員にもなった。また、1985年からの2年間、ネイピア大学の理事も務めている。

国政へ[編集]

1987年の総選挙にエディンバラ中央選挙区から出馬。同選挙区選出の保守党議員、アレクサンダー・フレッチャー卿を破り当選を果たした。なお、後にスコットランド議会が設置されると、スコットランド地区からの庶民院議席数は削減されてしまう。そのため、ダーリングは2005年の総選挙からエディンバラ南西選挙区から出馬することになる。労働党の重鎮、副党首のジョン・プレスコットゴードン・ブラウンはダーリングが落選することを心配し、選挙区入りして彼を応援した。当時は彼自身閣僚であったにもかかわらず、かなりの苦戦が予想されたが、彼は最大限の努力の結果、議席を守り抜いた。

庶民院議員として、1988年のスコットランド法に関る。[2]後に影の内閣で内務省のスポークスマンとなった。

1992年の総選挙の後は大蔵省の影のスポークスマンとなった。1996年、労働党党首にトニー・ブレアが就任すると、ダーリングは影の内閣で財務省主席担当官となる。

ブレア政権時代[編集]

1997年の総選挙で労働党が勝利し与党になると、かれは財務省主席担当官として正式に閣僚入りした。なお、この頃から閣内にいるのは、現時点でジャック・ストローゴードン・ブラウンとダーリングの3人のみである。

1998年、更迭されたハリエット・ハーマンに代わり社会保障大臣に任命される。2001年の総選挙後は、社会保障省は廃止され、新しいに改編されたため、彼の肩書きも労働および年金大臣に変更となる。

ステファン・バイヤーズが運輸大臣を辞任すると、ダーリングはその後任に任命される。この時代、レールトラックの後継組織・ネットワーク・レールの設立を監督した。2003年には、スコットランド大臣との兼任となった。相次ぐ列車事故などで批判に晒されていた運輸省であったが、ダーリングの大臣就任と共に批判は静まった。2006年の内閣改造では、貿易および産業大臣に異動になる。

ブラウン政権時代[編集]

2007年6月、新たに首相に選出されたゴードン・ブラウンの元で財務大臣に任命され、彼の昇進はメディアを大きく賑わせた。ダーリングの下で働く4人の政務次官(日本の副大臣に相当)のうち3人(アンジェラ・イーグルジェーン・ケネディキティ・アッシャー)が女性であったことから、彼女達は大臣の名前とかけて"ダーリングのダーリン"と呼ばれた。[3]財務大臣に就任してからは、もっぱらサブプライム問題の対応に追われることになる。

パーソナリティー[編集]

ダーリングは1986年、元ジャーナリストのマーガレット・マックイーン・ボーガンと結婚した。1988年には息子のカラム、90年には娘のアンナを授かっている。ダーリングは1970年代にも一度結婚歴がある。

彼の自宅はエディンバラのモーニングサイド地区にあり、『ハリー・ポッター』シリーズの作者、J・K・ローリングと同じ通りの住人でもある。ピンク・フロイドコールドプレイレナード・コーエンのファンでもある。[4]

彼は「イギリスで最も退屈な政治家」に2年連続で選ばれており、報道陣の間では「ダーリングは(白髪と黒の眉のコントラストが)アナグマに似ている」というジョークが有名である。かつては髭をはやしていたが、「ニュー・レーバー(新しい労働党)のイメージに合わない」との理由から剃らされたという噂がある。

ダーリングは同じくスコットランド出身のブラウンと盟友関係にあり、忠実なブラウン派とされている。

参照[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
ウィリアム・ウォルドグレーブ
財務省主席担当官
1997年 - 1998年
次代:
ステファン・バイヤーズ
先代:
ハリエット・ハーマン
社会保障大臣
雇用・年金大臣

1998年 - 2001年
2001年 - 2002年
次代:
アンドリュー・スミス
先代:
ステファン・バイヤーズ
運輸大臣
2002年 - 2006年
次代:
ダグラス・アレクサンダー
先代:
ヘレン・リデル
スコットランド大臣
2003年 - 2006年
先代:
アラン・ジョンソン
貿易・産業大臣
2006年 - 2007年
次代:
ジョン・ハットン
先代:
ゴードン・ブラウン
財務大臣
2007年 - 2010年
次代:
ジョージ・オズボーン (en)