ジョン・プレスコット

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ジョン・プレスコット
John Prescott
John Prescott on his last day as Deputy Prime Minister, June 2007.jpg

イギリスの旗 イギリス
副首相
任期 1997年5月2日2007年6月27日

イギリスの旗 イギリス
環境・運輸および地域担当大臣
任期 1997年5月2日2001年6月8日

出生 1938年5月31日(76歳)
イギリスの旗 イギリスウェールズ
政党 労働党

ジョン・プレスコットJohn Prescott1938年5月31日 - )は、イギリス政治家労働党トニー・ブレア首相の首相代理(deputy prime minister)および副党首を務めた。

経歴[編集]

ブレアとの邂逅[編集]

オックスフォードにあるラスキン・カレッジ出身。1970年、労働党から庶民院議員に初当選する。当初、労働党ではオールド・レイバー、伝統主義者などと呼ばれた、労組出身の守旧派であった。しかし、クローズドショップ制(会社が労組員以外を採用できない制度)の廃止を巡り、元影の雇用大臣として、党近代化を進めるトニー・ブレアに協力する。プレスコットも、影の雇用大臣時代に、クローズドショップ制が時代遅れであることは痛感していた。

副党首へ[編集]

1992年の副党首選挙に敗れ、1994年の党首選挙でも、トニー・ブレアの優勢が伝えられていたが、党首選挙が必要であるとの判断と、副党首選への布石としてこれに出馬、次点におさまる。案の定、続く副党首選挙でトニー・ブレア党首のもと副党首に選出された。

ブレアは、プレスコットが党内左派で、「完全雇用」やEU統一通貨導入反対を口にするなど、自分とは政策的に対立していることを承知しながらも、プレスコットが党首に対しては従順であることを見抜いていた。また、後に「デイリー・ミラー」紙の政治記者だったアリスター・キャンベルが報道官として採用され、ブレアとプレスコットの間の伝令役・潤滑油になったことも、両者の関係が円滑にすすんだ要因となった。

新党首ブレアが進めた、党綱領第4条(国有化条項)の改定にあたり、ブレアはプレスコットを改定反対派に対する抑えとして活用し、これを成功させた。この第4条改定に協力して以降、プレスコットはブレアにとって最も必要な実力者になっていった。プレスコット自身も、党内左派を抑え、副党首として忠実にブレアを守った。

1997年の総選挙で労働党が勝利し、ブレア政権が発足すると、環境・運輸・地域担当の副首相に任命された。同年、地球温暖化防止会議に出席し、京都議定書の取りまとめにも活躍した。

エピソード[編集]

2001年5月16日、総選挙の遊説運動中に、農場で働く男からを投げつけられる。直後に冷静さを失い、自ら犯人を殴り、男ともみ合いになってしまう。警備が間に入りことは収まったが、選挙期間中に副党首・副首相が一般人と喧嘩をするシーンがテレビカメラに収められ、繰り返し報道された(動画)。

メディアでは厳しい批判にさらされたが、一方でプレスコットを応援する声も多く、事件の後プレスコットに激励の電話や手紙が殺到、遊説先では大歓迎されることもあった。ブレア首相はこの件に関し 「まぁ、ジョンだからな」と苦笑いし、「彼が私の代理でよかったと思うよ」と擁護した。

公職
先代:
マイケル・ヘーゼルタイン
副首相
1997 - 2007年
次代:
なし
先代:
創設
環境・運輸および地域担当大臣
1997 - 2001年
次代:
廃止
党職
先代:
マーガレット・ベケット
労働党副党首
1994 - 2007年
次代:
ハリエット・ハーマン