ハリエット・ハーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
イギリスの旗 イギリスの政治家
ハリエット・ハーマン
Harriet Harman
Harriet Harman, January 2009 2.jpg
生年月日 1950年7月30日(64歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスロンドン
出身校 ヨーク大学
所属政党 労働党
公式サイト Harriet Harman- personal website
選挙区 キャンバーウェル・ペッカム選挙区
ペッカム選挙区(1982-1997)
任期 1982年10月28日 - 現職

王璽尚書
庶民院院内総務
女性・平等担当大臣
内閣 ゴードン・ブラウン内閣
任期  2007年6月28日 - 2010年5月11日

法務次官
内閣 第2次トニー・ブレア内閣
任期 2001年6月11日 - 2005年5月10日

社会保障大臣
女性担当大臣
内閣 第1次トニー・ブレア内閣
任期 1997年5月3日 - 1998年7月27日
テンプレートを表示

ハリエット・ルース・ハーマンHarriet Ruth Harman 1950年7月30日 - )は、イギリス労働党の政治家。現在、同党の党首代行。

2007年6月24日から労働党の副党首、同28日からは庶民院院内総務王璽尚書、女性・平等担当大臣を務めた[1]ラディカル・フェミニストとしても知られている[2][3]

経歴[編集]

庶民院議員に[編集]

1950年ロンドンに生まれる。セントポールズ・ガールズ・スクールを経てヨーク大学政治学を専攻。1982年10月28日に行われた補欠選挙で、ペッカム選挙区から出馬し、3931票の得票差をつけて初当選を果たした。1984年には労働党の社会保障スポークスウーマンとしてフロントベンチに座り、1987年には保健担当スポークスウーマンを務めた。1992年の総選挙後は、影の財務省主席担当官として影の内閣の一員となった。その後、影の雇用担当大臣(1994年 - 1995年)、影の保健大臣(1995年 - 1996年) 、影の社会保障大臣 (1996年 - 1997年)を務める[4]

閣僚入り[編集]

1997年の総選挙で労働党が勝利すると、ハーマンは社会保障担当大臣として入閣を果たした。彼女はここで福祉制度の再編を担ったが、1998年の内閣改造で更迭されてしまう。デイリー・メール紙によれば、この更迭はフランク・リード政務次官との不仲が原因であるという[5]2001年の総選挙後は、女性としては初の法務次官に任命された。

政府の一員として彼女はトニー・ブレア政権を支え[6]、ほとんどの投票行動で党の方針に従ったが、イラク戦争には反対し続けた[7][8]

副党首就任[編集]

副党首ジョン・プレスコットが党首トニー・ブレアと共に辞任することが明らかになると、ハーマンは副党首選挙に出馬することを表明した[9]。ハーマンには有力な労組の支援が期待できなかったため、副党首選挙に必要な軍資金を調達するために、総額£50,000ものローンを組んだ[10][11]。しかし、寄付金やローンの報告が遅れたため、選挙管理委員会から選挙規約違反の疑いを問われる場面もあった[12]。選挙は6人が立候補する乱戦となったが、2007年6月24日、ハーマンは選挙を制し、労働党の新副党首に就任した[13]

選挙は5ラウンドに渡って行われたが、ハーマンが1位となったのは決選投票の5ラウンド目のみで、2 - 4ラウンド目はアラン・ジョンソンが制していた。ハーマンの勝因は一般党員票を多く獲得したことや、4ラウンド目に敗退したジョン・クルダスの支持者がハーマンに流れたことで、これが得票率50.43%という僅差での勝利につながった。

ブラウン政権時代[編集]

ハーマンは熱心なブラウン派議員として知られ、1980年代以降ゴードン・ブラウンとは非常に親しい関係にある。ゴードン・ブラウン内閣では王璽尚書、庶民院院内総務(労働党副党首、および幹事長も兼任)、女性・平等担当大臣に任命されており、5つの役職を兼任することとなった。

2007年の労働党党大会では、保守党を非難し、次の選挙では厳しい競争相手にはならないだろうと喝破した [14]2008年4月2日には、ルーマニアでのNATOの会議に参加しているブラウン首相の代理としてPMQ's(Prime Minister's Questions 首相答弁)の場に立ち、労働党の女性としては初めてPMQ'sに応じた議員となった。7月9日にも洞爺湖サミットに参加しているブラウン首相の代理として、PQM'sに応じている。

2008年4月、彼女のブログが“ハッキング”され、ハーマンが保守党に入党していたという記述が書き加えられた。しかし、彼女はスカイ・ニュースのインタビューでユーザーネームとパスワードに、自分の名である「ハリエット」と「ハーマン」を使用していたことを認め、セキュリティの甘さを晒す結果になった[15][16]

2010年5月6日総選挙において労働党は敗北し野党に転落。ブラウンの退陣に伴い5月11日に労働党党首代行、及び影の首相代行に就任した。


パーソナリティ[編集]

彼女の初当選は、労働党が全体的に左傾していた1980年代初頭であり、ハーマン自身もかつては「オールドレイバー」的な政治家とみられていた。しかし、徐々に党近代化を進める「モダナイザー」と呼ばれるグループに寄り、最近では「やや左寄りのモダナイザー」という評価が定着している[17]

ラディカル・フェミニストとしても知られ、彼女の強硬なラディカル・フェミニズムを嫌う議員も多く、彼らからはハリエット・ハーパーソンラディカル・フェミニストが嫌う性別を特定する表記を避け、彼女の性 Harman を Harperson に変えている)と揶揄されることがある[18]

家系[編集]

ハーマンの家系は、政治的・文化的に重要な閨閥に連なっている。彼女の父、ジョン・B・ハーマンは、ヴィクトリア女王や初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの伝記作家として知られる、ロングフォード伯爵夫人エリザベス・パケンハムの兄弟である。エリザベスの夫は、弁護士の7代ロングフォード伯爵フランシス・パケンハムで、2人の間に生まれた、作家の8代ロングフォード伯爵トーマス・パケンハムレイチェル・ビリントン、歴史作家で著名なアントニア・フレイザーはハーマンの従姉に当たる。アントニア・フレイザーは政治家のヒュー・フレイザーと結婚し、フローラ・フレイザーを生んだが離婚。のちにノーベル文学賞受賞作家のハロルド・ピンターと再婚している。娘フローラも伝記作家で活動中である。

さらに、ハーマンの曽祖父アーサー・チェンバレンは、政治家ジョゼフ・チェンバレンの兄弟で、曾祖母ルイーズの従姉妹ハリエットは、ジョゼフ・チェンバレンと結婚してオースティン・チェンバレン(蔵相・外相)を生んだ。ジョゼフ・チェンバレンはハリエットの死後、ルイーズの姉妹・フローレンスと再婚し、ネヴィル・チェンバレン(首相)を生んでいる。

1982年に結婚した彼女の夫ジャック・ドロミーは、輸送・一般労組(T&G)という有力労働組合の副組合長であり、2004年からは労働党の財務担当官も務めている。彼は、ゴードン・ブラウンとも近い関係にある。

著書[編集]

  • Sex Discrimination in Schools: How to Fight it by Harriet Harman, 1978, Civil Liberties Trust ISBN 0-901108-73-1
  • Justice Deserted: Subversion of the Jury by Harriet Harman et al, 1979, Civil Liberties Trust ISBN 0-901108-79-0
  • Violence Against Social Workers: The Implications for Practice by Dan Norris, foreword by Harriet Harman, Jessica Kingsley Publishers ISBN 1-85302-041-9
  • The Family Way: A New Approach to Policy Making by Harriet Harman et al, 1990, Institute for Public Policy Research ISBN 1-872452-15-9
  • The Century Gap: 20th Century Man/21st Century Woman by Harriet Harman, 1993, Vermilion ISBN 0-09-177819-0
  • Winning for Women by Harriet Harman and Deborah Mattinson, 2000, Fabian Society ISBN 0-7163-0596-8
  • Women with Attitude by Susan Vinnicombe, John Bank, foreword by Harriet Harman, 2002, Routledge ISBN 0-415-28742-1

脚注[編集]

  1. ^ Harman made equalities secretary”. BBC. 2009年2月11日閲覧。
  2. ^ Harriet Harman elected deputy leader of Labour Party”. Times Online. 2009年2月11日閲覧。
  3. ^ Andrew Sparrow (2009年). “Harriet Harman: I won't be a shrinking violet”. 2009年9月12日閲覧。
  4. ^ “Politics 97; Harriet Harman”. BBC Political Research Unit (BBC). (1997年). http://www.bbc.co.uk/politics97/background/frontbench/socsec.shtml 2008年9月30日閲覧。 
  5. ^ Daily Mail - The fall and rise of Harriet Harperson”. 2009年2月11日閲覧。
  6. ^ “Harriet Harman”. The Guardian. http://politics.guardian.co.uk/profiles/story/0,,457912,00.html 2007年6月24日閲覧。 
  7. ^ “Voting Record — Harriet Harman MP, Camberwell & Peckham”. The Public Whip. http://www.publicwhip.org.uk/mp.php?id=uk.org.publicwhip/member/1472#divisions 2007年6月24日閲覧。 
  8. ^ “Full Voting Record — Harriet Harman MP, Camberwell & Peckham”. The Public Whip. http://www.publicwhip.org.uk/mp.php?mpn=Harriet_Harman&mpc=Camberwell+%26amp%3B+Peckham&display=allvotes#divisions 2007年6月24日閲覧。 
  9. ^ “Harman intends Labour deputy bid”. BBC Website. (2006年9月15日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/5350360.stm 2007年6月25日閲覧。 
  10. ^ Francis Elliott, Philip Webster and Greg Hurst (2007年11月28日). “Harriet Harman may pay price for leaving her leader in lurch”. The Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article2957667.ece 2007年12月26日閲覧。 
  11. ^ “Harriet Harman faces second finances inquiry”. The Daily Telegraph. (2007年12月3日). http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/12/01/nfunds201.xml 2007年12月24日閲覧。 
  12. ^ “Harman reminded of donation rules”. BBC. (2008年4月16日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/7351154.stm 2008年4月24日閲覧。 
  13. ^ Mark Sellman and Sam Coates (2007年6月24日). “Harriet Harman elected deputy leader of Labour Party”. The Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article1979600.ece 2007年6月25日閲覧。 
  14. ^ Tories still nasty, says Harman”. BBC. 2009年2月11日閲覧。
  15. ^ The Register - Harman hack horror has blog backing Boris”. 2009年2月11日閲覧。
  16. ^ YouTube - Harriet Harman admits to account=Harriet password=Harman”. 2009年2月11日閲覧。
  17. ^ 渡辺容一郎「ポスト・ブレアのイギリス政治 -ブラウン労働党政権の意義と展望-」『政経研究』2008年
  18. ^ Daily Mail - The fall and rise of Harriet Harperson”. 2009年2月11日閲覧。

外部リンク[編集]

動画
議会
先代:
ハリー・ランボーン
ペッカム選挙区選出
1982 – 1997
次代:
選挙区廃止
先代:
新選挙区
キャンバーウェル・ペッカム選挙区選出
1997 – 現在
次代:
現職
公職
先代:
ピーター・リリー
社会保障大臣
1997 – 1998
次代:
アリスター・ダーリング
先代:
新設
女性担当大臣
1997 – 1998
次代:
マーガレット・ジェイ
先代:
ロス・クランストン
法務次官
2001 – 2005
次代:
マイク・オブライエン
先代:
ルース・ケリー
女性・平等担当大臣
2007 – 現在
次代:
現職
先代:
ジャック・ストロー
庶民院院内総務
2007 – 現在
王璽尚書
2007 – 現在
党職
先代:
ゴードン・ブラウン
労働党党首(代行)
2010
次代:
エド・ミリバンド
先代:
ジョン・プレスコット
労働党副党首
2007 – 現在
次代:
現職
先代:
ヘーゼル・ブリアーズ
労働党幹事長
2007 – 現在