ウェリントン公爵
ウェリントン公爵(英: Duke of Wellington)は、イギリスの公爵位。1800年の連合法によるグレートブリテン王国とアイルランド王国の合同後に創設された連合王国貴族で、連合王国貴族の首席公爵である。爵位名はイングランド南西部、サマセットにあるウェリントンにちなむ。
1814年5月11日、初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー陸軍元帥が叙位されたことに始まる。彼はナポレオン戦争において軍功を重ね、後にワーテルローの戦い(1815年)でナポレオン・ボナパルトを破った人物で、初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルなどと共にイギリスの歴史上屈指の軍人と考えられており、単に「ウェリントン公」といった場合しばしば初代公を指す。
初代公は1809年9月4日にタラヴェラおよびウェリントンのウェリントン子爵(Viscount Wellington of Talavera and of Wellington)とウェリントンのドゥロ男爵(Baron Douro of Wellington; ドゥーロ男爵)に、1812年2月28日にウェリントン伯爵(Earl of Wellington)に、1812年10月3日にウェリントン侯爵(Marquess of Wellington)に、公爵叙位の際にドゥロ侯爵(Marquess Douro)に叙されており(以上全て連合王国貴族)、また1863年に2代公はモーニントン伯爵(Earl of Mornington; モーニングトン伯爵)・ダンガン城のウェルズリー子爵(Viscount Wellesley of Dangan Castle)・モーニントン男爵(Baron of Mornington)を相続した(以上の3爵位はアイルランド貴族)。このため現在、ウェリントン公爵にはこれらの爵位が付属する。公爵位の法定推定相続人はドゥロ侯爵を、ドゥロ侯爵の法定推定相続人はモーニントン伯爵を儀礼称号として称する。
加えて初代公は、ポルトガル王国の爵位としてヴィトリア公爵(Duque da Vitória; 1812年叙位、ビトリアの戦いにちなむ。ただしビトリアはスペイン領)・トレス・ヴェドラス侯爵(Marquês de Torres Vedras; 1812年叙位、彼がリスボン防衛のために築いたトレス・ヴェドラス線(Lines of Torres Vedras)にちなむ)・ヴィメイロ伯爵(Conde do Vimeiro; 1811年叙位、ヴィメイロの戦い(Battle of Vimeiro)にちなむ)に、スペイン王国の爵位としてシウダ・ロドリーゴ公爵(Duque de Ciudad Rodrigo; 1812年叙位、シウダ・ロドリーゴ攻城戦(Siege of Ciudad Rodrigo)にちなむ)に、ネーデルラント連合王国の爵位としてワーテルロー公(Prins van Waterloo; 1815年叙位、ワーテルローの戦いにちなむ。ただしワーテルローは現在ベルギー領)に叙されていた。
目次 |
ウェリントン子爵 (1809年) [編集]
- アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン子爵) (1769年 - 1852年)
- 1812年2月、ウェリントン伯爵に叙位
ウェリントン伯爵 (1812年) [編集]
- アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン伯爵) (1769年 - 1852年)
- 1812年10月、ウェリントン侯爵に叙位
ウェリントン侯爵 (1812年) [編集]
- アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン侯爵) (1769年 - 1852年)
- 1814年、ウェリントン公爵に叙位
ウェリントン公爵 (1814年) [編集]
- アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵) (1769年 - 1852年)
- アーサー・ウェルズリー (第2代ウェリントン公爵) (1807年 - 1884年)
- ヘンリー・ウェルズリー (第3代ウェリントン公爵) (1846年 - 1900年)
- アーサー・ウェルズリー (第4代ウェリントン公爵) (1849年 - 1934年)
- アーサー・ウェルズリー (第5代ウェリントン公爵) (1876年 - 1941年)
- ヘンリー・ウェルズリー (第6代ウェリントン公爵) (1912年 - 1943年)
- ジェラルド・ウェルズリー (第7代ウェリントン公爵) (1885年 - 1972年)
- アーサー・ウェルズリー (第8代ウェリントン公爵) (1915年 - )