ダグラス・アレクサンダー

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イギリスの旗 イギリスの政治家
ダグラス・アレクサンダー
Douglas Alexander
Douglas Alexander at the India Economic Summit 2008.jpg
生年月日 1967年10月26日(47歳)
出生地 スコットランドの旗 スコットランドグラスゴー
出身校 エディンバラ大学
ペンシルベニア大学留学
所属政党 労働党
公式サイト Douglas Alexander MP
選挙区 ペイズリー・レンフルーシャイア南
ペイズリー南選挙区(1997年 - 2005年)
任期 1997年11月6日 -

イギリスの旗 国際開発大臣
内閣 ブラウン内閣
ブラウン第1次改造内閣
ブラウン第2次改造内閣
ブラウン第3次改造内閣
任期 2007年6月28日 - 2010年5月11日

内閣 第3次ブレア改造内閣
任期 2006年5月5日 - 2007年6月27日

イギリスの旗 ヨーロッパ担当国務大臣
内閣 第3次ブレア内閣
任期 2005年5月6日 - 2006年5月5日

イギリスの旗 ランカスター公領尚書
内閣 第2次ブレア内閣
任期 2003年6月13日 - 2004年9月8日
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ダグラス・ガーバン・アレクサンダー: Douglas Garven Alexander, 1967年10月26日)は、イギリス労働党の政治家。ブラウン内閣で国際開発大臣を務めた。

経歴[編集]

若年期[編集]

1967年グラスゴーに生まれる。父のダグラス・N・アレクサンダーは医者で、スコットランド教会の聖職者でもあった。子供時代はもっぱらレンフルーシャイアで過ごす。少年団ボーイズ・ブリゲード(BB、Boys Brigade)にも参加し、マーチングバンドではラッパ吹きを務めた。1981年にはスコットランドBBマーチングバトン選手権での優勝に貢献している。学生時代の1982年に、労働党に入党した。

1984年、奨学金を得てカナダインターナショナルスクールピアソン・カレッジへ留学し、国際バカロレア資格を取得、帰国するとエディンバラ大学へ進学し、政治学と近現代史を学んだ。1988年には再び奨学金を得て、アメリカ合衆国ペンシルベニア大学へ留学した[1]。この留学中、彼は1988年アメリカ合衆国大統領選挙における民主党の大統領候補マイケル・デュカキスの元で働き、またワシントンD.C.で民主党上院議員の下でも働いた。

1990年、当時は影の内閣で貿易・産業大臣を務めていたゴードン・ブラウンのスピーチライター・リサーチャーとなる[2]。その後、再びエディンバラ大学に戻り、法学士の単位免状を取得する。1993年、非常に優秀な成績で卒業した後、エディンバラ事務弁護士として働いた。

政界入り[編集]

それまでの華やかなキャリアとは対照的に、政界入りまでの過程では苦難が続いた。1995年保守党議員のニコラス・フェアバーン英語版の死去に伴い、パース・アンド・キンロスで予備選挙が実施されると、ここで労働党の候補者として選ばれて出馬した。予備選にはスコットランド国民党ロザンナ・カニンガム英語版が当選し、アレクサンダーは落選してしまうが、保守党の候補者を退けて2位につけることには成功した。このことが党首トニー・ブレアの注目を引き、インヴァネスでのスコットランド労働党会議に出席を許された。彼はここで、党綱領第4条(国有化条項)の廃止に関して批判的な発言を行った。

パース・アンド・キンロス選挙区の廃止後、1997年の総選挙でパース選挙区から出馬する。しかし、今度は保守党の候補者にも及ばず、3位で落選してしまう。総選挙からそう日もたたない7月28日、ペイズリー南選挙区選出の労働党議員ゴードン・マクマスター英語版が自殺してしまう。これに伴って予備選が行われることになり、アレクサンダーは労働党の候補者に選ばれる。彼は3度目の出馬にしてやっと初当選を果たし、11月6日に晴れて庶民院議員となった。

閣僚に[編集]

2001年の総選挙では、再選を果たしただけでなく労働党の勝利にも貢献したことから、貿易産業省英語版担当の閣外大臣に任命され、市場競争や電子商取引分野を担当した。2002年5月には内閣府担当の閣外大臣に任命され、続いて2003年6月には内閣府を担当するランカスター公領尚書英語版に昇進し、閣僚の一員となった。2004年9月には貿易担当閣外大臣に異動し、貿易産業省と外務英連邦省の両方を管轄する。

2005年の総選挙後、ヨーロッパ担当国務大臣英語版に任命され、再び閣僚入りを果たす。さらに6月7日には枢密院のメンバーにも選ばれた。2006年5月5日内閣改造では、運輸大臣英語版スコットランド大臣の2役兼任となり、2007年のスコットランド議会選挙を監督した。2007年、かつて仕えたゴードン・ブラウンイギリスの首相の座に就くと、彼の内閣で国際開発大臣英語版に任命された。また、ブラウン首相から次期総選挙に向けての対策を任された[3]

家族・人物[編集]

妹のウェンディ・アレクサンダー英語版も兄ダグラスと同じく政治家であり、スコットランド議会議員を務めている。また、2007年から2008年にかけてはスコットランド労働党の党首も務めていた。スコットランド教会の聖職者だった父は、2000年にスコットランド労働党党首にして初代スコットランド首席大臣英語版ドナルド・デュワー英語版の葬儀を担当している。

家庭では、妻ジャクリーン・クリスチャンとの間に2人の子どもを授かっている。

党内では、熱烈なブラウン派とされ、ときに「ブラウン首相以外に友達がいない」と揶揄されることすらある。

脚注[編集]

文献[編集]

  • Torrance, David, The Scottish Secretaries (Birlinn 2006)

外部リンク[編集]

議会
先代:
ゴードン・マクマスター
ペイズリー南選挙区選出
1997年 - 2005年
次代:
選挙区廃止
先代:
新設
ペイズリー・レンフルーシャー南選挙区選出
2005年 - 現在
現職
公職
先代:
トレードストンのマクドナルド卿英語版
ランカスター公領尚書
2003年 - 2004年
次代:
アラン・ミルバーン英語版
先代:
マイク・オブライエン
海外貿易担当閣外大臣
(貿易産業省・外務英連邦省担当)
2004年 - 2005年
次代:
イアン・パーソン英語版
先代:
デニス・マクシェーン英語版
ヨーロッパ担当国務大臣
2005年 - 2006年
次代:
ジェフ・フーン
先代:
アリスター・ダーリング
運輸大臣
2006年 - 2007年
次代:
ルース・ケリー英語版
スコットランド大臣
2006年 - 2007年
次代:
デズ・ブラウン英語版
先代:
ヒラリー・ベン
国際開発大臣
2007年 - 2010年
次代:
アンドルー・ミッチェル英語版