物質主義

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物質主義(ぶっしつしゅぎ)とは、物質的・即物的なものごとを、他のものごとよりも優先させる態度のこと。ここで言う"物質"とは、比喩的な表現であり、人により解釈の幅があるが、おおむね「衣食住」のことや、いわゆる"経済的"なこと、すなわち「財貨」・「金銭」・「物品」の獲得・所有・占有・使用などのことを指していることが多い。経済的物質主義: Economic materialism)、物質中心主義とも言う。

広くは、人生で遭遇する様々な貴重な体験経験を、自身の学びや気づきの機会として充分に活かすこともなく、経済的な側面だけから一面的に評価しただけで全て終わらせてしまったり、経済的な側面だけ見て一喜一憂する態度も、この名称で指されることもある。

物質主義の態度・傾向のある者を「物質主義者」と呼ぶ。

西洋思想の中での物質主義[編集]

materialismという用語から、西洋では原料主義と考えられることも多い。

聖書における物質主義観[編集]

西洋思想の中心となる聖書において、物質主義は、聖書の説くの教えと対峙するものとして、教えられている。

クリスチャンや、ユダヤ教徒の間で、十戒として知られる第1の戒めである「あなたは、わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」(出エジプト記20:3)という戒めは、神の偶像を崇拝することを禁止したということ以上のものを意味している。(偶像崇拝の禁止については、第2の戒め「あなたは、自分のために、刻んだ像を造ってはならない」で、明確に述べている)「ほかに、なにものをも神としてはならない」ということには、神以外に、人生の目的とするもの、神よりも優先させるものが、あってはならないという意味が当然含まれている。 すなわち、”物質主義”をも禁止した律法である。

新約聖書においても、物質主義に、おぼれることについて、イエスによる明らかな警告が、多く含まれている。

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に宝をたくわえてはならない。むしろ、自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが、押し入って、盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。」(マタイによる福音書6:19-21)

当然、物質を宝とする場合、物質と対比される目に見えないもの・・・精神、心、人情、愛、といったものに対しては、鈍く反応することとなる。

「あなたがたは、神と富とに、兼ね仕えることはできない・・・・何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで、思い煩い、何を着ようかと、自分のからだのことで、思いわずらうな。命は、食物にまさり、からだは、着物にまさるではないか。」。(マタイ6:24-25)
「あなたがたは、上にあるものを思うべきであって、地上のものに、心を引かれてはならない。」(コロサイ3:2)
「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないで、この世を去っていく。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。富むことを願い求める者は、誘惑とわなとに陥り、また人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別なさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。(テモテ:6:7-10)

物質主義のもたらす弊害について、聖書には、いくつかの角度から、記載がある。

物質をもたない(金持ちでない)者のもつ、金を持つ者へのねたみ、憎しみ。そしてこの世において、悪を行っているにもかかわらず、金を持ち、成功している者がいることに対する激しい怒りをもつこと(悪人が、富むことに対し、怒りをもってやまないということ自体が、物質主義的観点で、物事を判断している証拠であり、すなわち、これも、物質主義であることによる結果(罠)である。)の例が次のようなものである。

「主よ、わたしがあなたと論じ争うとき、あなたは、常に正しい。しかしなお、わたしは、あなたの前に、さばきのことを論じてみたい。悪人の道がさかえ、不信実な者が、みな繁栄するのは、なにゆえですか」(エレミヤ12:1)

近代以降の知識人による物質主義の捉え方[編集]

アレクシス・ド・トクヴィルは、1830年代のアメリカ合衆国について、ヨーロッパの旧世界と対比しつつ、「この国(=アメリカ合衆国)ほど金銭欲が人の心に大きな場所を占め」ている場所は無い、と指摘した。また、アメリカ人が高等教育まで進む場合、「金になる特別の対象にしか向かわない。仕事で儲けるのと同じ態度で学問を研究し、しかもすぐ役に立つことが分かる応用しか学問に求めない。」と指摘し、合衆国に蔓延している物質主義を否定的なニュアンスで記述した。(De la démocratie,1835 松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』 第一巻 3章 2005年)

仏教における物質主義の位置づけ[編集]

鎌倉時代の僧、日蓮(1222 - 1282)は次のように述べた。

蔵のたからより身のたからすぐれたり。身のたからより心のたから第一なり。心のたから積みたもうべし。 (日蓮「崇峻天皇御書」)

『「蔵の宝」より「身の宝」の方が優れており、「身の宝」より「心の宝」が優れていて、「心の宝」こそが第一である。「心の宝」を増やしましょう』という意味である。

関連項目[編集]