福音主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福音主義(ふくいんしゅぎ、英語: Evangelicalism)とは、キリスト教の教派・神学分類の用語であり、
目次 |
[編集] 福音主義・福音派
[編集] 宗教改革当時
元来、キリスト教において宗教改革の立場を採る考え方を福音主義と呼んだ。21世紀初頭を代表する英国聖公会の福音派神学者であるアリスター・マクグラスによると「『福音的(Evangelical)』と言う言葉は16世紀に遡り、カソリックの思想家の中で、信仰や実践について、中世後期の教会と結びついたものよりも、より聖書的なものに立ち返ろうとする人々」のことを指したとされる。プロテスタントが「福音主義・福音派」と呼ばれたのは、このように教会における権威の所在を「聖書のみ」とし、神のことばに求めたからであった。勿論、福音の実体である「キリストのみ」との立場と関わっていることは言うまでもない。そのキリストは聖書に啓示されたキリストである。当時は、福音主義への対立概念は「教皇主義」で、カトリック教会では、教皇が地上におけるキリストの代行者として権威を主張する。福音主義、教皇主義は、それぞれ「プロテスタント」と「ローマ・カトリック」と言い換えられる。
[編集] 近年の用法
マクグラス他によれば「福音派」は、今日では大きな4つの前提を中心としている」とされる。
- 聖書の権威と十分性
- 十字架上のキリストの死による贖いの独自性
- 個人的回心の必要性
- 福音伝道の必要性・正当性・緊急性
マクグラスは「他のすべての事柄はアディアフォラ、つまり『無関心に事柄』とみなされる傾向がある」としている。すなわち、上記4点以外については多様な見解・立場を受け入れるのである。[1]
[編集] 教派による福音主義の用語の違い
[編集] 福音派の立場
[編集] 福音主義と福音派
日本福音同盟初代理事長の泉田昭牧師は自由主義神学に対して福音主義、エキュメニカル派に対して福音派と定義した。福音派の自己認識は、自らは福音主義であり、福音派だというものである。[2][3]
改革派のジョン・グレッサム・メイチェンの定義によれば自由主義(リベラリズム)自体がキリスト教ではないので、穏やかな自由主義は存在せず、かろうじてキリスト教である部分霊感と非キリスト教の自由主義が区別される。ただし、部分霊感も聖書の権威を部分的にしか認めない事から、メイチェンは部分霊感も正統的なキリスト教から離れた立場と看做している。そのため、十全霊感を信じない立場の教会を広い意味でリベラル派と総称することがある。
日本キリスト教協議会に加盟する日本基督教団等は、エキュメニズム(教会合同運動)であり、福音主義的ではないとされている[4]。
[編集] エキュメニカル派の立場
[編集] 福音主義と区別された福音派
エキュメニカル派において福音主義と福音派は、似て非なる用語であると考える人がいる。神学的自由主義の立場であってもカトリックに対する福音主義プロテスタントに遡ることができるからである。福音派は狭義の福音主義であり、自己を聖書信仰と規定する集団で、その対立概念は自由主義神学およびエキュメニカル派である。つまり、穏やかな自由主義と先鋭化自由主義の峻別を拒否して同一視した上で、その全てを拒絶する。 逆に、福音派の自己規定が、聖書信仰、聖書主義・反自由主義神学であるため、聖書に対するアプローチや自由主義神学の定義範囲によって福音派像そのものが変わってくる。
[編集] 日本基督教団
日本基督教団内部で福音主義と呼ばれるのは教会派である。この教会派の内実も全くキリスト教根本主義(=逐語霊感、自由主義に穏やかも極端もない)から、自由主義者の自覚がないだけの緩やかな自由主義すなわち部分霊感(=聖書は信仰の規範、自由主義とは極端なものたちのこと)まで幅広く分布する。日本基督教団においては、キリスト・イエスの神性を認めない、もはやキリスト教の体を成さない先鋭化した自由主義神学に対して、それ以外の伝統的立場を福音主義と呼ぶ事が多い。この福音主義には聖書信仰は否定するものの伝統的信仰箇条は堅持する緩やかな自由主義神学が含まれる。日本基督教団内部には「教会派」と「社会派」の対立がある。
以上のことから
- 福音主義(第一定義)=福音主義(第二定義) + 社会派(=先鋭自由主義)
- 福音主義(第二定義)=教会派 + 自覚的な穏やかな自由主義神学
- 教会派=キリスト教根本主義 + 自覚のない穏やかな自由主義神学
という簡易的な包含図式が成り立つとエキュメニカル派では考えられている。
ここでいう「教会派」と同義で「福音派」の語を用いる者が社会派におり、その場合、後述の「(更に保守的な)福音派」との区別は文脈でつけるしかなくなる。だが、エキュメニカル派と区別される福音派においては、教会派と社会派の対立はエキュメニカル内部の問題と考えられており、教会派は福音派とみなされていない[5]。
「穏やかな自由主義神学」を福音主義に含めるか否かの判断は聖書観によって別れる。十全霊感の立場では含めないが「先鋭自由主義」と「穏やかな自由主義神学」の両者も福音主義を自称することがある。
[編集] 聖書観による分類
聖書観で分類した場合の図式である。
- 福音主義=福音派 十全霊感
- 福音主義≠穏やかな自由主義 部分霊感
- 福音主義≠先鋭自由主義 霊感の否定
「聖書のみ」が宗教改革者マルティン・ルターの原理であったが、現代のプロテスタントがすべてこの原理を受け継いでいるわけではないことを留意する必要がある。
プロテスタントの信仰は元々福音主義の名称で語られてきた事実があり、たとえばルター派の教会などで伝統的な「福音主義」或は「福音派」を名乗る人物も一部に見受けられる。そのため、福音派を聖書根本主義と同義であるとするのは必ずしも正確であるとは言えない。ただし、特に日本において福音派を名乗る教会の殆どが聖書信仰と呼ばれる聖書主義に立っているのが実情である。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 宇田進 『福音主義キリスト教と福音派』 いのちのことば社 ISBN 9784264014232
- 宇田進 『現代福音主義神学』 いのちのことば社 ISBN 4264020492
- J・G・メイチェン 『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』 ISBN 9784791201075
[編集] 外部リンク

