ビリー・グラハム
| ビリー・グラハム | |
|---|---|
| 生誕 | 1918年11月7日(94歳) ノースカロライナ州シャーロット |
| 職業 | 伝道者、説教者、宣教師、牧師 |
| 配偶者 | ルース・グラハム |
| キリスト根本主義・福音派 新福音主義の流れ |
| 福音主義 |
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| 関連記事 |
| 人物 |
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ジョン・ストット・ビリー・グラハム |
| 団体 |
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日本福音同盟・福音主義神学会 |
| 神学 |
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ディスペンセーション主義 |
| 歴史 |
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世界伝道会議 |
| 関連項目 |
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キリスト教根本主義 |
| キリスト教 ポータル |
ビリー・グラハム (英語:Billy Graham / William Franklin Graham、Jr、KBE、1918年11月7日 - ) は、現代アメリカの最も著名なキリスト教(南部バプテスト教会)の福音伝道師、牧師、神学校教師、福音派キリスト者。アメリカの伝道師と呼ばれる。1950年に「ビリー・グラハム福音伝道協会」を設立した。20世紀中旬のリバイバル運動(信仰復興運動)聖霊運動の主力となった一人である。今まで生きた誰よりも多く世界中の人々に福音を語ったといわれる[1]。
目次 |
生い立ち [編集]
ノースカロライナ州シャーロットに程近い農場で生まれる。200エーカーの面積があった。家庭では聖書を中心とした教育を受けた。しかし、宗教には無関心だった。[2]
学生時代 [編集]
16歳のときモルデカイ・ハムの伝道説教を通して信仰を持った。テンプル・テラス独立聖書学校(現トリニティ大学)に入学し、そこで少女と婚約するが、その少女はグラハムが「敬虔な働き人となるしるしが見られない」とグラハムに告げて、グラハムから離れた。苦しんだグラハムは、近くのゴルフ・コースでひざまずき、主なる神にすべてをゆだねる祈りをささげた。また、イトスギを相手に伝道説教の練習をするようになった。それから数か月が経って、非行少女たちに福音を語ると応答があったと述べている。[3]
最初の特別集会はフロリダ州パラトカのバプテスト教会である。ホイートン大学に入学し人類学を専攻した。学費のため家具を配達する仕事をしている時に出会った女子大生とデートをして求婚し、大学を卒業した2ヶ月後の1943年に結婚した。[4] 大学院神学部修士課程終了。
ミニストリー [編集]
最初の牧会はイリノイ州ウェスタン・スプリングスにあるバプテスト教会である。
グラハムは教会員たちの協力を得て、トーレイ・M・ジョンソンのラジオ放送を引き継いだ。ここで福音歌手ジョージ・ビバリー・シェーとの出会いがある。また、トロンボーン奏者のクリフ・バロウズも協力者となった。
1947年にノース・ウェスタンスクールズの総長となる。また、この年のロサンゼルスの伝道集会により、知られることとなった[5]。その前にグラハムの霊的体験があったと伝えられる。グラハムは聖書観について悩んでいたため、森の中に入って、切り株の上に聖書をおき、跪いて主なる神に「神よ、証明できないことがありますが、信仰によって聖書を神のことばとして受け入れます」と祈った。すると、「私は神の臨在の驚くべき体験を持った。私は決心したことが正しいことだと思うと、心に大きな平安が訪れた。」という。そしてオーに神の聖霊の油注ぎを受けたと伝えた。[6]
ビリー・グラハムの霊的な戦闘の武器は、「御霊の剣、すなわち神のことば」(エペソ6:17)であり、グラハムは「聖書はこう言っている」と頻繁に語った。[7]
国内外を非常に精力的に飛び回り、マディソン・スクエア・ガーデンなど大衆を前にしての連続伝道、さらにテレビ等のマスメディアを活用した大衆伝道など、20世紀的特徴を体現した伝道師である。日本でも福音的な教会に招かれ伝道集会を開いている。
グラハムの伝道スタイルは聖書に書かれてあるとおり、「イエス・キリストを私たちの罪の身代わりとして死なれ、よみがえられた救い主と受け入れなさい」とストレートにメッセージするものである。その結果、多くの人が主イエスを見出し、新生(ボーン・アゲイン)したと言われる。
1993年時点で、250万人以上が伝道大会で「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」ために進み出た[8]。2002年で彼の生涯における聴衆は、ラジオとテレビ放送を含めて20億人に達した[9]。
ベルリン世界伝道会議 [編集]
1966年10月にベルリンで世界伝道会議が開催された。ここでは伝道の急務が訴えられ、また会議は人種差別を否定した。グラハムの最終日の説教は「あなたの祭壇はけがれていないか」題するもので、これを聞いた参加者は涙を流してひざまずき、祈ったと伝えられる。[10][11]
ローザンヌ世界伝道会議 [編集]
ローザンヌ世界伝道国際会議では、宣教を伝道と社会責任の二つにわけ、伝道の優先性を主張しながらも、社会責任を無視しないとした。[12]
ローザンヌ誓約では、あらゆる種類の混合宗教(シンクレティズム)やすべての宗教やイデオロギーを通してキリストが語っているかのような対話(ダヤローグ)を「キリストと福音に対する冒涜とみなして拒否する」と宣言しているが、同時に、すべての人は罪人であり、滅びに向かっているため、彼らに神の愛を告知し、招くようにとの誓約を表明している。
日本の教界への影響 [編集]
日本では1956年、1967年、1980年、1994年の4回にわたってビリー・グラハム国際大会が開催された。また、ローザンヌへもコミットしている[誰?]。 また、北朝鮮と太いパイプを持ち、高く評価している。(英語版参照のこと)
後継者 [編集]
グラハムはギャラップ社の「20世紀で最も評価される人」の7人目に選ばれた。現在は息子のフランクリン・グラハム師が後継者と目されている。
世人への影響 [編集]
聖書では姦淫が禁じられているため、それを世人に教え、1960年代後半にアメリカで巻き起こった「セックス革命」と言われる一連の性的倫理の解放運動の罪を指摘しており、伝道集会、著書、テレビ伝道などにおいてこれを強く非難し、悔い改めるように説教した。そのため世人からは、「アメリカの伝統的価値観」を体現し、これを保護する「保守派」と呼ばれることがある。
グラハムは保守派を中心としたアメリカ合衆国大統領の霊的助言者であった[13]。実際に、リチャード・ニクソンなど多くの大統領就任式の際の祈祷をたびたび担当している。
批判 [編集]
キリスト教根本主義(ファンダメンタリズム)は福音派のビリー・グラハムを非難する[14]。また新正統主義のラインホルド・ニーバーもグラハムを批判している。 また、ニクソン元大統領と極秘裏に会談した時、ユダヤ人がアメリカのメディアを支配し、アメリカにのど輪(レスリングの技)をかけており、将来アメリカが滅亡するだろうと言ったことがばれ、後に謝罪している。 また、トルーマン元大統領とも親交があったが、彼トルーマンは、嫌っており、あれは、政治に近づきすぎるとも批評したといわれている。
脚注 [編集]
- ^ http://www.highbeam.com/doc/1G1-87912863.html Cincinnati Post
- ^ 歴史的探究p.757-758
- ^ 探究p.760
- ^ 探究p.761
- ^ 源流p.181
- ^ 源流p.182-183
- ^ 探究p.764
- ^ http://205.188.238.109/time/magazine/article/0,9171,979573,00.html
- ^ 上記Cincinnati Post
- ^ 『激動するアメリカ教会-リベラルか福音派か』
- ^ 世界伝道会議『すべての造られた者に福音を-世界伝道会議の記録』
- ^ ジョン・ストット『ローザンヌ誓約』いのちのことば社
- ^ “The Transition; Billy Graham to lead Prayers”. ニューヨーク・タイムズ. (1992年12月9日) 2007年12月24日閲覧。
- ^ Bob Jones University Drops Interracial Dating Ban | Christianity Today | A Magazine of Evangelical Conviction
著書 [編集]
グラハムは著書等を通してもキリスト教界に広く影響を与えている。
- 『「神との平和」を見いだすには』 ビリー・グラハム東京国際大会 1994
- 『今よみがえる黙示録の預言』いのちのことば社 ISBN 4264014433
- 『迫りくる終わりの日』 いのちのことば社 ISBN 4264007232
- 『ハルマゲドン 最後の日に備えて』いのちのことば社 ISBN 4264005000
- 『どうしたら新生できるか』いのちのことば社
- 『天使 その知られざる働き』いのちのことば社 ISBN 426400246X
- 『神は遠くにいない』いのちのことば社
- 『真理に至る道 - わかりやすいキリスト教の話』いのちのことば社
- 『もう一つの革命』 いのちのことば社 1972
- 『どうしたら神を見いだせるか』 1967
参考文献 [編集]
- 『ビリー・グラハム』KGK出版
- 『伝道の歴史的探究』メンデル・テイラー 福音文書刊行会
- 『リバイバルの源流を辿る』尾形守 マルコーシュ・パブリケーション
- 『激動するアメリカ教会-リベラルか福音派か』古屋安雄 ヨルダン社
関連 [編集]
外部リンク [編集]
| 受賞 | ||
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| 先代: マーガレット・サッチャー |
ロナルド・レーガン自由賞 2000年 |
次代: ルドルフ・ジュリアーニ |
| 先代: ニール・アームストロング |
シルヴァヌス・サイアー賞 1972年 |
次代: オマール・ブラッドレー |
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