デーヴィッド・キャメロン
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David Cameron
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デーヴィッド・キャメロン
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| 生年月日 | 1966年10月9日(46歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | オックスフォード大学 |
| 所属政党 | 保守党 |
| 配偶者 | サマンサ・シェフィールド |
| 公式サイト | Conservative Party website |
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| 内閣 | デービッド・キャメロン内閣 |
| 任期 | 2010年5月11日 - |
| 元首 | エリザベス2世 |
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| 任期 | 2005年12月6日 - 2010年5月11日 |
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| 任期 | 2005年5月6日 - 2005年12月6日 |
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| 選挙区 | ウィットニー選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 2001年6月7日 - |
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第26代 保守党党首
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| 任期 | 2005年12月6日 - |
デーヴィッド・ウィリアム・ドナルド・キャメロン(David William Donald Cameron、1966年10月9日 ‐ )は、イギリスの政治家。イギリス首相(第75代)、保守党党首(第26代)、庶民院議員(3期)。
目次 |
経歴[編集]
生い立ちから政治家になるまで[編集]
1966年、ロンドンに生まれる。イートン校を経てオックスフォード大学で、哲学、政治学、経済学を学び、一級優等学位(first class honours)を得て卒業。1988年、保守党調査部に就職し、サッチャー政権とメージャー政権で政策資料作成のスタッフとして活動した。また、財務大臣だったノーマン・ラモントのスピーチライターを務めた[1]。1994年から2001年まではイギリスのメディア大手であるカールトンで働いた。
2001年、庶民院議員総選挙にオックスフォードシャーのウィットニー選挙区から出馬し、初当選。2005年5月5日の庶民院議員総選挙で2期目の当選を果たす。
保守党党首[編集]
影の内閣で教育・技能相であったが、2005年12月の党首選において「若手による改革」を唱えて出馬する。当初は有力視されていなかったが、若々しさと爽やかな弁舌が支持を集め、党内右派の実力者で影の内相デービッド・デービスを破り、党首に就任した。ウィリアム・ピット(小ピット)以来の最も議員経験の少ない党首であった。
就任後は、右寄りに傾きつつあった保守党を中道寄りに修正した。長期政権への倦怠感から不人気に陥ったブラウン労働党政権を上回る支持率を獲得し、補選や地方選などで勝利を続けて党勢回復に成功した。そして2010年5月の総選挙で第一党の座を奪還した。過半数獲得はならなかったが、第3極の自由民主党との連立政権樹立を模索し、5月11日にはブラウンが退陣を表明、首相に就任した[2][3]。43歳7ヶ月という年齢での首相就任は、1812年の第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン以来、最も若い首相である。就任後、直ちに組閣作業を終え、5月12日にはキャメロン内閣が発足した。
首相として[編集]
内閣発足直後の5月29日、財務省首席担当官のデイヴィッド・ローズが交際相手の男性(同性愛者)が所有する住宅を間借りし、賃料4万ポンド(約530万円)以上を不正に議員経費として受け取っていたことの責任を取り辞任するというスキャンダルに見舞われた。
2010年6月15日、北アイルランドで1972年に発生した血の日曜日事件について、1998年以来イギリス政府が続けてきた調査(サビール調査)報告書の提出を受け、イギリス政府の非を認め謝罪[4]。
10月、財政赤字解消のため第二次世界大戦後最大規模の歳出削減案を発表。実行された場合、公務員49万人が失業し、軍事費も大幅削減される見通し。専門家によれば、今後イラク戦争規模の軍事行動参加は不可能になるという[5]。
2012年4月10日に来日。野田佳彦首相と首相官邸で会談し、英国と防衛装備品の共同開発を進めることで合意した。
政策[編集]
保守党の政治家であるが、サッチャリズムとは距離を置いている。金融危機の際、政府による金融機関のコントロールが機能しなかったのは1997年に金融機関の監督権限を財務省、イングランド銀行(中央銀行)、金融サービス機構(FSA)に分離したことが原因だとして、財務大臣時代にこの政策を実行したゴードン・ブラウンの責任を追及し、FSAを廃止して中央銀行の監督権限を回復させる政策を主張した[1]。
警官や兵隊、教師などの一割削減を掲げているが、労働党からはこのことから「ミスター10%」と綽名されている。
日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを支持している[6]。
家族[編集]
ウィリアム4世とその愛人ドロシー・ジョーダンとの間の庶子10人のうちの1人エリザベス・フィッツクラレンスの子孫である。つまりエリザベス2世の遠縁である。
先祖には近代英国の金融界で重きをなした人物が多く、父イアンに至るまで代々投資銀行パンミュア・ゴードンの経営に携わっている。パンミュアの仲買人であったアーサー・レヴィータと香港上海銀行のロンドン支店長であったユーウェン・キャメロンという2人の先祖は共に、当時日銀副総裁であった高橋是清がロスチャイルド家より日露戦争戦費を調達するにあたり、大きな役割を果たしたという。
サマンサ夫人とは1996年に結婚し、3人の子供をもうけている。第一子が脳性麻痺および大田原症候群の診断を受けたことを公表していたが、2009年2月に夭折した。自らも幼子を失った経験のあるゴードン・ブラウンも追悼の意を表している[7]。
スキャンダル[編集]
2007年1月、近く出版されるキャメロンの伝記の中で高校・大学時代の大麻吸引に言及がなされていることが判明し、本人もこの事実を認めた。疑惑は党首に就任した2005年よりあったが否定も肯定もしていなかったとされる。
脚注[編集]
- ^ a b 「それでもサッチャー主義は敬遠」 ブルームバーグ、2009年9月28日。
- ^ “英保守党13年ぶり政権、連立の行方不透明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月12日) 2010年5月12日閲覧。
- ^ “英ブラウン首相、辞意を正式表明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月12日) 2010年5月12日閲覧。
- ^ “英首相、北アイルランド「血の日曜日事件」謝罪” ((日本語)). 読売新聞. (2010年6月16日) 2010年6月16日閲覧。
- ^ Strategic defence review means end of Iraq-scale military interventionsguardian.co.uk Tuesday 19 October 2010 21.03 BST
- ^ “日本の常任理入り支持=菅首相と会談-英首相”. 時事ドットコム(時事通信社). (2010年6月27日) 2010年6月28日閲覧。
- ^ 「キャメロン保守党党首に悲報―6歳の長男、急逝」 Japan Journals、2009年2月25日。
外部リンク[編集]
- David Cameron MP(公式サイト)
- デーヴィッド・キャメロン (David_Cameron) - Twitter
- DavidCameron - Facebook
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ゴードン・ブラウン |
第75代:2010 - |
現職 |
2010 - |
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2010 - |
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| 先代: ティム・コリンズ (en) |
2005 |
次代: デービッド・ウィレッツ (en) |
| 先代: マイケル・ハワード |
野党党首 2005 - 2010 |
次代: ハリエット・ハーマン (代行) |
| 議会 | ||
| 先代: ショーン・ウッドワード |
ウィットニー選挙区選出議員 2001 - |
現職 |
| 党職 | ||
| 先代: マイケル・ハワード |
保守党党首 第26代:2005 - |
現職 |
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