ドロシー・ジョーダン

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ドロシー・ジョーダン(ジョン・ホップナー画)

ドロシー・ジョーダン(Dorothy Jordan, 1761年11月21日 - 1816年7月5日)は、イギリスウィリアム4世が、即位する前のクラレンス公であった頃の愛妾。

本名はドロセア・ジョーダン(Dorothea Jordan)といい、ウォーターフォードアイルランドマンスター地方)近郊で生まれたアイルランド人の平民である。女優となり、「ミセス・ジョーダン」の芸名で有名になったが、ドロシーは生涯独身で、結婚した事実はない。既婚女性が舞台に立つのは珍しく、賞賛の的になったため、わざとそういう芸名をつけたのである。美しく機転がきき、知的なドロシーを、富裕層の男性たちが放っておかなかった。彼女は1780年代後半からクラレンス公ウィリアムと同棲を始めた。政治的に愛妾の立場を利用しようとはせず、ドロシー自身宮廷で何らかの役割をすることもなかった。同棲後も彼女は女優として舞台に立ち続け、時にはウィリアムと並んで公衆の面前に立った。ウィリアムとの間にエリザベス(1801年 - 1856年)ら10人もの子供を生み、彼らにはフィッツクラレンス(FitzClarence:「クラレンスの子」の意味)の姓が与えられた。

ウィリアムとの関係を続けながら、同時に警察幹部サー・リチャード・フォード、王立劇場のマネージャーであるリチャード・ダリーとも噂になっていた。ウィリアムは、ザクセン=マイニンゲン公女アーデルハイト(英語名アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン)と正式に結婚するにあたり、ドロシーとの関係を解消した。ドロシーは1816年、パリ近郊で貧窮して亡くなった。