エディンバラ

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エディンバラ
スコットランド・ゲール語: Dùn Èideann
スコットランド語: Edinburgh/Embra/Enburrie
—  単一自治体 & 都市  —
時計回りに上から、カールトン・ヒルからの景色、エディンバラ大学エディンバラ旧市街エディンバラ城及びカールトン・ヒルから臨むPrinces Street.
愛称:"Auld Reekie", "Athens of the North"
標語:"Nisi Dominus Frustra" "Except the Lord in vain" associated with Edinburgh since 1647, it is a normal heraldic contraction of a verse from the 127th Psalm, "Except the Lord build the house, they labour in vain that build it. Except the Lord keep the city, the watchman waketh but in vain"
エディンバラの位置
エディンバラ
スコットランド内の位置
座標: 北緯55度56分58秒 西経3度9分37秒 / 北緯55.94944度 西経3.16028度 / 55.94944; -3.16028
イギリスの旗 イギリス
カントリー スコットランドの旗 スコットランド
レフテナンシー・エリア エディンバラ
市役所 エディンバラ・シティ・センター
創立 7世紀
自由都市 1125年
市政移行 1889年
行政
 - 種別 単一自治体都市
 - 市政 シティ・オブ・エディンバラ・カウンシル
 - 市長 ジョージ・グラブ
 - スコットランド議会議員
 - 英国議会議員:
面積
 - 単一自治体 & 都市 100.00mi2 (259km2)
人口 (2008年)
 - 単一自治体 & 都市 471,650人
 都市部 1,164,611[要出典]
 - 都市部人口密度 4,716人/mi² (1,820.9人/km²)
等時帯 グリニッジ標準時 (UTC+0)
 - 夏時間 英国夏時間 (UTC+1)
郵便地域 EH
市外局番 0131
ISO 3166-2 GB-EDH
ONSコード 00QP
英式座標 NT275735
NUTS 3 UKM25
ウェブサイト www.edinburgh.gov.uk
www.edinburgh-inspiringcapital.com

エディンバラ英語Edinburghスコットランド・ゲール語Dùn Éideann)は、スコットランドの首都であり、ロージアン州の州都。

概要[編集]

地名は「エドウィンの城」の意味。火山の溶岩の上に形成された街であり地盤が強固である。

スコットランドの東岸、フォース湾に面するこの都市は、グラスゴーにつぐスコットランド第2の都市で、政治の中心。同国屈指の世界都市でもある。人口は2006年時点で463,510人。旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコ世界遺産に登録されていて、旧跡も豊富。街の中心にカールトン・ヒルと呼ばれる小高い丘がある。毎年8月、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客で賑わう。古くから行政府・商業都市として栄え、金融業や小売業が強い。なお英国国内では、ロンドンに次いで観光客が多い町である。

歴史[編集]

この地域には4000年前新石器時代の狩猟民や採集者たちが移動して来、定住していた。

ローマ時代~中世

ローマ時代にはゴドッディン族が、暗黒時代にはアングル人がこの地域にやってきた[1]。 古くは6世紀、元々天然の要害である急峻な地形を利用して築かれたケルト人の砦を起源とする。

11世紀、スコットランド王マルコム3世はここに城をたて、その王妃マーガレットは小さな聖堂をつくった。1329年ロバート・ブルース王はこの地に特許状をあたえている。

15世紀 首都化、議会設置

ここまでにイングランドの幾たびもの侵入を退けたが、1437年、それまで首都だったパースでスコットランド王ジェームズ1世が暗殺されたのにともない、1492年にエディンバラに首都が移され、同年スコットランド議会が創設された。

17世紀~

1603年ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に即位すると、エディンバラの商業的・政治的重要性は低下した。1707年イングランドとの合併によりスコットランド議会が解散するが、その後も古くからの堅固な城砦の街並みは保存され、スコットランド人の自主独立と反骨精神の歴史・伝統を今に伝えている。1745~1746年にボニー・プリンス・チャーリーが反乱を起こす。

18世紀の人口過密と悲劇的事件、新たな都市計画

18世紀前半、エディンバラは人口密度が過密になり、ヨーロッパでも有数の過密で不衛生な都市となっていた。人々は小さな部屋にぎゅうぎゅう詰めの状態で暮らしていた。建物は地上での階層を高くしただけでなく、地下深く、何層にも掘るようにして部屋が作られていった。そして、より貧しい人ほど、より地下深くの部屋で暮らしていた[2]。地下深くには太陽の光がほとんどまったく入ってこない。当時、下水も完備されておらず、街の汚水が地下の居住空間にまで流れ込んできて不衛生で、ひどい悪臭が充満していて、空気はじめじめと湿っていた[2]。そんな状態だったので(当然の結果だが)病気が流行し、ペストまで発生した[2]。当時の権力者はペストが流行することを恐れ、貧しい人々を地下空間に閉じ込めたまま地下空間への出入り口をふさがせてしまった[2]。つまり生き埋めにしてしまったのである。生き埋めにされたのは大人だけでなく、子供もいた[2]。一方、金持ちの人々は、エディンバラのこの不衛生な街並みに見切りをつけ、別に新たな、太陽の光があふれた理想的な街並みを作ることを計画し、18世紀後半に建設を開始した[2]。そのようにして作られたのが現在の「New Town 新市街」である。そして従来のエディンバラの街並みは「Old Town 旧市街」と呼ばれるようになった。(近年、生き埋めの悲劇が起きた地下空間とその出入り口が発見され、見学できるようになっている。子供が死んでいたところには、その慰霊のためか、ぬいぐるみなどのおもちゃを置く人も多いようで、山のようになっている。[2]

1767年、新市街の建設が計画された。エディンバラとグラスゴーというスコットランドの二大都市を結ぶ全長38マイルの運河(フォース・クライド運河)が1768年から1790年までに完成した[3]

18~19世紀には文化的中心地としてさかえ、アダム・スミスデイヴィッド・ヒュームなどの哲学者を輩出している。

なお、イングランドへの併合後の1726年には、街名にちなんだ公爵位エディンバラ公が創設されている。

地理[編集]

スコットランドのローランドに位置するエディンバラは北にフォース湾が控え、西へ100kmほどにグラスゴーがある。地質時代デボン紀から石炭紀にかけての約4億年前に初めて火山活動がおこり、3億5000万年前に2回目の火山活動で火山円錐丘が出来上がり、そして2億8500万年前に岩脈ができ、2億5000年前に地震が起こり、200万年前には氷河におおわれてしまった。二度の火山活動で噴出した玄武岩溶岩の上に街が出来ている。町の目印となるキャッスル・ロックはほぼ左右対称の円筒状の玄武岩でできており、平地から450フィートの高さにそびえ、てっぺんと底部がほぼ同じである。 エディンバラ城の場所やアーサーの席(Arthur's Seat)と呼ばれる岩山は溶岩が氷河に削り取られた後の残丘である。

他のスコットランドの都市と同様、その緯度に似合わずエディンバラも温和な海洋性気候である。冬は零下になることは余り無い。夏の最高気温は22度Cである。ただし、メキシコ湾流による南西風が強いことで知られる。雨は年間を通じ多い。10月から5月にかけて北海からの東風が冷たい乾いた嵐となることがある。

人口[編集]

  • 推計総数:463,510人(2006年)、468,100人(2007年)
  • 年齢構成:15歳未満13.97%、15~24歳15.68%、25~64歳55.74%、65歳以上14.61% (2007年)

観光[編集]

  • エディンバラ城 - エディンバラ城は切り立った岩山の上に立つ要塞で、その起源を7世紀までさかのぼることができる。日曜日を除く毎日13時になると、城の大砲が鳴り響く。エディンバラ・フェスティバルの期間中、城の前の広場にてミリタリー・タトゥーと呼ばれる軍隊パレードが行われる。
  • ロイヤル・マイル - エディンバラ城とホリールードハウス宮殿を結ぶ通り。老舗のパブや教会、お土産屋が並ぶ。
  • ホリールードハウス宮殿 - エリザベス女王の避暑地。VIPが不在時は一般公開されている。
  • パブ コナンドイル - 店の近くにはシャーロック・ホームズの像が建っている。もう一体はロンドンのベーカーストリートにある。
  • グレーフライアーズ・ボビー - イギリス版の忠犬ハチ公。エディンバラ城の南東の通りに像が立っている。
  • ホリーヒル公園 - ホリールードハウス宮殿の南側にある丘。崖の切り出しが壮観。頂上に登るには、宮殿から見える登山口ではなく、東側へ進んで裏手側より登るのが近道。
  • カールトン・ヒル - 線路を挟み、ホリーヒル公園の北側にある公園。記念碑や旧天文台などが頂上にある。そこから見える360度のパノラマは絶景。
  • エディンバラ動物園 - 動物たちに、動物園としては比較的自由な振る舞いをさせることで知られているらしい。ペンギンの飼育に関しては世界でさきがけ的な存在で[2]、決められた時刻になるとペンギンの檻の扉を開け、ペンギンらに園内のお客さんがいる通路を散歩させるイベント「penguin walk ペンギン・ウォーク」(penguin parade ペンギン・パレード)が行われることが目玉である[2]

交通[編集]

エディンバラ・トラム[編集]

1956年11月16日にトラムが廃止されたが近年、トラムシステムの有用性が再認識され再び復活する運びとなった。当初の開業予定は2011年7月だったが現在の完成予定は2014年で街の東西を横断して結ぶ予定である。更なる延伸も予定されている。当初の予算は512万ポンドで現在の予想では600万ポンドを超えると見られている。

エディンバラ・エアポートレイルリンク[編集]

2011年の開業予定で2007年にスコットランド議会で建設が可決されたが同年9月に政権が交代して計画は中止された。滑走路の下にトンネルを掘って高速で連絡する予定だった。

教育[編集]

エディンバラ大学は、イギリスないし欧州屈指の名門大学。哲学者のデイヴィッド・ヒューム、経済学者のアダム・スミス、科学者のチャールズ・ダーウィン、小説家のコナン・ドイルなど数多くの学者、文化人を輩出している。

スポーツ[編集]

サッカー
スコティッシュ・プレミアリーグのチームハート・オブ・ミドロシアンFCハイバーニアンの本拠地である。

エディンバラ出身の人物[編集]

姉妹都市[編集]

その他[編集]

この街のカフェで作家J・K・ローリングハリー・ポッターと賢者の石を書き上げたという話は有名。また、物語に登場する「ホグワーツ魔法魔術学校(ホグワーツ城)」はエディンバラ城がモデルだといわれているが、作者は否定している。

脚注[編集]

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  1. ^ ジャック・レプチェック著、平野和子訳『ジェイムズ・ハットン -地球の年齢を発見した科学者-』春秋社 2004年 56ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j 世界ふれあい街歩き「エディンバラ 旧市街から新市街へ」2014年1月16日(木) 午後0:00~1:00 放送
  3. ^ ジャック・レプチェック著、平野和子訳『ジェイムズ・ハットン -地球の年齢を発見した科学者-』春秋社 2004年 137ページ

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光