コロッセオ

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フラウィウス円形闘技場
(コロッセウム)
Amphitheatrum Flavium
(Colosseum)
Colosseum in Rome, Italy - April 2007.jpg
所在地 フォルム・ロマヌムの南西に隣接
建設年 80年
建設者 ウェスパシアヌスティトゥス
建築様式 凱旋門
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ローマ中心部付近での位置(赤丸)

コロッセウムラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場ラテン語: Amphitheatrum Flavium)。現在ではローマを代表する観光地である。

歴史[編集]

コロッセウムはネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった人工池の跡地に建設された。すでに掘り下げられていたため池の水を抜くだけで済み、基礎工事をいくらか省略することができた。工事はウェスパシアヌス治世の70年に始まり、ティトゥス治世の80年[1]に、隣接するティトゥス浴場と同時に完成・落成した。 剣闘士のショー以外にも、動物園、デモ、宗教的行事、水中ショー等、自然や神話を再現したレクリエーション等も行われた。 審判がいる時代の剣闘士は育成費が高額でスター化していたため死亡率が極端に低かったが、キリスト教徒が増え審判がいなくなった4世紀頃には現代のイメージのどちらか片方が死んで終了というスタイルに変わっていった。[2]

フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから「フラウィウス円形闘技場」が本来の名前である。しかし、ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたためコロッセウムと呼ばれるようになったといわれている[3]

猛獣の餌食にされようとしているキリスト教徒。実際はこのようなことは行われていない。ライオンの習性に無知なのが窺い知れる。

構造はローマン・コンクリート(火山灰を利用したコンクリート)で出来ている。鉄骨を用いないコンクリートにも関わらず幾多の地震の際も崩壊しなかったのは、全体が円筒形で力学的に安定していたためである。

ローマ帝国のキリスト教化に伴い血生臭い剣闘士競技は禁止されたと言われているが、443年に地震で破損したコロッセオの修復を行ったことを記念する碑文が残されており、地中海西部でのローマ帝国の支配が崩壊した6世紀でも修復の記録が残っていることから、古代末期までは競技場として使用されていたと考えられている[4]

コロッセウムに使用されている建材は、中世を通じて他の建築物に流用され続けた。つまり一種の採石場とされていたのである。その大理石バチカンサン・ピエトロ大聖堂にも使用されている。それにもかかわらず往時の姿をとどめているのは、迫害されたキリスト教徒がここで殉教したという噂が立ち、マルティネリが1653年にその噂を本に記してヨーロッパ中に広まり、教皇ベネディクト14世(1740-1758)がその説を支持し、殉教のモニュメントを建てコロッセオを保存させた。それ以降一種の聖地としてその姿を留めることとなった。

キリスト教徒がコロッセオで処刑されたという話は後世の創作で歴史的根拠はなく、発端が「古代ローマ人は異教徒で野蛮ゆえに、この場所でキリスト教徒が殺されていたかもしれない」というたわいもない噂話であり、古代キリスト教徒の残した書の中にもそのような記述はないため、コロッセオで殉教したといわれていた聖人のプレートも外された。なおこの聖人は架空の人物として教会からも抹消されている。[5]

現在外周は半分程度が残っている。古代の完全な状態に再現しようとする動きはなく、このままの形で保存されていくと考えられている。

1900年を越えた現在ではローマはイタリアの一都市となってしまったが、コロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。

現在では死刑廃止のイベントのために使用されている。例えば、11月30日の「死刑に反対する都市(Cities for Life)」の日や、新たに死刑を廃止した国が出たときには、その記念としてコロッセオがライトアップされる。2007年1月には、イラクサッダーム・フセイン元大統領の処刑に抗議するために点灯された。

構造[編集]

壁面の穴は戦傷の痕ではなく、建設および補修時の足場用の木材を挿入するための穴である。
コロッセウム内部。地下にあった施設が現在ではむき出しになっている。

長径188m,短径156mの楕円形で、高さは48m[6]、約5万人を収容できた[7](文献により40,000人〜60,000人と幅がある[8][9][10])。また、天井部分は開放されているが、日除け用に布を張る設備があった。皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計されており、また一般の観客席についても一日に20分以上日光が当たらないように工夫がなされていた。

初期においては競技場にローマ水道より引いた水を張り、模擬海戦を上演することさえ可能だったが、後には「」のような複雑な舞台装置を設置したためにそのような大規模演出は不可能となった。また人力エレベーターも存在し、剣闘選手の入場に用意されていた。現在ではその巻き上げを行った柱の跡が残っている。

コロッセウムの横には噴水が作られた。それは「メタ・スダンス(汗をかく標識)」といわれ、闘いを終えた剣闘士もここで体を洗ったと伝えられている。

平面図(長径188m,短径156mの楕円形)
断面図(高さ52m) 前列は元老院階級席、中列が騎士階級席、その後ろが裕福なローマ市民席、最後列が一般市民と女性席

隣接する古代ローマ遺跡[編集]

コロッセウムが登場する作品[編集]

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ University of Virginia, Institute for Advanced Technology in the Humanities : Flavian Amphitheater
  2. ^ Claridge, Amanda (1998). Rome: An Oxford Archaeological Guide (First ed.). Oxford, UK: Oxford University Press, 1998. pp. 276–282. ISBN 0-19-288003-9. 
  3. ^ Martialis, Marcus Valerius、Sullivan, John Patrick、Whigham, Peter、1987年『Epigrams of Martial - Englished by divers hands』カリフォルニア大学、ISBN 0-520-04240-9の51ページ目参照。
  4. ^ 本村凌二編著/池口守・大清水裕・志内一興・高橋亮介・中川亜希著『ラテン語碑文で楽しむ古代ローマ』(研究社 2011年)P118-119
  5. ^ http://www.the-colosseum.net/history/martyrium_en.htm
  6. ^ The Colosseum
  7. ^ THE ROMAN COLOSSEUM BENCHMARK
  8. ^ Roman Colosseum 収容人員 45,000〜55,000人
  9. ^ The Roman Colosseum 収容人員 50,000人
  10. ^ ARENA: GLADIATORIAL GAMES 収容人員 40,000〜60,000人でおよそ50,000人

関連項目[編集]

座標: 北緯41度53分25秒 東経12度29分32秒 / 北緯41.89028度 東経12.49222度 / 41.89028; 12.49222