クイリナーレ

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座標: 北緯41度54分04秒 東経12度29分18秒 / 北緯41.90111度 東経12.48833度 / 41.90111; 12.48833

クイリナーレの丘に立ち並ぶ宮殿、ルイジ・ロッシーニが1827年に発行した『ローマ七丘今昔』版画のシリーズ: 現在のトレヴィ近くのアッカデーミア・ディ・サン・ルーカ宮殿から見た景色で、そこは架空の庭となっている
クイリナーレ宮殿 2004年

クイリナーレ (Quirinale) は、ローマの元となったローマの七丘の一つである。 この名前は、共和国大統領官邸となっている宮殿にも使用されている。

元々は「Collis Latiaris」、「Mucialis」(または Sanqualis)、「Salutaris」という丘の集まりの一部分であった。16世紀に始まった建物の建造によりそれらの区別は失われた。

ローマの伝説に基づくとクイリナーレの丘にはサビニ人の小さな村があり、ティトゥス・タティウス王はローマとサビニとの和平後にそこに住んだとされる。 サビニ人は彼らの神「クゥイリーヌス」に捧げた祭壇をここに立てた(神の名は丘の名前となった)。

紀元前8世紀7世紀の墓が発見され、サビニ人がこの区域に住んでいた証明ではないかとされる。丘の上にはルキウス・パピリウス・クルソルが第三次サムニウム戦争後に勝利を記念した神殿に移したクイリヌスの墓があった。幾人かの著述家は「三主神」(ユーピテルユーノーミネルワ)をカンピドリオより前にここで祭っていた可能性を考えている。 オスク=サビニの神フローラの聖域もここにあった。

紀元前446年セモ・サンクス神に神殿が捧げられ、それは他の神殿の廃墟の上に建てられた。またアウグストゥスマールスに捧げる神殿を立てるように命じた。

コンスタンティヌス1世は街の最後の浴場を建設する命令を出した。この建物は失われてしまったが、いくつかの16世紀の絵画には見ることができる。

中世にはミリツィエの塔とサンティ・ピエトロ・エ・ドメニコ修道院が建設され、コンスタンティヌス浴場の上にはロスピリオージ宮殿が建てられた。この宮殿には現在もクイリナーレ広場にあり二つの有名なディオスクーロイ騎馬像と、ミケランジェロカンピドリオセナトーリオ宮殿の階段上に移動させた二つの川の神の像があった。

丘には以下のような多くの重要な記念物がある:

他のローマの七つの丘[編集]

参照[編集]