シチリア

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シチリア州
Regione Siciliana
シチリア州の州旗 シチリア州の紋章
シチリア州の州旗 シチリア州の紋章
Sicily in Italy.svg
イタリアの旗 イタリア
地域 イタリア島嶼部
州都 パレルモ
面積 25,711 km²
人口 4,999,854 [1]2012-01-01
人口密度 194.5 人/km2
アグリジェントカルタニッセッタカターニアエンナメッシーナ, パレルモ, ラグーザシラクーザ, トラーパニ
コムーネ 390 (一覧
州知事 Rosario Crocetta 2012-10-29
公式サイト [1]

シチリア島イタリア語: Sicilia)は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の。地中海最大の島である。

周辺の島を含めてシチリア州を構成している。この州はイタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はパレルモ

目次

名称 [編集]

古典ギリシア語ではシケリアΣικελία)、ラテン語ではシキリアSicilia)と呼ばれた。また、英語由来の名称でシシリーSicily)、シシリアとも呼ばれる。

地理 [編集]

位置・広がり [編集]

地中海のほぼ中央にあるシチリア

シチリア島は、イタリア半島の西南に位置する島で、イタリア本土のカラブリア半島とはメッシナ海峡(最狭部の幅は約3km)によって隔てられている。面積 25,420km2は、日本の九州の約64%、あるいは四国の約1.4倍にあたる大きさである。地中海のほぼ中央部に位置しており、南西方のアフリカ大陸チュニジアとの間のシチリア海峡(幅約145km)によって東地中海と西地中海を分かっている。北西方向には約285kmを隔ててサルデーニャ島がある。シチリア島を取り巻く海(地中海)のうち、北側の海はティレニア海、東側の海はイオニア海とも呼ばれる。

シチリア島は、全域がイタリア共和国のシチリア州に含まれる。シチリア州には、シチリア島周辺の島々(北方沖のエオリア諸島、西方沖のエーガディ諸島、南西沖のパンテッレリーア島ペラージェ諸島など)が含まれているが、面積の大部分はシチリア島が占めている。シチリア州はイタリア最大の面積を持つ州で(ピエモンテ州がこれに次ぐ)、国土面積の12分の1弱を占めている。

シチリア州の州都パレルモは島の北岸(ティレニア海側)中央やや西寄りに位置しており、カラブリア半島先端のレッジョ・ディ・カラブリアから西へ約200km、イタリア南部の中心都市ナポリから南南西へ約314km、チュニジアの首都チュニスから東北東へ約317km、サルデーニャ島の首府カリャリから東南東へ約389km、イタリアの首都ローマから南南東へ約428kmの距離にある。

地勢 [編集]

シチリア島の地形図

シチリア島東部に位置する州第二の都市カターニア付近には、ヨーロッパ最大の活火山エトナ火山がある。

シチリア島周辺には小島嶼が散在しており、シチリア州に所属している。北方(ティレニア海)のエオリア諸島、北西(ティレニア海)のウスティカ島、西方(ティレニア海)のエーガディ諸島、南西(シチリア海峡)のパンテッレリーア島およびペラージェ諸島などである。このうち最大の島はパンテッレリーア島。

シチリアの南方にはマルタ島があるが、マルタ共和国として独立国家となっている。

2002年エトナ火山噴火 
パレルモのビーチ 

主な都市 [編集]

人口7万人以上のコムーネは以下の通り。人口は2012年1月1日現在[1]

このほかの主要都市として、トラーパニアグリジェントカルタニッセッタチェファルタオルミーナブロンテなどが挙げられる。

パレルモ 
カターニア 
メッシーナ 
シラクサ 

歴史 [編集]

ギリシア及びカルタゴ支配時期 [編集]

17世紀に描かれたアルキメデスの肖像画

西部にはエリュミア人、中部にはシカノス人、東部にはシケロイ人が原住民として住んでいたが、紀元前8世紀からギリシア人の植民が開始された。古典ギリシア語ではシケロイ人の名を取ってシケリアと呼ばれた。紀元前734年頃、シケリア最大の植民市となったシュラクサイ(現在のシラクサ)の他、ゲラ(現ジェーラ)、アクラガス(現アグリジェント)、セリヌス、ヒメラ、メッサナ(現メッシーナ)、レオンティノイ(現レンティーニ)などの植民都市が建設された。これらの都市は、古代ギリシアの重要な一部となっていた。ギリシャの学者として有名なエンペドクレスアルキメデスはこの島の出身である。紀元前480年、シュラクサイの僭主ゲロンカルタゴの間で戦争が起き、ヒメラの戦いen)でゲロンが勝利を収めた(第一次シケリア戦争)。

紀元前431年ペロポネソス戦争が起こると、イオニア系植民市とドーリア系植民市の抗争が激化し、アテナイがこれに介入を図った。これに対しシケリアの全都市の代表は紀元前424年ゲラに会合し、シケリア以外からのいかなる干渉をも排することを盟約した。だが、敵国であるコリントスとの経済断交を求めてアテナイはシケリアへの遠征を試み、紀元前415年シュラクサイ(コリントス系植民都市)を包囲したが、スパルタからの援軍によって紀元前413年アテナイ軍は撃退された。

その後、ヘレニズム期において、ディオニュシオス1世ら僭主に率いられたシケリアのギリシア人はカルタゴと戦争状態に入った。カルタゴは、シチリア島の南西のそれほど遠くないアフリカ本土にあり、シチリア島に植民都市もあった。紀元前410年に再びカルタゴと戦争状態となり、第二次シケリア戦争において、カルタゴはシチリア島からギリシア人勢力を駆逐しようとし、両軍が多大な犠牲を払った。紀元前315年からの第三次シケリア戦争で、カルタゴはシラクサとメッシーナが支配する島の東部を除いた他の領域を支配下においた。

紀元前280年からは、カルタゴが支配していたシチリアの奪還及び共和政ローマへの牽制を目的として、エピロスピュロスがシチリアへ攻め込んだものの、失敗に終わった。

ローマ属州時期 [編集]

シキリア属州(赤色部分)

紀元前256年、シラクサに侵攻されたメッシーナは、ローマに救援を求め、これがローマとカルタゴによる第一次ポエニ戦争の発端となった。戦争の終結する紀元前242年には、シチリア島全域がローマによって占領された。第二次ポエニ戦争でのカルタゴの初戦の快進撃によって、シチリア島の諸都市はローマに反乱を起こし始めたが、ローマはマルクス・クラウディウス・マルケッルス率いる軍団を派遣してこれを鎮圧し、(シラクサの包囲戦の最中にアルキメデスが戦没している)最終的にカルタゴはシチリア島から追い払われ、シチリアはローマの属州シキリア属州)となった。

紀元前210年にローマの執政官マルクス・ウァレリウス・ラエウェヌスが、元老院に向かって述べた「一人のカルタゴ人もシチリア島では生かしてはならない」という言葉通りに、シチリア島のカルタゴ寄りの人々が多く殺された。このあと6世紀の間、シチリア島はローマ帝国の属州であった。僻地の田舎のような扱われ方だったが、シチリア島の農作物はローマ市にとって重要な食料供給源であった。強いてローマ化しようとはしなかったので、島はギリシャ時代の様子を多く残していた。

紀元前135年及び紀元前104年の2度にわたって、シチリアでローマを揺るがす奴隷の大反乱が起こった(シチリア島奴隷反乱)。マルクス・トゥッリウス・キケロの弾劾演説で有名なガイウス・ウェレスen)によるシチリアでの悪政があったのは、紀元前73年から紀元前71年にかけてのことであった。

紀元前49年1月からの内戦では、当初グナエウス・ポンペイウスらの元老院派がシチリアを押えていたが、同年4月までにガイウス・ユリウス・カエサル派が奪取した。ポンペイウスの次男セクストゥス・ポンペイウスは、父が殺害され、内戦で元老院派が敗北した後も反カエサルを貫き、第二回三頭政治にも反対してシチリア島を本拠にイタリア半島を海上封鎖した。これにより、ローマとセクストゥスは紀元前38年よりシチリア海域を舞台に戦争状態となった(シチリア戦争)。海上封鎖を続けるセクストゥスに対し、オクタウィアヌスは軍を差し向けたが大敗した。その後、ナウロクス沖の海戦で、オクタウィアヌスは腹心の部下マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの活躍とマルクス・アントニウスの支援により、紀元前36年9月3日セクストゥス軍を撃破した。なお、この直後レピドゥスが打倒オクタウィアヌスを企て、シチリア島を独占しようとしたものの、その部下がオクタウィアヌスに通じて失敗、同年中に失脚した。

帝政ローマの時代には、帝国内を視察して回った皇帝ハドリアヌス125年にシキリア属州を訪れている。

フィレンツェの町を破壊させるトティラ

ローマ属州以降 [編集]

440年ヴァンダル人の王ガイセリックがシチリア島を占領した。その数十年後、東ゴート人が侵入してきたが、535年東ローマ帝国の派遣したベリサリウス将軍によって征服された。しかし、東ゴート王国の新たな王トティラは、イタリア半島を席巻したのち、550年再びシチリア島を奪取した。

552年、彼はまたもや東ローマ帝国の派遣した将軍ナルセスによって征服され、殺された。シチリア島は、東ローマ帝国の領土となり、662年から668年に皇帝コンスタンス2世が暗殺されるまで、シラクサが帝国の首都であった時期もある。その後、827年から965年に侵入してきたアラブ人によってシチリア島は征服された。イスラーム教徒による支配の間には、文化的多様性と宗教的寛容さが保たれていた。

ルッジェーロ2世

1060年から1090年に至るノルマン人の侵略を経て(ノルマン人による南イタリア征服参照)、1130年に成立したノルマン・シチリア王国(オートヴィル朝)においてもそれは同様であった。そこでは、イスラーム教のアラブ人、ギリシア正教のギリシア人、カトリックのラテン系の人びとが生活しており、その宮廷にはそれぞれ2名ずつ計6名の書記官がはたらいた。ノルマン王ルッジェーロ2世は学問や芸術に対する造詣が深く、さまざまな文化圏に属する医者や占星術師、学者を王宮に集めた。

フェデリーコ1世

1194年から、神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン家によって統治され、1197年よりシチリア王となったフェデリーコ1世は、当代随一の広い学識、合理性、科学的好奇心から畏敬の念も含めて「世界の驚異」と呼ばれ、のちには、その合理的思考から「王座の最初の近代人」と評価された。1215年より、フリードリヒ2世として神聖ローマ皇帝位を兼ね、1220年にはパレルモを自らの本拠地とした。しかし、神聖ローマ帝国と教皇の紛争によって、1266年にシチリア島はフランスの王族アンジュー伯シャルル1世によって征服されてしまった。

1282年、フランスの役人と課税に反対する反乱に対して、「シチリアの晩鐘事件」として知られるフランスによる大虐殺が起きたのち、アラゴンペドロ3世がシチリア島を支配下におさめ、以後シチリアはアラゴン王家であるバルセロナ家トラスタマラ家スペイン王国の成立後にはスペイン・ハプスブルク家によって支配された。1656年には、疫病が爆発的に蔓延し、1693年には島の東側で起きた大地震により大損害を受けている。1713年から1720年までサヴォイア家が支配し、サルデーニャとの交換によりオーストリア・ハプスブルク家の支配を受けたのち、ポーランド継承戦争に乗じて1734年スペイン・ブルボン家の分家ブルボン=シチリア家によってナポリ王国と共に統治されるようになり、ナポレオン戦争の動乱を経て、1816年両シチリア王国と両王国が統合された。

1820年1848年に、ブルボン家に対して立憲政府を要求する革命運動が起きたが、どちらも失敗に終わる。1860年ジュゼッペ・ガリバルディの遠征によってシチリアは占領され、翌1861年に成立するイタリア王国へシチリア島は統合された。1894年、イタリアの労働運動やファシストの運動が激化したため、公秩序維持緊急臨時法が制定された。

イタリア統一後の半世紀にわたる経済発展によって、イタリア北部は大きく都市化されていたが、シチリア島は産業の発達から取り残されていた。19世紀後半、マフィアとして知られる犯罪組織の影響力が拡大し、シチリア島にも及んでいた。1920年代後半は、ファシスト政権によって抑圧されていた。第二次世界大戦時、連合国によるシチリア島攻略作戦(ハスキー作戦)によって解放された。1946年、イタリアの自治州となった。

1950年から1962年にかけて国土の再編成が行われた結果、シチリア島は少し拡張され、1950年には南部開発公庫(1950年 - 1984年)から特別資金が当てられている。1992年には、マフィアに反対する2人の治安判事が暗殺され、イタリア政界を揺るがす大事件が起きている。

行政区画 [編集]

シチリア州と各県

シチリア州は、以下の9県からなる。

左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は県名略記号を示す。人口は2012年1月1日現在[1]。面積の単位はkm²。

県名 綴り 県都 面積 人口
081 TP トラーパニ県 Trapani トラーパニ 2,460 429,537
082 PA パレルモ県 Palermo パレルモ 4,992 1.242,560
083 ME メッシーナ県 Messina メッシーナ 3,247 649,320
084 AG アグリジェント県 Agrigento アグリジェント 3,042 446,520
085 CL カルタニッセッタ県 Caltanissetta カルタニッセッタ 2,128 272,906
086 EN エンナ県 Enna エンナ 2,562 173,377
087 CT カターニア県 Catania カターニア 3,552 1,078,045
088 RG ラグーザ県 Ragusa ラグーザ 1,614 307,697
089 SR シラクーザ県 Siracusa シラクサ 2,109 399,892

経済・産業 [編集]

2000年以上前から穀物をはじめとする農作物の生産地で、なかでもオリーブワインが特産品である。カルタニッセッタ県は、19世紀には硫黄の一大産地であったが、1950年代以降、産出量は減り続けている。

文化 [編集]

シンボル [編集]

州旗 (Flag of Sicilyに見られるシンボルはトリナクリア(Trinacria)と呼ばれるもので、ギリシャ神話のメデューサの顔と3本の素足からなる。足はパレルモ、メッシーナ、シラクサの岬を表すとされる。トリナクリアはシチリアの古名でもあり、ギリシア語の「3つの岬」に由来する。

伝説 [編集]

伝説では、シチリア島はオリンポス神巨人族の戦いのときに、アテナが巨人の一人エンケラドスを封じて投げつけたとされる。

言語 [編集]

2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り[2]。イタリア語(Italiano)、地方言語(Dialetto)、他の言語(Altra lingua)についてのデータで、左列が全国平均、右列がシチリア州の数値である。

家庭内の会話における使用言語 全国
イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語 45.5% 26.2%
地方言語のみ、あるいは主に地方言語 16.0% 25.5%
イタリア語と地方言語の双方 32.5% 46.2%
他の言語 5.1% 1.2%

服飾 [編集]

コッポラ帽をかぶったシチリアの老農夫
コッポラ帽
コッポラ帽 (Coppola (cap)は、フラットキャップ(ハンチング帽キャスケット)の一種で、シチリアの象徴的な帽子と見なされている。coppola という名称は、英語の cap が転じたものとされる。シチリアでこのこの帽子が使用されるようになったは20世紀初頭のことで、ベレー帽が入手できるようになり、農家がひさしを付けるようになり完成した。材料はシルク・麻などである。

音楽 [編集]

シチリア民謡としては、しゃれこうべと大砲(しゃれこうべの歌) (it:Vitti 'na crozzaなどが知られている。

16世紀~17世紀頃、末期ルネサンス音楽ないし初期バロック音楽において、「シチリア風」の舞曲として「シチリアーナ」(シシリエンヌ、シチリア舞曲とも)と呼ばれる形式の曲が作曲されるようになった。

みどころ [編集]

世界遺産 [編集]

州内には以下の世界遺産がある。

スポーツ [編集]

サッカー [編集]

2006年9月21日のパレルモ×カターニア戦(シチリア・ダービー)におけるパレルモ側サポーター(パレルモのスタディオ・レンツォ・バルベラにて)

州内に本拠を置くプロサッカークラブとしては以下がある。所属リーグは2012-13シーズン現在。

カルチョ・カターニアとUSチッタ・ディ・パレルモとの対戦はシチリア・ダービー(デルビー・ディ・シチリア)と呼ばれる。2007年には、シチリア・ダービー中のカターニアのスタジアムにおいて観客と警官の衝突事件が発生して死傷者を出し、イタリアのサッカー界に大きな衝撃を与えた。

5部リーグ(アマチュア最上位リーグ)のセリエDでは、カラブリア州カンパニア州のチームとともにジローネIに属する。メッシーナに本拠を置くFCメッシーナは、2000年代前半にセリエAで戦っていたが、財政難のために2008-09シーズン以後プロリーグへの登録が認められず、セリエD所属となっている。FCメッシーナと対岸レッジョ・ディ・カラブリアのレッジーナ・カルチョとの対戦は海峡ダービーと呼ばれる。シチリア州の地方リーグ(6部リーグ)として、エッチェッレンツァ・シチリア (it:Eccellenza Siciliaがある。

自動車レース [編集]

シチリア島では1906年から1977年にかけて、公道自動車レース「タルガ・フローリオ」が行われていた。国際的なスポーツカーレースであったが、レーシングカーの高性能化に加え、観客を巻き込む死傷事故が発生したために終止符が打たれた。

交通 [編集]

イタリア本島および周辺の主要都市より、飛行機やフェリーの航路が開設してある。

また島内には、鉄道やバス網がある。

道路・自動車交通 [編集]

シチリア島の高速道路網
おもな高速道路
  • メッシーナ - カターニア
  • シラクーザ - ロゾリーニ
  • パレルモ - ブオンフォルネッロ - カルタニッセッタ - エンナ - カターニア
  • ブオンフォルネッロ - メッシーナ
  • パレルモ - アルカモ - マツァーラ・デル・ヴァッロ
  • アルカモ - トラーパニ

A18のカターニア - シラクーザ間は、カターニア郊外を半環状に走るラッコルド・アウトストラダーレ RA15イタリア語版とカターニア=シラクーザ高速道路 (it:Autostrada Catania-Siracusaによって接続されている。

イタリア本土とシチリア島を結ぶメッシーナ海峡大橋の建設が2009年から始まっており、2016年の完成が目指されている。

鉄道 [編集]

シチリア島の鉄道網(2007年現在)

シチリア島には、旧イタリア国鉄を引き継ぐFS(Ferrovia del Stato。運行会社はトレニタリア)と、エトナ山周遊鉄道(FCE: Ferrovia Circumetnea)の鉄道路線がある。

港湾・海路 [編集]

パレルモ‐ナポリ、カターニャ‐ナポリ、メッシーナ‐サレルノ間などに定期フェリーがある。

空港 [編集]

パレルモ国際空港

シチリア州の主要な空港には以下がある。

最大の空港はパレルモ国際空港である。シチリアにはヨーロッパ各地からの空路が開設されている。

人物 [編集]

著名な出身者 [編集]

シチリア州は、ラッキー・ルチアーノやサルヴァトーレ・リイナをはじめとする多くのマフィア(いわゆる「シチリア・マフィア」、あるいはコーサ・ノストラ)の故郷である(Category:シチリアマフィアの人物参照)。それとともに、マフィアを告発し、マフィア撲滅のために戦った人物も輩出した。判事ジョヴァンニ・ファルコーネやパオロ・ボルセリーノ、作家レオナルド・シャーシャなどである。ファルコーネ、ボルセリーノの両判事はマフィアによる暗殺に倒れたが、パレルモ国際空港の副空港名に名づけられている。

ゆかりの人物 [編集]

シチリア島からは多くの人々がアメリカ合衆国に移住した(Category:シチリア系アメリカ人参照)。フランク・シナトラシルヴェスター・スタローンアル・パチーノマーティン・スコセッシフランク・ザッパなどがシチリア移民の末裔である。

参考文献 [編集]

  • 高山博 『中世シチリア王国』 (講談社現代新書、1999年 ISBN 978-4061494701

脚注 [編集]

  1. ^ a b c 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2011 by sex and marital status” (英語). 2013年4月3日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “La lingua italiana, i dialetti e le lingue stranieri (pdf)” (イタリア語). p. 5. 2012年12月10日閲覧。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]