チェファル
| チェファル Cefalù |
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| 行政 | |||
| 国 | イタリア | ||
| 州 | |||
| 県 | |||
| CAP(郵便番号) | 90015 | ||
| 市外局番 | 0921 | ||
| ISTATコード | 082027 | ||
| 識別コード | C421 | ||
| 分離集落 | Sant'Ambrogio, Gibilmanna | ||
| 隣接コムーネ | カステルブオーノ、 グラッテーリ、 イズネッロ、 ラスカリ、 ポッリナ | ||
| 公式サイト | リンク | ||
| 人口 | |||
| 人口 | 13,774 人 | ||
| 人口密度 | 212 人/km2 | ||
| 文化 | |||
| 住民の呼称 | cefaludesi | ||
| 守護聖人 | Immacolata, (San Salvatore patrono storico) | ||
| 祝祭日 | 12月8日 | ||
| 地理 | |||
| 座標 | 北緯38度2分0秒 東経14度1分0秒 / 北緯38.03333度 東経14.01667度座標: 北緯38度2分0秒 東経14度1分0秒 / 北緯38.03333度 東経14.01667度 | ||
| 標高 | m | ||
| 面積 | 65 km2 | ||
チェファル (Cefalù) は、人口13,774人のイタリア共和国シチリア州パレルモ県のコムーネの一つである。シケリアのディオドロスとストラボンはギリシャ語でΚεφαλοίδιον、プトレマイオスは Κεφαλοιδὶςと書き記し、プリニウスはラテン語でケファロエディウム(Cephaloedium、またはCephaloedis)と記した。シチリア語ではCifalùとなる。
歴史 [編集]
チェファルはギリシャ起源の都市で、海に突き出した険しい突端(Κεφαλὴ)をなす、非常に高い絶壁の岩の上にあることから明らかに市名が発生している。しかし市名のギリシャ語源である根拠はなく、この海岸地帯の島にあった唯一のギリシャ植民地ヒメラ(en:Himera)について素早くふれたトゥキディデスも記述していない。おそらくこの時代のケファロエディウムはヒメラに属し希に要塞となり、ヒメラが破壊された後避難民らが最初に移り住んで町としたとされる。名前が歴史上初めて登場するのは、カルタゴ人航海者イミルコ(en:Himilco)が紀元前396年に、ケファロエディウムの住民とヒメラ住民との間の条約を締結したという史実によってである。しかし後にカルタゴの軍備が打ち負かされると、シラクサの僭主ディオニシウス1世(Dionysius the Elder)が自分を裏切ったケファロエディウムの主人となった。のちの時代に再び自主権を取り戻すが、明らかにカルタゴと友好関係を保ち、紀元前307年にシラクサ僭主アガトクレス(en:Agathocles)によって攻撃を受け支配された。第一次ポエニ戦争においては、アウルス・アティリウス・カラティヌス(Atilius Calatinus)とスキピオ・ナシカ率いるローマ艦隊によって紀元前254年に征服されたが、謀反によってでもなく軍力によるものでもなかった。キケロは、ケファロエディウムは明らかに繁栄した町で、ムニキピウムをもち謳歌していたとする。
東ローマ帝国時代、ケファロエディウムは平地から現在の懸崖へ定住地が移された。旧市街が打ち捨てられたわけではなかった。858年、長い包囲戦のあと、アラブ人に征服され、ガフルディ(Gafludi)と改名された。その後数世紀に渡り、町はシチリア太守国(en:Emirates of Sicily)の一部となった。
1063年、ノルマン人がチェファルを獲得し、1131年にシチリア王ルッジェーロ2世が町を岩の麓の近づきがたい位置に移させた。そこは小さいが素晴らしい港で、その場所に現在のチェファル大聖堂が建設され始めた。13世紀から1451年の間、違った封建領主に支配され、のちに町はチェファル司教の所有となった。
リソルジメントの間、愛国者サルヴァトーレ・スピヌッツァ(it:Salvatore Spinuzza)は1857年にチェファルで射殺された。チェファルがイタリア王国に統合されたのは、1861年のことである。
コムーネの行政 [編集]
- 代表: Giuseppe Guercio(2007年5月15日選出)
- 代表電話:0921 924139
- 電子メールアドレス:
info@comune.cefalu.pa.it
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