トスカーナ州
- トスカーナ州
- Regione Toscana
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トスカーナ州の州旗 トスカーナ州の紋章 
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国
イタリア地域 中央イタリア 州都 フィレンツェ 面積 22,990 km² 人口 3,516,296 人 人口密度 153 人/km2 県 アレッツォ、グロッセート、フィレンツェ、リヴォルノ、ルッカ、マッサ=カッラーラ、ピサ、ピストイア、プラート、シエーナ コムーネ数 287 (一覧) 州知事 公式サイト [1]
トスカーナ州(Toscana)は、イタリア共和国中部に位置する州。州都フィレンツェ。
イタリア・ルネッサンスの中心地となったフィレンツェをはじめ、ピサ、シエーナなど多くの古都を擁している。文化遺産や自然景観に恵まれ、多くの観光客が訪れる。
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[編集] 地理
[編集] 位置・広がり
イタリア半島の北西部に位置し、地中海(ティレニア海)に面しておおむね三角形状の領域を持つ。ティレニア海上にあるエルバ島など、トスカーナ群島と呼ばれる島々の大半を管轄下に置く。北東部はアペニン山脈によって区切られている。地形は丘陵が多く、アルノ川が盆地を形成している。
[編集] 気候
気候は沿岸部では温暖である。
[編集] 主要な都市
州都はフィレンツェ。ピサ、シエーナなど多くの古都を擁する観光地としても著名である。
[編集] 歴史
古代ローマの進出以前はローマの基礎を築いたとされるエトルリア人が多く住む土地で、トスカーナという名前も「エトルリア人の土地」を意味する(古代ローマ人はエトルリア人を "Tusci" と呼び、また "Etrusci" とも呼んだ)。ローマはエトルリア人を吸収し、トスカーナは本国の一部となった。
オドアケルが西ローマ帝国を滅亡させた時代の後は東ゴート王国、東ローマ帝国、ロンゴバルド王国の支配を経た。ロンゴバルド王国がカール大帝に征服されると、後に神聖ローマ帝国となる彼の帝国の一部となり、トスカーナ辺境伯により統治された。
都市コムーネの時代になると、ピサ(1509年まで)や、シエナ(1555年まで)、フィレンツェが台頭し、最終的にはルッカを除くトスカーナの大部分はフィレンツェ共和国(後にトスカーナ大公国)に統治された。
ルネサンス時代はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティといったトスカーナ人が注目を浴びた。ローマを中心とするローマ教皇領と並び中心地の一つとなった。長くメディチ家の支配下にあったが、1737年にジャン・ガストーネ・デ・メディチが世継ぎを残さずに死ぬとハプスブルク家の支配下となった。ナポレオンの時代には、1801年から1807年までエトルリア王国が成立するが、ナポレオンが敗退するとハプスブルク家の下に戻った。1860年にサルデーニャ王国に併合され、翌1861年にイタリア王国が成立するが、その後も旧トスカーナ大公家は同族であるオーストリア皇帝家の庇護の下、20世紀初頭までトスカーナの領有権を主張した。
[編集] 経済・産業
主要な産業は農業で、ワイン、オリーブ、小麦などを生産している。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地である。
[編集] 行政区画
トスカーナ州は10県から構成される。
- アレッツォ県 - アレッツォ
- グロッセート県 - グロッセート
- シエーナ県 - シエーナ
- ピサ県 - ピサ
- ピストイア県 - ピストイア
- フィレンツェ県 - フィレンツェ(州都)
- プラート県 - プラート
- マッサ=カッラーラ県 - マッサ
- リヴォルノ県 - リヴォルノ
- ルッカ県 - ルッカ
[編集] 文化・観光
多くの古都とイタリア屈指の観光地であり、ユネスコ世界遺産の数も多い。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 州公式サイト(イタリア語)
- 州観光局公式サイト(イタリア語)(英語)
- イタリア政府観光局による紹介ページ(日本語)
- 魔法のタスカニー
- www.giucano.it - A small town in Tuscany
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