ピストイア

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ピストイア
Pistoia
ピストイアの風景
ピストイア大聖堂(ドゥオーモ)
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Tuscany.svg トスカーナ
Blank.png ピストイア
CAP(郵便番号) 51100
市外局番 0573
ISTATコード 047014
識別コード G713
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 89,016 [1](2012-01-01)
人口密度 391 人/km2
文化
住民の呼称 pistoiesi
守護聖人 San Jacopo
祝祭日 7月25日
地理
座標 北緯43度56分0秒 東経10度55分0秒 / 北緯43.93333度 東経10.91667度 / 43.93333; 10.91667座標: 北緯43度56分0秒 東経10度55分0秒 / 北緯43.93333度 東経10.91667度 / 43.93333; 10.91667
標高 67 (40 - 1611) [2] m
面積 236.77 [3] km2
ピストイアの位置(イタリア内)
ピストイア
ピストイアの位置
ピストイア県におけるコムーネの領域
ピストイア県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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ピストイアイタリア語: Pistoia ( 聞く))は、イタリア共和国トスカーナ州北部にある都市で、その周辺地域を含む人口約9万人の基礎自治体コムーネ)。ピストイア県県都である。

フィレンツェの北西約33kmに位置し、その大都市圏 (it:Area metropolitana Firenze - Prato - Pistoiaに含まれる。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ピストイアの市街はピストイア県の東部に位置し、州都フィレンツェの北西約33km、ピサの北東約47km、ボローニャの南南西約71kmにある。

コムーネ(自治体)としてのピストイアの面積は 236.77 km2 に及び、ピストイア県の北東部に広がっている。コムーネの面積は県のおよそ1/4を占めている。中心市街はコムーネの南部に位置し、北はエミリア=ロマーニャ州と接する。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。BOはボローニャ県(エミリア=ロマーニャ州)、POはプラート県所属。

地勢[編集]

フィレンツェ平野の北西部に位置する。アルノ川の支流であるオンブローネ・ピストイエーゼ川 (it:Ombrone Pistoieseが市域を流れる。

歴史[編集]

古代[編集]

ピストイアの地は、ガリア人やリグリア人、エトルリア人の居住地であった。紀元前6世紀、カッシア街道沿いのこの都市は、ローマの植民都市となった。ラテン語では Pistorium や Pistoriae などとも綴られる。

紀元前62年、共和政ローマの転覆を図ったルキウス・セルギウス・カティリナとその同調者は、この都市の近くで処刑された。

中世[編集]

5世紀以降、ピストイアは司教座都市となった。ランゴバルド王国の統治の下、この都市は王の都市としていくつかの特権を獲得した。1177年、ピストイアは自由都市(コムーネ)であることを宣言し、重要な政治の中心地となった。以後、市壁や公共建築物・宗教建築物の建設などが行われている。

教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いの中で、ピストイアはギベリンにつき、ゲルフのフィレンツェに敗れた。しかし、党派抗争はゲルフ内部の黒派と白派に受け継がれた。14世紀の半ば、ルッカの傭兵隊長 Castruccio Castracani によって占領された短い時期を除き、ピストイアはフィレンツェによって統治をされた。1530年、都市は正式にフィレンツェ共和国に併合された。なお、フィレンツェ共和国は1532年に、メディチ家が名実ともに君主として支配するフィレンツェ公国となり、1569年にはトスカーナ大公国となった。

フィレンツェの政治家・作家であるダンテは『神曲』地獄篇(1304年から1308年頃)の中で、登場人物ヴァンニ・フッチ (Vanni Fucciの故郷を自由都市ピストイアに設定した。盗賊のヴァンニは神を呪った罪により、ヘビによって責めさいなまれている。

16世紀、この都市では短銃の生産が盛んとなったが、一説によればピストイアは「ピストル」の名の由来となったという[4]1540年ころにこの町に住む銃工カッミーロ・ヴィッテーリ(Camillo Vitelli)が短銃を発明し、それがピストルの語源になった、という説がある。

近世[編集]

1787年、ジャンセニスムによる教会改革を掲げた著名な教会会議がピストイアで開かれている (Synod of Pistoia

行政[編集]

行政区画[編集]

ピストイアには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Badia a Pacciana
  • Baggio
  • Bargi
  • Barile
  • Bonelle
  • Borghetto
  • Bottegone
  • Bussotto
  • Caloria
  • Campiglio
  • Canapale
  • Candeglia
  • Capostrada
  • Casamarconi
  • Case Nuove di Masiano
  • Cason dè Giacomelli
  • Cassarese
  • Castagno di Piteccio
  • Castagno di Pieve a Celle
  • Castel dè Gai
  • Castel di Cireglio
  • Chiazzano
  • Chiesina Montalese
  • Chiodo
  • Cignano
  • Ciliegiano
  • Cireglio
  • Collina,
  • Corbezzi
  • Corsini Bianchi
  • Corsini Neri
  • Cucciano
  • Fabbrica
  • Felceti
  • Forralpitta
  • Gagliorana
  • Gello
  • Germinaia
  • Grabbia
  • Groppoli
  • Iano
  • Il Cassero
  • Il Fiano
  • Il Poeta
  • Le Fornaci
  • Le Fornaci di San Giorgio
  • Le Grazie
  • Le Piastre
  • Le Pozze
  • Le Querci
  • Lupicciano
  • Lo Scornio
  • Masiano
  • Nespolo
  • Orsigna
  • Piazza
  • Piestro
  • Pieve a Celle
  • Piteccio
  • Piuvica
  • Pontelungo
  • Pontenuovo
  • Ponzano
  • Pracchia
  • Pupigliana
  • Ramini
  • San Mommè
  • San Biagio
  • San Felice
  • San Giorgio
  • San Pantaleo
  • San Pierino Casa al Vescovo
  • San Rocco, Sant'Agostino
  • Sant'Alessio in Bigiano
  • San Quirico
  • Santomato
  • Santomoro
  • Sarripoli
  • Sasso di Cireglio
  • Saturnana
  • Spazzavento
  • Stazzana
  • Torbecchia
  • Uzzo
  • Valdibrana
  • Valdibure
  • Vicofaro
  • Villa di Baggio
  • Villa di Cireglio
  • Villa di Piteccio
  • Villanova di Valdibrana
  • Villaggio Belvedere

社会[編集]

経済・産業[編集]

ピストイアは、周辺に広がる広大な庭園で知られる。付近のペーシャと同様、ピストイアは、花市場でも知られている。

人口[編集]

人口推移[編集]

姉妹都市[編集]

  • 日本の旗 白川町(日本・岐阜県)[5][6]
    • 1994年10月30日 姉妹都市提携
1984年、白川町に工房を持つオルガン建造家辻宏がピストイアのオルガン修復に携わり、ピストイアの名誉市民となったことが契機となり交流が始まる[6]

人物[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

執筆の途中です この「ピストイア」は、イタリアコムーネ書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。- Portal:イタリア / プロジェクト:イタリア