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稲藁の束
に作られた丹波竜を模した藁細工

(わら)とは小麦等、イネ科植物のみを乾燥させた物。これを利用して様々な製品になっている。

日常生活においては、藁は古来より大切な副産物であって、下記項目で挙がっているように様々な製品の原料として利用されてきた。

目次

[編集] 概要

古来から稲の生産が盛んであった日本では、藁は大量に出る副産物であり、これをいかに利用していくかが生活そのものであったと言っても良い。日本以外において麦の生産が盛んな地域に目を向ければ、麦の藁(麦藁)を様々に利用する歴史が連綿と続いている。これらでは、後述するように工芸によって日用品を作ったり、あるいは家畜飼料燃料緩衝材、家畜のそれを含む寝具など多岐にわたる。

日本において例えば、『万葉集』の中でも見られる住宅に藁を敷いて寝るというスタイルは古代から地域によっては江戸時代まで続き、住宅が板敷きになっても藁布団を用いたり、茣蓙のような敷物や円座などの藁製品の上に座る風習は長く続いた。また、伝統的な日本家屋でも藁の利用は多く、木舞として壁に塗り込んだ[1]り、重要部分を藁縄で結んだりした。

衣服としては草鞋藁手袋雪国における深沓など、食生活では鍋敷鍋掴束子や容器類など、その他縄跳用の縄なども藁製品の代表例である。また、注連縄藁馬藁人形など宗教的な側面や、燃料肥料飼料などのエネルギーとしての側面なども有していた。不要な藁製品は堆肥化することで有用なまま処理することが可能であった。

藁細工を行うにはハカマと呼ばれる下葉を取り去るワラスグリをはじめワラ切り、ワラ打ちなどの加工[2]、更に腐熟を防止するために囲炉裏で乾燥させるとともに煙の微粒子を付ける作業も重要であった。とはいえ、これらの作業以外は基本的には撚り・束ね・組み・編み・巻上げ・織りといった比較的習熟しやすい作業が多く、農作業が出来ない冬などに老若男女を問わずに現金収入を得るための藁仕事が行われた。

だが、原料代が不要でかつ多くの村々で藁仕事が行われたことは結果的には藁製品が大量かつ安価で流通することになり、藁を無駄なく利用しようとする農村部とは違う意識を単なる消費者に過ぎない都市部に植え付ける結果となった。これは「米は藁作り」「藁を焼いたら笑われる」と言われた農村部に対して「溺れる者は藁をも掴む」「藁包に黄金」など藁を安価なもの、粗末なものとして捉える都市部の言葉の違いとなって現れた。18世紀蝦夷地アイヌの元を訪れた日本人が「アイヌは鮭を主食としているのにその皮を足に履いて踏みつけにしている」ことを非難した際にアイヌから逆に「和人(日本人)は米を主食としていながらその藁を足に履いて踏みつけにしているではないか」と反論されたという話が伝えられている。

明治以後の農村振興政策でも藁仕事を奨励され一定の成果を収めたものの、それが更なる商品化と安価で粗末な消費物という観念を広める結果となった。

だが、1960年代以後の農業の省力化と藁製品そのものの需要の減少によって藁仕事は殆ど見られなくなった。かつて、農業地域の収穫期には大量の藁が発生するため、業者が大型トラックでその買い付けにやって来るという光景がごく当り前に見られた。だが、コンバインが収穫作業の中心となってからは、刈り取られたイネがその場で直ぐに裁断され圃場一面に排出されるため、かつてのような買い付けの光景を見ることはまず無い。かえって、今日では藁が貴重なものとして取扱われる傾向にある。最近の研究で本田技術研究所からバイオマスエタノールの製造実験が発表されている[3]

[編集] 製品

[編集] 脚注

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  1. ^ この方法の存在は7世紀の遺跡から確認することが出来る。
  2. ^ ワラスグリをされた「スグリワラ」は藁悍にある程度の堅さを必要とするもの、ワラ打ちをされた「ウチワラ(タタキワラ)」はしなやかさと緻密性・強靭性のある藁繊維を必要とするもの、わら切りをされた「キリワラ」は一定の長さに揃えられた藁束を原料とするものを作るために用いられた。
  3. ^ 本田技術研究所 (2006年9月14日). “RITEとHonda、セルロース系バイオマスからのエタノール製造新技術を共同開発” (日本語). 2008年10月5日閲覧。

[編集] 参考文献

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