与那国島海底地形

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海底遺跡とされる場所
「亀の岩」と呼ばれる地形

与那国島海底地形(よなぐにじまかいていちけい)[1]は、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形である。人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、海底遺跡と考える説もあり、この立場からは与那国海底遺跡与那国島海底遺跡とも呼ばれる。

自然地形なのか、人工的な遺跡なのかについては後述の通り論争がある。

概要[編集]

1986年に、ダイバーによって島の南側海底に巨大な一枚岩が発見された。「一枚岩」は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、人がちょうど歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、人が加工しなければできないかのように思われる形状を備えていたため、遺跡ではないかと報道された。

1992年以来、琉球大学理学部教授であった(現在は琉球大学名誉教授)木村政昭を中心として調査が行われ、1998年には沖縄県文化局に「遺跡発見届け」が提出されているが、沖縄県では、人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、遺跡として認定していない。

観光的には、「遺跡ポイント」と呼ばれ人気のあるダイビング・スポットであり、遺跡であるかどうかはさておき、与那国島の貴重な観光資源となっている。

成因[編集]

この地形の成因については、以下の通り、人工的な構造物であるとする立場と、自然地形であるとする立場からのいくつかの説がある。しかし、そもそも遺跡説が考古学や地質学関連の学会で提示されていないこともあって、両者の立場からの議論は沖縄県内の学者によるものにとどまっており、関連学会においては学術的検討の俎上にも載せられていない状況である。 また発見時期が近年であることから、何者かが海中の地形を加工し捏造した可能性も捨てきれない。

人工的な構造物説を国内の学会において発表しているのは木村政昭らのグループのみであり、しかも、その学会も考古学や地質学を専門とするものではない。木村に対しては、考古学的・地質学的調査が未実施、論文発表がない、学会外における報告書や出版物で精確な調査データを提出していない、図面を不正確に加工しているという批判がある。しかし、これらの批判に応じた報告書やデータの提供は行われていない。

一方、木村と同じ琉球大学理学部准教授の中村衛や元沖縄県埋蔵文化センター所長の安里嗣淳らの複数の学者は自然地形説を採っている[2][3]

遺跡説[編集]

木村が指摘している点は以下のものである[4]

  • 道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される地形、巨石の組み合わせが存在する。
  • クサビを打ち込んだような20cm-30cm間隔で並ぶ竪穴跡がある。侵食で形成される形ではない。
  • 周囲を壁面で囲まれた平面が形成されているが、通常の侵食ではそのような地形はできない。
  • テラス状の地形は、左右対称であり、加工跡をともなっている。
  • 垂直壁面が自然崩落で形成された場合、壁面の直下に岩石片が堆積していなければならないが壁面の直下に岩石片の堆積がない。

古代文明遺跡説[編集]

かつて古代文明がこの地に存在し、何かに使用した建物であるとする説。

「遺跡」であれば、水没したのは動植物の分布や鍾乳石から、前回の氷河期が終わって海面が上昇したときであるとの説があり、これが事実ならば、1万年以上前の世界最古の古代遺跡ということになる[5]。また、発見者である新嵩喜八郎主催の与那国海底遺跡博物館のウェブサイトでも、約1万年前に海面上昇により水没したことがはっきりしてきたと主張されている[6]

木村は、当初遺跡の年代を4,000年前から2,400年前とし、その後、1万年以上前、6,000年前頃と年代の主張を再三転じていたが[7]、2007年には3,000-2,000年前に形成されたとする説を唱えている[8]

石切り場説[編集]

古代文明遺跡説に対して、施設を作るために石を切り出す場所であったとする説。

この説によれば、階段状に直角に切り出されている部分は説明がつくが、切り出した石の行方が説明できない、という主張がある。[要出典]

中世遺跡説[編集]

古代文明遺跡説に対して、比較的新しい時代の遺跡とする説。

2005年から2006年にかけて、遺跡の全貌の把握ならびに年代特定のために、琉球大学主催で本格調査が実施された。そして、採集した遺跡のサンプルから年代の特定が行われた結果、遺跡が水没した年代は、10世紀後半から11世紀前半にかけての時代であることが判明したと主張されている(論文・報告書は未公刊のため、この主張の客観的検証は現時点では不可能)。

これが事実であれば、1万年以上前の古代遺跡とする説は否定され、古代文明も存在しなかったことになる。しかしながら、琉球史では、遺跡が水没したとされる時代の資料が非常に少なく、南西諸島における地殻変動の記録も未だ見つかっていないため、結論は出せない状況である。

自然地形説[編集]

上記の通り、琉球大学理学部准教授の中村衛や元沖縄県埋蔵文化センター所長の安里嗣淳らの複数の学者は自然地形説を採っている。

また、木村によって2007年に主張された3,000-2,000年前に形成されたとする説に対して、東アジアを専門とする考古学者でブリティッシュコロンビア大学教授のリチャード・ピアソン(Richard J. Pearson)は、与那国島では焚火跡、石器、土器を含む紀元前2500年-2000年の小規模な居住地の遺跡が発見されているが、その住民には石造記念物を建造する余力はなかったであろうとの見解を示している[9]

さらに、定説では紀元前2500年頃に造られたとされるギザのスフィンクスについて、紀元前7000年頃に造られたとする説を唱えていることで知られる地質学者でボストン大学准教授のロバート・ショック(Robert M. Schoch)は、この地形は基本的に自然のものであり、人によって加工が施されて神殿として用いられたとの説を唱えている。すなわち、与那国島で太古に人間が生活していた痕跡が認められていないと留保しつつも、海底地形は95%以上が自然のものであり、ヨーロッパにおける洞窟壁画と同様に古代人がそれに手を加えた(touched up)ものであろうとし[10]、紀元前8000年代には与那国島は北回帰線(夏至線)に非常に近い位置にあったため、この地形はおそらく天文学的にこれに整列する神殿(shrine)であったのだろうと指摘している[11]

侵食説[編集]

岩が侵食されてできた自然地形であるとする説で、その理由は以下のものである[12]

  • この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できる。階段状部分の高さがまちまちであり、高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく節理による自然地形とする見方が裏付けられる。穴はへこんだ部分に石が入り込み、潮流によって回され、周りの石材を削りだしたもの(ポットホール)で、河川ではよく見られる光景と同じである。
  • また、地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百 - 数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない、また、下記のように「遺跡」が、実は地層に沿ってかなり傾いて存在していることが、人工物としては不自然でもある。
  • 地形が「人工物のように見える」という以外に古代文明があった証拠が希薄であること。
  • そもそも「遺跡」は東南方向に10-15度傾いており、これは200万年以上前に形成された八重山断層群に沿った傾斜で[13]、造った後に傾いたものでもなく、また施設として考えた場合に実用性が疑わしい。そもそも人の手が加わった証拠が全く見つかっていない。

調査[編集]

1992年、1994年の予備調査を経て、1997年から1999年にかけて7度にわたり、調査が行われた[14]。2002年には、水中テレビロボを用いた調査も行われている[15]

また、東京大学生産技術研究所・海中工学研究センター浦研究室は、「巨石遺跡」との見解にたち、2005年に調査を行っている[16]。ただし、この調査を行った浦研究室は、水中ロボットの研究を行っている研究室であり、「巨石遺跡」との見解は学術的根拠に立脚したものではない。

脚注[編集]

  1. ^ 遺跡説の立場からは「与那国海底遺跡」、「与那国島海底遺跡」とも呼ばれるが、遺跡説と自然地形説の中立的な立場を取るために、「海底地形」という名称を採った。なお、この名称は遺跡説を主張する木村政昭も論文中で用いているものである(木村他『表面照射年代測定法による与那国島海底遺跡年代測定の試み』、琉球大学理学部紀要 第76号、2003年に、「5-2. 与那国島海底地形の形成年代」という節がある)。
  2. ^ 与那国島の海底遺跡はいつできたのか?
  3. ^ 与那国に注目した世界の学者たち 安里嗣淳さん
  4. ^ 「琉球弧と海底遺跡をめぐる話題」
  5. ^ 特集:観光新世紀 海底遺跡の真価
  6. ^ 与那国海底遺跡博物館より
  7. ^ 「与那国海底遺跡説の新嵩氏への回答」(上)(下) 安里嗣淳、沖縄タイムス 2003年7月31日 - 8月1日
  8. ^ 「沖縄県北谷沖の海底構造物の年代測定と与那国海底遺跡年代の再検討(タンデトロン加速器質量分析計業績報告2006(平成18)年度)」 木村政昭他、名古屋大学加速器質量分析計業績報告書
  9. ^ Yonaguni, Japan - 25 November 2009 - New Scientist
  10. ^ Robert M. Schoch: Yonaguni
  11. ^ An Enigmatic Ancient Underwater Structure off the Coast of Yonaguni Island, Japan
  12. ^ 「与那国海底遺跡説批判 考古学の視点から」<1> <2><3><4><5> <6> 安里嗣淳、沖縄タイムス 2002年4月22日 - 4月29日
  13. ^ 「謎解き超常現象 p91」
  14. ^ 「与那国島海底遺跡の遺跡様地形の調査・研究」 木村政昭他、月刊地球号外 2000年2月号
  15. ^ 与那国島海底遺跡の調査研究(前編) : 水中テレビロボを導入して 木村政昭、日本造船学会誌 2003年3月号(通巻872号)
  16. ^ 「海底遺跡全貌解明に向けて!!」 東京大学生産技術研究所・海中工学研究センター浦研究室

外部リンク[編集]