宜蘭県
| 別称: 蘭陽・噶瑪蘭 | |
| 地理 | |
|---|---|
| 座標: | 北緯24度45分0秒 東経121度45分0秒 / 北緯24.75度 東経121.75度 |
| 面積: | 2,143.6251 km² |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 宜蘭 |
| 日本語読み: | ぎらん |
| 漢語拼音: | Yílán |
| ウェード式: | Yílán |
| 注音符号: | ㄧˊ ㄌㄢˊ |
| 片仮名転写: | イーラン |
| 台湾語: | Gî-lân |
| 客家語: | Ngì-làn |
| 行政 | |
| 行政区分: | 県 |
| 下位行政区画: | 1市3鎮8郷 |
| 政府所在地: | 宜蘭市県政北路1号 |
| 宜蘭県長: | 林聡賢 |
| 公式サイト: | 宜蘭県政府 |
| 情報 | |
| 総人口: | 461,499 人(2009年11月) |
| 戸数: | 151,760 戸(2009年11月) |
| 市外局番: | 03 |
| 宜蘭県の木: | 欒樹 |
| 宜蘭県の花: | 国蘭 |
宜蘭県(ぎらんけん)は台湾北東部に位置する県。台湾語では「ギーラン」と読まれる。海岸沿いまで山地が迫る地勢が交通の大きな障害となっていたが、2006年、北宜高速道路の雪山トンネルが開通し、台北市内と30分で結ばれるようになった。
目次 |
[編集] 地理
三方を山に囲まれた蘭陽平野を中心として形成されている。蘭陽渓の沖積作用により形成された平野であり肥沃な土壌が広がり農業が盛んである。
宜蘭県の北部は新北市の貢寮区、双渓区、坪林区、烏来区に接しており、現在北宜高速公路により連絡され、交通の利便性が大幅に向上している。県南の南澳郷は山岳地帯であり、花蓮県とは蘇花公路で結ばれている。県西は中央山脈の雪山、大霸尖山などの山脈により桃園県復興郷、新竹県尖石郷、台中市和平区と隣接している。
県人口は宜蘭市を中心とする羅東鎮 に集中しており、政治・経済の中心を形成している。
大正11年〈1915年〉、日本政府は太平山の森林資源の開発を決定し、そして積極的に材木の貯蔵と中継輸送の場所を探しました。1921年、羅東街長、陳純精の奔走により、出張所と材木置き場が宜蘭から羅東へ移りました。この時から羅東の産業形態の農業から商業への転換が確立したのです。それ以後、太平山の木材生産は阿里山を凌駕し、台湾の材木商人は次々に羅東へと転じ発展し、太平山の林業の発達により、さらに周辺産業も育ちました。商店、旅館、レストランなど商工業、娯楽業の発展を包括し、交通、経済、金融資源の結合のもと、羅東も次第に宜蘭最大の商業都市になりました。近年、羅東スポーツ公園が作られ、羅東は一躍、台湾全国最大のスポーツ公園の所在地になりました。そのため、羅東スポーツ公園を見に非常に大勢の外地観光客を引きつけると共に、羅東のスポーツレジャー産業も発展しています。
気候の特徴としては多雨が挙げられる。台湾では「竹風蘭雨」といわれ、新竹では風、宜蘭では雨が多いことを表した言葉である。特に冬の北東からの季節風の時期には、数か月にわたりぐずついた天気になることも珍しくない。
[編集] 歴史
宜蘭とは台湾原住民平埔族の中の一群であるクヴァラン族が広く住んでいた地域で、1632年にはクヴァラン族が歴史資料に登場している。台湾語音で蛤仔難のちに噶瑪蘭と宛てられた。
清初は宜蘭は諸羅県(現在の嘉義)の管轄に置かれていた。その後彰化県、淡水庁と管轄が変更されたが、清朝政府は名義上の管轄を定めたに過ぎず、官吏を派遣することはなかった。そのため海賊(実態は独立した海上貿易商人)の拠点となっており、当時の台湾知府であった楊廷理より再三にわたる行政区設置の要請を受け、1810年に漸く噶瑪蘭庁が設けられるに至った。
行政が整備される以前であっても、多くの漢人によりこの地への入植が試みられている。1768年、林漢生が噶瑪蘭を訪問したが殺害されるという事件が発生している。1796年には呉沙が火器を利用しクヴァラン族から土地を奪い、蘭陽平野に入植を開始した。漢人が入植してから後、原野と森林地区での開墾が進行し、狩猟を中心にしていた平埔族の生活基盤が失われ、漢人と通婚・混血し、その独自性が失われた。同化をよしとしなかった一部は南に移住し、今でも花蓮県新社にクヴァラン族の独自性を保つ集落を残している。
1895年に日本領になると、日本政府により噶瑪蘭支庁舎が設置され、台北県の管轄にとなる。1897年には独立した噶瑪蘭庁が設置された。そして政府主導による農業改良が図られることとなった。それまで個人によって維持管理されていた灌漑施設に水利組合を設置し、積極的な設備投資を実施、農業の大幅な発展が見られた。
1945年に中華民国政府により宜蘭県が設置され現在に至る。中華民国政府による開発が遅れたため反国民党感情が強く、台湾語が根強く使われている。また、かつての党外の中心人物、現在の民主進歩党の幹部になる人材を多く輩出している。
[編集] 行政区画
| 区分 | 数 | 名称 |
|---|---|---|
| 市 | 1 | 宜蘭市 |
| 鎮 | 3 | 羅東鎮 | 蘇澳鎮 | 頭城鎮 |
| 郷 | 8 | 礁渓郷 | 壮囲郷 | 員山郷 | 冬山郷 | 五結郷 | 三星郷 | 大同郷 | 南澳郷 |
[編集] 教育
[編集] 大学
[編集] 技術学院
高中・高職以下の教育機関は下部行政区域の項目を参照
[編集] 交通
鉄道:宜蘭線、北廻線 道路:国道5号(蒋渭水高速公路)、台二線、台七線、台九線
[編集] 蒋渭水高速公路
しかし、対外的な交通が不便なことによる工商事業不振は、宜蘭の人々を長年に渡り悩ませてきました。また、大学設立の可能性も、選挙戦における重要要素となっています。こうした期待と要求は、最近になってようやく発展と成果を見せ始めました。 宜蘭の交通問題は、経済が飛躍的に伸びた1970年代に大きな発展がありました。当時、「エネルギー危機」に直面したことから、政府は経済発展を維持するために大型公共施設を推進し、宜蘭に関連性のある北迴鉄道、蘇澳港が十大建設に組み込まれました。北迴鉄道は1980年に正式に開通し、蘇澳港は1974 年に起工、1976年に北部浜海公路が建設されました。 宜蘭の交通は大きく改善されましたが、しかし事実上は宜蘭県の既存の施設を延長したり、拡張しただけに過ぎませんでした。宜蘭の人々は根本的な交通問題の解決には、台北と宜蘭を結ぶ直線道路が必要だと考えていたのです。 そして1989年、交通部(国土交通省に類似)はついに北宜快速道路(一般道)の建設に乗り出したのです。この道路は、後に高速道路へと昇格されることになりました。 蒋渭水高速道路は宜蘭地区で初めての大型交通建設でした。国内で初めての東西を結ぶ高速道路であり、西は南港インターと北部第二高速道路との交差地点から、東は宜蘭県頭城鎮まで、南は蘇澳鎮まで、全長54.3 kmとなります。雪山山脈を貫通する形で、沿線のほとんどがトンネルと橋梁で形成されています。 蒋渭水高速道路は1991年7月15日に起工しました。施工が最も困難とされた工事は全長12.9 Kmに及び、アジアで最も長い高速トンネル―雪山トンネルです。崩れやすい地質を通過しなければならないため、起工以来、湧き水や崖崩れなどのトラブルが相次ぎました。施工中は36回にも及ぶ大小規模の出水、25回のTBM(全断面掘削機)トラブルに見舞われ、工事が中断され竣工が遅れる事態に陥りました。しかし、労働者の苦労の甲斐あり、全工事は完工し、2004年9月16日に雪山トンネルの開通を迎えることができました。これが国道5号高速道路です。2006年6月16日には全線が開通となり、「蒋渭水高速道路」と命名されました。
[編集] 特産品
[編集] 観光地
[編集] 日本との関連
第二次世界大戦(太平洋戦争)中に、当地の興建南機飛行場に駐留していた日本軍の航空機が神風特攻隊として出撃したという。
日本が実効支配している尖閣諸島について、台湾 及び中国は宜蘭県に属していると主張している。
[編集] 出身者
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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