若竹 (駆逐艦)

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Japanese destroyer Wakatake 1920.jpg
昭和5年、第一水雷戦隊に編入時の「若竹」
艦歴
発注 1918年度計画
起工 1921年12月13日
進水 1922年7月24日
就役 1922年9月30日
その後 1944年3月30日戦没
除籍 1944年5月10日
性能諸元
排水量 基準:820トン
全長 83.8m
全幅 8.08m
吃水 2.51m
機関 オールギアードタービン2基2軸
21,500shp
最大速力 35.5ノット
航続距離
乗員
兵装 12.0cm単装砲3基
6.5mm単装機銃2基
53cm連装発射管2基4門
パラオ空襲下の若竹

若竹(わかたけ)は、日本海軍駆逐艦若竹型駆逐艦の1番艦である。

艦歴[編集]

  • 1922年(大正11年)7月 進水 - (株式会社川崎造船所 建造) 進水時の名称は「第二駆逐艦」。
    • 9月30日 - 竣工
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 「第二号駆逐艦」に艦名変更。
  • 1928年(昭和3年)8月1日 - 「若竹」に艦名変更。
  • 1937年(昭和12年) - 日中戦争に参戦。華南沿岸の諸作戦に参加。
  • 1941年(昭和16年) 駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。船団護衛任務に従事。
  • 1944年(昭和19年)3月30日 - パラオ大空襲に際して、脱出を図るパタ07船団の護衛についたが、パラオ湾口3km沖にて4発を被弾し15秒で沈没した。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』376-377頁による。

艤装員長[編集]

  • 穂本繁治 少佐:1922年7月20日 -

駆逐艦長[編集]

  • 穂本繁治 少佐:1922年9月30日 -
  • 栗田健男 少佐:1924年12月1日 -
  • 福原一郎 少佐:1925年12月2日 - 1926年12月1日
  • 藤田類太郎 少佐:1926年12月1日 -
  • 勝野実 少佐:1927年6月20日 -
  • 西村祥治 少佐:1927年11月1日 -
  • 小柳富次 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  • 板倉得止 少佐:1929年11月30日 -
  • 倉永恒記 大尉:1930年11月1日 -
  • 森寛 大尉:1932年12月1日 -
  • 馬場昇 大尉:1934年11月15日 -
  • 渓口泰麿 少佐:1935年10月31日 -
  • 瀬尾昇 少佐:1936年12月1日 - 1938年12月1日
  • 種子島洋二 少佐:1940年10月15日 -
  • 古要桂次 少佐:1941年4月10日 -
  • 吉田謙吾 大尉:1941年9月15日 -
  • 高橋達彦 少佐:1943年6月10日 -
  • 田中茂雄 大尉:1944年3月10日 - 3月30日戦死

参考文献[編集]

  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9