バリ島沖海戦

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バリ島沖海戦
戦争太平洋戦争 / 大東亞戦争
年月日1942年2月20日
場所バリ島
結果:日本の勝利
交戦勢力
日本の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オランダの旗 オランダ
イギリスの旗 イギリス
指揮官
阿部俊雄大佐 カレル・ドールマン少将
戦力
駆逐艦4 軽巡洋艦3
駆逐艦7
損害
駆逐艦1大破2小破1 駆逐艦1沈没
軽巡洋艦1中破
駆逐艦1小破
南方作戦

バリ島沖海戦(バリとうおきかいせん)とは、太平洋戦争大東亜戦争)中の海戦1942年2月20日夜明け前に、連合国軍艦隊が日本軍バリ島攻略船団を攻撃したが撃退された。アメリカ軍呼称はバドゥン海峡海戦(Battle of Badung Strait)。

海戦前[編集]

日本軍はジャワ島攻略のための飛行場確保を目的として、バリ島の攻略を決めた。攻略に当たる陸軍部隊は、第48師団の一部を抽出した今村亦兵衛少佐指揮の支隊(歩兵1個大隊基幹)となった。1942年2月18日、支隊を乗せた輸送船2隻は第八駆逐隊(阿部俊雄大佐)所属の駆逐艦大潮」、「朝潮」、「満潮」に護衛され、マカッサル泊地を出航した。途中で駆逐艦「荒潮」とも合流し、19日0015にバリ島サヌール泊地に進入して上陸を開始した。上陸に対して抵抗はなく、未明には日本軍が飛行場を占領した。

一方、連合軍は、哨戒中のイギリス潜水艦「トルーアント」とアメリカ潜水艦「シーウルフ」により、日本軍の攻略船団を発見していた。連合軍は、アメリカ陸軍航空隊の爆撃機を出動させて停泊中の日本軍船団を攻撃したが、輸送船1隻を損傷させたにとどまった。損傷した輸送船は「荒潮」と「満潮」に護衛されて先に出航し、マカッサルへ帰還した。

さらにオランダ海軍カレル・ドールマン少将指揮の艦隊(オランダ軽巡洋艦デ・ロイテル」、「ジャワ」、「トロンプ」、オランダ駆逐艦「ピートハイン」、アメリカ駆逐艦「ジョン・D・フォード」、「ポープ」、「スチュワート」、「パロット」、「ジョン・D・エドワーズ」、「ピルスバリー」)が船団攻撃に出動した。連合軍艦隊は、「デ・ロイテル」と「ジャワ」に駆逐艦3隻からなる部隊と、「トロンプ」と駆逐艦4隻からなる部隊の2波に分かれてバリ島沖のバドゥン海峡へ向かった。このほか、魚雷艇部隊も出動したが、戦闘に至らずに帰還した。

海戦[編集]

バリ島の地図。南部に海戦の舞台となったサヌール(Sanul)がある。

サヌール泊地を出航しようとしていた「朝潮」が、「デ・ロイテル」と「ジャワ」を発見した。20日0000頃、2隻の軽巡が「朝潮」に対し砲撃を開始して戦闘は始まった。「朝潮」も反撃したが、出航直後で速度が上がらず見失った。先に出航していた「大潮」も「デ・ロイテル」と「ジャワ」に対し砲撃を開始し、この軽巡2隻は戦場を離脱した。さらに、「大潮」は、後続の「ピートハイン」に対し魚雷を発射して撃沈した。

「デ・ロイテル」と「ジャワ」の2隻を追撃していた「朝潮」と「大潮」は、数分後に「ジョン・D・フォード」と「ポープ」を発見した。交戦の後、「ジョン・D・フォード」と「ポープ」も離脱を開始した。

0310、軽巡「トロンプ」を中心とした2つ目の部隊が到着し、「大潮」と「朝潮」に発見されて交戦を開始した。一時、連合軍艦隊がバリ島の影に隠れたため見失ったが、0341に再び戦闘となり、「大潮」(小破)と「トロンプ」(中破)がそれぞれ損傷した。

戦闘発生を知り応援のためバリ島へ戻ってきた「荒潮」と「満潮」は、「スチュワート」と「ジョン・D・エドワーズ」に遭遇して0347に交戦を開始した。この戦闘で「満潮」が大破し、「スチュワート」が小破した。

以上の戦闘で連合軍艦隊はすべて戦場を離脱し、海戦は終了した。

結果[編集]

連合軍は戦力的には優勢であったが、多国籍艦隊のため連携がうまくいかず、日本軍に撃退され攻撃は失敗に終わった。

この後にも、連合軍艦隊と日本軍船団が交戦するという類似の状況のスラバヤ沖海戦バタビヤ沖海戦が発生し、連合国軍艦隊は壊滅する。

参考文献[編集]

  • 石橋孝夫「海戦史を漁る バリ島沖海戦」
海人社『世界の艦船』1971年7月号 No.167 p64~p70