大波 (駆逐艦)

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艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1941年11月15日
進水 1942年8月13日
就役 1942年12月29日竣工
その後 1943年11月25日戦没
除籍 1944年2月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

大波(おおなみ/おほなみ)は、日本海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦夕雲型の7番艦である[2]第三次ソロモン海戦で活躍した白露型駆逐艦夕立」駆逐艦長吉川潔中佐が初代駆逐艦長を務めた。艦名は海上自衛隊の護衛艦「おおなみ(初代)」、「おおなみ(2代)」に引き継がれた。

艦歴[編集]

1939年度(マル4計画)仮称第122号艦として藤永田造船所で建造。1942年(昭和17年)6月20日、本艦に「大波」、夕雲型8番艦に「清波」の艦名が与えられる[1]。同日附で「大波、清波」は夕雲型駆逐艦に類別された[3]。「大波」は12月29日に竣工、舞鶴鎮守府籍となる[4]。同日附で秋月型駆逐艦涼月初月」、夕雲型「大波」は警備駆逐艦に定められる[4]

1943年(昭和18年)1月20日に第二水雷戦隊小柳富次少将)に編入され、ルンガ沖夜戦で「高波」を喪失して夕雲型駆逐艦2隻(長波、巻波)となっていた第31駆逐隊に配属[5]。同日にを出港し[6]重巡洋艦愛宕」をトラックまで護衛。1月25日にトラックに到着した[6]。以後、トラック周辺での対潜掃討やガダルカナル島輸送作戦に従事。2月25日、姉妹艦「清波」が第31駆逐隊に配属され、同駆逐隊は夕雲型定数4隻(長波巻波、大波、清波)を揃えた[7]。4月9日、姉妹艦「清波」と共に第四根拠地隊の指揮下に入り[8]ラバウル方面で船団護衛に従事する。「大波、清波」は5月10日に第四根拠地隊の指揮下を離れた後も、引き続きトラック周辺での間接護衛の任務に就いた[9]。5月中旬にはトラックから日本本土へ戻る駆逐艦「春雨」(ウェワクで米潜水艦の雷撃を受け大破中)、補給艦間宮」以下輸送船団の護衛を途中まで実施した。

その後呉に帰投し、7月13日まで修理を行った後、7月18日に吹雪型駆逐艦「」とともに特設給兵船「日朗丸」(日産汽船、6,534トン)と日威丸(日産汽船、6,542トン)を護衛して瀬戸内海を出撃[10]。この間の7月20日、姉妹艦「清波」はニュージョージア島の戦いにともなうコロンバンガラ島夜襲作戦および輸送作戦に参加、夜間空襲をうけ撃沈された。「大波」は7月28日にトラックに到着[10]

8月4日、「大波」は陽炎型駆逐艦舞風」、大鷹型航空母艦大鷹」と共にトラックを出港[11]。「舞風」は4日夕刻に分離したため、「大鷹」を護衛するのは「大波」1隻となる[12]8月6日13時、対空訓練のため「大鷹」は之字運動をやめ速力18ノットで直進していた[13]。この時、米潜水艦「パイク」は魚雷6本を発射する。「大鷹」右舷中央部(煙突附近)に魚雷1本が命中したが不発だった[14][15]。「大鷹」は潜望鏡に向けて高角砲と機銃を発砲、後方の「大波」も制圧射撃に加わったが[16]、「パイク」は損傷なく離脱して行った。8月9日、「大鷹、大波」は横須賀へ到着した。「大波」は舞鶴に回航されて修理を実施した。

9月に入って修理を終えた後、丁一号輸送部隊に編入されてポナペへの輸送に従事[17]。10月15日、「清波」は第31駆逐隊から除籍され、同隊は「長波、巻波、大波」の3隻に減少した[18]。この頃の「大波」は第三艦隊小沢治三郎中将)と行動をともにしてエニウェトク環礁に進出[19]カビエンへの輸送任務を終えた後[19]、11月6日にラバウルに進出し、第十戦隊(大杉守一少将)の指揮下に入ってブーゲンビル島タロキナ輸送に輸送隊として参加した[20]

日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西のブカ島とにらみ[21]、戦力強化のため第十七師団の一部をラバウルより輸送することとなった[21]1943年(昭和18年)11月24日、第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将の指揮下、第31駆逐隊司令香川清登大佐ひきいる日本軍駆逐艦部隊5隻は、輸送隊(指揮官山代勝守大佐:天霧夕霧卯月)、警戒隊(指揮官第31駆逐隊司令香川大佐:大波《司令駆逐艦》、巻波)という編制でブカ島への輸送作戦を実施する。第一次輸送は11月21日に行われ、妨害を受けることなく輸送は成功した[21]。11月24日、第二次輸送のためラバウルを出撃。ブカ島に兵員、物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、22時45分にブカ島を離れた[22]。その帰途の11月25日、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊英語版フレッチャー級駆逐艦5隻)にレーダーで捕捉され、先制雷撃(魚雷15本発射)を受ける(セント・ジョージ岬沖海戦[23]。「大波」は4分で轟沈、「巻波」も同様の運命を辿った[24]。第31駆逐隊司令香川大佐、吉川艦長以下大波乗組員230名全員が戦死した。また「大波、巻波」と共に「夕霧」も撃沈された。本海戦(吉川の戦死と「大波、巻波、夕霧」の沈没)は、太平洋戦争における日米の技術格差と敗因を象徴する戦いとなった[25]

1944年(昭和19年)2月10日、駆逐艦「大波、巻波」は帝国駆逐艦籍[26]、 夕雲型駆逐艦[27]のそれぞれから除籍された。また第31駆逐隊は「長波」1隻のみとなったため、夕雲型姉妹艦「沖波岸波朝霜」を編入して定数4隻を回復した[28]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』343-344頁による。

艤装員長[編集]

  1. 吉川潔 中佐:1942年12月20日[29] -

駆逐艦長[編集]

  1. 吉川潔 中佐:1942年12月29日[30] - 1943年11月25日戦死

参考文献[編集]

  • チェスター・ニミッツ/E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳 『ニミッツの太平洋海戦史』 恒文社、1962年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 石渡幸二 「不滅の駆逐艦長吉川潔」『太平洋戦争の提督たち』 中央公論社、1997年12月。ISBN 4-12-203014-5
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年一月一日至昭和十八年一月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100200
    • 連合艦隊第四艦隊 第四根拠地隊司令部 第二海上護衛隊司令部『自昭和十八年四月一日至昭和十八年四月三十日 第四根拠地隊司令部 第二海上護衛隊司令部 戦時日誌』『自昭和十八年五月一日至昭和十八年五月三十一日 第四根拠地隊司令部 第二海上護衛隊司令部 戦時日誌』(昭和16年12月1日~昭和19年4月30日 第4根拠地隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030251000
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年五月一日至昭和十八年五月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100700
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月二十日至昭和十八年七月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101000
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年八月一日至昭和十八年八月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101100
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101200
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101300
    • Ref.C08030583100 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C13072013300 『昭和17年12月31日現在10版内令提要追録第12号原稿/巻3/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C12070117200 『昭和17年達/6月』。
    • Ref.C12070163200 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年6月(2)』。
    • Ref.C12070167100 『昭和17年10月~12月 内令4巻止/昭和17年12月(5)』。
    • Ref.C12070175100 『昭和18年1月~4月内令1巻/昭和18年1月(2)』。
    • Ref.C12070175600 『昭和18年1月~4月 内令1巻/昭和18年2月(4)』。
    • Ref.C12070194500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年2月(2)』。

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和17年6月p.25『達第百八十六號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦二隻及掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年六月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 大波(オホナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清波(キヨナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十五潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 呂號第三十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十四號掃海艇』
  2. ^ #昭和17年12月31日艦艇類別等級表p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』
  3. ^ #内令昭和17年6月(2)p.38『内令第千百六號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十七年六月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「高波」ノ下ニ「、大波、清波」ヲ加フ|潜水艦、一等伊百七十六型ノ項中「伊號第百八十二」ノ下ニ「、伊號第百八十五」ヲ、同二等呂三十五型ノ項中「呂號第三十五」ノ下ニ「、呂號第三十七」ヲ加フ』
  4. ^ a b #内令昭和17年12月(5)p.18『内令第二千四百二十八號 驅逐艦 涼月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 大波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 涼月 驅逐艦 初月|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 大波|右警備駆逐艦ト定メラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  5. ^ #内令昭和18年1月(2)p.25『内令第四十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年一月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、大波」ヲ加フ』
  6. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100200, pp.10
  7. ^ #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
  8. ^ 『第四根拠地隊司令部 第二海上護衛隊司令部 戦時日誌』pp.5
  9. ^ 『第四根拠地隊司令部 第二海上護衛隊司令部 戦時日誌』pp.15 、『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100700, pp.6,9
  10. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101000, pp.28
  11. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.3『本艦ハGF電令作第627号ノ任務ヲ終了シGF電令作第642号ニ依ル次期軍事機材輸送任務ノ為横須賀回航ヲ要シ便乗者431名托送品零戦3艦攻3水戦1発動機5其ノ他ヲ搭載ノ上4日0415「トラック」港出港9日1700横須賀着ノ予定ヲ以テ同地ニ向フ』
  12. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.3『4日1745舞風分離迄左右130度1500米ニ駆逐艦各1ヲ配ス舞風分離後大波本艦艦尾1000米ニ占位シ昼夜間共艦内哨戒第三配備之字運動A法(時隔5分)ヲ実施ス』
  13. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.2『本艦6日1300ヨリ高角砲機銃教練射撃開始ノ予定ヲ以テ之字運動ヲ止メ針路40度18節ニテ直進ス、警戒駆逐艦大波ハ大鷹ノ後方約1500米ヲ続行ス』
  14. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.7『6日1320大鷹艦長|発大鷹艦長6日1300北緯21度32分 東経153度20分 / 北緯21.533度 東経153.333度 / 21.533; 153.333ニテ近巨離ニ潜望鏡発見雷撃四ヲ受ケタルモ回避シ被害ナシ大波制圧中』
  15. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.9『同日1050大鷹艦長|大波|魚雷1本本艦右舷中部ニ撃角20度ニテ觸衝セシモ爆発セズ頭部切断沈没セリ』
  16. ^ #S1709大鷹詳報(3)p.5『大鷹ノ射撃ニ依リ大波ノ前方1500米ニ潜望鏡ヲ認メ直ニ之ガ攻撃ニ移ル』
  17. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.6
  18. ^ #内令昭和18年10月(4)p.8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一駆逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
  19. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.7
  20. ^ 木俣, 389ページ
  21. ^ a b c 木俣, 401ページ
  22. ^ 木俣, 402ページ
  23. ^ #ニミッツの太平洋海戦史187-188頁
  24. ^ 木俣, 405ページ
  25. ^ #太平洋戦争の提督たち162頁
  26. ^ #内令昭和19年2月(2)p.18『内令第三百十五號 舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 巻波 驅逐艦 大波 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル 昭和十九年二月十日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  27. ^ #内令昭和19年2月(2)p.19『内令第三百十八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年二月十日 海軍大臣嶋田繁太郎 驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「、巻波、大波」ヲ削ル』
  28. ^ #内令昭和19年2月(2)p.18『内令第三百十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年二月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、巻波、大波」ヲ「長波、岸波、沖波、朝霜」ニ改ム』
  29. ^ 昭和17年12月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1017号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072088600 で閲覧可能。
  30. ^ 昭和17年12月31日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1022号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072088700 で閲覧可能。

関連項目[編集]