マナド
座標: 北緯1度30分 東経124度40分 / 北緯1.5度 東経124.667度
| マナド Manado |
|
|---|---|
マナド湾とマナドの景色 |
|
| 標語 : "Si Tou Timou Tumou Tou(人は他人の面倒をみるために生きている)" | |
| 座標 : 北緯1度30分 東経124度40分 / 北緯1.5度 東経124.667度 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 州 | 北スラウェシ州 |
| 市 | マナド |
| 市長 | ジミーリンバ(Jimmy Rimba) |
| 地理 | |
| 面積 | |
| 市域 | 157.26km2 |
| 人口 | |
| 人口 | (2005年現在) |
| 市域 | 405,715人 |
| その他 | |
| 等時帯 | インドネシア時間 (UTC+8) |
| 公式ウェブサイト : http://www.kotamanado.go.id/ | |
マナド(インドネシア語:Kota Manado)は、インドネシアのスラウェシ島のミナハサ半島最北端に位置する、北スラウェシ州の州都である。メナド(Menado)とも表記される。
目次 |
[編集] 概要
マカッサルに次ぐスラウェシ島第二の都市である。マナド湾の沖、8kmにブナケン島があり、世界中のダイバー憧れのダイビングスポットである。
サム・ラトゥランギ空港はマナド市内から13kmの所にある[1]。ジャカルタ、シンガポール、ダバオからの直行便があり、ジャカルタからの一部の便とスラバヤからの便はマカッサルやバリクパパンを経由する。
市民の大半はプロテスタント、街中に教会が多く存在する。マナド人はマナド語を話す。マナド語はインドネシア語との共通点が多く、植民地時代の影響でオランダ語やポルトガル語の言葉が多く採用されている。
マナドビーチ沿いのピエレ・テンデアンボレバード(Pierre Tendean Boulevard)大通りにはデパートや飲食店が立ち並ぶ。夕日を見ながら食事をする場所。土産物店はジャランベウェ・ラピアン(Jalan BW Lapian)とパサージェンキ(Pasar Jenki)に集中している。マナドのクッキー、雑貨、織物などが有名。パサーイカンクアラジェンキ(Pasar Ikan Kuala Jengki)は魚介類の市場。カユワトゥ(Kayuwatu)ゴルフ場は椰子の木に囲まれている事で有名。
マナドの名物料理はティヌトゥアン(マナドの野菜お粥)、パニキ(蝙蝠料理)、エルウェ(犬肉料理)、焼き豚、ナシクニン、ゴフ(パパイヤの酢の物)。バゲア(サゴクッキー)、ラランパ(餅米の中にツナのそぼろ)、パナダ(魚の揚げパン)は有名なスナック。マナドの地酒はチャップティクスのサグエル(Cap Tikus、鼠印という意味)
ローカルのスーパーホットな調味料として「ダブダブ」があり、材料は、ライムジュース・コンカッセしたトマト&オニオン&チリである。
ミナハサ族の楽器はコリンタンという木製のシロフォン。ミナハサ人は自分たちの事をカワヌア人と呼ぶ。カワヌアの意味は家族、国民、一つの国。マナド人のモットーは「シトウ・ティモウ・トゥモウ・トウ」(人は他人の面倒をみるために生きている)。
インドネシアの中でも美人が多いことで知られ、日本のメナード化粧品もここから社名を取ったという俗説があったが、メナード化粧品の「メナード」という社名は、ギリシャ神話に登場する美の女神「メイナド」から命名されたものである。[要出典]。
[編集] 地理
西はスラウェシ海のマナド湾に面し、海岸線の長さは18.7km。北部はミナハサ県とマンテハゲ海峡に面し、東部と南部はミナハサ県に接する。マナド周辺の主要都市はトンダノ、ビトゥン、アムラン。
ブナケン島はブナケン海洋国立公園に指定されている。マナド市の水域にはブナケン島、シラデン島(マナド港から20分)、マナドトゥア島(マナド港から45分)、マンテハゲ島(マナド港から50分)がある。マナド港から各島にボートが運行。マナドトゥア島の最高地点は標高800メートルのマナドトゥア山である。マナド湾の一番浅い地点は水深2-3メートル、大陸斜面の深さは2000メートル。
ビトン市 マナドから東へ約50Kmの東海岸に位置する港町。昭和初期には数件の土着民が点在する小さな部落様であったが、日本人の大岩勇(愛知、豊浜出身)が興した東インド水産が、造船、漁業により就労の場を作り町を形成した。沖縄、伊平屋伊是名島からの漁民も多く戦前から定住して、家庭を持っていたが、終戦で帰国、残された日系人が存在する。古くから日本人による漁法、鰹節の製法の教与により、現在も多くは焼津、枕崎へ輸出されている。 現在は日本からののODAによるコンテナ埠頭の完成により北スラウェシ州への貨物、人の往来の玄関口となっている。 人口の大半は、キリスト教だが、近年ジャワ、ゴロンタロ等からのイスラム教徒の移住者が流入、治安の悪化を招いている。
[編集] 気候
気候は一年を通して涼しい。平均気温は24℃から27℃の間。年間降水量は3.187 mm。降水量は1月が最も多く、8月が最も少ない。平均湿度84%。 訂正、モンスーン気候、雨季と乾季に分かれる。通常10月から3月までが雨季で、4月から9月までが乾季。しかし近年雨が異常に多くなっており、 雨季明けが遅れる傾向にある。
[編集] 歴史
1658年オランダ東インド会社はマナドに砦を作った。他のインドネシア東部地域と同様に、多数のマナド住民は、リーデル、シュバルツなどのオランダ人宣教師によってキリスト教化された。 1830年ジャワ島の王子ディポネゴロが、オランダ政府によってマナドに追放されてきた。1859年イギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスはマナドを訪れ、マナドを美しい街であると称賛した。
1919年、セルベス教皇県(Apostolic Prefecture) がこの街で設立した。 1961年、マナド教区に昇格した。 第二次大戦中、連合国による爆弾によって甚大な被害を受けた。
太平洋戦争以前、南洋庁によるパラオ統治により日本の企業が進出、マナドに支店を作った。多くは将来の南洋進出をにらんだ国策会社であり 昭和12年の日本人会名簿には120名の記録がある。当時は領事館はマナドにあったが現在は、マカッサルにあるジャカルタ日本大使館出張駐在官事務所となっている。
1942年1月11日旧日本海軍部隊長堀内中佐による世界初落下傘による奇襲攻撃により、ガゴワン空港及び周辺のミナハサ地域を2日で占拠。 陸戦隊はマナド港、及びケマより上陸、その足でラゴワンで合流、終戦まで駐留した。マナド周辺は海軍、トモホンからミナハサは陸軍管轄。
2007年7月、マナドで猟師によりシーラカンスが捕獲され、マナドの博物館に保存、陳列する計画がある。 運悪く、保存した海洋生物、特にマナドで発見された珍種を展示する博物館や代替施設は無い。 これは地域政府にとって残された課題となっている。
シーラカンスに興味を持った福島県いわき市のアクアマリン水族館関係者により、水深80~120m付近でシーラカンスの生態をビデオでとらえている。 その後、海流から考察しパプア海域にもいると思われ調査しその存在を確認した。
[編集] 姉妹都市
[編集] 名所・文化観光施設
- ブナケン島(スキューバ・ダイビング、スキンダイビング)
- 萬興宮(バンヒンキオン)インドネシア東部の最古寺院
- チトラランドのキリスト像
- ブラジルのコルコバードのキリスト像に次ぐ巨大キリスト像。
2004年までミナハサ郡に属していたが、市政を引く。標高600mの高地にあり、年間を通じて涼しいが、雨も多い。花の街を標榜し2008年にはフラワーフェスティバルを開催した。トモホンからの生花は、マナドへ持ち帰るとすぐ枯れてしまい、マナドにある花はほとんど造花が多い。 高原の涼しさから神学校、大学、カレッジ、高中小学校が多い。またジャカルタでの成功者が興した専門高校があるが授業料月3JutaRp(約3万円)で金持ちの子弟専門の学校になっている。近年近くのロコン山が噴火し、火山灰が降り注ぐが大きな被害はない。オランダ人の避暑地であるためか美人の産地だそうだ。
ミナハサ高原のほぼ中央に位置する淡水湖。周囲の田園は北スラウェシ州の穀倉地帯となっている。また魚の養殖も近年盛んになり、湖畔に多くの 淡水魚料理店が設置されるようになった。オランダ統治期には、多くのオランダ人の避暑地となっていた。この湖水は、戦時中日本軍により作られたア イルマディディ町の水力発電に利用されマナド市を経てセレベス海にいたる。
- 北スラウェシ州立博物館
- バトゥピナベテガン(マナド人祖先の巨石文化の石)
- ワルガ(マナド人祖先のリーダー墓石)
[編集] 出典・脚注
[編集] 外部リンク